第六話 三人目の転移者
響里は、自分とは逆に押し寄せてくる人の波に吞まれていた。
この混乱の原因がマゼライト軍による襲撃なのは人々の悲鳴ですぐに分かった。近づいてくる剣戟音と、喉を引き裂いたような幾つもの悲鳴。マゼライト軍の兵の姿を視認するのに、そう時間はかからなかった。
本格的な大規模な戦争。眼前で繰り広げられる戦闘に、響里はただただ立ち尽くすしかなかった。
民に被害を与えまいと、ミーアレントの兵たちも必死に応戦している。怒号が飛び交い、互いに手にした武器が交錯する。肉体を斬り裂けば血が噴き出し、メイスなどの鈍器で兜や鎧が陥没する。人が次々と死んでいく様をまざまざと見せつけられる。
(咲夜さん……!)
響里は、走り去っていった少女の名を唱える。
こんな戦場に突っ込んでいくなんて、いくらなんでも無謀だ。と、響里は拳を強く握った。
確かに咲夜は強い。だが、これだけの数に圧されたら、いくら彼女でも無事では済まないだろう。
響里は竦む足を無理やり動かし、地面を蹴った。民衆をかき分け、咲夜の向かった商業区域を目指す。
居住区の入り口である石のアーチを抜け、狭い路地に入る。主要な路地は既に鉄火場だ。借りた木刀を携えているとはいえ、響里にとっては無用の長物。一回の訓練だけでは何の足しにもならないので、戦闘は出来るだけ避けなければならない。建物の陰に隠れながら進み、響里はどうにか商業区域に辿り着いた。
「う……!」
広間に足を踏み入れたところで、響里は思わず呻いた。
辺りに漂う血の匂い。数多くの両軍の兵士たちが、石畳の上で死んでいた。
「咲夜さんは……!?」
周囲をくまなく見渡す。どこを向いても屍の山。この中に彼女にいないことを願いつつしばらく注視していると、正門近くで彼女の背中を発見した。
(よかった、無事だ……!)
僅かな安堵はすぐに消え去った。血まみれな上に、立っている姿はどこか頼りない。
抱いていた懸念が的中した。ここの戦闘に加わったことで、かなりの負傷をしているようだった。
「咲夜さん!!」
衝動的に彼女の名を叫び、響里は飛び出した。ビクッ、と肩を震わせた彼女は、返り血を浴びた顔を響里に向けた。
「響里さん、どうしてここに!?」
咲夜の顔は当然ながら驚きに満ちていた。と同時に、駆け寄ってきた響里に僅かばかりの怒りを滲ませる。
「来てはなりません! 早く逃げて下さい!」
「そんなこと言ったって咲夜さんが心配だったんですよ!」
「この状況が分かっているんですか!? 私なら平気ですから貴方は――!」
「馬鹿言わないでください! こんなに傷だらけで……。放っておけるわけないでしょ! 俺は咲夜さんの死ぬ姿なんて見たくないんですよ!」
響里の荒い語気に、ぐっと言葉を詰まらせる咲夜。
「いくらなんでも無茶ですよ、軍隊を相手に突っ込むなんて」
「無茶でも無謀でもやるしかないんです! でないとこの国は――!」
激しい剣幕で咲夜も言い返す。
お世話になった人々を守りたい。優しい彼女のことだ。自分を犠牲にしてでも……という気持ちなのは響里にも痛いほど伝わってくる。
「ねぇ~。僕を無視して何を盛り上がっているのかなぁ?」
響里はそこでようやく前方に立つ人影に気が付いた。
少年だ。
声変わりもまだのような高い声に、背丈も低く、恐らく響里よりも年下だろう。切り揃えられた前髪が特徴的な、幼さが残る男の子がそこにいた。
「…………?」
響里が眉をひそめた。
なぜ、逃げていない。逃げ遅れたのか。トラウマさえも植え付けられそうな状況下で、恐怖どころか退屈そうな表情を浮かべている。
ただ、もっと不可解なのは。
この少年を、どこかで見たような気がしたのだ。
決して知り合いではない。出会ったことさえない。だが、知っている。どこなのかは思い出せないが――。
「まさか日本人……?」
不意に、そんな言葉が響里の口から出ていた。
「え、ええ。私も驚いているのですが……」
少なくともこの世界の住人とは違う、東洋系の顔立ち。とはいえ、羽織っている緑のローブは明らかにこちらの世界のもの。光沢の入った綺麗な絹はいかにも高級そうな代物だった。
「お前、誰? 僕、お前のことなんか知らないんだけど」
