第二話
1
“アルカディアにヒーロー誕生!”
「朝刊を見てみろよレオン君!私はアルカディアのヒーローになったぞ。名探偵という言葉よりも威厳があるな」
太陽さんが燦々と顔を覗かせている朝。朝から見たくもない男の爽やかな笑顔を眼前に突き付けられた。ちょっと引いたかと思ったら、今度さんは自慢げに新聞を僕に見せた。
眠い目を擦りながら記事に目を通していると、僕はこれがロミオさん自身で勝手に書いた記事じゃないかと疑った。
だって、アルカディアで一番嫌われていたと言っても過言じゃない男が、一日でヒーロー扱いだ。この街は一体どういう神経をしているのやら。
「探偵が英雄になることってあったんですね」
嫌味を込めた言葉だったが、ロミオさんはそれを鵜呑みにした。
「人助けをして銀行を守ったんだぞ。街に住む人命と経済を死守した男を、ヒーローと言わずなんと言う?」
天才的に頭がいいくせに、調子に乗って致命的なミスをしてきたことが何度かある。それは片手で数えきれる程度の回数だが、どれも致命的で、どれも彼の人生を変える程のものだ。この新聞記事が、ロミオさんの人生に影響を過度に与えることが無ければいいんだけれど……。
今 日一日、特に仕事は入っていない。未だに散らかったままで片付けられていないこの部屋を掃除だけで終わらせるのは勿体ないけれど、今後お客さんが来ることを考えると、いち早く綺麗にしなければならない。
この部屋を片付ける決心をしたところで、事務所の扉をこんこんとノックする音が聞こえてきた。
「おはようございます」
透き通るような、美しい声が事務所の扉越しに聞こえてくる。
それまでソファでだれて居た男は急にデスクの椅子に座りだし、散らかっていた事件資料をさらさらと読み始めた。ロミオって男は本当に……。
「入っていいですよ。鍵は開いている」
「失礼します」
事務所に入ってきた女性は、それはもう麗しい絵に描いた様な美人だった。絵に描いた、という言葉が表すように、物語の世界から飛び出てきたお姫様と呼ぶのが相応しいかもしれない。
白いドレスを着ており、白く輝く真珠のネックレス。顔立ちも整っており、髪は触りたくなるくらいさらさらな金髪だった。
そんな美しい女性を見て、いつも通りやらしいトークを始めるんじゃないかと思っていた。いや、誰もがそう思うはずだったし、そういう光景を目の当たりにするのだろうと考えた。でも、現実は僕が絵に描いた構図とは反する、まったく予想できないものだった。
「そんなに、私と会いたかったの?」
「な、なんで君が?」
顎が外れるんじゃないかってくらいに口が開いていた。僕は二人の顔を見回していたが、どういうことかさっぱり理解できなかった。
「女性がおめかしする時は、大抵相手の男を口説き落とすためだ。私と今夜デートでも?」
僕はボンクラな女好きの顔に裏拳を素早く打ち込み、お客様に勧めるために椅子を用意した。
「彼のことは気にせずに、どうぞお座りください」
「ありがとう。あなた、彼の息子さん?」
「絶対に嫌ですねそれは。喜ばしいことにこの人の息子じゃありません。助手なんです」
「そうなの。私にとっても嫌ね。だって、私と彼の子供以外なんて考えたくないから」
言葉をそのまま汲み取ると、ロミオさんに好意的な台詞と思えるけれど。一体、誰なんだろう……。
「ちなみにあなた、お名前は?」
「僕の名前はレオンです。レオン=コナーと言います」
「私はシンデレラ。よろしくね、レオン君」
彼女は席を立つと、僕の元までゆったりと歩み寄ってきた。そして、不意をつくように、僕の右頬にキスをした。
頭が沸騰して爆発しそうだ。
「おいおい、君のキスは子供に刺激を与えすぎる。もっと大人な紳士にすべきじゃないか?」
「純粋な子には、イタズラしたくなるものじゃなくて?」
これがじょ、女性のキスぅ……。
「どうしてこんなさびれた事務所で働いているの?」
「ちょっとした人生経験のために、中学校に通いながら働いているんです」
今経験できました。ばっちりと。女性のキスとはなんたるかを!
