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聖傑  作者: 如月誠
第一章 覚醒の少年編
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第七話 予期せぬ帰還

 ――意識が覚醒する。

 風になびく木々のざわめきが、かすかに聞こえる。

 かすむ視界に、誰かが映り込んでいた。こちらをのぞき込んでいるらしい。その人物は必死に何かを叫んでいて、次第にそれは自分の名を呼ぶ声だと理解した。


「――義矩くん!」


 心配そうに見つめる一人の女性。響里の思考がようやく働いてくると、彼女が誰なのかを思い出す。


「深雪……さん……?」


 従姉の有沢深雪だった。

 鬱蒼とした木々に囲まれた暗がりの中にあって、藍色のロングヘアーが光沢を放っている。白のブラウスに黒のワイドパンツと、教職に携わっているためか普段着からシックな出で立ち。化粧っ気もないが、鼻筋の通った美人だった。

 響里としても十年ぶりの再会だが、あの頃よりも魅力的な大人の女性になっていた。


「どうして……?」

「それはこっちのセリフ。義矩くんこそなんでこんなところにいるの? すっごく探したんだから」

「探した? 俺を……?」

「そう。ここは“宵残しの林”っていってね、地元民でもあまり立ち入らないの。気味の悪い場所だからね」


 呆けた様子で、ぐるりと周囲を見回す響里。湿気に満ちた落ち葉の匂いが鼻にこびりつく。不意に、有沢の手が響里の額に触れた。


「ねぇ、ほんとに大丈夫? もしかして頭とか打った?」


 ひんやりとした感触に心地よさを感じつつ、響里は軽く首を振った。


「いや……」

「ごめんね、ちょっと会議が長引いちゃって。迎えに行くのが遅くなっちゃった」


 次第に記憶が呼び戻されてきた。

 現実世界からの転移。不思議な扉から異界と呼ばれる場所に迷い込み、とある女性に出会った。

 そして、共に旅し、共に戦った。

 だが――。


「咲夜さん……」

「……え?」

「咲夜さんは!? 咲夜さんはどうなったんですか!?」


 立ち上がった響里は思わず叫んだが、有沢はポカンと目を丸くしている。咲夜の存在など知るはずもない彼女には、向こうの世界のことなど訊いても答えられるわけがない。


「そうだ、あの扉は!?」

「と、扉?」

「そうですよ! ここに変な扉がありませんでした!? こう……、でっかくて、白い、それに綺麗な飾りがいっぱいある扉が立ってたんです!」


 そんなものどこにもないわよ、と困惑しながら答える有沢の返事も待たず、響里は辺りを探して回ろうとする。林のさらに奥へ向かおうとする響里を、有沢は慌てて止めた。


「ちょっと何してるの、危ないってば!」

「でも早く戻らないと、咲夜さんが危険なんです! 行って助けないと……!」

「ね、ねぇ、ほんとにどうしちゃったの? さっきからおかしいわよ、義矩くん。いいから落ち着きなさいって!」


 語気が強くなる有沢に、響里は少しだけ平静を取り戻す。


「夢でも見てたんじゃないの? こんな薄気味の悪いトコで寝たりするから……」


 夢?

 そう思いながら、響里は胸に手を当てた。

 そして、即座に否定する。


(違う。あれは夢なんかじゃない……。間違いなく俺はあの時――)


