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21.


 学院の調理実習室。

 今日トレイシーは、ここで一人で試験用の作品を作っているはず。

 当たって砕けろ。もし万が一、失敗しても、私が恥ずかしい思いをするだけで、失う物はなにもない、はず。アンドリューにも、背中を押されたんだから、きっと頑張れる。

 私は大きく息を吸うと、思い切って実習室の扉を開いた。


「トレイシー、貴女もしかして前世の記憶持っていたりしない。実は私もそうで、しかもここが『フェアリーズ』の世界って知っていて、私もプレイヤーで、でも、私の推しはアールレイ様だから、トレイシーとは被らないから、どうか仲良くして欲しいのっ」


 とりあえず、一気に言い切った。息切れしながら、恐る恐る顔を上げると、エプロン姿のトレイシーが、目を見開いて呆気にとられてこっちを見ていた。今まさにクリームを絞りだそうとしていたのだろうか、絞り袋からクリームが床に落ちて、間抜けな音が響いた。


「あ、ごめん。途中だった?」

「……試作だから、大丈夫……だけど、アールレイ推し?」

「そう。トレイシーはジュシュア様推しでしょ。だから」

「いや、ジョシュア推しじゃないけど。っていうか、別に誰か推してるわけじゃないし」

「え、だって、琥珀の晶石」

「あ、うん。あれは、まあ」


 トレイシーは言い淀むと、絞り袋を机において、軽く肩をすくめた。その仕草が、トレイシーらしくなくて、なんだか不思議な感じがした。


「試作なんだけど、良かったら、食べる」


 デコレーションをしていただろうカップケーキを見せて、彼女は大人びた笑顔を見せた。




 調理実習室には、甘い匂いが漂っていた。


 トレイシーが言うには、ここは調理師や薬師も利用するため、使用の際には学院に届け出が必要で、使い終わったら毎回清浄の魔道具で綺麗にするのだそうだ。そうしないと、匂いや成分が残って大変なことになるらしい。


「特に、薬師が使ったあとはひどいのよ。なにを使ってるのか、薄荷くさいわ、どくだみくさいわ。本当に魔道具で清浄してるのか、確かめたくなるわ」


 お茶とできたてのカップケーキが二つ。それを前にして、私はひたすらトレイシーの話を聞いていた。


 大人しくて、控えめ?


「にしても驚いたわ。自分が異世界転生しただけでも、冗談でしょ、と思ったけど。それが乙女ゲーの世界だなんて。まあ、私はモブっぽいから、平穏無事に物事に関わらずに生きて行けばいいかなって思ってたら、まさかの妖精職人、しかも主人公も転生者って、なんていうの? 満漢全席? ごちそうさま通り越して逆流性食道炎になりそうだわ」


 大人しくて、いつも一歩後ろに下がって、目立たない子?


「もうそうなったら巻き込まれないように、必死に逃げるしかないでしょ。主要人物には近づかない。鉄則よ。平穏無事に一生を終える。それ大切。また今回も人生途中退場なんて、絶対にごめんだわ」


 足を組んで、右手の人差し指を頬に当て、トレイシーはまくし立てる。本当に、私の顔を見て怯えまくっていた彼女と同一人物とは到底思えなかった。


「ああ、つまりは猫を被ってたのね」


 思わず口に出してしまった。けれどトレイシーは意に介することもなく


「当たり前でしょ。主人公がどう動く解らないのに、関わるわけないじゃない。とりあえず、逃げる、避ける、関わらない。目立たず大人しく、二年間なんとかやり過ごそうと思っていたのよ」

「いや、逆に目立ってたし」

「もうお願い、視界から私を消して。むしろ記憶からも消してって気分で。モブはモブなりに、堅実で慎ましやかな生活を求めているのよ。乙女ゲー的展開、Nothanks! って感じ」

「じゃあ、どうして妖精職人になったの」

「仕方ないじゃない。命名式に行ったら、妖精達がやってきて、誰にするのって。拒否権ないんかーい!! って突っ込んだわよ。リアルで消去法で製菓師にしたけどね。もうあとは主人公に出会いませんようにって、ひたすら祈り続けたわよ。かなわなかったけどね」

「妖精に、突っ込んだ」

「一言ぐらい言いたいじゃない。まあ、『フェアリーズ』の職人としての製作システムあたりは気に入ってたから、そこは極めようかなって思ったのよ。前世でも、全職人コンプしたからね。でも良かったわ、これで職人として被っていたら、逃げるしかないって思ったもの。病気療養で休学して、時期をずらそうって」

「そこまでしなくても」

「するわよ。このテの定番って、おバカな転生ヒロインが、逆ハーやらなんやら、とにかく暴走してざまぁ展開とか、ゲームの強制力に巻き込まれてとばっちりとか。物語として第三者目線で見てたら面白いけど、当事者になんて絶対ごめんだわ」


