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第4話 ドッペルゲンガー

「榊原くん、またあなたですか。こんなものを読む暇があるなら、宿題の準備をしてきなさい」


石田の意図しない形で、本の表紙が高々と掲げられていた。

クラス全員に見せつける格好になっている。


俺は鼻が高く、胸の奥でわずかに誇らしさが芽生えた。

まるで自分の子どもが表彰台に上ったような心持ちだった。

彼女すらいない身だが、妄想にしては上出来だと思う。

隠れた名作――ぜひともその目に焼き付けてほしい。


すると。


「ぷっ」


教室のどこかで、誰かの笑いが弾ける。

それを合図に、今まで我慢していた生徒たちが下品に笑い出した。


「タイトルやば~」

「男の趣味ってさ」

「『可愛いは正義』って、どういう思考?」


俺は、そういう“人の大切にしているものをあざ笑う態度”が許せなかった。

だからこそ、あえて言わせてもらう。


「文句があるなら、読んでからにして貰えるか」


「何、アイツ、調子に乗ってね?」

「ナルシストじゃん」

「宇宙人だから、しょうがないの」

「博和君は、どうしてあんなのと…」


反発が飛び交う。

彼らは、自分たちの薄っぺらいプライドが傷つけられたとでも勘違いしているのだろう。

俺の額には、怒りマークが浮き出ていた。


こんなんだから、世の中のイジメは無くならない。

もう高校生なんだから、多様性くらい受け入れてほしいものだ。


(落ち着け。猿どもの相手をするんじゃない。

 己の信念のために殴り倒すのは――今は愚策だ)


一触即発の雰囲気。それを石田は察したのかもしれない。

「静かに」と声を荒げ、数秒待ってから続ける。


「榊原、本を受け取りに来なさい」


俺は挑発には乗らず、教卓までゆっくり歩く。

本を受け取ろうとしたその瞬間――

『可愛いは正義』を“こんなもの”と言った石田に、ふつりと怒りが湧いた。


俺は復讐を込めて言う。


「先生にはもっと、愛嬌が必要なんですよ」


そのときの、呼吸まで止まったような沈黙を。

目をまん丸くして硬直した石田を。

俺は一生忘れることはないだろう。


石田の手から本が滑り落ち、コトリと床に落ちた。


――前言撤回。可愛いじゃないか。


俺は屈んで本を拾い、軽く埃を払って席に戻る。

石田は何事もなかったかのようにチョークを握り、上ずった咳払いをしてから黒板に『甲斐なし』と書き込んだ。

それが授業再開の合図になった。


俺は、ふと一点に集中する。

糸くずが空中に上がっていくのを、寄り目になりながら眺める。


果たして、この埃は宇宙まで行けるだろうか?

俺より高く舞い上がるそれを、少しだけ羨ましく思った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


委員長が終礼をしている途中だった。

校内にチャイムが鳴り響き、俺は誰よりも早く教室を飛び出す。

委員長が何か言いかけていたが、その言葉よりも足のほうが速かった。


廊下には、他のクラスの生徒たちが溢れ返っている。

すでにホームルームを終えたらしい。

俺は騒がしいのが苦手なので、気配を消し、人混みをすり抜けるように進む。


二組の前を通るときは、特に慎重にならなければならない。

博和と朱莉は、いつもタイミングが悪い。

耳を澄まし、ドアに注意を払いながら、腰を屈めて歩く。


──その時だった。

背後から誰かに突き飛ばされた。


足がもつれて体勢を崩し、

ちょうど教室から出てきた誰かにぶつかってしまう。

咄嗟に庇おうとしたのが裏目に出て、逆に壁際へ押し倒す形になる。


この格好……まるで壁ドンだ。


そして運の悪いことに、吐息がかかるほどの距離に、朱莉の顔。

その額には『殺す』と書かれている──そんな錯覚すら覚える。


もう手遅れだ。俺は死を覚悟した。

走馬灯のように、柚子奈との思い出が蘇る。

最期くらい、好きな人に会いたい人生だった。


「あ゛?」


朱莉の口から漏れた一言。

“あ” に濁点がついているあたり、相当怒っているに違いない。


生存本能が警鐘を鳴らす。

心拍数が跳ね、体中に血が巡り始める。

戦うか、逃げるか。

どうするのが得策か分からない。だが、派手に動くのは危険だ。

ライオンだってそうだ。背中を見せて逃げれば、相手を興奮させてしまう。


「あ?」


とりあえずオウム返しで時間稼ぎをする。

危機に瀕した脳が高速回転して、答えをひねり出す。


──そうだ。被害者面をすればいい。


すぐに体を開いて戦線離脱!

俺を突き飛ばして大笑いしている犯人を、窓際へ追い詰める。

罪は一人で背負ってもらうからな、博和!


「お前な。殴られてからじゃ遅いんだぞ!」


「危なかったね。でも、ボコボコにならずに済んでよかったよ」


ホッと胸を撫でおろしているその姿に、俺は叫びたくなる。

いや、お前のせいだから!


朱莉を見ろ。

口をきつく結び、無表情のまま、頭からプスプスと湯気が出ている気さえする。

少しでも刺激すれば噴火して、手がつけられない未来まで見える。


なんてことだ。

俺は博和を指差し、言い放つ。


「朱莉、コイツが犯人だ。壁ドンは不可抗力で、責めるべきは俺じゃない。ボコせ、博和を!」


そして、好きなだけ博和にくっつけばいい。

正当な理由を作ってやった。手で合図まで送った。

……それなのに、どうして俺ばかりをそんな目で睨むんだ。


「見くびらないで。心の広いあたしは、そんなことでは怒らない。壁ドンなんて、され慣れてるもの」


おいおい。

胸に手を当てて、よーく考えてみてほしい。

お前は誰かを許せるほど優しくない。

ヤギの被り物をしたって、お見通しだ。

その鋭い牙が見え隠れしている。


……いや、待てよ。そうか。


俺には思い当たる節があった。

今の発言から推測できるあらゆる可能性。

そこから導かれる、唯一の答え。


「いつドッペルゲンガーと入れ替わった?」



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