第五話 咲夜、戦場に舞う
それは、白昼堂々の襲撃だった。
マゼライトの軍勢が、遂にこの城下町にまで侵攻してきたのである。
咲夜が商業区域に到着したころには、既に戦闘が始まっていた。
両軍が入り乱れる中、町民の阿鼻叫喚がこだまする。大通りにある露店では、斬りつけられたミーアレントの兵士が倒れた拍子に粉砕。果実や野菜が辺りに飛び散った。雑貨店や宿屋にもマゼライトの兵士が押し入り、問答無用で破壊していく。逃げようと外に出た店主や客が、その剣の餌食になった。
どれだけの数で攻めて来たのか分からない。が、明らかにミーアレントの方が劣勢だった。マゼライトはこの大陸の首都。軍も精鋭揃いだ。
対して、ミーアレントは守衛だらけで数も少ない。実力のあるジェームズたちは不運なことに出払ってしまっている。
「なんてこと……!」
味方が無残に殺されていく様を見せられ、歯噛みする咲夜。
(なんて間の悪い――いや、違う)
ジェームズたちが出かけたのは、北東あたりの砦にマゼライト軍が潜伏しているという情報を掴んだからだ。そもそもそれが偽で誘導させられた可能性もある。
「にしても、こんななりふり構わないやり方……」
強引すぎる。
これまでは、斥候同士の小さな小競り合いしか起きていなかった。それは兵力で劣るこちらの戦力を、じわりじわりと削る作戦だと考えていた。そう理解していても、どうすることも出来なかったのだが。
牽制の段階は終わった、ということなのか。
(とにかく今は皆を助けないと!)
あれこれ考えている暇はない。こうしている間にも、次々と仲間が倒されているのだ。
自身の刀である“安綱”を素早く抜き放つ。そして、駆けた。一直線に中央広場にある噴水を目指す。そこには重傷を負い、ミーアレントの兵士が地面に倒れていた。相手は、二メートルはありそうな巨漢のマゼライト軍兵士。勝利を確信したように下卑た笑みを浮かべ、巨大な斧を振り上げていた。
咲夜は、瞬時にマゼライト兵の懐に割って入ると、その巨大な丸太のような両腕を紙切れのように吹き飛ばす。剣閃があまりに鋭すぎて何が起こったのか分からないのか、マゼライト兵は呆けた顔で咲夜を見下ろす。自分の腕が噴水に落下し、しばらくしたところでようやく痛覚が襲ってきたほどだ。
「ぎぃやぁぁああああああああああ!!」
絶叫を上げながら膝を着く兵士の脇をすり抜け、咲夜は体勢低く疾走。咲夜の最大の武器である脚力を活かし、別の戦闘に介入する。自軍の兵士のところに助太刀に入る。マゼライト兵が咲夜の接近に気付いたところで、すでに遅い。光速の一撃で相手を斬り伏せる。
「マゼライト軍よ、この咲夜がお相手仕る!」
混沌とした戦況の中、咲夜の凛とした声が響き渡る。
彼女の狙いは自分に注意を引き付けることで、仲間をこれ以上傷つけさせないこと。この場にいるすべてのマゼライト兵を相手取る――怒りと覚悟を持った強い咆哮だった。
辺り一面に鳴り続いていた剣戟音が一斉に止む。
彼女の言葉に臆したのか、戦いの手を止めた両軍の兵が揃って息をのんだ。マゼライトにも咲夜の存在は知り渡っているのだろう。彼女が放つ気迫、そして自然体ながらも隙の無い佇まいに、マゼライト兵たちは気圧されている。
「どうした!! 大陸全土を手中に収めようとする大国が、たった一人の剣士さえ殺せぬか!!」
静まり返った戦場にさらなる挑発が飛ぶ。
マゼライト軍とて、ここで引き下がるわけにはいかない。誰かが、失った戦意を無理矢理奮い起こすような叫びをあげた。そこに呼応するように、他のマゼライト兵たちが感情を爆発させた。
――来る。
「マゼライトの兵よ、共に死合おうぞ!! 源咲夜、いざ参る!!」