 そこまで話し終えると、トレイシーはカップの紅茶を一気に飲みした。


「それがまさかの、玉砕覚悟の特攻とか。アールレイ推しですって、もしかして、同担拒否の人?」

「そんなんじゃなくて、推しが違うなら、とりあえず警戒はされないかなーって」


 半ばトレイシーの勢いに疲れ果てていたので、口調が柔らかくなったのに、少しほっとする。子爵家とはいえ淑女教育は受けているはずだし、礼儀作法に問題のある子なら、メグがそばに置いておくとも思えない。ってことは、これは前世の性格ってことだろうか。ほとんど喋っていないのに、喉がひどく渇いて、お茶を口にする。柑橘系の香りと、すっきりとした後味に、目を見張った。


「美味しい」

「ありがとう。で、アールレイ様狙いってことで、晶石を買いに行ったのね。本気で?」


 私は黙って頷いた。


「嘘。あの女嫌い人嫌いの、完全こじらせ男のどこがいいの。ずっと、冷たく扱っておいて、いきなり君しかいないんだって、手のひら返しする男よ。しかも最後には、自分の髪や目の色のドレスやアクセサリーを贈って。執着半端ないって感じじゃない」

「そ、そんなことは。あの甘い台詞が、こう……」

「現実世界で聞いたら、砂吐くわよ。まあ、確かにああいう言い回しが許される顔だけど……って、顔!? 顔がいいからなの」

「それもあるけど、やっぱりそのギャップというか、最後に自分にだけ見せてくれるその甘さというか」

「プレイヤー全員に見せてるわよ」

「スマホのなかでは一対一でしょ。夢壊さないでよ。そっちだって、ジュシュア様推しじゃないって、じゃあ誰推しなのよ」

「だから、誰も推してないって。王族となんて、これから先の苦労半端ないし、宰相の息子は腹黒そうだし、騎士団の奴は完全脳筋でしょ。金持ち息子はコンプレックスの塊だし、魔道士は超俺様。あと顔がいいこじらせ男って。まともなの、王弟殿下だけじゃない。大体、付き合っていくうちに彼らを癒やしてあげて、悩み事を解決って、こっちはカウンセラーじゃねぇって。財力も権力もあるんだから、自分でなんとかしろ。全面的に人に頼るな。人の上に立つんだから、甘えたこと言ってんじゃねぇ」

「あのー、トレイシーさん」


 またテンションが上がってしまったトレイシーに、恐る恐る尋ねる。


「もしかして、前世はそれなりに男性とお付き合いとか」

「アラサーOLだからねー。さすがに、恋愛経験ゼロじゃないわ」


 納得。なんて言うか、口調も行動も、なんとなく大人だなって感じてはいたんだけど、そういうことか。まあ、私はいくつだったかよく覚えていないんだけど。夜更かしして小説読んで、バイト代を課金できるぐらいの年齢ってことだよね。恋愛経験はともかく、結婚はしてないはず。


「まあ、覚えてるのはそれぐらいで、名前とか家族とかはさっぱりなんだけどね。『フェアリーズ』と死んだときの記憶ぐらいしか残ってないんだけど」


 そうしてポットに残っていたお茶を注ぎ、カップケーキを手で二つに割ると、


「入学式でクリスティンを見て、やっぱりここが『フェアリーズ』の世界なんだって実感して。まさかの主人公が転生者って解って、正直一も二もなく保身のことしか考えなかったわ。ちゃんと話せば良かった。ごめんね」


 そうしてトレイシーは優しく笑ってくれた。今までの彼女とは違う、大人びた表情がなんとなく寂しげに見えた。


「うん、私も、早いうちにきちんと話せれば良かったんだけど」


 ふと気付く。トレイシーは、いつ、なにが原因で、私が転生者だって解ったんだろう。その質問を素直にぶつけてみると、


「ああ。古語のノートに、日本語で落書きしてたでしょ」


 あっさりと言われて、私は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆ってしまう。思い当たることが確かにあったけれど、完全に無意識だった。


「私も、人に見られたくない物は日本語で書いてるけどね。びっくりしたわ、ちゃんとそれは覚えてるんだなって」


 それは、私も同感だった。前世の私についてはほとんど記憶がないのに、日本語や向こうでの一般的な暮らしについてはちゃんと記憶にある。スマホや家電製品、車、電車などの交通機関など。


「魔道具に、これ家電じゃないのって思う物があったりするでしょ。上下水道とかの設備とか。きっと、過去に私たちみたいな前世持ちがいたんじゃないかなって思うのよね」


 そのおかげで、前世の記憶があっても快適に暮らせているけれど、と彼女は付け足した。

 トレイシーが作ったカップケーキに手を伸ばすと、そのままかじりつく。淑女としてはあるまじき行為だけれど、前世では当たり前だったこと。トレイシーも半分にはしたものの、ナイフもフォークも使わずに食べている。