ぶっきらぼうに言って、その少年は鼻を鳴らす。
「変なの。僕と咲夜以外に、あっちの住人がいるなんてさ。でも、まいいや」
まるで羽虫を追い払うように手を仰いで、傲岸に言い放つ。
「お前には用がないから。とっとと、どっかいっちゃってよ。殺さないでいてあげるからさ」
「な……」
唖然とする響里。
「宮井様!」
また別の声が飛んだ。一人のマゼライト兵士が居住区の方から走ってくる。少年のところで止まると、敬礼をしながら緊張気味に声を張り上げる。
「ご報告いたします! ミーアレント城を占拠いたしました!」
「な!?」
驚愕に目を見張る響里と咲夜。
「ふ~ん。案外、遅かったね」
「も、申し訳ありません」
「別にいいよ。で、ミーアレントの王は?」
さして興味なさそうに、少年は訊く。
「は! 拘束しております!!」
「あっそ」
ギリ……、と歯噛みする咲夜。項垂れ、力任せに刀を地面に突き立てた。
「別動隊がいたのですね……!」
咲夜の狙いはここでマゼライト軍を一人で引き受けることだった。
城下町と城を境に跳ね橋があり、城の敷地を囲うように大きな塀がある。攻め込むには一直線になるのだが、どうやらマゼライトは全軍を突撃させたわけではなく、戦力を分散させていたらしい。
隙をついて一気に城へ突入したのだろう。
「ふ~ん。じゃ、あとで公開処刑といこうか。皆の前で首をダーン! とね」
年端もいかない少年とは思えない残酷な発言。倫理観が欠如しているのか知らないが、ともかく、響里にもこれだけは理解できる。この国は終わったのだと。
そして、この少年こそが。
「貴方が、この軍隊に命を下していた大将なのですか……!」
「ああ、そうだよ」
憎しみすら込めて睨む咲夜に、少年は口角を吊り上げた。
「僕は、宮井公平。この世界の中心となる男さ」
そう名乗り、あたかも舞台役者のような気取ったお辞儀をする。
「僕が来たことで、世界は回り出す。ワンパターンの思考で生きていた馬鹿共に、変革を与えたのさ。戦争という大イベントを起こしてね」
「なんだって……!?」
「じゃあ、マゼライトが侵略を起こしたそもそもの発端は……!」
「僕がそう筋書きしたからだよ。どうだった? 愉しいだろう?」
宮井は、腹を抱えながら哄笑した。
響里は絶句していたが、咲夜はこらえきれない怒りを爆発させた。
「戯言も大概にしなさい! 貴方のような子どもが、一国家を動かせるわけないでしょう!!」
「本当だよ――ねえ?」
とぼけた調子で宮井は隣にいる若いマゼライト兵に訊く。
「僕が協力したからマゼライトは大陸統一を開始したんだよね?」
「は!! そ、そうであります!! 宮井様は我らが光!」
兵士が宮井に怯えているのが明確に伝わってくる。上ずった返事で、背筋を正す。
「どの時代も、どこの世界も主人公を求めてる。それが、僕。異界に突如やってきたヒーローには、誰にもかなわないんだよ。なんたって無双する力が宿るからね」
自らに酔いしれているのか、無邪気に笑う宮井。
(やはり、こいつも……)
響里や咲夜と同じ。転移者だ。
そして、どちらかといえば響里の時代に近い。言葉の端々から幼稚さは目立つものの、現代人特有の言い回しには不本意ながら親近感を覚えてしまう。
「なぜだ……」
「あん?」
「なぜこんなことをする……。なんのために……。人が、こんなにも死んでいるんだぞ……」
震える声で響里は言った。恐怖からだろう。年下であるとはいえ、得体のしれない狂気が、宮井少年から発せられていた。
「だから何なの、お前? 勝手にしゃべんなよ。はぁ……調子狂うよな」
わざとらしく大きなため息をついて、宮井は億劫そうに答えた。
「プレイヤーは、最強でなくちゃいけないからさ。特別で一番。だからどうしたっていいのさ。ほら、どの物語も主人公ってさ、無条件に皆から慕われるだろ?」
「答えになってないだろ、それ……!」
呆れを通り越して、響里にも怒りの感情が芽生えてくる。あまりにも子どもの理屈だ。ただの英雄願望の為だけに、何の罪のない人々を犠牲にしているのだ。
「とはいえ、主役には魅力がないと誰からの支持は得られない。後天的に目覚めた“能力”が必要なんだ」
