第5話 俺は何を見せられている
「いつドッペルゲンガーと入れ替わった?」
——パシッ。
瞬く間に頭を叩かれる。
容赦のないツッコミ。いつもの朱莉だ。
俺が痛がっていると、博和が「よしよし」と頭を撫でてくる。
何だかマッチポンプを食らっている気がしてならない。
それでいて、これがまた絵になるから腹立たしい。
爽やかで整った顔立ち。
それだけで、なぜ許せてしまうのか。
世の不条理。
形の整ったものに唾を吐くのは、美術品に泥を投げるようなものだ。
……好きになっても、いいですか?
一瞬の気の迷い。
博和から受けたマインドコントロールをなんとか振り払い、
素面に戻ると、俺は打って変わって朱莉の背中に隠れた。
「博和、お前、そういうところだから」
「ごめん、僕って天然なんだ」
語尾に見えないハートがついてくる始末。
顔を凹ますくらいじゃ生ぬるい。
跡形もなく、存在ごと消しておかないと。
朱莉が振り向き、言う。
「そういえば、さっき連絡するって言ってたけど、誰もアンタの電話番号を知らないのよね」
ん? ああ、例の恋のキューピッド作戦のことか。
自分では恥ずかしすぎて告白できないから、俺に助けを求めていらっしゃる。
なるほど、なるほど。
夏休みの終わりには花火大会もあるしなぁ。
心の中でニヤニヤが止まらない。
それをおくびにも出さず、俺は言う。
「まぁ、新しいスマホにしてから誰にも教えてないからな。でも教えるべきだよな、友達だもの」
「「……」」
数秒待ち。
何なら『友達』と言うまで待つ覚悟があった。
だが朱莉も博和も、揃って明後日の方向を見ている。
きょとん、とした顔で。
『我慢比べか、この野郎』なんて汚い言葉は使わない。
友達に向かって失礼だ。
俺はジト目を向け、有無を言わせぬ雰囲気を作りつつ、ポケットからスマホを取り出した。
朱莉が上から目線で言う。
「そんなに私の連絡先が知りたいの? 仕方ない。可哀そうだから交換してあげる」
カチンときたが、弱者は逆らうことすら許されない。
スマホとスマホを突き合わせる。
つまり、俺らは友達ってことでOK? そうだよな。
連絡先を知っていることは、友達である何よりの証拠だし。
それを傍から見ていた博和。
優しい目をして、諭すように語り始めた。
「裕也、勘違いしないでくれよ。僕らは友達じゃない……親友だろ」
思ってもみなかった斜め上の口撃。
博和の決め台詞にドキッとさせられる。
どこかの青春映画から借りてきたようなセリフを、息を吐くように言いやがる。
もしかすると、俺のハートを本気で狙いに来ているのかもしれない。
甘ったるい声で、今にも糖尿病になりそうだ。
「ううぇ」
出来るだけリアルに吐き気のジェスチャーをしてみせる。
二人は苦笑し、周囲の人間も笑いをこらえている。
……これ、恥ずかしい奴だ。
その時だった。
朱莉の背中に、そっと忍び寄る影があった。
爛々と目を光らせ、狙いを定めて抱きつく女。
「お〜豊潤じゃ」
声高にそう言いながら、胸を転がすように揉みしだく。
朱莉は顔を赤らめて言った。
「ちょっとやめなさい。ほら、男子が見てるでしょ。離して」
そんな、いじらしい姿はあまり見かけないから、俺としては新鮮だった。
幼馴染だと、どういう訳か、気持ちが高ぶらない。
寧ろ、この浅瀬高校は自称進学校だというのに……
年齢と行動が伴わない奴がたくさんいて困る。
赤点常習犯の俺以下って、どういう了見だ。
憐れむような視線を送ったが、当の本人は気づきもしない。
二人は顔を寄せて、ヒソヒソと囁き合っている。
「ねぇねぇ、あのイケメンが狙ってる人でしょ。白状しなさい」
「違うってば……」
「ほう、反抗的な態度ですね。言っちゃえば楽になれるというのに」
「もういいでしょ。終わり」
「それじゃあ、朱莉に代わって、私が話しかけちゃおうかな~」
そのやり取りを聞いた時に、閃いてしまった。
裏を返せば、これはチャンスだ。
