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聖傑  作者: 如月誠
第一章 覚醒の少年編
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第四話 己が意志に従う

 ミーアレントの城下町は朝から活気に満ちていた。

 大陸南部とあって、比較的温暖な気候。露店に並ぶ商品はどれも新鮮で、それを求めて多くの客が朝から品物を吟味していた。

 というのも、この地方は水に囲まれており、町の外にある広大な農地から質のいい野菜や果物が採れるのだ。交易品としてミーアレントの財政を支えているのも頷ける。

 町の中心部はそういった商業区域、そこから北に少し外れた位置に居住区がある。

 響里は居住区でも端の方にある、咲夜の家に泊まることになった。

 この国の救世主を助けたことに対する功績はあまりに大きかったらしく、当初は宿屋の永久宿泊権――つまり、咲夜の言うように永住権を得てしまったのだが、そこはさすがに宿の人たちにも迷惑が掛かるんじゃないかと響里が自ら辞退。ならばと、咲夜が自分の家に住ませたいと猛プッシュしたのだ。

 年頃の男女が同棲――むしろそちらの方が問題があるのではないか思えてならないが、どのみち生活費なんてないので厄介になることにした。


「えらいことになったなぁ……」


 響里は部屋の窓を開け放ち、深い溜息を吐く。

 咲夜の家は二階建ての小さな一軒家だが、この居住区の中で比較しても一、二を争うほど立派だった。古くからの名家が近隣にはあるらしいが、見た目には負けていない。


「これからどうなっちゃうんだろ……」


 ……帰りたい、と素直に思う響里。

 もうこの世界に来て、三日目。

 お世話になるはずだった祖母たちも心配しているに違いない。下手すれば警察沙汰になって、今頃大騒ぎかも……と考えると胸が苦しかった。

 窓枠にもたれながら、どうすれば帰れるのか思案していると、革製の軽鎧をまとった兵の行列が目に留まった。ジェームズたちだ。彼らは緊張した面持ちで町の入り口へと向かっている。また今日も命懸けの戦いをするのだろうか。

 普段は陽気な彼らだが、あの硬い表情を見るとやはり怖いのだ。戦うことが。当然だ。死霊術なんて使う化け物がいるかもしれないのだ。

 だけど戦う。愛する国、愛する者を守るために。


 ――ごめんなさい。


 昨日、戦争の参加を拒否した。

 純粋な恐怖。それが何よりの理由として勝った。

 自分には得体のしれない力が隠されている――。確かにこの国の情勢も理解した。異界の住人である自分にも快く迎え入れてくれた。恩義はある。そして、日夜戦い続けている咲夜も助けてあげたい。

 だが、即答はできなかった。あんな短い時間の中で、その場で決断できるほど勇敢な人間ではない。

 断ったとき、それでもミーアレントの王からは「ゆっくり考えてくれていい」とまで言われ、申し訳ないと同時に情けなくもなった。住む場所まで与えられたのに。これでいいのかとも、思う。

