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聖傑  作者: 如月誠
第四章 雪月華編
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第五十五話 結びの扉、その理由。

「まさか、またここに来るとはな……」


 ゴールデンウイークの初日。

 大型連休の最初だけあって普段よりも町全体が活気づく中、響里はとある場所に来ていた。


 ――宵残しの林。


 御伽町の南西方面にある、地元民でも滅多に近づかない不気味な林。

 そして。響里の人生を大きく変えた、始まりの地点だ。

 響里はその手前、入り口にある石の小階段でスマホを取り出す。


「もしもし、深雪さん? こっちは今着いたよ」

『オッケー。私の方も着いたから、くれぐれも気を付けてね』


 通話越しにバタンと大きな物音がした。車から降りたのだろう。彼女の軽い口調はいつものことだが、緊張感は響里にも伝わってくる。

 そのまま通話を終えてもよかったが、響里も自身の不安を紛らわそうと敢えて冗談交じりに訪ねてみる。


「そういえばここって、熊とか出ます?」

『どうだろ? もっと深い山奥だったら目撃情報がたまにあるけど……、宵残しの林からは聞いたことがないわね。どうして?』

「いや、別に……」

『あ~、もしかして怖いんだ?』

「ち、違いますよ。念の為ですッ」


 からかうように言う有沢に、少しムキになって否定する響里。

 だが、実際に危険動物が出没するとなれば生身では対処のしようがない。それでも手荷物は持たず、ジャケットにジーンズというラフな出で立ちで来てしまったのは失敗だったかと、少し後悔をしている響里である。


『しょうがないなぁ~。お姉さんもそっちに行ってあげましょか?』

「大丈夫ですって。少しでも情報は欲しいんですから。そっちはそっちで頼みますよ」


 からからと笑う有沢。響里が嘆息していると、間を置いて、有沢は途端に神妙な声色で忠告する。


『そうね。宮井もしょっちゅう入っていたみたいだから、危険は少ないと思う。でも、くれぐれも奥に行き過ぎて迷わないようにね。そこって私でも迷うし、中は電波も届かないしで不便だから』

「了解。それじゃ、またあとで」


 通話終了。

 そして、響里は鋭い息を吐き、意を決して林へと足を踏み入れる。


 昨晩のこと。

 深夜に差し掛かるころに帰宅した有沢が、衝撃の事実を口にした。

 てっきり仕事で遅くなったものだと思っていた響里だが、有沢は裏稼業でもある龍源の穴蔵の使徒としての活動もしていたのだ。

 そこで新たな情報を聞かされ、響里は眠気も吹き飛ばされることになった。


(ここに……宮井の痕跡が……)


 相も変わらず、鬱蒼とした林。陰湿で、昼間だというのに異様に暗い。

 枝を踏み鳴らした音がどこまでも反響する――薄気味悪さ。落ちた葉に隠れた粘着質な土が、スニーカーを沈ませる。


(進学校に進んだ宮井は、周囲との学力差についていけず挫折。井の中の蛙……この町ではエリートだった宮井もそのメッキが剝がれたことで精神が崩壊し、学校で暴れた末に退学した。その後は引き篭もりになったんだよな)


 こんな地方の田舎町では、どんな些細な情報でも光の速度で広範囲に知れ渡ってしまう。宮井が起こした問題も、どんな新聞より詳細に広まった。

 何もかも敵視するようになり家に籠ってしまった彼に対し、周辺住民も腫れ物のように近づくのをやめたらしい。資産家という家柄も肩身が狭くなり、完全に浮いてしまった。

 というのが、情報通である芝原の証言である。


(その宮井が提供者と出会った。そこの過程が謎だったんだよな)


 提供者――紫堂尚嗣。

 天権の人選としては最適だった宮井に対し、どう接触したのか。

 この町で起きていた連続失踪事件。紫堂がこの事件に関与しているとなると、この林で被害者を連れ込んで異界に攫っていたと響里自身は当初考えていた。

 だが、その仮説が正しいとすれば、周囲と隔絶していた宮井が外に出る理由が思い浮かばない。


「確か……この辺りだったよな」


 響里は、ふと足を止めた。

 これまで辿ってきた道を振り返ってみる。有沢から忠告をされていたものの、かなり林の奥深くまで来てしまったようだ。

 そこは、既に消失した異界“ミーアレント”への扉があった場所。記録を残していたわけではないので確実とは言えないが、入り口からの距離を考えれば扉が出現した地点に近いはずだ。