朱莉と博和が、次なるステージに進むために、俺が尽力してやろう。
名付けて、『嫉妬』大作戦。
朱莉にはもっと積極的になって貰う必要がある。
ほんの少しの起爆剤になればいいのだが……
俺は博和の脇腹をつつきながら言う。
「朱莉の友達。あの子、知り合いだろ。ファンサービスしてやったらどうだ?」
普通だったら照れる場面だ。
ところがこの男ときたら。
「あれ、久しぶり。髪切った?」の三拍子で、彼女の心に深く入り込んでいく。
腹が立つくらい手慣れていた。
どういう訳か、周囲の女子までもが反応していた。
この第三者にしか分からない、妙な雰囲気。
朱莉、これは不味いぞ。
博和を狙っている恋のライバルは多い。
イケメンの奪い合いに、水面下で火花が散っているのか。
単なる深読みか。
どちらにせよ、朱莉は友達に腕を引かれて、反対方向へ連れ去られていく。
だが最後に、俺への恫喝は忘れない。
「絶対に連絡しなさいよ!」
ピースで返す。
女は怖い。
そして、世界は平和であって欲しい。
そういう思いを込めて……
にもかかわらず、火種の中心にいる博和は、絶えぬ女子たちとイチャイチャしていた。
ダンス動画の話題で、そんなに笑えることがあったか?
ニュースでは、死人や不祥事が飛び交っているというのに。
どこの楽園だよ。
俺は何を見させられている。
正直、もうどうでも良いから、この喧騒から離れたい。
後は勝手に、三角関係とか、修羅場とか、好きなようにすればいい。
「どうせ、なるようにしかならないしな」
少し開いていた窓を全開にする。
肺いっぱいに空気を吸い込み、窓枠に肘をつきながら、
雲一つない青空をぼーっと見上げる。
枝の上で、二羽の小鳥が身を寄せ合いながら、くちばしをパクパクさせていた。
そして、しばらくすると、輪を描きながら飛んでいった。
「ツガイか」
どこを見渡しても、世の中には愛が溢れていた。
「爆発しねぇかな」
青春って、イケメンと美女にしか約束されてないのだろうか。
そう思っていたら、俺の肩に、ふっと優しく手が乗っかった。
始めは博和かと思ったが、手がゴツゴツしている。
それに、声が野太かった。
「榊原。明日の放課後、生徒指導室に来い」
振り向くと、学年最恐の忌み名を持つ、生徒指導員・石井がいた。
服の上からでも分かる筋肉。
日に焼けた黒い肌とは対照的に、白い歯が光って見える。
俺はそっと視線を戻した。
見てはいけないものを見てしまった。
“この喧騒じゃ会話の内容も聞こえなかった”
――そういうことにしておこう。
ため息を吐いて、相手を油断させる。
その一瞬のスキを突いて逃げようとしたが、さすがの動体視力だった。
石井に肩をガッシリと掴まれる。
もう逃げられない、絶望的な状況。
額から汗がツーっと落ちていく。
この、痒みを伴う不快感。
終わりかと諦めかけていた、その時。
女子と談笑していたはずの博和が、俺の異変を察したのか。
人をかき分けて、こちらへ近づいてくる。
博和は、心臓を左手で叩いて、何やら合図を送っていた。
もしかして『僕に任せな』、そう言っているのか?
その姿は、まさしくヒーローだった。
やはり持つべきものは親友だ!
どんな助け舟を出してくれるのか、淡い期待を抱いて――
そして、一瞬で手のひら返しにあった。
「わかりました。明日、僕が責任を持って、生徒指導室に連れて行きます」
「おお、博和か。サッカー部の最後の大会に気合が入っているそうじゃないか。そんな中、榊原が迷惑かけてすまんな」
「いえいえ、これも良き親友の役目ですから」
博和はペコペコとお辞儀をしている。
こいつ、俺が窮地に立たされたのをいいことに、自分の評価を上げやがった。
疫病神であり、女たらしの、裏切り者に、これだけは言わせていただきたい。
「絶交な!」
叫んだ瞬間、廊下の生徒たちが一斉に振り向いた。
石井には「子供じゃないんだから、廊下で叫ぶな」と強く叱られる。
……やっぱり博和と一緒にいるとロクなことにならない。