「中学生とは思えない、立派な紳士ね」
急激に頬が熱くなるのを感じた。それと同時に、いやらしい視線を彼女に向けるクズの視線も捉えてしまった。僕が拳を入れた所為で鼻血を出している。
「素敵なお嬢さん。本題に入りましょうか。一体どのような用件がおありで?あ、まさか新聞をご覧になったんですか?いやぁ参りますねぇ。たかだか銀行強盗を捕まえたり、狂暴なヴァンパイアを倒したくらいでヒーローとは。いやでも、ヒーローにこそ、貴女の様な美しい女性が似合う」
「段々と、女性を褒める言葉が雑になってるわね。私と出会った時は、もう少し気の利いたことを言ってくれていたのに」
ロミオさん、顔が引き攣ってるよ。どうやら、女性好きで名高いロミオさんも、この麗しきシンデレラさんの前では、口が達者な子供と同等らしい。
「この人の余計な言葉には耳を塞いでください。シンデレラさんの綺麗な耳が汚れてしまいます」
「失敬だな君は」
口を尖らせて反論しているけど、まったく説得力がない。説得力のない大人にはなりたくないね。
「そう思うなら口を閉じていてください」
「ほんと、小生意気な助手に育ってしまったものだ。でもまぁ、見た目よりも使えるんだよこれが。なんせ可愛らしい顔した中学生だからね。女装なんかもさせて潜入させるのに使えるってのは、探偵業に使えるスキルだ」
もう一発裏拳を食らわせてやろうかと思った所で、くすくすと笑う声が聞こえてきた。
依頼人である女性が、口元に手を当てて、控えめに笑っていた。
仕事の依頼で来たのに、無駄な口論で彼女の貴重な時間を奪っては申し訳ない。ロミオさんと漫才をするのを辞めて、しっかり話を聞くように、シンデレラさんへと体を向けた。
「すいません。余計な時間を取ってしまいました。一体、どの様なご用件で?」
僕がそう尋ねると、彼女の微笑みを浮かべていた美しいお顔は、暗い曇天の空の様になってしまった。
「とある事件の、犯人を捕まえてほしいんだけど。報酬は弾むわ」
彼女の言葉を聞いてすぐ様、ロミオさんはこう切り出した。
「その前に、どうしてその格好をしているか教えてくれないか?まるでお姫様じゃないか。そわそわして集中できない」
ロミオさんの下卑た笑み。もう一度鼻に裏拳を入れると、盛大に鼻血が宙を舞う。
「私とあなたの間柄を、レオン君は知っているのかしら?」
「ムーディな大人の世界を彼が知るにはまだ早い。お子様ランチを食べる子供だからな」
「食べませんよ」
何やら意味深な会話が続けられているけれど、事務机と来客者用椅子との間に挟まれている僕は、ただ二人の会話をじっと頭の中に入れては,クエスチョンマークを増やしてくだけだった。
いやいや、僕も探偵の端くれだ。ちょっとした仮説を頭の中で考えてみた。
ロミオさんとシンデレラさんは以前からの知り合いである。その経緯やどういったことがあったかはわからないが、オトナな世界を演出できるような仲ということは、恋人に近しい人物であったと推測される。
しかし、僕がロミオさんと出会ってから、シンデレラさんを見たことがないということは、しばらく二人の間に関係なかったという説が濃厚になる。喧嘩別れなのか、やむを得ない事情なのかはわからないが、二人は一緒に居られなくなったのであろう。というのが、中学生探偵の推理だった。
「この純白ドレスはね、ちょっと情報を集めるために必要なだけなの。あまり気にしないで頂戴」
「そいつぁ無理な相談だ。あまりにも似合いすぎていて、今すぐにでも教会に行って式を挙げたいくらいだ」
「心に決めた人が居ることを、貴方は知っているでしょ?」
「おっと、そうだったな……。だけど、犯罪にまで手を出すとは知らなかったぞ」
事務机の上にあるファイルから、何枚かの新聞を取り出して、彼女に大きく広げて見せた。
「保険金詐欺、宝石泥棒。アルカディア各地のありとあらゆる富豪が被害にあっている。警察も動いているが、一切犯人はわかっていない。その犯人を知るのは、アルカディアにおいて唯一私だけだ」
「それじゃ、どうして警察にお話をしないのかしら?」
「警察じゃ逮捕できないからさ。犯人は手際が良い上に、非常に厄介な魔法を使用することができる。逮捕するには、苦労するだろう」
「随分と盗人を褒めるわね。それでも探偵?」
「必ず捕まえてみせるさ。私の腕の中で動けないように」
いい空気のようで、お互い本音を隠して回りくどく話す。これが大人の会話か……メモメモ。
先程、僕が推理した内容は大体合っているように思える。
