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第3話 アカリンゴには毒がある

それに「頑張って」って、会話の流れからしてもおかしいだろ。

次の瞬間、空気が一気に冷えた気がした。

誰かが空調をいじって、温度を下げたのか。

……いや、そうであってほしかった。


しかし、次の瞬間には、今まで騒がしかった教室がパタリと静まり返る。

これ、映画館で観たことがある。

ジャングルで云うところの肉食獣の登場シーンだ。

俺の背後から、肌でヒリヒリと焼けるほどの殺気が迫ってくる。


「へ〜。あたしの顔に似てるの?」


蛇に睨まれたカエル。

いつの間にか、そこにいた。

噂をすれば影がさす、とはこのこと。

ポンポンと俺の頭をそう何度も叩くのは—―朱莉だ。

クラスでは『アカリンゴ』と呼ばれて、大変な人気者。

けれど俺から言わせれば、このリンゴには毒がある。

一見、艶があって美味しそうに見えるだろう。

だが、一口かじれば即アウト。

メイクをしなくたって分かる、きめ細かい肌の質感。

目鼻立ちの整った顔立ち。

陸上部で引き締められた、すらりとした手足。

そんな子に言い寄られれば、どんな男でもイチコロだ。

だが、関わってしまったら最期――後悔しか残らない。

俺は、恐る恐る口を開いた。


「このマスコットは朱莉のか?」


「そう。あたしの。だってあたしの横顔に似てるでしょ。あたしの以外に考えられる?」


「いいえ」


朱莉の腕がスルスルと首に巻きついた。

妙なマネをしたらそのまま首をへし折られそうだ。

俺は慌てて肺いっぱいに空気を詰め込み、深呼吸をする。

別に、胸が後頭部に当たって、鼻息が荒くなった訳じゃない。誤解しないで欲しい。


「マスコットを博和に取られたから追いかけたの。そしたら興味深い話が聞けたわ。あたしって運がいいのね」


「左様ですか」


「あたしが博和の事を好きだって、言ったわよね」


「なんの事だ」ととぼけると、朱莉の腕に力がこもる。

首が閉まり、胸はさらに密着した。

たまらず腕をタップする。


「どう償うか、選ばせてあげる」


掠れ声しか出なかった。


「一番高いジュースを奢るので・・・・」


財布の中には、木枯らしが吹いている。

二百円は痛手だが、解放されるなら安いもんだ。


「生ぬるい。アンタが赤点常習犯だって、お母さんに伝える位じゃないと」


「却下でお願いします。親は成績に関しては煩いんで」


「それとも、昔、付き合っていた事をばらす?」


耳元で囁かれ、背筋がゾワリとした。


「却下で」


「どっちがいいの? 私は優しいから選ばせてあげるけど」


「ロクな選択肢がないな」


ベッドの下に隠してある赤点用紙の山がバレたら、親は怒り狂う。

朱莉と付き合っていた過去がバレたら、妹に一生いじられてノイローゼになる。

どちらも地獄に変わりなし。

というか、そもそも俺の周りにはロクな奴がいない。

家族も元カノも信用ならないのだから。


「そうだ。取引をしよう」


「改まって何? パシリになるならそう言えばいいのに」


「まぁ待て。俺は2人にとっての幼馴染だ。そうだろ?」


「ええ、それが?」


「つまりだ。恋のキューピットになり得る貴重な存在ってわけだ。生かしておいて損はない。いや、損はさせない」


自信があるように見せるために、ジェスチャー付きで、声を張り上げる。

……逆に不自然に映ったかもしれない。

朱莉はしばらく考えるように沈黙し、それからゆっくりと腕の力を緩める。

解放された。

額からは変な汗が流れ出る。

と思ったら、無防備の背中を強く叩かれ、むせ返った。

乳と鞭。

……いや、飴と鞭ってこう使うんだと、変に感心してしまう。


「確かに一理ある。そう言うところ、今も好きよ。でもひとつ訂正させて。私は裕也の友達じゃない」


――そんな、まさか!?