 死んだ。

 そう、胸を宮井の魔術で貫かれ、死んだはずだ。

 あの感覚は今でも残っている。

 間違いなくあの世界は存在して、自分は戦っていたのだ。


「参ったわね。どこかで頭でも打ったのかしら……」


 頬に手を当てながら困り果てる有沢。短い嘆息を吐きつつ、響里の手を引いた。


「慣れない引っ越しで疲れたのかもしれないわね。もう夕方になるし、早いとこおばあちゃんの家に行きましょ」

「……え?」

「え? って、そういう段取りだったじゃない。ほら、外に私の車停めてあるから。あまり長く停めてると駐禁取られちゃう」


 冗談めかして有沢は言う。あまりに自然だったので聞き逃すところだったが、響里は恐る恐る彼女に訊ねてみた。


「深雪さん。今日って何日ですか?」

「四月六日。明日から新学期でしょ。そこに合わせて引っ越してきたんじゃない」

「で、今は何時?」

「十七時」


 衝撃だった。

 この町に来てからまだ数時間しか経っていない。向こうの世界では少なくとも三日間は過ごしたはず。時間の流れがまるで違うのだ。

 自分でも混乱しながら、扉もどうやら消えてしまっているらしく、これでは成す術もない。

 自分が死んだ後どうなったのか。咲夜は無事なのだろうか。心配になりつつも、響里は林を後にするしかなかった。



 ◇ ◇ ◇



 祖母の家は子供の頃から何一つ変わっていなかった。

 平屋造りで、古めのキッチンから繋がっているのが大きな居間だ。そこを中心に小部屋が幾つもあり、幼少期に遊びに来たときは家中をよく走り回ったものだ。あの時代よりも家全体が小さく思えるのは自分の背が伸びたからだろうと、響里は懐かしくも不思議な感覚を覚えた。


「お~、よく来たなあ~」


 少し訛りがちな、そして満面の笑みで迎えてくれた祖母――有沢文代。今年で八十歳になるが、これまで大病の類は患ったことがない。響里の記憶に残っている姿より、白髪が増えて腰も曲がっているが元気そうだ。


「ただいまー、おばあちゃん。義矩くん連れて来たよー」

「おーおー。久しぶりだね~」

「うん。ありがとう、これからお世話になります」

「気にせんでええ、気にせんでええ。自分の家だと思って、のんびり過ごしたらええよ」


 すっかり響里の方が背は越してしまったが、ニコニコと微笑みながら頭を優しく撫でる。少々照れくさいが、祖母の人柄には癒される。


「義矩くんの部屋は、廊下の先の奥ね。ほら、物置になってたとこがあるでしょ。あそこ片付けといたから、自由に使って」

「うん、分かった」


 リビングの隣は祖母の寝室。廊下を挟んで有沢の部屋がある。指定された部屋に行ってみると、段ボールが所狭しと並べられていた。引っ越しの際、あらかじめ送っておいた響里の私物である。


「中々に埃っぽいね」

「長年放置してたからね。これでも掃除して換気もしたんだから」

「そっか。ありがとう」

「さ。カバン置いたら風呂に入っておいで。晩御飯も用意できてるみたいだから。久しぶりでしょ、おばあちゃんの手料理」


 じゃね、と手を振って部屋から出ていく有沢。荷解きはさすがに時間がかかりそうなので明日以降にするしかない。

 とにかく疲れた。響里はカバンの中から着替えを取り出して風呂に向かった。


「ぷはー!」


 夕食時。

 昔ながらのちゃぶ台にはご馳走が並べられていた。焼き魚、肉じゃが、和え物……。和食中心のメニューなのは、さすが田舎。だがどれも絶品で、正直、懐かしさよりも衝撃が勝った。小料理屋に出されてもおかしくない程に、美味だった。


「いや~、この一杯の為に生きてる~!」


 瓶ビールから注いだコップのビールを一気に飲み干し、有沢は歓喜していた。Tシャツに肩からタオルをかけ酒をあおるスタイルはおっさん以外の何物でもないが、祖母曰くこれが日常らしい。