 心も体も貧弱。自分には彼らのように確固たるものは何もない。


「義矩さん」


 ふと背後から静かな声が響く。振り返ると、部屋の入り口に咲夜が立っていた。


「あれ、咲夜さん……? どうかしたんですか?」


 考え事に集中していたせいか、全く気配を感じなかった。古い家とあって木鳴りぐらいはするはずなのだが、戸を開ける音すらも気付かないなんて。

 ともかく、今日もてっきり仕事があるものだと思っていただけに、彼女が来ていたことに響里は驚いた。


「今日はジェームズさんたちと行かないんですか?」

「ええ、お休みです」


 淡白にそう言って、咲夜は部屋に入る。響里に傍まで寄り、開けていた窓をそっと閉めた。なぜかカーテンまで閉めると、部屋がぐっと暗くなった。


「さ、咲夜さん? 何を……」

「義矩さん」


 潤みを帯びた咲夜の瞳が、響里を射抜く。

 同年代の響里からしても大人びて見える彼女は、影の差した部屋ではより美しく感じた。物憂げな表情を浮かべながらそっと響里の手を握りしめる。

 そして、意を決したように言った。


「――少し、付き合ってくださいませんか?」



◇ ◇ ◇



「はっ!!」


 乾いた打撃音がミーアレント城下町の昼下がりに響く。

 木刀が宙を舞う中、響里は地面を転がっていた。


「ぐえ!」


 咲夜の家には手入れの行き届いた庭があり、狩り揃えられた芝生が生えていた。これだけの晴天だ。気分よくお昼寝をするなら最適の場所だろう。

 ただし、響里が大の字で倒れているのは別の理由だった。


「ご、ごめんなさい。ちょっと力を入れ過ぎました」

「だ、大丈夫です」


 身体の痛みに耐えながらゆっくり上半身を起こす。近くに転がっている木刀を杖代わりに、どうにか立ち上がる。


 思わせぶりな咲夜のお願い。妙な期待をしてしまった響里は激しく後悔した。

 なんてことは無い。剣の稽古のお誘いだったのだ。


「つ、続けましょう」

「――はい」


 息を吸い込むと同時に低く構える咲夜。地面を蹴り、一瞬で響里との距離を詰める。あらゆる軌道から迫る咲夜の剣閃を、響里はどうにか受け止める。無論、咲夜が手加減しているので対処できているだけだ。

 剣の稽古という提案にがっくりきた響里ではあったが、断る気はなれなかった。部屋にいても鬱々とするだけでいいことはない。きっと咲夜も気分転換に誘ってくれただろう。

 ただ、お遊び程度と安易に考えていたのがいけなかった。

 やはり咲夜は本物の侍。稽古だからこそ真剣なのだ。こちらを殺す勢いで攻めてくる。その形相といったら。これが本当の戦場なら相手はそれだけで気後れするだろう。

 とはいえ、咲夜の気遣いには感謝だし、自衛の手段は必要だ。

 始まってから二時間ぐらい経っただろうか。さすがに疲労し、咲夜の鋭い打ち込みを捌ききれなくなってきた……そんなとき。


「――やはり、怖いですか?」

「……え」


 幾分、穏やかな表情になった咲夜が訊ねてきた。息一つ乱していない咲夜に対し、響里は木刀を握る握力さえなくなっていた。ぐったりと腕を下ろし、呼吸を整えてから言葉を漏らした。


「戦争への参加の件……ですよね」

「はい」

「…………」


 響里は視線を自分の手に落とした。長時間打ち合いを続けたせいで、血豆が出来ている。握力も失い、激痛で指一本動かすことはできない。


「怖いです。当たり前じゃないですか。だって……殺し合うんですよ?」

「そう。でも、それが戦争なんです」

「死ぬのは嫌だ。同時に、いくら戦争だからって人を殺したくなんかない」


 人間ならば当然の道理を、響里はかすれた声で絞り出す。


「いや、それ以前に戦う術もない俺じゃそもそも無意味。皆さんが期待してくれるような力なんてない。……あの力だって偶然かもしれないんだ」

「……私も含め、安易な気持ちでお誘いしたことは申し訳なく思っています。すみません」


 沈痛な面持ちで頭を下げる咲夜。彼女もまた、響里を巻き込んだことを悔いていたのだろう。

 響里は激しくかぶりを振った。


「謝ることじゃありません。この国が危ないのは事実。少しでもいいから助けとなる人材は欲しい。その気持ちも分かっています。でも……そんな簡単に答えを出せる問題じゃない」

「……はい」

「きっとこれは我儘なのかもしれない。俺がきっとジェームズさんたちのような立場なら否応なく、戦場に行くのでしょう。……情けないですよね、弱虫で」

「いいえ、臆病なのは悪いことじゃありませんよ。誰しも戦争は怖いのですから」

「だけど俺には踏ん切りをつけられるほどの覚悟は……ない」


 重い沈黙。

 そんな嫌な空気を振り払うように、咲夜は「少し休憩をしましょう」と提案してきた。

 庭の木陰に座り、温かい風に身を委ねていると咲夜がコップを差し出してきた。お茶だ。まさかこの世界に日本茶があるのかと驚いたが、いざ飲んでみると、変わった味だった。聞けば、日本茶ではなくこの世界にある木から採れたものを使用しているのだという。

 西洋風の異界でお茶を飲むのもシュールな感じがするが、やはり気分は落ち着く。


「……一つ訊きたいんですが」

「はい、なんでしょう?」


 響里の隣に腰掛ける咲夜。行儀よく背筋を伸ばし、温かいお茶を一口すする。


「咲夜さんはどうして、異界の人たちの為にそこまで命を張れるんですか?」


 改めて聞いてみたかった。彼女がどうして戦っているのかを。異国の……、いや。世界も時空すらも飛び越えた異界の国ために戦う理由を。


「正義感……ですか?」


 まだ知り合って数日だが、己の実力を誇示するためのような不純な動機ではないだろう。短絡的な人間ならば、戦争で自分の価値を示す輩もいるだろうが、彼女は違うように思えた。


