第四十八話 涙を越えて
翌朝。
といっても、ようやく陽の光が見え始めた頃合いの御伽夢通り商店街。澄んだ風が、静けさに満ちた路地に流れ込む。
誰もがまだ布団の中で眠っている時間帯。普段であれば人影さえないのだが、商店街の入り口には二人の少年が呆けたように突っ立っていた。
響里と芝原である。
「眠ぃ……」
盛大に大欠伸をかまして、目元をこする芝原。響里も、商店街のアーチにもたれかかりながら舟を漕いでいた。
「おーい、響里ー。起きろ~」
「んん……」
身体を揺すられても、うたた寝状態から抜け出せない響里。基本的に朝が弱い体質なために、こうして外出するだけ奇跡に近い。
「ま、疲れてるのも当然だわな。あんだけの戦いの後だし……」
響里を気遣うように、独りごちる芝原。
前日は正に激動だった。
異界での戦闘。聖傑の力は、本人が思っている以上に心身の負担が大きい。疲労感は半端なく、響里は家に着くや否や布団に直行だった。
加えて、この早起き。
眠気に抗っているのか、頭がカクンカクンしている友人の姿に、芝原は力なく微笑む。
「もう少しでアイツが来るからな。頑張れ~」
「う~ん、大丈夫。起きてるから……」
目を瞑ったまま、寝言の如く呟く響里。ずるずると膝が落ちていき始め、芝原が「やば!」と、慌てて響里の腕を掴もうとした――そのときだった。
妙な音が、一般道の遥か彼方から聞こえてきた。錆びた金属が擦れるような耳障りな音だ。霧がかかっているためにはっきりとは見えないが、頼りないライトだけがこちらに向かってきているようだった。
「おーい!」
現れたのは、自転車に乗った陽ノ下澪だった。妙な音はペダルが軋む音だったらしい。寝ぼけている男子二人とは反対に、こちらは元気一杯の様子。ブレーキの甲高い音と共に、二人の前に停まった。
「ごめんごめん、お待たせ!」
ほのかに頬を上気させて、自転車を降りる陽ノ下。パーカーにショートパンツという薄手な恰好にも拘らず、汗をほんのりかいていた。
「予定だったらもう終わってるんだけどさ、近所のおばあちゃんに捕まっちゃって。話してたら、つい」
「新聞配達とはいえ、こんな朝からバイトなんてよーやるわ。俺は絶対ムリ。そこだけは素直に尊敬だわ」
「これしか学校から認められてないからね。ふふん、もっと褒めてくれても良くってよ?」
鼻をこすりながら、陽ノ下は大袈裟に胸を張ってみせた。彼女の声が目覚まし代わりとなったのか、響里がショボショボと瞳を開く。
「陽ノ下……さん?」
「おっ、響里くん、おっはろ~」
「はい、おはようございます……」
響里は大きく欠伸をして、身体を明一杯伸ばす。新鮮な空気は、完全にとはいかないが目を覚まさせるには十分な冷たさだ。
「改めて二人にはお礼を言おうと思ってね」
「なら別にこんな時間じゃなくてもよくね? 学校とかでもよ」
「他の人がいるとこじゃ恥ずかしいじゃんよ。デリカシーがないなぁ」
ならば、せめて登校の時間までずらしてくれないか……と響里は考えたが、彼女には別の理由があるらしい。
それにさ、と陽ノ下は朝焼けに照らされる商店街を見つめながら、
「アタシね、この時間が好きなんだよね。ほんと静かでさ、なんてゆーか……心がリセットする感じ?」
穏やかな風が吹く。陽ノ下は心地よさそうに浴びながら、軽く体操を始める。
「抱えてる悩みを整理して、一日をスタートするには絶好なんだよね」
「陽ノ下さん……」
「ま、その呪縛も解けそうな感じ? 長かったなぁ~」
鼻をすする音が、彼女の小さな背中越しに聞こえてきた。
陽ノ下が本来持つ明るさ。それも、今だけは誤魔化すための強がりに映る。
昨晩のこと。
異界から戻った三人は、すぐさま銀城栄介を病院に連れて行った。
現実世界と異界では時間の経過が異なる。恐らく悪魔襲来から一時間程度しか経っておらず、病院は搬送された銀城会の組員だらけで、ある種のパニックになっていた。
その上、今度は銀城会組長だ。医者も看護師も混乱していたが最善の治療を行ってくれた。組員はすぐに意識を取り戻したものの、やはり銀城栄介だけは昏睡状態だった。
天権の後遺症。