「さてと……」


 扉の位置に大体の目星をつけて、響里はその周辺を探索してみる。


「深雪さんの情報が正しいとすれば、なんだけど――」


 “龍源の穴蔵”の使徒、有沢深雪から得た新たな情報。

 それは、宮井の普段の素行についてだった。


 日中は人目を気にしてか大人しくしていたようだが、夜中、親が寝静まると密かに外に出ていたらしい。


 行き先はこの林。


 宮井は己の現状を全て他人の責任と勝手に決めつけていた。

 妬み、恨み、嫉み。

 そういった負の感情を自己処理する精神的スキルを持ち合わせているはずもない少年は、この林で鬱憤を晴らしていたのだ。

 ネットで購入したガスガンを使い、虫や動物を狩るというあまりに愚かな行為で。

 そうすることで、嗜虐的な快感を満たしていたのだろう。


 もしその情報が本当なら、紫堂が宮井に接触する機会は十二分にある。


(しかし……)


 響里は、呆れとも嘆きとも取れる息を吐く。


(龍源の穴蔵の情報網は恐ろしいな。これも式神とかいうので調べ上げたのか……?)


 龍源の穴蔵の使徒たちは、特別な力を有している。聖傑とは別の現世で魔を討ち払う――退魔術のようなものだ。従姉である有沢の術式を見せられたときは驚愕したが、恐らく彼女は戦闘系に特化したものだと響里は解釈している。

 そして、探索型としての式神を操り、町を監視する使徒もいる。人々を守るといえば聞こえはいいが、聖傑に対して、あまり好意的ではない彼等のことだ。何か裏があるのでは、と響里は勘ぐってしまう。


(もしくは警察関係者と繋がりがあるとか……?)


 秘密裏に動く組織だ。警察が捜査して得た情報を提供された、なんて線もあるのかもしれない。


(いや……まさかな)


 と、飛躍した考えに自嘲する響里。

 ともあれ、もたらされた情報の裏付けは必要だ。疑っているわけではない。が、確かめずにはいられなかったのだ。

 自分の目で。宮井が生きていた証拠を。

 ちなみに有沢も別の場所を捜索中だ。天権とは別に異界に飛ばされた望月の扉があった病院裏の森を。


 歩き回って五分。あまりにあっさりと、それは見つかった。


「――ッ!?」


 響里は反射的に口元を手で覆う。

 木の根元に、原型を留めない小動物の死骸があった。時間が経ち過ぎているせいだろう、腐敗が進んでいる。

 悪臭が指の隙間から容赦なく侵入し、思わず目を背ける。

 しかし、その先に点々と同様の死骸を発見する。


「まさか本当に……?」


 恐る恐る、まだ腐敗が少ない一匹に近寄ってみる。

 自然死ではあり得ない、刃物による刺し傷。周囲には極小サイズの丸いプラスチック製の玉がいくつも転がっている。BB弾だ。


「宮井……。お前の歪みはそこまで……」


 唇を噛み締め、響里は髪の毛を強く掴んだ。


 間違いない。

 情報は正しかったのだ。


 命を弄んだ証拠が、放置された状態でまざまざと残されている。自分より弱い生き物を殺して、ストレスを発散する――精神的な未熟というだけでは片付けられない、少年の常軌を逸した行動。