二人が一緒に居られないというのも、シンデレラさんに想い人ができたからではないだろうか。
それでは、その想い人が出来た後二人は一切出会うことなく過ごしていた。だが、何らかの事件が起きたので、ロミオさんに助力を求めに来た。そう考えると、辻褄が合うのではないだろうか。
「余談はここまでにして、本題に入るわね。先日、アルカディア一の富豪と呼ばれたラファエル=ノームが、何者かに殺されたの」
「その事件なら新聞で見た。今から三日前じゃないか。どうして君がラファエル氏に興味を?どうして死んだ富豪に興味がある?」
食い入るようにシンデレラさんへと質問を畳み掛けるロミオさん。その表情は、少しばかりむっとしているように見える。
「嫉妬するなんてかわいいわね」
「嫉妬じゃない。依頼人からの話を真面目に聞いているだけだ」
「そんなに私が恋しいなら、依頼をちゃんと成功させて」
口を尖らせるロミオさんへ、シンデレラさんは気にせず事件の概要を話し続けた。こういう時のロミオさんにまともな対応をしていると、こっちの頭が痛くなるのは確かだ。
「誰が殺したかはわからないけれど、ラファエル=ノームは眠りについたまま目覚めなかったらしいの」
「まるで、眠り姫ならぬ眠り王子だな。姫のキスで起きるのかな?」
とんとんと貧乏ゆすりを始める探偵の隣で、助手の僕は段々と居た堪れなくなってきた。このままだと、二人が痴話喧嘩をし始めそうで。中学生がそんなもの聞きたいわけがない。
会話を察するに、ロミオさんとシンデレラさんは、
「犯人はラファエルを殺した後、手紙でメッセージを残していったの。“美しき姫への贈り物”と」
美しき姫。つまり、シンデレラさんのこと?
「レオン君。まだわからないのかね?君は頭の中でいくつかの推理をしていたのだろう。しかし、まだ一つの結論を導き出せていないことに私は苛立ちを感じている。どうしてこんなに簡単なことがわからないのかと」
「え、何がです?」
「このラファエル=ノームというのは、シンデレラ嬢にとってどんな人物だと思うかね?」
ラファエルさんは、シンデレラさんの知り合い?……いや違う。恋人だ。
つまり、二人は恋仲にあることを犯人は知っていたわけか。
う~ん……複雑になってきた。
「要するに、シンデレラさんを助ければいいということだけは、ハッキリとわかりました」
「私は気乗りしないな」
それまで凛とした気品を持っていたシンデレラさんが、か弱い少女の様に儚げで悲しみに暮れる表情をした。
「私にとって、彼が全てなの。ラファエルは正確に言うと、まだ“死んでは”いない。彼は私も知らない特殊な魔法に掛けられている。その魔法を解いて、彼を助けて欲しいの。お願い」
薄らと涙を浮かべて懇願するシンデレラさんは、不謹慎ながら美しい女性だと思ってしまった。
僕がこんな風に感想を持っているというのに、ロミオさんは、両肘を机に付き、両手を組んで静かにシンデレラさんのことを見ていた。それは、いつもの女性を品定めしている時の下衆な表情ではなく、探偵として情報を頭の中で整理しながら、これからの展開をどう進めていくかを真面目に考える顔だった。
「君の依頼は、レオン君と話し合ってどうするか決めよう。情報が少ないから、まずはそのラファエル氏が居るという家の住所を聞こうじゃないか」
シンデレラさんは、待ってましたと言わんばかりに、胸元から一枚の手紙を取り出し。そんなところに手紙を隠し持っていたとは……。ごくり。
「この紙に、必要な情報は載せているわ。お願いね、名探偵ヒーローさん」
「若干皮肉めいて聞こえるのは私だけかな?」
「あら、素直に褒めたのよ?それに、このかわいらしい助手さんにも期待しているから」
シンデレラさんは僕の手の甲に、ちゅっとキスをして部屋を出て行った。またもや顔を赤らめている僕のことを、殺意染みた目でじっと睨んでくるロミオさんをかわすべく、黙ってお茶を差し出すことにした。
「冷蔵庫からお茶は出さなくていい。しかしながら、これは面白い事件に関われるかもしれんぞ」
「僕にとっては、あまり興味が湧かない事件ですね。だって、三日前にラファエル氏が発見されたってことは、警察があらかた調べてしまった後ということになりますから。もっとわかりやすく言えば、警察が証拠を消してしまっている可能性があるって言いたいんです」
「警察は必ず、事件解決の条件となる何かを見逃す。それを発見してこそ、探偵として輝くというものだ。例え、警察の中に悪の手先が潜んでいようとも」