おもむろに宮井が右手を顔の前に掲げた。ゾクッ、とするような寒気が、響里を襲う。急激な気温の変化に加えて、重々しい風が肺腑を満たす。
宮井の手のひらから、黒い霧状の粒子が生まれる。直後、爆発的な分裂を始めかと思うと噴射。四方八方に、それこそまるでうねる大蛇が暴れ狂うように撒き散らされる。大地に沈殿、城下町を一瞬に包む。
「うわ、な、なんだ……ッ!?」
「ごほ、これは……!!」
気分が悪くなるなんてものじゃない。ただの煙でもない。もっと、負の情念が込められたかのような、死の匂い。そんなイメージが城下町全体を支配する。
目を疑うような光景は、その直後だった
辺り一面に転がっていた兵士たちの死体。それが、動き出したのだ。ゆっくりと、緩慢に。ただし、脳の機能が働いていないのか、力感がなく頼りない。ひどい痙攣、不自然に折れ曲がった首。そして、死に直面したときの苦悶に歪んだ表情で止まっている。
それが意味するもの。
――リビングデッド。
決して蘇生などではない。もっと質の悪い、生きた屍として起き上がってきたのだ。
「噓だろ……」
愕然と言葉をこぼす響里。鮮烈な記憶が脳裏に過る。
死体が息を吹き返す光景を目にするのは二度目。そう、響里がこの世界に来た、あの晩だ。
そして、生まれる一つの解答。
「まさか……」
響里と同様、導かれ出された答えを咲夜が引き継ぐ。
「死霊術……」
顔を強張らせる二人に、拍手を送るのは宮井公平。
「せいかい~。いやぁ、えらいじゃないか」
「貴方がマゼライトに協力していた死霊術師だったのですか……!?」
「そういうこと。これが僕の、僕だけの特別仕様さ」
歪んだ笑みを浮かべ、宮井は自慢げに言った。
咲夜のすぐ背後を、一人の兵士がゆらゆらと音もなく近づく。だらりと掲げられた長剣が振り下ろされる、その寸前。響里が叫ぶ。
「咲夜さん!」
「――!?」
甲高い音が鳴った。
振り返った咲夜は、かろうじてその一撃を受け止めていた。
死人が故に、気配がない。殺意すらもないのでは、咲夜も察知するのに遅れてしまう。
そこが死霊術の利点。達人レベルとなれば、相手の一挙手一投足に神経を尖らせる。その部分がゾンビと化した者には通用しない。
と、咲夜の両目が驚愕に見開かれた。
「兵士長……!?」
その兵士はミーアレントの鎧を身に着けていた。咲夜も良く知る人物なのだろう。明らかな動揺が浮かんでいた。
別の意味で驚きなのは、死んだ人間ならば誰でも死霊術の対象だということだ。両軍の兵士、そして市民までこちらを取り囲もうとしている。
「はーはっはっは! どうだい、すごいだろう! これが僕の真価さ!!」
「この外道め……!」
死んだ肉体のどこにそんな力があるのか、腕力で押し切った兵士長の剣が地面を叩く。咲夜は退避しようと試みたが、兵士長はそのまま鋭い一閃を放つ。腕があらぬ方向に曲がりながら予測不能な軌道を描くため、咲夜も防御で手一杯になる。
苦戦を強いられる何よりの一番の要因は、味方だったことだ。既に死んだ人間とはいえ咲夜は非道にはなれず、刀を向けられないのだ。
「く……!」
「咲夜さん!」
響里が木刀を握りしめ、地面を蹴った。だが、こんなときでも、あの力は出ない。それでも力任せに兵士長の頭を殴る。
普通なら昏倒するだけの一撃。一瞬、動きを止めた兵士長だったが、首がぐにゃりと折れたまま、横の一撃を響里に叩き込む。受け止めた木刀が砕け、響里は何メートルも吹き飛んでいった。
「だから邪魔なんだよ、お前。今重要なイベントの最中なんだからさ、凡人は引っ込んでろよ」
宮井はそう吐き捨て、改めて咲夜に下卑た視線を送る。
「源咲夜。君はね、選ばれた人間なんだ。この僕に」
兵士長の攻撃が空振りしたその隙に、咲夜が響里の元に急ぐ。抱き起しながら、訝しげな視線を宮井に注ぐ。
「……なんですって?」
「僕がこの世界で覇権を握るために必要だってことだ。君という存在、剣術、刀。そのすべてが僕にとっての価値がある」
「生贄になれと言いたいのですか? 私も殺して、彼ら同様に死霊の仲間入りしろ、と?」
「それも考えたんだけどね。でも、それじゃ意味がない。せいぜい使える手駒が増えるだけだろう?」
「……違うのですか?」
