22.
「まあ、では、仲直りしたってことでよろしいのかしら」
トレイシーと劇的な和解をしたその日、私達四人は、学院の食堂で夕食をとっていた。
本来メグは、学寮や食堂を利用する必要はない。
彼女の利用している離れには、小さいながらも厨房があるし、そのための使用人も連れてきている。寮や食堂の料理が食べたければ、部屋に運ばせればいいだけだ。実際高位貴族と呼ばれる人達は、そうしている。けれどメグがそれをしないのは、私達と一緒に、変わらない学生生活を過ごしたいという気持ちからだ。朝食のときなど、いつも先に来ていて、朝日が差し込む窓際の席を私とリリ=ルルのために確保してくれているのを知っている。
「申し訳ありません。その、私がシギング伯爵夫人の言葉を、過大に怖がってしまって」
トレイシーがハンカチで目元を押さえながら、弱々しく打ち明ける。メグは片手で顔半分を覆うと、ため息をついた。
「あの方は……」
シギング伯爵は、確かカルソン侯爵家とつながりのあるお家で、領地も近かったはずだ。
「クリス、私からも謝罪をするわ。本当に、ごめんなさい」
「待ってメグ。どうして、メグが謝るのよ」
そもそも、トレイシーが私を避けていたのは、この状況を深読みしていたからで、メグには一切関係ない。
「うちの家門の話ですもの。数代前のカルソン侯爵家の次男が、武勲をたて叙爵されて興したのが、シギング伯爵家なの。そんなわけで、うちともつながりが強いのだけれど」
牛の頬肉のシチューを掬う手を止めて、メグはまたため息をつく。
「シギング伯爵夫人のお母様が、先代のリーストン子爵とは幼なじみで、婚約を申し込んだものの、子爵には既に相思相愛の相手がいらして」
あ、ものすごく嫌な予感がする。
「それで娘には良縁を、と、力を入れたデヴュタントでは、運悪くその子爵家に嫁がれた方のご実家のご令嬢と重なってしまって、名だたるお家柄の子息には見向きもされなかったとか。しかも、今の伯爵夫人は憧れの方を奪われたのだと」
その先は聞きたくない。聞きたくないけれど、答えなんて解りきっているけれど。
「もしかして」
上目遣いでメグを見つめると、彼女はゆっくりと頷いた。
「カイザル家なの」
やっぱり。やっぱり、そうだと思った。社交界のこの手の話には、カイザル家の女性がたいてい関わっているんだよね。
「まあ、最後の憧れの方は、完全な夫人の逆恨みでしょうけれど。夫人の憧れの方って、ベルクード侯爵ですもの」
もうなにも言う気力がない。
牛の頬肉のシチューにマッシュポテトと、キノコとトマトのサラダ。軽くトーストされたふわふわのパンに、デザートはイチゴのミルフィーユ。好きな物しかないのに、学院の食堂は妖精職人の調理師が作っているから、とびきり美味しいのに、食欲がなくなっていく。
「メグ、そのカイザル家ってなんなの? 秘密組織?」
リリ=ルルの言葉に、トレイシーが口を押さえて明後日の方向を向く。肩が小刻みに震えている。いや、むしろ普通に笑って欲しい。
「カイザル家は、クリスのお母様のご実家なの」
メグがそこまで言うと、リリ=ルルが好奇心と期待に満ちた瞳を、こちらへと向ける。
「カイザル家って、なんていうか、その美人が多いのよ」
「多いというより、カイザル家の女性は皆様お美しくてらっしゃるわ。“カイザルの薔薇”ですもの」
それ、人から聞くと、かなり恥ずかしい呼び名だよね。隣りからの、リリ=ルルの感心したような視線がいたい。
「じゃあ、その伯爵夫人のお母さんがフラれた家の人のせいで、夫人は失恋したってこと」
「失恋じゃないわ。ベルクード侯爵様は、曾祖父の代からカイザル家とお付き合いがあって、“カイザルの薔薇”の信奉者なのよ。品種図鑑に“カイザルの薔薇”を記載させたのも、侯爵家よ」
なんてことしてるんだ、侯爵家。それって、職権濫用じゃないのか。