こういう話をしている時のロミオさんはかっこよく思えるし、彼のようになりたいと思えるものだ。普段から、このままで居てくれればいいのに……。
「シンデレラさんから渡された手紙には、一体何て書いてあるんです?」
ロミオさんは何も言わずに、一枚の白い紙をぺらっと僕に渡した。
その表情は、やけに苦々しく具合が悪そうだ。
『この手紙は名探偵に渡せ。そしてこう告げるのだ。ゲームをしよう名探偵。お前のジュリエットを手に入れる術は、このゲームの中にある』
これはシンデレラさんの言葉ではない。犯人の言葉だろう。
犯人から受け取ったメッセージは、ロミオさんにとってどのような意味なのか。
ジュリエットという人物について僕自身、詳しくは事情を知らない。
その昔、ロミオさんとジュリエットさんは恋仲にあり、これまた並々ならない事情で別れざるを得なかったと聞く。
シンデレラさんと事情が似ているけれど、“ジュリエット”という人物の名前が出てくるだけで、ロミオさんの顔はいつにも増して真剣になる。
ジュリエットさんが、並々ならないロミオさんの過去と繋がっているということだけは、確からしいことだ。
2
シンデレラさんが来た日の夜更け頃、どんどんと音を立ててロミオさんを呼ぶ男の人の声が聞こえた。
僕は家に帰らなかった。明日学校が休みということもあって、事務所の別室に泊まり込んでいた。
ヴァンパイアでありながら、12時くらいには眠くて瞼が鉄の様に重くなる僕には、とてもつらい時間に人が来てしまった。
ふらふらと千鳥足になりながらも、僕は玄関へ行って、夜の客人を出迎えた。
「すまないねレオン君。ロミオは居るかい?」
「三階で寝てると思いますよ」
「ヴァンパイアなのに、この時間に眠くなるんだな」
「前も言ったでしょう?僕はヴァンパイアだけど、人間に近いんです。血も吸わないし、日の光を浴びても灰になりませんからね」
スーツを着てはいるが、ズボンやら裾が皺で目立つその男性。紺色の髪の色をしており、ロミオさんよりもイケメンだと僕は思う。国民が支持するアイドルグループに入っても、まったく違和感無いだろう。
「グレンさん。わざわざこんな時間に来るってことは、何かよろしくない事態ですか?」
「警察よりも、ロミオの方が大変なことになりそうだ」
アルカディア警察に勤めているグレンさんは、ロミオさんの知り合い。彼は幾度となくロミオさんと手を組み、事件を解決してきた。
お金で闇に染まる大人とは違って、グレンさんはアルカディアを平和な街にしたいと心底思っている人だ。
そんな彼の考えを見抜いて、ロミオさんはグレンさんに協力するようになったんだと思う。
僕とグレンさんはロミオさんを起こしに、彼の私室へと向かった。
軽くノックをして扉を開けると、ベッドではなく、木製の椅子に腰かけるロミオさんの姿を目視した。
てっきり眠っていると思いきや、ずっと本を読んでいたみたいだ。小さな机の上には何冊もの古い事件記録や、百年以上前に書かれた小説が積み木のように置かれていた。
僕が何度かロミオさんの肩を叩くと、ようやく気づいたらしく、本をそっと閉じた。物凄い集中力。
「こんな時間に一体何だね?」
鬱陶しそうに僕らを見るロミオさん。グレンさんは僕の前にすっと立ち、彼に話を始めた。
「最近起きている事件が一連のものであると捜査本部は判断した。そこで、君にも協力してもらいたいんだ。報酬は弾む」
「今日同じ台詞を別の女性から聞いた。厄介事の時だけ私を頼るとは、良いように扱われているな」
「そういう訳ではない」
「そういうことにしておいて差し上げましょう」
欠伸をしながら、ロミオさんは上の寝間着を脱ぎ始めた。
「仕事の準備をするんだレオン君」
「今からですか?」
「私も、ラファエル氏殺害事件には非常に興味を持っている。記事を読むと、彼の家には幾つもの魔方陣に似た図が描かれてたり、近隣の家で働いていた警備員が殺される事件もあったらしい。グレン君の言う一連の事件は、我々にとって有益な情報をもたらしてくれるだろう。捜査本部のお偉い方がお茶を飲みながら考えている間に、私はとっくに事件の本質を見定めていた」
水玉模様のパジャマ姿から一転。
頭の上には黒いシルクハット。白いワイシャツに燕尾服。そして肌身離さずいつも付けている右目に掛けるモノクル(片眼鏡のことです)。このシルエットはどこをどう見てもロミオさんだ。
最近黒髪やら茶髪やら、美容室で髪の色を変えているのはファッションなのだろうか?