「要は、すでに最強である僕がさらに無双するためにはどうするか、だ。君の全てが欲しいのさ。肉体も精神も。言っておくがバフ効果を期待しているんじゃない。これは能力の底上げなんだ」
要領を得ない言葉に、増々困惑する咲夜。宮井はマントを広げ、チュニックをめくった。
露わになった腹部には痣らしき染みがあった。そして、その痣を強調するかのような一部の膨張。痩せた身体に、病的にまで腫れた瘤のようだが、その正体に気付いた響里と咲夜は唖然とした。
――顔だ。
痣のように浮かび上がったのは、苦悶に叫ぶ人間の顔面だった。
「な――!?」
「死霊術ってのはさ、死体があることが前提だろ? ってことは、こちらで用意しなければならない。でも、人は死ねばすぐ腐る。そんなのキモイし、臭いし、僕には耐えられない。だから現地調達ってのが一番なのさ」
剣呑な瞳が、彼の横にいたマゼライト一般兵に移る。
「僕はこの世界では死霊術がデフォルトだった。つまり、殺す技術は持っていないわけ。だから簡単に、効率よくその力を手にする必要があった」
宮井の手のひらに黒い炎が宿る。この世界でいうところの魔術だろう。魔術自体発展していないこの大陸では、かなり希少な力。宮井はその炎を握りつぶし、マゼライト兵の胸元にぶち込んだ。
「!?」
「み、宮井様、何を……!?」
胸元を抉り取られたマゼライト兵が、倒れる。即死だろう。兵の表情は呆然としたまま、大量の血を吐き出している。
「僕は取り込んだのさ。魔術師ごとね。マゼライトにはお抱えの宮廷魔術師がいてさ、ソイツごと僕は吸収した。この痣はその名残さ。僕も嫌なんだけどね、気味悪いったらありゃしない」
「あなた、なんてこと……」
正気の沙汰じゃない。自身の力を説明するためだけに、人を殺してみせた。
「他人を吸収し、自身のものにする。それが僕の真の能力。だから君が欲しいんだ。超一流の戦士を僕の身に宿せば、かつてない力を得られる。最強の魔法戦士っていう具合にね」
「ふざけないで……!」
あまりに自分勝手な理屈。常軌を逸した思考。もはや人の道理から外れた怪物を前に、咲夜は獣の如く唸った。
「誰が貴方のものになるものですか……!」
「なるさ。そのために君は存在しているんだからね!!」
宮井が腕を無造作に振るった。黒炎の塊が一直線に咲夜に放たれる。
響里を庇う位置にいる咲夜は、刀を振って弾き飛ばす。そして息を着く間もなく、咲夜は低く駆ける。一瞬で間合いを詰める。
「甘いね」
一瞬、動揺を見せる宮井が笑った。宮井をかばうように、ミーアレントの兵士長が立ちはだかった。急制動かけた咲夜に、兵士長の猛攻が襲う。
「――くっ!!」
力任せの攻撃をどうにかしのぐ咲夜。が、これまでの戦闘で体力を消耗している咲夜の動きは鈍い。徐々に捌ききれなくなり、肉体が裂ける頻度が増えていく。
「咲夜さん!」
咲夜が鮮血にまみれていく。
その光景を、響里は、ただただ見つめることしか出来ない。
(くそ……!)
このままでは咲夜は死ぬ。そして、宮井の思いのままに好きなように喰われてしまう。
だが、どうすることもできない。
あの力さえあれば――。
その願い虚しく、終わりは近づこうとしていた。
遂に限界を迎えた咲夜は地面に膝を着く。勝利を確信した宮井は右腕を上げた。
「――!」
放たれる黒い炎。
響里は駆け出していた。無防備もいいところで、ただ無心に咲夜の元に向かっていた。
守りたかった。ただ、その想いだけ。
響里は両腕を広げ、咲夜を庇うように立つ。まるで弾丸のような硬度を持つ黒炎の塊はあまりにあっけなく、響里の胸部を貫いた。
「かっは……」
口から鮮血が溢れる。
うしろのめりに倒れていく響里を、咲夜が呆然と見つめる。
「響里、さん……?」
痛みは不思議となかった。感じるのは、空いた胸に通る風が冷たいということだけ。動かない視界は、ひたすらに青い空だけを映していた。
ただそれも黒いもやに浸食されていく。
「響里さぁぁぁあああああああああん!」
咲夜の悲痛な叫びは、響里には届かない。ザーザーという不快なノイズが耳の中で騒いでいた。
死ぬってこういうことなのか……という呑気な感想を抱きながら、響里の意識は彼方に消え去っていった。