第三話 ミーアレント
朝食を済ませ、野営地を出発すること約半日。響里たちはミーアレント城へ到着した。
活気づいた小さな城下町を抜け、跳ね橋の前で思わず響里は立ち止まった。響里にとって、映像でしか観たことのない西洋の城は圧巻の一言。海沿いにあってか、流れる河川に囲まれた城塞。白を基調としているようだが、苔が生した城壁には歴史を感じる。
「すご……」
「さ、行きましょう」
あんぐりと口を開ける響里を、クスクス笑いながら咲夜は促した。
城門を挟むようにして衛兵が立っていたが、咲夜は軽く挨拶しながら颯爽と通り抜ける。ミーアレントにとって咲夜はよほど信頼されているらしい。証拠に、明らかに不審者である響里も彼女の連れだということであっさり通された。
ちなみに、ジェームズたちはここで一旦別れ、宿舎のほうに向かっていった。
「あの……、いいんですか? 俺なんかがこんなところに入って……」
「構いませんよ。私がいれば大概のことは融通が利きますので。それに、私の恩人である義矩さんを王様に紹介したいですしね」
知り合ってまだ一晩という間柄だが、咲夜という女性は清楚な見た目に反して中々豪胆である。有無を言わせない押しの強さでグイグイと他者を引っ張っていくが、不思議と嫌な感じはしなかった。
等間隔に設置された松明が灯る廊下を歩いていると、壁一面に並べられた剣や鎖鎌、盾なんかが目に付く。全身甲冑の兵士がこれまた置物のように微動だにせず道を開けて立っているのだが、兜から覗く視線は確実に響里へと注がれていた。
そんな警備体制万全の中を進み、王広間に辿り着く響里と咲夜。
石造りの空間はひんやりとしており、あちこちにある燭台の燃える音だけが静謐の中で響いていた。赤いカーペットに沿ってまっすぐ行くと、玉座がある。そこに座るのは勿論この国の王。豊かな髭を蓄え、年老いながらも力強い瞳を持った白髪の男だ。
宝石が埋め込まれたサークレットを指で撫でながら、隣に立つローブを着た男と何やら会話をしているようだった。
「陛下、ただいま戻りました」
「……ん? お、おお! 咲夜! 無事であったか!!」
咲夜が恭しく頭を下げる。ミーアレント王は彼女を視界に入れるなり、ぱっと顔を輝かせて立ち上がる。
「嬉しいぞ、またそなたの美しい顔をこうして見られるのは!」
「お褒め頂けるのは嬉しいのですけれど大げさですよ、陛下。今回はいつもと比べて軽い任務ではありませんか。ご心配なさらずとも結構ですのに」
「だって、そなたにもしものことがあれば儂は! 儂はもう生きてゆけん! そなただけが儂の生きる望みなのじゃ!」
「王よ。王妃様がご不在なのをいいことに口説くのはおやめください」
「えー、いいじゃんか。大臣のケチー」
「王妃様が戻られました際にはご報告してもよろしいので?」
「う……。ここはひとつ内密にお願いします……」
興奮気味のミーアレント王を諌めるように隣の老人が咳払いを一つ。威厳たっぷりな相貌からは想像できないような軽い調子に、響里は面食らってしまう。
「此度はご苦労であった。やはりお主に任せて正解であったな、咲夜」
王は肩を落としながら玉座に座ると、すっかりしょぼくれた彼に代わって、隣の大臣が呆れながら咲夜に言った。
「ありがとうございます、シグムンド様。国境付近に陣を張っていたマゼライト軍は一掃いたしました。一ヵ月前の侵攻時より人員は増やしていたようでしたが、兵力自体は取るに足りません。……まだ戦力を温存しているのでしょうか?」
「かもしれん。向こうの兵力は我が軍の二倍。そうやってじわじわと攻めて、我が軍が疲弊するのを待っているのであろうな」
「持久戦ではこちらに分はありません。物資の拠点もマゼライト軍に制圧されつつあります。そろそろこちらから討ってでるのも必要かと」
咲夜が硬い口調で進言する。
話を聞く限り、このミーアレントはかなり劣勢のようだ。