「そんなに酷いんですか、マゼライト軍って」

「そんなことはありません。相手は軍隊ですから、やはり国を背負った忠誠心に厚い人間たちばかりです」


 ですが……と前置きして、咲夜はコップを持つ手に力を込めた。


「確かに、残忍な兵士も中にはいます。ジェームズさんの村を襲った連中がまさにそれでした。領土拡大の名目というよりは略奪。弱い者を嬲り痛めつけることに快楽を覚えてさえいるようだった」

「それは……ひどいですね」

「これも時代によるもの……と言い切ってしまえばそれまでなのかもしれませんが」

「だから覚悟が決まったんですか? ミーアレントに加勢しようって。マゼライトが許せないから」

「戦争を一刻も早く終わらせること、それが第一ですね。これ以上、何の罪もない人々を死なせたくない」

「シンプルな理由……なんですね」


 咲夜が少しだけ怪訝そうに見つめてくる。そうか英語は無理かと、響里は言い直した。

 理由としては単純。そうやって考えられる咲夜が羨ましく思えた。


「勘違いしているかもしれませんが、私だって人を殺して平気じゃありませんよ。これでも辛いんですから」

「いやいや、分かってますよ!」

「本当ですか? これでも響里さんと同じ人間なんですよ、私」


 唇を尖らせて不服そうに言う咲夜に、響里は焦る。

 なまじ強いだけに半ば超人扱いしていたが、そもそもは同年代の少女なのだ。鋼鉄の精神だと勝手に決めつけていた響里は、ぎこちなく笑みを浮かべる。


「まあ、いいですけど」


 拗ねた表情になりながら、咲夜はぶっきらぼうに言った。そして短い沈黙の後、ふと真剣な眼差しで声の調子を落とした。


「義矩さんは、“魂”というものをどういう風に捉えていますか?」

「魂……ですか?」

「自分自身を既定するもの、その象徴ではないかと私は思っています。意志、覚悟、決意……。流れる血に宿る、小さくも気高い光の粒子。抽象的かもしれませんが、その魂が溢れることで“絆”は生まれると思うのです」

「絆……」

「確かに、絆というものは曖昧なもの。どれだけ親しくなろうとも、相手の心全てを理解することはできない。だけど、魂は本物です」


 咲夜の声色が徐々に熱を帯びる。


「ならば、信じるのは自分だけでいい。戦うも戦わないもそれは自分の意志。その決定を、己で否定してはなりません。大切なのは魂に従うことではないでしょうか。そうすれば、どんなことがあっても芯は折れない」

「でも、それは……」

「他人がどう思うか気になりますか? ですが、どんな形であれ絆は紡がれていくものです。自然と、ね。義矩さんの迷いや葛藤、それも大切な感情なんですから、自分の魂が導くままに決断すればいいと思いますよ」

「咲夜……さん……」


 咲夜は柔らかく微笑む。

 自分自身を見透かされたようで、響里は言葉に詰まってしまった。


 学校という狭い世界でついていけなかった自分。他人を中心にして自分の価値を決めていた。そんなもの、心が壊れるに決まっている。

 だが、ヒントは貰った気がする。意志決定はあくまで自分なのだ。


 やっぱり、この人はすごい。


 響里は静かに目を閉じ、全身の力を抜いた。深呼吸。外の世界を断ち切り、自分の心にだけ耳を傾けてみる。


 本当はどうしたいのか――を。


 血管という血管に流れる血を感じ、集中する。

 温かい。

 やがて、沸き起こる力を実感する。指先から何かがほとばしった。電気のように、強く弾ける何か。うっすらと響里は瞳を開ける。


「よ、義矩さん……?」


 響里に起きた異変に、咲夜が瞠目する――その直後だった。

 激しい振動が、町全体を揺るがした。少し遅れて、熱風が吹き荒れ、耳を圧迫するような轟音が響く。


「な、なんだ!?」


 立ち上がった響里が目にしたのは、家屋を飛び越え、上空にまで達しそうな爆発。燃え盛る火炎が、爆音と共に空気を焦がす。


「か、火事!?」


 咄嗟に叫んだが、単なる火災にしてはあまりに規模が大きすぎる。爆発が続いているのも妙だ。

 町中の人々の悲鳴が、ここまで聞こえてくる。怯える声に交じって、断末魔のような叫びまで飛んでいる。明らかな異常事態に、咲夜は呻いた。


「これは、まさか――!」


 咲夜が駆け出した。爆発が起きた商業区域に向かうようだ。


「咲夜さん!!」


 叫んだが、咲夜の姿はあっという間に建物の陰に隠れてしまった。何か良からぬことが起きている――。

 どうすればいいのか。そう悩む前に響里は咲夜を追いかけていた。




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