「じゃあ、どうして琥珀の晶石を」


 王弟殿下狙いじゃないのなら、わざわざ特別な晶石を入手する必要などなかったはずだ。さっき彼女が言ったとおり、王弟殿下とのルートは普通に出会って、親睦を深めて、仕事を通してお互いが近づいていくという、妖精職人というところを除けば、普通の男女の恋愛という感じで現代物としても通用するストーリーだった。王宮ラブストーリーだの、王弟トレンディードラマだの、と言われていた。


「ああ、あれ。とりあえず、王弟殿下とつながりだけは欲しくて。将来、製菓師としてやっていくには、王族御用達って看板は大きいし、お店を出すにしても王宮内で職人としてやっていくにしても、必要な人脈でしょ」


 現実的な理由だった。主人公だって、恋愛だって、浮かれていた自分が少し恥ずかしかった。でも、乙女ゲームだもん。恋愛、大切だよね。


「私は、そもそも『フェアリーズ』に恋愛要素求めてないからね。いいんじゃない、主人公なんだし、アールレイのこと。応援するわよ、私」

「本当に」

「うん。あの顔、生で見たいし。顔はいいよね、アールレイ」


 なんだろう、素直に喜べない。なにも、顔を強調しなくてもいいと思うんだけど。

 ふと今手にしているカップケーキを見つめて、


「試作って、食べちゃって良かったの」

「それ、普通のカップケーキだから。妖精職人としての素材は入ってないの。晶石だの、魔獣の素材だのって、ちょっと抵抗があって。異物混入にしか思えないのよ」


 確かに。普通の日本人の感覚なら、食品に、石やガラス、ビーズや魔獣の毛や骨など、およそ食べ物とは思えない物を入れるのはかなり抵抗がある。というより、ほぼ無理だ。トレイシーの気持ちがものすごく解る。


「妖精との対話は、出来たの」

「全然。ゲームなら、アイコンをタップすればいいだけなんだけどね。そっちは、できたの」

「ううん」


 リリ=ルルの話を聞いて、私も魔力を感じるところから始めてみたのだけれど、それだけだった。


 この世界の人間には、誰しも魔力がある。それをはっきりと感じることが出来るようになるのは、命名式で妖精の守護を授かったときだ。守護妖精が魔力の方向性を決め、魔法として使うことが出来るようになる。しかし、私達のような妖精職人の才がある者は、物を作ることに魔力が使われていて、魔法を使うことが出来ないのだ。どんなに頑張っても、炎で敵を攻撃したり、水を生み出したり、なんてことは不可能。


 「他の国では、早いうちに魔法を使うんだよね」


 トレイシーが確かめるかのように、私に尋ねる。


「リリ=ルルからそう聞いたわ。早いうちに魔力を測定して、魔法を使い始めるらしい。リリ=ルルは、魔力は高いのに魔法が使えなくて、自力で生きる道を探してたみたいよ」

「侯爵令嬢が?」

「侯爵令嬢が」


 本人曰く、なんちゃって侯爵令嬢ですけどね。

 他国では、物心ついたときに魔力測定を行い、それに合わせて魔法を習得するための教育が始まるのだそうだ。成人する頃には、二つから三つ、魔法が使えるようになっているのだという。


「でも、大変よね、それって。自分の守護妖精が、使える魔法の相性と悪かったりしたら、どうするのかしら」

「それは、よくわからないけど。リリ=ルルが、魔力の使い方が根本的に違うから、それを変えるのが大変なんだって言ってた。だから、キャメロン先生が補習を買って出てくださったみたいで」


 リリ=ルルが言うには、魔法を使うためには自分の魔力を全身に何度も巡らせて、濃くしていくのだそうだ。魔法は、高濃度の魔力を外へと放出する感覚なのだそうだ。その逆に、妖精職人は、魔力を内へ内へと向ける。自分の奥底へと、魔力を送り込み温め、膨らませる感じだ。


「ああ、それでルドヴィ達が苦労していたのね」


 トレイシーがあっさりといった言葉に、私はぎょっとする。


「トレイシー、ルドヴィ達と話したの?」

「ルドヴィには近付かないわよ。攻略対象者だもの。フェルズとよ。彼、薬師見習いでしょ。一緒にヒベロリアン先生に教わってるから、なんとなく話すようになったのよ」

「待って待って待って。フェルズと話すって、なにを? っていうか、苦労してるの。なにより、ルドヴィが、攻略対象者って、どういうことよっ」


 慌てまくっている私の姿を見て、トレイシーはたまらず吹き出すと、大笑いをし始めた。



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