兵力差を覆すのはそう容易ではない。このままジリ貧ならば、敵の虚を衝こうと咲夜は言うのだが、それによってもっと大きな犠牲が出るのは必至だ。
彼女も多くの命が失われているのを直に見ている。本心では分かっているのだ。仲間が危険に及ぶのも辛いが、これ以上関係のない人たちを死なせるわけにもいかないのだ。城下町にもたくさんの人が住んでいるのだから。
「……それはお主が先頭に立つ、ということか」
ミーアレント王が声に悲嘆を滲ませる。
「陛下がお申し付けくださるならば」
「そなたの神にも匹敵する力は、何よりの頼りだ。あてにはしたい。……じゃが、いくら一騎当千のお主であろうとも一国を潰すのは……」
「慎重になるのは分かります。ですが、もうあまり時間は……」
「単純な戦争ならば儂も心配はせんよ。なぁ、女神よ」
「この状況でからかうのはおやめください、陛下」
軽口も弱々しい王に、苦笑しながら咲夜は肩をすくめた。
「そなたも知っておろう。あそこにはアレがおるのを」
「……最近、加わったとかいう宮廷魔術師ですか」
ミーアレント王は重々しく頷く。
「この大陸にはそもそも魔術などという力はあまり発展しておらん。故に魔術師自体、数が少ない。役に立つといっても、精々が薬の調合や錬金にひと手間加えるようなもの。戦力として加えるのは以ての外じゃ。じゃが、そのマゼライトに突如として現れた魔術師は計り知れない力を用いて一気に宮廷魔術師としての地位を確立した」
「出自などは一切不明。だが、その人物が軍に加わったことで侵攻が一気に加速したのです」
そうシグムンドが、寂しくなった頭髪を撫でながら付け加えた。
「その件に関してもう一つご報告が」
「なんじゃ? まさかそいつに出くわしたのか」
玉座から王が前のめりになる。咲夜は軽く首を横に振った。
「ですが、昨夜の戦闘……。恐らくはその人物が関わっているであろう事実を目の当たりにしたのです」
「……それは?」
「倒したと思った兵が急に蘇ったのです。誓って言いますが、確実に息の根を止めました。間違いありません。ですが、生き返ったのです」
「それはまことか?」
「はい。表現が正しいのか分かりませんが、死霊としてです。あれは私が元いた世界にいた妖怪という類の悪鬼とはまた別物。生物ではない、何かです」
「なんと……」
ミーアレント王とシグムンドが揃って絶句する。
「今思い出してもおぞましい……。昨晩は一体だけでしたが、あのような邪悪な気をまとった霊が、もしも沢山襲い掛かってきたらと思うと……。周辺の国が次々と落とされているのも頷けます」
響里も愕然として声が出なかった。
あの光景を間近で見てなければ自分も信じてはいない。命を失い動かなくなった人間。まるでそれが起動の合図かのように、魂だけが形となって現れた。安らかに眠れず、死してなお無理やり現世に繋ぎ留められた怨念。響里も、咲夜を助けようという想いよりも恐怖が勝っていたら正しくその怨念に呑み込まれていたに違いない。
ただ、それよりももっと恐ろしいのは。
それを人為的に起こしている者がいるのだ。倫理観も道徳心も欠如していなければ、そんな所業できはしない。あんな死霊よりも、そちらの方が化物じみてならない。
「ところで……さきほどから気になっておったのだが、咲夜よ。その少年は誰だ?」
咲夜の背後を覗き見るように、ミーアレント王が首を傾げた。
「あ、そうでした。ご紹介が遅れて申し訳ありません。実のところその死霊は、私が退治したのではありません」
「ほう、まさかその者が?」
「はい。私がやられそうになったところを助けていただきました。響里義矩さんです」
突然自分に注目が浴び、身体を硬直させる響里。王は玉座から立ち上がり響里の傍に寄った。そして響里の手をぎゅっと強く握りしめた。
「そうか、そうか。響里とやら、我が国の女神を助けてくれたこと恩に着るぞ!」
「いやいやいや、そんな滅相もない!!」