脳天に雷が落ちたような衝撃で、視界がぐらりと揺れた。

友達だと信じていたのに、俺の独りよがりだというのか。

衝撃の事実に、目玉が飛び出るほど驚いた。


その時、机の上のヘンテコザウルスと目が合う。

虚空を見つめ、死んだように固まっている。

もしかすると、こいつに一番似ているのは俺なのかもしれない――そう思った。


項垂れたまま、力の抜けた声が漏れる。


「そろそろ授業が始まるから、2組に戻ったらどうだ」


「あんたに言われなくても分かってる」


朱莉は苛立ったままスカートを翻し、歩き去る。

風とともに、フルーツ系の甘い香りがふわっと漂った。

しかし、油断は禁物だ。

案の定、朱莉はドアの前で立ち止まり、何かを思い出したように戻ってくる。


「忘れた」


そう言って、ヘンテコザウルスを乱暴に掻っ攫った。


「この子は返してもらうから。今度、私を貶したら……あんたの顔をこんな風にしてやるから、覚悟しなさい」


プー、と間抜けな音を立て、ヘンテコザウルスは握り潰される。

見るも無惨、ペシャンコになり、原型を留めていなかった。

どうやらストレス発散用の玩具らしい。


目をつけられた俺の行く末が、心配だ。


五組の教室から朱莉が去っていくのを見送りながら思う。

恋は人をおかしくすると云うが、まさにその通りだ。


朱莉と博和は、同じ二組。

好きなら、人に頼らず自分で告白すればいいのに。

あんなに気の強い彼女が、こうも奥手になるものなのか。

俺の元カノと付き合うことになったら、博和はやりにくいだろうなぁ。

だが、それも楽しみではある。

悪魔と悪魔の相性は、案外良さそうだからな。



☆☆☆――――――――――――――――――――――――――――――――☆☆☆



「『君を思ひ、我が恋ひまくは、あらたまの立つ月ごとに、避くる日もあらじ』。さて、この和歌の意味が分かる人は――はい、そこの君」


「君を思って、私の恋心はますます深くなりますが、月日が変わっても気持ちが冷めることはありません、という意味です」


「正解」


新古今和歌集。

和歌の集大成とされ、八百二十年経った今も語り継がれる名歌集だ。

その偉大さは、正直ちょっと恐れ多い。

背景や技法、作者の境遇を理解して読めば、涙が出るほど感動する。

……だが、それは“ちゃんと勉強した場合”に限る。


――それもそうだ。

富士山だって、頂上まで登れば絶景が広がっている。

問題は、そこまで行くのが大変なことだ。


少しでも難しくなると、途端に意識がふわっとして、どこかへ飛んでいく。

風船みたいに、じわじわ上昇して、そのうち大気圏に突入する。

教師の頭から黒板の文字へと視線が移り……気づけば壁の時計が目に入った。


衝撃的だった。

あれから、まだ三十二秒しか経っていない。


昔の人は、こんな状況を「一日千秋」と言ったのだろう。

そんな発想が浮かんだだけで

「よく古典を勉強しているな、俺」

と、自分を褒めてやりたい。

足るを知る。

赤点常習犯に、多くを求めてはいけない。


勉強とは、己にとって睡魔と戦う修行である。

勉強とは、己にとって睡魔と戦う修行である。

勉強とは、己にとって睡魔と戦う修行である。


そう自分に言い聞かせる。

効き目があるのかは知らないが、気持ちだけは少し引き締まる。気がする。


昭和に生まれていれば「根性で乗り切れ」と怒鳴られていたかもしれない。

怠惰と思われても仕方がない。

だが最近はワークライフバランスが推奨され、「無理をしない生き方」の方が大事だとされている。

良い悪いは別として。


――つまり、あとで誰かにノートを見せてもらえば、すべて解決する。

問題は、そんな都合のいい友達が同じクラスにいないということだ。


テストなんかより、まず仲間の作り方を教えてほしい。

高校生になっても道徳の授業が欲しいと切に思う。


それに、“愛”を題材にした授業がいまだに古典というのも腑に落ちない。

少子高齢化、恋愛離れと騒がれて何年も経つのに、今さら源氏だの和歌だのとは。

そろそろ、女性の口説き方とか、正しい性教育とか、YESとNOをはっきり言う練習でもしたほうが建設的じゃないか。


「奥ゆかしさ」なんて、相手の気持ちを曖昧にするだけ。

もう時代遅れのステレオタイプにしてもいいくらいだ。


こうして現代社会の問題に思い巡らせるのも、暇だから……じゃなくて、授業のおかげだ。

ちゃんと糧になっている。

そうに違いない。


勉強に集中できない原因――それは眠気。

しかも、その眠気は教師が誘発している。

いわば、俺は被害者だ。


たとえ名歌であっても、抑揚ゼロの声で詠まれると、それはもう和歌ではなく、お経だ。

教師の石井――いや、石田だったか。

どっちでもいい。今は睡魔と戦うだけで必死なんだ。


頼む、石田。

ただでさえ睡眠不足なんだ。

眠りの呪文みたいな声を出さないでくれ。

……もしかして、お坊さんの才能があるのか?

だったら今すぐ出家してくれ。


石田は、床に落ちたチョークを拾い上げ、いつものようにトントンと鳴らしながら黒板に書き始めた。

そのリズムも、声と同じく抑揚がなく、ただ機械的だ。


石井――いや、石田。

あなたが悪いわけじゃない。

多分、そういう人なんだ。


……でもどうしてだろう。

イライラが止まらない。

貧乏ゆすりが止まらない。


根本的に分かり合える気がしないんだよな、石田とは。



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