「まずは、ラファエル王子の豪邸に向かうとする。事件の起点に全てがあると視て間違いない。道順を正しく辿った方が、この場合良さそうだ」
3
アルカディア郊外にある赤いレンガ造りの豪邸。僕らは事件の詳細を知るべく、その豪邸の中へとやってきた。四階建てのその豪邸の入口は何か所もあり、誰かの侵入を完璧に防ぎきると言うのは難しいだろう。
家の中を歩くと、研究所のように試験管やガラス瓶が並ぶ部屋があった。
「まるで研究所みたいな所ですね」とロミオさんに言うと、彼はこくりと頷いた。
僕とロミオさんは、事件現場である王子の私室へと向かうことにした。
グレンさんは家の外で、警備中の警察官と何やら話をしている。僕らが捜査するのを手際よく進められるようにしてくれているのだろう。
「僕の推理ですけど、この一連の事件って、お金目的か何かじゃないんですかね?僕らが捜査して何か見つけられるものだとはとても思えないんですが」
「事実を目の前にして、仮説だけで動くのはよくないぞ。いいか、そこにあるものをまず頭の中に全て入れるんだ。本棚にある書籍から、床に落ちている髪の毛の一本まで」
「そんなの無茶ですよぉ……」
グレンさんの許可なく、あちこちのものを触るのは禁じられている。家の中を自由に動くことも本来はダメ。でも、ロミオさんはまるで自分の家を歩くかの如く、あちこちお構いなしに歩みを進めていく。
「勝手にあちこち歩いて大丈夫ですか?主が居なくても、ここの建物は警備が厳重ですよ?」
警察官以外にも、ラファエル氏が雇っていたと思われる警備員が何人も居る。余程のお金持ちだったんだろうなぁ……。
「問題ない。部屋へのルートもグレン君から確認済みだ。無論、私の頭の中に全て入っているから、道を間違えるということもない。警察のことも心配しなくても大丈夫だ。ここに居る警備員は皆、ラファエル氏の遺産目当てで居るだけ。遺族にいい顔してお金を貰おうとは、まさに金に集る亡者だな。だが、我々が捜査するのに心配するような要素ではない」
「動くな」
僕とロミオさんは両手を挙げた。
背後から聞こえる声は低めの女性の声。警備員は男の人だけじゃなかったんだねぇ。
「そのまま、手は頭の上に」
「警察や警備員のことは心配しなくて大丈夫じゃなかったんですか?」
「警察じゃないんだろ?」
そういうと、後ろに居た女性はわざわざ、両手を頭に乗せたまま動かない僕らの前に回ってきた。
「うん、美しい」
目の前に立った女性は紫色の短髪で、凛とした雰囲気を漂わせている。目は少し釣り目で、ロミオさんはその瞳をじっと見たままでれでれと鼻の下を伸ばしていた。この男は……。
「ちょっと驚かせただけ。もう手は下げていいわ」
それにしても、見た事のない黒い制服だ。警察官でも、ここで雇われていた警備員でもなさそう。
シンデレラさんも十分美人だったけど、この人も確かに美人だ。仕事の出来るかっこいい女性は、女性からモテるとロミオさんは言っていたけど、この人はまさにそういうタイプかも。
「私はキャメロン。あなた方の味方よ」
「どうして味方だと言い切れる?」
「どうせもう、私に敵意がないことは知っているでしょう?」
「敵意じゃなくて、好意があるみたいだ。この後一緒に飲みに行こうか」
「残念ながら外れ。名探偵の名が泣くわね」
その探偵と一緒に居る僕は悲しいよ。
それにしても、警察じゃないっていうのであれば、この人は何者?
