0.はじまり
気がついたら、乙女ゲームの主人公でした。
まさかそんなライトノベルな話、自分の身に降りかかるとは思いもしなかった。
乙女ゲームは大好きだったし、ライトノベルやWeb小説、異世界ものも転生ものも、もちろん悪役令嬢ものも、これでもかっていうくらい読みまくった。
多分、それがいけなかったんだろうなぁ、と今なら思う。
その日も前日の夜にネット小説を読んでいて寝不足で、連休中のバイト先は大忙しで、眠気と疲れでぼんやりと歩道を歩いていた。
だから、行く手で怒鳴り合う声にも、周囲の不穏な雰囲気にも全く気付かなかった。
前を歩いている人たちが突然脇に避けて、なにごとかと思ったら、目の前からものすごい勢いで走ってくる男の人が見えて。あっと思った瞬間には突き飛ばされ、電柱かなにかにぶつかって、そのまま倒れた、んだろうなぁ。
痛いとか痛くないとか、よく覚えてなくて、突然ブラックアウトする感じだった。おそらくは打ち所が悪くて、そのままってことだったんだろう。
とはいえ、あんまり“自分”のことは覚えていない。名前や家族や友達、学生だったのか社会人だったのか、どんな生き方をしていたのか、そういうことはぼんやりとしか記憶にないのだ。
ただ、どういうわけか、ハマっていた乙女ゲーム『Fairies Handiwork~妖精達の手仕事~』についてだけは、はっきりと覚えている。
きっかけは、お父様に見せてもらった現国王陛下ご家族の肖像画。
国王陛下と王妃様とご側室様。三人の王子と一人の姫君。その中で、私は王太子殿下の姿に釘付けになった。蜂蜜色の髪に、青空色の瞳。端正な顔立ちは、まさしくTHE王子様そのもので、白い軍服風のお召し物を身につけたその姿は、思わず見とれてしまうほど美しくて。
知っている。私は、この人を知っている。
初めて見るはずなのに、王太子殿下が誰なのか、そして彼がどんなふうに話すのか、笑ったり怒ったり、甘く優しく愛を囁く声を、はっきりと思い出せる。
でも、どうして。
「そして、陛下のすぐ後ろの方が、ランドルフ王太子殿下だよ、クリス」
そっと頭をなでてくれた父親の大きな手。促されるようにもう一度絵を見上げて、そしてそのまま私は綺麗に後ろに倒れた。素早く侍従が支えてくれたから、前世のように人生終了とはならなかったけれど、その後五日も私は寝込んだらしい。
仕方ないわよね。思い出してしまったんだもの。
ランドルフ・ルチル・ガドリアーナ。
このガドリアーナ王国の王太子で、『Fairies Handiwork~妖精達の手仕事~』のメイン攻略対象。
容姿端麗、品行方正、王道を行くまさに王子様そのもの。肖像画ではあったけれど、その美しい顔を見て、この世界が乙女ゲームの世界だということを。
そして、クリスティン・ミラナートという名前の私は、このゲームの主人公だということも。