おちゃらけた部分があるとはいえ、さすがは一国の王。老いているとはいえ、鎧の下の胸板は厚く、腕の筋肉は響里よりも一回り太い。相当に鍛え抜かれている。何よりも、その瞳は優しい光を帯びているが、その奥にはこちらの心をどこまでも見透かされているような、そんな鋭さがあった。
「……ん? そなたの髪と目……。もしや咲夜と同じ……」
「――はい。義矩さんも私と同じ異界からの転移者なのです」
咲夜が嬉しそうににっこりと微笑む。
「ほほう。それはまた……」
シグムンドも、興味深そうに唸る。
「彼がいなければ、私はこうしてまた陛下の御前には立てなかったでしょう。私でさえ為す術がなかった死霊を一刀両断したのです」
「なんと! お主にはそのような力があるのか!」
「いえ、そういうわけじゃなくて、なんというか偶然といいますか……」
しどろもどろになる響里をまじまじと見つめるミーアレント王。
あまりに強すぎて痛みすら感じる響里の手は、びっしょりと汗をかいていた。
「む? どうしたのじゃ?」
「俺は咲夜さんのように剣術なんか使えないし、どこにでもいる一般人みたいなもんなんです。ただあのときは必死で……。自分でもなんであんな力が使えたのか良く分からないんです」
「……そうなのか……?」
正直な告白をしてがっかりされるかと思ったが、王は不思議そうに首を捻るばかりだった。王が咲夜に視線を向けるも、彼女はかぶりを振った。
「義矩さんの言葉に嘘偽りはありません。武芸に関しては素人、それは普段の所作で見抜けます。ですが、あの晩間違いなく光をもって魔を討ち払った」
「では何故……」
「異界からの転移。そこで何かしらの力を得た……ということですかな?」
シグムンドの推測に、響里は視線を自分の手のひらに落とす。
溢れる魔力だとか、覚醒した能力だとか、そういう分かりやすいものがあればいいのだが、残念ながら何一つ感じられない。所詮、そういうのはフィクションの世界だけらしい。
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。私には後付けとしての特別な力は、何も与えられてませんから」
少しだけ残念そうに、咲夜は言葉を漏らす。純粋な剣術だけしかない彼女には、響里が示した力はよほど衝撃的だったのだろう。
だからこそ咲夜は、響里に興味を抱いているのだろう。
「ならば……じゃ」
豊かな顎髭を撫でながら、ミーアレント王は重々しく唸った。
「その死霊術師に対抗できるのは、響里……といったか。そなただけということになるのか」
「そういうことです。義矩さんの力は必ずやこの国を救う希望となりましょう。そう、私以上に」
確信めいた笑みを浮かべ、咲夜は力強く言った。
「……へ?」
目を輝かせる異界の住人たちと咲夜とは反対に、当の響里は間の抜けた声を出した。
「おお! でかしたぞ咲夜!!」
「陛下! この戦、敗戦濃厚だった我々に逆転の兆しが見え始めましたな!」
いい年をした中年が顔を見合わせ、ガッツポーズを決めている。はしゃぐ二人を前に、響里はオロオロと戸惑う。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「義矩さん」
ぞくっとするほど、優しい吐息を混ぜながら咲夜が囁く。
自分の両手で響里の手をそっと包み込む。そして、潤みを帯びた瞳を響里に向けた。
「私たちと共に戦ってくれませんか? 貴方が必要なんです」
ごくり、と響里は生唾を呑み込む。
頭の中がぐちゃぐちゃに掻きまわされる。
どうする? どう答えればいい?
重要な決断を、今ここで決めなければいけないのか。
何もかもが急展開過ぎるじゃないか。
どこまで沈黙していたのだろうか。現実の時間は、そこまで経っていない。だが、響里には永遠とも思える長い思考の渦。
ミーアレント王とシグムンドも、期待に満ちた視線を響里に送りながら、答えを待っている。
そして、咲夜も。
やがて。
震える唇をゆっくりと開いて、響里は喉から声を絞り出した。
「――ごめんなさい」