当然ながら検査しても異常は見当たらず、響里側も原因は異界にあると言うわけにもいかない。組長を慕う銀城会の組員は殺伐とするも、そこは銀城蒼によってどうにか収められた。
「……あの後はどうなったの……?」
意を決したように、響里が訊ねる。
その後のことは陽ノ下の家族に任せた。駆けつけた母の陽ノ下紗枝と、銀城蒼。入院が決まった銀城栄介の病室に三人を残し、響里と芝原は帰ることにした。
という経緯もあり、こうして朝早くに集まったのである。
「……うん。お母さんとはちゃんと話せたよ。これまでの誤解も解けたし、お互いに本心を洗いざらいぶちまけちゃった」
「け、喧嘩になったの?」
「う~ん、その真逆? ずっと溜めてた涙を、出血大サービスでご提供! みたいな」
妙な例えで笑い飛ばす陽ノ下。それでも、上擦った声は隠しきれない。
「アタシもお母さんもさ、良かれと思って起こした行動が結果、ズレて変に拗れちゃった部分があるんだよね。だからようやく素直になれて、ホッとしたというか」
「良かったな、そりゃ」
安堵したように、芝原が息を吐く。
「銀城会の方も、これからはしばらく蒼さんが代理で仕切るみたい。あの人なら任せても多分大丈夫じゃないかな」
「そっか……」
「アタシさ」
言葉を一旦切って、陽ノ下は商店街に一歩足を踏み入れる。
「ずっと暴走しちゃってたんだよね、きっと。生まれを憎んでさ、やり場のない怒りを抱えて」
溜息と共に吐き出されたのは、自嘲。
「お母さんを守りたいのは本心。でもそれと一緒に、なにもかも壊したかったんだ。そうすれば本当の意味で、ここの人たちに認めてもらえる――なんて、変な妄想を抱いてた」
「陽ノ下さん……」
「だから銀城会を敵視して、ヒーローを気取ってた。力もないくせにね。結果、全部空回りだったってオチなんだけどさ」
寂しそうに呟く陽ノ下。芝原は嘆息しながら、呆れたように呟く。
「なにもかも一人で背負い過ぎなんだよ、おめーは」
「それ、お母さんにも言われた。“私も現実と向き合うから、一緒に頑張るからって”怒られたよ」
昨晩のことを思い出したのか、陽ノ下は小さく笑う。温和な陽ノ下紗枝もきっと、娘のそういった心根の部分を理解しながら、これまで見て見ぬふりをしてきたのだろう。
「――と、いうわけで!」
ふわりと、陽ノ下の髪が揺れる。ようやく振り返った彼女は、勢いそのままに頭を下げた。
「二人とも、色々ありがとう! おかげで助かりました!」
深々とお礼をしたまましばらく動かない陽ノ下に、響里はむずがゆい感覚を覚えつつ照れ隠しに首筋を撫でる。
「気にしなくていいよ。正直、俺たちは何もしてないし」
「そんなことない。響里くんたちが、異界……だっけ。アソコに来てくれなかったらアタシ、絶対死んでた。怖かったんです!」
「それでも、最終的に銀城栄介と決着をつけたのは陽ノ下さんだよ」
「そーそー。俺たち、やられてばっかだったもんなぁ」
響里の隣で、芝原がうんうんと頷いている。
「陽ノ下さんの問題は、陽ノ下さん自身が片をつけた――それだけなんだよ。だからあまり気にしないで」
「ううん。もしあのままだったら、バカが一人突っ込んで返り討ちにされるだけだった。救ってくれたのは間違いなく二人がいてくれたからだよ――戦いにしても、家庭のことにしても」
と、陽ノ下はゆっくり顔を上げた。
「だから、お礼を受け取って。じゃないと、私の気が済まないから」
真剣な表情だった。響里はやがて諦めたように笑みをこぼす。
「分かったよ」
「うん、ありがとう。――あ、あれ?」
ほころんだ陽ノ下の頬から、一筋の雫が伝う。それをパーカーの袖で拭うも、目元からはどんどん涙が溢れ出す。
「え、え? おかしいな。嬉しいのにまた涙が止まんないや」
「お前ってよく泣くのな。印象、だいぶ変わったぜ」
目元をこすり続ける陽ノ下をからかうように、芝原が意地悪い笑みを作る。
「泣き虫なの知ってるの、綾音だけなんだぞ。恥ずかしいなぁ、もう」
堪えきれず、響里も笑ってしまった。
膨れっ面になりながら半眼で睨んでいた陽ノ下も、脱力したように笑みへと変わる。
そんな彼女の心を映し出したかのように、陽光がその輝きを強くしていく。
彼女にとっての新たな一日が、始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇
陽ノ下澪にも変化があったように、彼女を取り巻く人間たちにもいい兆しが出ていた。
あれから数時間後。響里と芝原は一緒に登校していた。
その途中のこと。
河川敷には、銀城会の組員が何やら作業をしていた。彼等がうろつくだけで一般人は警戒するものだが、その町民たちも交えて行っているのはゴミ拾いのようだった。
しかも、和気あいあいと。
まるで人間性そのものが変わったように、清々しい笑顔で清掃に勤しんでいる。年配の人も手助けしながら、転がっているゴミがあっという間に消えていく。
ふと響里たちの前方に、大きなリュックを背負った陽ノ下の姿を見つけた。
発見した組員の一人が、大きな声で「お嬢!」と叫ぶ。それから次々に挨拶され、陽ノ下は顔を引き攣らせながら、困ったように手を振る。いたたまれないのか、響里たちが声をかける前に陽ノ下は走り去ってしまった。
少しずつだが、陽ノ下も自分の立場と向き合っているようだ。
――と。
「よう、坊主ども」
背後からの声に振り返ると、そこにはサングラスをかけたスーツの男がいた。
陽ノ下の兄――銀城蒼である。傍らに誰も控えていないところから察するに、組員には内緒にしつつ、ちゃんと仕事をしているか様子をうかがっているようだった。
「どうだ、驚いたろ?」
「銀城さん。一体これは……どうしちゃったんですか?」
サングラスを外し、彼は河川敷の方に視線を落とす。憑き物が落ちたかのような、幼子を見る親のような穏やかさ。昨日とは違う雰囲気に、別人だと錯覚するくらいだ。
「地域貢献はガラじゃないってことか? ま、そもそものイメージが悪いからな、俺たち極道モンは」
「そんなことは……」
「いいって、事実だ」
安易な気休めは不要とばかりに、銀城蒼は手を振る。
「町を良くしたい、守りたいって想いは堅気も俺たちも同じなんだ。ただ、俺たちはやり方が乱暴なだけでな」
「それが……なぜ急に?」
「俺が親父の意志を継いだだけのことだ。そもそも親父も物騒なのは好きじゃない。特に最近は組を畳もうかって考えてたぐらいだしな」
「知ってたんですか」
「俺だけな。親父がああなってアイツ等も最初は殺気だってたが、俺が親父の本心を打ち明けた」
それだけで納得するのだろうか。そんな疑問が頭をもたげたが、見透かしたように銀城蒼が言葉を続ける。
「元々ウチの組員は素直なんだ。行き場がないところを親父が拾った。だからこそ親父に恩義がある。身を引く決意と、本当の想いを知って心変わりした――そんな感じだよ」
「そんな単純な……」
「バカだからな」
呆気に取られる響里に、銀城蒼は豪快に笑う。
「まあ、見ていてくれ。これが一過性のものか、それとも永遠か。もしダメなら、お前たちが罰してくれりゃあいい」
「んな無茶ブリ、やめて下さいッス……」
芝原がげんなりと肩を落とす。極道を裁くなど、さすがに御免である。
「ところで銀城栄介さんなんですけど……」
「分かってる」
声音を硬くする響里に、銀城蒼も真剣な顔で頷く。
「お前たちは何かワケを知ってるんだろ? それは妹も同じ……違うか?」
「はい。あの人に危険が及ばないよう、見張っていてほしいんです」
「ああ、任せろ。力になれなくて逆にスマンな」
怜悧さを持ち合わせている彼には、裏でよからぬ陰謀が働いているのを察知しているのだろう。しかし、それは自分の手の届かない超常現象だと理解もしている。
聖傑の戦いは、一般人には到達できない領域。
だからこそ、父を助けた少年たちに託すのだ。無条件に。
「いえ……頼みます。俺たちも必ず犯人を見つけ出しますから」
「分かった。……それとな」
おもむろに二人の背後に回った銀城蒼。もたれかかるように、肩を組んだ。
「澪のこと、くれぐれもよろしくな。俺はあまり傍にいてやれないから」
「分かりました」
「ただし」
ささやくには、あまりに低い声。そして、脅しをかます。
「……節度は守れよ?」
首を絞めんばかりに、とてつもない力が加わる。
手を出したら承知しねぇ――と、言外にとてつもない圧をかます銀城蒼。
元々その気があったのか、シスコンっぷりを発揮する彼に、首を縦に振るしかない二人であった。