「義矩くん、ほら、食べて食べて! 今日は疲れたでしょ。大変なのは明日からだからいっぱい食べるんだよ」

「はいはい。食べてますって」


 手酌でビールを注ぎながら、瞬く間に一本飲み切る有沢。リビングに行き、冷蔵庫から二本目のビール瓶を取ってくる。


「義矩や。お父さんとお母さんは元気かえ?」

「うん、元気も元気。最近、ちょっと仕事が忙しいみたいだけど」


 響里にとって、有沢文代は母方の祖母に当たる。今回の件で連絡は取っていたみたいだが、もう何年も直に会ってないため電話口では母親も寂しがっていた。


「仕事で海外ね~。叔父さんたちも大変だ」

「普段から地方を飛び回ってて家にはほとんどいないからね。俺はもう慣れたよ」

「それに振り回される子どもも大変だけどね」

「……そんなこともないよ」


 苦笑して、かぶりを振る響里。

 自分でもこれはいい転機だったと思う。都会の生活は息苦しくて、あまりに辛かった。全てが最先端を行く同級生たちに、どこまでも置いていかれる自分。孤立して、誰とも話さない学校生活は苦痛でしかなかった。

 両親もそれを見かねての今回の引っ越しだろう。それは素直にありがたかった。


「ま、私も仕事でこっちに戻ってきたようなもんだし。おばあちゃんと二人で寂しかったしね、嬉しいよ。ねぇ、おばあちゃん?」

「あ~、んだんだ」


 しわくちゃの頬を緩ませながら、有沢文代が何度も頷く。

 祖父は何年も前に他界している。彼らの娘たち二人も成人し、いなくなったことでここにはずっと有沢文代だけが細々と暮らしていたのだ。


「深雪さんは、この町に住むために教師に?」

「ん? ま、たまたま希望が通っただけなんだけどね。教育実習がウチの高校でさ、このままここで働きたいな~って思ってたんだ。ま、満足してるよ」

「そっか……」


 味噌汁をすすりながら、優しい彼女らしいと思った。有沢は大のおばあちゃん子だった。語った動機はきっと建前で、祖母を一人寂しい思いにさせたくない気持ちの方が強かったのだろう。


「ちょっと訊きたいんだけどさ。おばあちゃん、この辺りって霧がよく出たりするの?」

「霧かい?」

「うん」


 古い炊飯器から響里のおかわりをよそいながら、この地に長年住む祖母は首を捻った。どす黒いだとか、人影が出るとか詳細を敢えて伏せたのは、余計な情報で不審がられるのを防ぐためだ。


「まぁ、朝は霧が濃いがの。いつもじゃあないが……」

「今の時期だと特によね。車とか乗ってると、急に人が出てきて危ないったらありゃしない」


 ほのかに顔が紅潮している従姉がくだを巻く。瓶ビールは既に三本目に突入している。


「それがどうしたんかえ? 都会じゃ霧も珍しいんか?」

「ん? いや……、まぁそうかな」

「やっぱり変ね、義矩くん。明日、学校帰りに病院に行ってくる?」

「いやいや、平気だって」

「何じゃ。義矩、どこか悪いんかえ? ウチがええ先生、紹介してやるぞ?」

「だから、大丈夫だってば。ちょっと気になっただけ」


 誤魔化し笑いを浮かべて、漬物と一緒に白米をかきこむ。一気に平らげ、お茶をすする。

 どうしても咲夜のことが頭から離れない。

 自分が死んだ後、咲夜はどうなったのだろうか。国としても敗戦濃厚。咲夜も瀕死の重傷だ。希望があるとすれば、ジェームズたち。彼らの到着で形勢が変わるかもしれないが、あの宮井という少年はあまりにも強く、卑劣だ。

 嫌な想像ばかりが湧いてくる。

 出来れば確かめにもう一度異界へ行きたいが、こればっかりはどうしようもない。


「あれ? そういえば、深雪さん」

「ん?」

「深雪さん、結婚って――」


 ごはん時に鬱々とした気分は良くないと、響里は何気ない疑問を従姉にぶつけてみる。すると、コップをそっと置いた彼女は。


「ふふふふ……」


 にっこりと笑いながら、それ以上は答えない有沢。

 しまった、ヤブヘビだったか。自分の失言を激しく後悔しつつ、ごちそうさまを言って逃げるように部屋に戻る響里だった。





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