もう夕食が喉を通る気がしない。食堂の妖精職人の手による料理は、時間が経っても冷めないように作られていて、シチューもマッシュポテトもパンも、湯気が立っているっていうのに。
「クリス、聞こえないふりをしても、事実は変わりませんわよ。ちなみに、シギング伯爵夫人と同じ年に社交界デビューをして、ベルクード侯爵様の心を虜になさったのは、“カイザルの朝露”と呼ばれたご令嬢だそうよ」
お母様、そんな過去が。っていうか、それは完全に逆恨みだわ。デヴュタントしたその年に招かれたお茶会でお父様に出会い、一目惚れしたお母様が結婚を強く望んだというのは有名な話だ。だから、お母様がベルクード侯爵を奪うなんてことがあるわけがない。
「お母様の話では、そもそもシギング伯爵夫人は侯爵に全く相手にされてなかったという話ですわ。そのせいなのかどうか、夫人はことある毎に、カイザル家の女性についていろいろと仰るものですから」
「ええ。その、魅了の力があるとか、殿方を惑わす悪女だとか。カイザル家の女性に近付くと、男女関係なく不幸になるって、その、入学前にいろいろと聞いてしまって」
目を伏せて組んだ手を震わせながら、トレイシーは悲しげに告げる。
少し前、メグ達にどう説明するか悩んでいた私に、けらけら笑って、大丈夫と親指を立てていた彼女と、同一人物とは思えなかった。猫を被るどころの話ではない、完全に女優だ。
「うち主催の集まりにはお招きしないようにしていたのだけど、わざわざスティー子爵家まで行くなんて。本当にどうしようもない方」
「ねえ、クリス。“カイザルの朝露”って」
口に出さないで。耳で聞くと、本当に恥ずかしい。
「お母様が若い頃そう呼ばれていたんですって」
「クリスはなんて呼ばれてるの」
私は頭を抱えて、完全に俯いてしまう。なんなの、この羞恥プレイ。
「社交界にデヴューしていない令嬢にはそういう呼び名はつきませんわ。でも確か、ジェニファー・モルガ・ミラナート伯爵令嬢は、“薄明のカイザル”でしたかしら。クリスの社交界デヴューが楽しみですわね」
私は、サラダの皿をメグに、ミルフィーユの皿をリリ=ルルに差し出すと、泣きそうな思いで
「お願い、もうその話やめてくれない」
三人は、楽しげに笑い声を上げた。
「楽しそうだね、全員そろって」
頭上から聞こえた声に顔を上げると、制服姿のウェインとカルムが夕食を手に立っていた。
「二人とも、今からご飯?」
「そう。パメラ先生に補習をお願いしたんだ」
ウェインが私の隣に座ると、その向かいにカルムも腰掛けた。
「リリ=ルルに負けてられないからな」
カルムの声に、リリ=ルルは頬を軽く膨らませる。
「悪女の話」
メグがサラダの皿を私のトレイに戻しながら、そう答えた。
「なに、みんなで悪女になろうって話なの」
「メルリウス前公爵夫人みたいな」
思いもしないカルムの言葉に、みんなの視線が彼に集中する。そのことにカルムは一瞬たじろいだものの、いつもの仏頂面でシチューを口に運びながら
「知らねぇの。メルリウス前公爵夫人。年の離れた前公爵を誑かし、公爵の死後、この学院のあるメルリウス直轄領と騎士団を手に入れて、若いツバメを侍らせてる稀代の悪女、じゃなかったっけ」
初耳だった。メルリウス公爵は、ガドリーア王国で唯一の公爵家で、数ある家門のなかで最も古く歴史のあるお家だ。西の海に面した肥沃な領地からほとんど出ることはないが、国内随一の強大な騎士団を所有している。私が知っているのはそれぐらいで、前公爵については聞いたことがなかった。
「カルム。公爵家は、王家とも近い関係のうえ、学院とも結びつきが強いわ。なにより、妖精職人組合の組合長は、前公爵夫人よ。あまり、大きな声で言わない方がいいわ」
メグが声がいつになく真剣で、剣呑な響きがあったせいか、いつもなら反発するカルムも小声で返事をすると、そのあとは黙々と食事を続けていた。