「一体何の組織に属しているんですか?」
「世界で起こる凶悪犯罪を取り締まるための極秘機関って所かしら。あなた達二人はアルカディアでも有名な探偵。いつか、協力してもらうかもしれないわね」
「その極秘機関が、一体どうしてここで起きた事件に興味を?」
「この事件は魔法・呪術の類が鍵になっている。貴方達はこれからその情報を集めるようだけど、私達の機関はいち早く事件を察知して、全てを調べ尽くした。だから、事件よりもあなたたち二人に興味があるわね」
「飲み会より、ホテルの方が交流を深められそうだ」
「やめましょうロミオさん。痴漢罪で訴えられそうです」
僕がそう言っても、ロミオさんはキャメロンさんに対して、色目を使うことを止めなかった。キャメロンさんは、一切相手にしていないけど。おぉ、流石特殊機関に所属するだけのことはある。こういう男への対処法もばっちりなんだろうなぁ。
「警察への心配はいらない。貴方たちがある程度自由に動ける様に手配はしておいた。無事、事件解決をできる様に祈っているわ」
颯爽と走り、豪邸の塀も呆気なく飛び越えていく様は、まるで映画に出てくる女性スパイみたいだ。
「ああいう女性も麗しい。そう思わないか?」
「誰にでも言ってるでしょ」
「バカ言うな。それでは私がただの女好きみたいじゃないか」
「一語一句誤りなくその通りじゃないですか」
「失敬な。私は一人一人の女性に対して敬意と愛情を持って接しているんだぞ。それをただの女好きみたいな言い方をして。まだまだ子供だな君は。私の考えを理解するには、後10年掛かりそうだ」
「わかりましたから、さっさと行きましょう」
本当は一ミリもわかっちゃいない。わかりたくもない。なんだか穢れそうで。中学生には、彼の言葉は毒であるに違いない。
要らぬ会話はここまでにして、仕事を始めよう。
僕は豪邸に住んだことがない。入ったことすらなかった。ラファエル=ノームという方の豪邸にお邪魔することになったけれども、子供の頃読んでいた童話の話に出てくるような家だ。
赤い絨毯。壁に掛けられた0が何桁も並びそうな絵画の数々。天井のシャンデリア。
お客さんが座る椅子にも金の細工がいくつも施されている。
事件現場となったのは、その豪邸の中の一室。ラファエル=ノーム氏の私室である三階右手の、階段から3つ奥の部屋。
扉を開けてその部屋を覗いてみた。
ロミオさんは僕よりも早く部屋に入って、あちこち見始めた。
僕が最初にその部屋を見た感想は、“異次元”だった。
天井はまるで宇宙を見渡せるようにと描かれた月や太陽。そして地球の周りにある星の数々が散らばっており、壁には魔法を彷彿されるものがびっしり飾られている。魔女が被る縦長の帽子。跨って空に飛び立つための箒。テーブルには純白のテーブルクロス。純白のコーヒーカップ(なんと、持ち手と口を付ける淵の部分が全て純金製!)が二つ。そして一番目につくのは、男女が一つの聖杯を持ちあげている彫刻風絵画だった。
「早速現場検証といこうじゃないか。レオン君、推理してみたまえ」
部屋に入って右手にあるボタンを押すと、シャンデリアの照明が点灯する。
上司から早速仕事をするように言い渡されたけれど、助手としての働きをするというよりは、教師の元で勉強する生徒といったところか。僕は部屋の中にある物から、壁に付いている傷まで、細かく観察していった。
部屋の状態は至って普通。
普通という言葉を使ったのは、特に荒らされたような形跡がないからだ。
今僕が居るこの部屋。そして家中のどれもこれも、動かすことはできない。警察が保護魔法を家のほぼ全てに掛けており、毛の一本まで動かすことはできないようになっている。
一番不思議なのは、殺されたとされるラファエル氏が、ベッドに眠るようにして殺されているということだ。
警察が現場を荒らさぬように魔法が掛けられると、遺体もその時刻から時が止まったように動かなくなる。つまり、誰も動かすことはできないのだ。
魔法を掛けた時点でラファエル氏がここに横たわっていたとすると……なるほど、よくわからない。
僕は腕を組み、右手を顎の辺りに当てて話を始めた。それとなく、当たっていそうな話を……。