「もう手遅れだったんだな……」


 響里の胸に、強烈な嫌悪感と同時にやるせなさが込み上げてくる。

 直視も辛い光景にさすがに気分が悪くなってきた響里は、重い足取りで林を後にすることにした。





『――そう。なら、ほぼ確定ってことでよさそうね』

「……はい」


 林を出てすぐ、響里は有沢に連絡を取った。

 澄んだ雲一つない空に、視界を埋め尽くす一面の田んぼ。自然の雄大さを教えてくれる見事なセパレートが、響里の心を少し軽くしてくれる。


「宮井はここで紫堂に出会った。アイツのことです、きっと紫堂の口車に上手く乗せられたんでしょう。異界こそが自分の居場所だと信じて疑っていませんでしたから」

『救えないわね……。利用されるだけ利用された挙句、殺されちゃったんだから』


 忌々しそうに言葉を漏らす有沢。十代の少年の死に、教育者としての無念さが滲み出ている。


「同情はしません。だけど……」


 響里は目を伏せがちに、静かに肩を落とす。


「一歩間違えば、俺も宮井のように堕ちていたのかなって、たまに思うんですよ」

『義矩くん……』


 蘇るのは、あのときの記憶。紫堂の言葉だ。


 聖傑と天権。


 力を以て力を制す。誕生の仕方が違うだけで、行いは蹂躙に変わりはないのではないか――と。


「周囲とのズレ、そこからの孤独は想像以上に心を病む。自分が気付かないままにね」

『でも君は乗り越えたじゃない』

「いい人たちと出会えたからだよ。だから俺は救われた。でも逆に、宮井にはそんな人たちがいなかったんだ。アイツ自身が拒絶したのもあるけど」

『変われるかどうかは自分次第。君は君を諦めなかった――強いよ、義矩くんは』

「どうかな。俺は自分を弱いと思ってるけど」


 少しおどけた調子で肩をすくめる響里。やれやれといったような呆れた従姉の溜息が聞こえてくる。


『素直に弱音を吐いてくれるのは嬉しいけどね――でも』


 声音の変化。少し意地悪な笑みを浮かべる従姉の顔が目に浮かぶ。


『それって、義矩くんが変われた一番の要因が私ってことよね?』

「ま、そういうことにしておいて下さい」

『おしっ。嬉しいわ〜』


 響里は思わず苦笑してしまう。不思議なものだ。血縁関係だからか、彼女には自然に心情を吐露してしまう。


『ともかく、これではっきりしたわね。やっぱり異界への扉は、その人の想いが色濃く残る場所に生まれる。記憶に刻まれた……すなわち、存在証明の代替品ってところかしら』

「その力の源は天権候補の魂なんでしょうね」

『それもあるでしょうけど、古来から樹木っていうのは、大地からの恵みによって膨大な力が宿っているの。……“マナ”って聞いたことない?』

「なんとなく……」

『目には見えない自然の粒子と思ってくれればいいわ。その蓄積されたマナを紫堂は奪って、現世と異界への橋渡しにしたのかもね』

「はぁ……」


 響里は草むらにしゃがみ込んだ。

 龍源の穴蔵の使徒のように術式を操る現実離れした人間がいる。紫堂はそれと同類なのだろうか。


(ヤツの居場所を掴まないことには何ともだよな……。天権の野望を阻止すること自体、対処療法でしかないわけだし……)


 かといって、手がかりは異界しかない。紫堂は聖傑に興味を示していた。新たな異界に潜ることでしか、紫堂に繋がる道は無いのだが――。


『こちらの方も一応進展はあったわ。とある看護師さんが教えてくれたの。望月は外出許可さえ降りれば、よくあの病院裏の森に行ってたらしいのよ』

「本当ですか」


 新情報に響里が驚く。


『そもそも、入院中の彼はずっと様子が変だったらしいのよ。まだ若いし、怪我もあって塞ぎ込んでいたんだと看護師さんは思っていたんだけど……』

「実は違った」

『ええ。響里くんの話では、望月は黒い影につきまとわれていたって言ってたのよね?』

「はい」


 重々しく頷く響里。


「それから逃げるように森に入って、そうしたらいつの間にか異界に……って感じでしたけど。本人も当時の記憶は曖昧なようでしたし」

『誘われていたのかもね、徐々に徐々に。真綿で首を締めるが如く恐怖で追い詰め、森に誘う。森で影が消えれば、望月はそこがセーフゾーンだと思い込む。まんまと罠に嵌められたってところかしら』

「あの人も現実世界に絶望していた人間でしたからね。紫堂にとっては異界を繫栄させる養分になっていた」


 神妙な面持ちで響里は呟く。

 少しずつだが、ばらけていた欠片が繋がっていく。真相に迫るまでとはいかないまでも、扉との関連性を見出せたのは大きい成果だ。


「あとは……、やっぱり紫堂が何者なのかとその目的でしょうね」

『そうね。ったく……もし私が出会ったら、まず一発殴ってやる。それから口を割らせて、ボコボコのぐちゃぐちゃにしてやるわ』


 忌々しそうに唸る有沢に、響里の口元が引きつる。


「仮にも教師がその発言はまずいですよ」

『おおっと、失礼。二十代の貴重な時間を奪われた恨みが、つい』


 てへっと、わざとらしい反応をする有沢。響里はゆっくりと立ち上がり、尻に付いた土を払う。


「深雪さん、あとお願いできますか」

『ん?』

「宮井に殺された動物たち。あのままじゃ可哀そうなんで供養してあげてほしいんです」

『オッケー、任せといて。そういった処理も仕事の範疇でございますことよ』


 おふざけのように言う有沢も、すぐに優しい口調で響里を気遣う。


『響里くんも嫌なもの見て辛いでしょ。今日はこのまま帰って、ゆっくり休みなさい』

「……うん、そうする」


 スマホの通話終了ボタンを押し、響里は深く息をつく。

 有沢の言葉に従いたい気持ちは強いものの、素直に家に戻ったところで落ち着かないのは目に見えている。

 かといって、誰かと過ごす気分にもなれない。

 そよ風に当たりながら響里がしばらく考えていると、一台の黒塗りのセダンが彼の前を通り過ぎた。

 田舎町ではまず見かけない高級車に思わず目を奪われていると、少し先で停車。ハザードが点灯し、運転席から男性が降りてくる。

 背が高く、細身ながらも肩幅は広い。タイトめなスーツが良く似合っていた。


「よぉ、坊主。こんなところで何してるんだ」


 理知的な相貌。縁なし眼鏡に覆われた切れ長の瞳を細め、響里へ近寄ってくる。


「銀城さん……?」


 銀城会を代理で取り仕切る若頭にして、陽ノ下澪の兄――銀城蒼。

 思わぬ再会に、響里は目を丸くした。





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