一斉に襲いかかってきたマゼライト兵の一角に、咲夜は飛び込む。動揺したマゼライト兵の一人を鮮やかに斬り払う。ステップを刻み、次々と屈強な兵士たちを安綱の餌食にした。立ち止まらない。咲夜といえど、何十人の敵に囲まれてしまえば対処は不可能。とにかく攻め続ける。
肩口に痛みが走る。背後からの攻撃が、肩をかすめたのだ。血に滲む白の装束。だが呻く暇はない。歯を食いしばり、一撃浴びせた者の首を刎ね飛ばす。
体力の続く限り、咲夜は刀を振るった。何十人、斬っただろうか。
斬って、斬って、斬り続けて。
そうしているうちに、立っているのは彼女だけになった。
着物の付着した血は、自分のものなのか誰のものなのか判別がつかない。かすむ視界に映るのは、地面に倒れた幾人ものマゼライト兵。鼻につく異様な鉄錆のような匂いが、疲労感を増してきた。
「咲夜殿!!」
ふらつく咲夜を支えるようにして、一人の兵士が現れた。白髭を蓄えた初老の男だ。咲夜は安堵の息を吐く。
「グラン兵士長……」
「ご無事ですか、咲夜殿!」
「ええ……」
ミーアレント全軍を統率する立場にあるグランは、ジェームズたちには同行していなかった。姿は見えなかったが、この戦を指揮し、駆けまわっていたらしい。一般兵とは違う意匠の鎧は、咲夜と同様に血にまみれていた。
「陛下はご無事ですか?」
「ええ。咲夜殿のおかげで城にはまだ侵入されておりませぬ。陛下もこの事態に毅然としておられます。シグムンド様から退避を促されても玉座から一歩も動かれません。“私も共に戦うぞ!” と、自ら戦場に赴こうとするので止めるのに苦労しておりますよ」
「ふふ、あの方らしいですね」
咲夜は薄く笑って、大丈夫とばかりにグランから離れた。
「それにしてもすごいですな、この数をたった一人で……。咲夜殿が味方で良かったと、つくづく思い知らされますな」
「――状況は?」
「こちらの兵は半分以上は失ったかと。かろうじて生きている者もいますが、戦闘は無理かと」
「そうですか……」
「ジェームズたちを連れ戻すよう伝令を放ちましたが、そちらもいつ帰ってくるか分かりませぬ」
強く歯噛みする咲夜。
大半を失った自軍。対して、マゼライトの軍勢もこれで終わりとは思えない。ジェームズたちの加勢も期待できないとなれば、戦況をひっくり返すのは難しい。
敗北の二文字が、咲夜の頭をかすめる。
「グラン兵士長、兵や町民の救護を頼みます」
「無論、そのつもりです。ですが、咲夜殿は?」
「町の敵は一掃できたでしょう。ならば外で敵を迎え撃ちます。」
「その身体では無理ですぞ! 咲夜殿も治療を受けなくては……」
「平気です。私が戦わなきゃ……」
気遣うグランの手が咲夜の肩に乗せられる。咲夜はその手をそっと払いのけ、ふらつく足を踏み出した。
その直後だった。
頬のあたりを何かがかすめた。
黒い影。鳥かと思ったが、あまりにも速い。咲夜の白い頬から赤い筋が生まれた。
「ぐほ……」
後ろで、くぐもった声が聞こえた。振り返ると、グランが大量の血を吐いていた。
鎧を貫き、胸元にはぽっかりと大きな穴が開いていた。そのままゆっくりと後ろのめりに倒れていく。
「グラン兵士長!!」
慌てて駆け寄り、咲夜はグランを抱き起す。目を見開き、苦悶の表情を浮かべている彼を揺すってみるが、反応がない。
命が切れている。
「グラン兵士長ォォォ!!」
一瞬のことで何が起こったのか分からない。ただ、あの黒い閃光が原因でグランは死んだ。いまだ残る頬の痺れがその正体を告げている。
これは――。
「見ぃ~つけた」
あまりに無邪気な声が、強張る咲夜の耳に届く。