「部屋が荒らされていない状態から見て、物取りの線は薄いですね。恐らく、王子を狙って犯人は侵入したに違いないでしょう」
「そこそこ正解ってとこか。でもそれは、ただこの場所を見て汲み取れる情報だけだ。洞察をするには、もっと深く物事を考えていかなければならない。私がいつも言っていることだ。ヴァンパイアと言えども、まだまだ子供だな」
むっとする発言だけれど、確かにロミオさんの言うとおりだ。ロミオさんは、この場所を見ただけで、どんなことが起こり得たのか、どんなことがそこから導き出されるのか瞬時に考え出す。
「レオン君が言った通り、物取りではないだろう。何かを盗むために荒らした形跡もなく、何か無くなっているということもなさそうだ。金銭目当てなら、そこらの金属製コップも盗まれているだろうし、複数人数で着ていたなら絵画も盗んだはずだ。私がこの場所を見て疑問に思ったのは、どうしてベッドの上でラファエル氏が死んでいるのか、ということだ」
「揉み合って殺した後に、ベッドに移動させたんじゃないのですか?」
「揉み合ったというなら、もう少し部屋が荒らされているだろう。私が見るに物が破損した形跡もなければ、何かを落としてそれを回収したとも思えない。部屋中を歩き回って見たんだ。これは間違いない。それに、殺した後にベッドに置く必要があったのか?」
う~ん。う~ん……。
「レオン君。君はこの家に入った後に、研究所みたいだと言ったね。それは大きなヒントだ。壁に描かれている紋章や、棚に置いてある本。それは魔法や儀式に関わるものばかりだ。ラファエル氏は何らかの魔法学の研究をしていたに違いない。研究をしている間に彼が殺されたとなると……」
「犯人は、その研究の成果が何らかの形で邪魔になるか、逆に利用したいと考えたんですか?」
「妥当な推理だ。邪魔者は消そうという心理は、至って導き出されやすい答え。しかしだねレオン君。もう一つだけ考えたい部分がある」
コンコンと、扉をノックするかのように、一枚の絵を指した。
「どうして、この男女が聖杯を持つ儀式じみた絵は、人間の手で掘られた様な後が残っているんだろうね?壁に掛けられている他の絵は、全て水彩画で描かれており、それはずっと前から在ったようだ。これだけは新しいし、わずかだが床に削ったあとに落ちた木の屑が床に落ちている。つまり、これはごく最近描かれたものだ。となると、私はこう推理する。犯人は王子の研究が邪魔になったわけでも、王子が邪魔になったわけでもない。ここに描かれていること、それを実行しようとしているんだと」
憶測。というよりその言葉は全て答えのように聞こえる。
変な絵だなぁとは思ったけど、そんなに気にしなかった。まだまだ勉強しないと……。
「私の推理が正しいならば、まだまだ犯人は人を生贄にするだろう。この儀式の結果がどうなるかは、ここにある書物から考えなければならない。君にも手伝ってもらわなければならないな」
警察から特別な許可を得られると、事件があった場所から書物を借りることができる。それはアルカディア警察ならではの特別な権利。ロミオさんが、グレンさんと面識があるから手軽にできることでもある。
「私は先に事務所に戻っているから、君は警察に特定の書物を持ちだす許可を得てから、事務所で調べ物を続けてくれ。私の名刺を渡しておくから。それと……」
ロミオさんは部屋から出ようとしたとき、付け加えるようにこう言った。
「ここに来て、どうしてシンデレラが“殺された”という言葉と“眠っている”という言葉を使う理由がわかった。確かに、正確に言うと彼は死んでいない。もしこの魔法が解けたなら、ラファエル氏は助けられるかもしれない」
僕はこの事件に関して、どうしてロミオさんが関心を持って捜査を始めたのかが気になっていた。それを心に留めておくことができず、ついロミオさんに言ってしまった。
「ずっと黙っていましたけど、聞きたいことがあります。本当にジュリエットさんは、この件に関わっているんでしょうか?」
触れてはいけないと思いつつも、僕はロミオさんに尋ねた。
彼は、何も言わずに、部屋から去って行った。