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聖傑  作者: 如月誠
第三章 母の愛編
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第四十六話 相まみえる


 夜空が、剥がれていく。


 完成されたジグソーパズルをひっくり返したように、輝く星々を切り取った欠片が零れ落ちる。残されるのは下地……ではなく、モザイクの幾何学模様。ノイズ交じりの気味が悪い空間に変化する。


 異界の崩壊。


 響里は、そんな空を複雑な表情で見つめていた。

 滅びを迎える。その瞬間を、この異界に住む人々はどう感じるのだろうか。ここからでは聞こえないが、都市部ではきっと阿鼻叫喚の真っ最中なのだろう。心を宿した創作物である人形は、混乱のままその終わりを受け入れられず、消えていくことになる。


 地響きが始まった。

 いよいよもって時間が無くなってきたらしい。


「うわわわわ。なになに、どうなっちゃったの!?」


 元の姿に戻った銀城栄介を肩に担ぎながら、陽ノ下は動揺する。

 鬼の心をも砕く強烈な一撃によって、銀城栄介の野望は潰えた。異界としてもその役割を失くした。年相応の痩せ衰えた身体は、力なく娘に預けられていた。


「大丈夫。この世界が終わるだけだから」

「私たち、帰れるの?」

「そのはずだよ」


 経験上、異物である響里たちは自然と現世に戻れるはずだ。確信はないが、このまま閉じ込められることはない。

 それを確認するように、響里は意識も虚ろな銀城栄介に問う。


「ですよね? 銀城さん」

「ぬ……ぅ……」


 微かな呻き。そして、咳を交えながら弱々しく笑みを浮かべた。


「くははは……。見事にやられたわ」


 満足げに、銀城栄介は言った。


「じゃが、悪くない。これほど気持ち良く叩きのめされたのは久しぶりじゃ」


 清々しい顔で、銀城栄介は娘を見た。ばつが悪そうに目を逸らす陽ノ下。


「あなたに訊きたいことがあります」


 単刀直入に、響里は切り出した。完全な敗北を認めた今なら、銀城栄介も正直に答えてくれるだろうと見越して。


「分かっておる。アヤツのこと、じゃろう?」


 重々しく、響里は頷いた。

 銀城栄介がこの世界の構築にどれだけ時間をかけたかは知らない。だが、一度壊れ始めれば、跡形もなく消えるのは一瞬。

 勝利の余韻に浸っている暇はない。現世に戻ってからゆっくり話を訊くということすらできない。力を失った天権を待つ、()()もあるのだから。


「教えて下さい。提供者のことを」

「…………」


 銀城栄介の表情に影が差す。時間が惜しいばかりに、少し苛立ち気味に響里が詰め寄る。


「黙らないでください。庇っているんですか、それとも口止めされているとか――」


 そうではない、と銀城栄介はかぶりを振る。


「儂も深くは知らん。大した情報も持っとらんのだ」

「……じゃあ、そもそも面識があったわけではない?」

「ああ。シノギの関係で多方面と契りを交わしているが、そもそも銀城会は御伽町をテリトリーとしている。ある程度町の人間の顔は覚えていると思ったが、初めて会った顔だ」

「じゃあ……提供者はこの町の人間ではない、と?」

「どうかの。だが、印象は極めて異質。胡散臭いを通り越して不気味な男じゃった」


 再び銀城栄介が黙る。長年、裏の世界を支配してきた男の顔が曇る。提供者の異常性に臆しているような。

 響里は生唾を呑む。


「儂に取り入ろうとする連中は多い。だが、どいつも脆弱な者ばかり。その点、アヤツは分からん。まるで深淵そのものが化けて出ているようじゃった」

「では、どうやって知り合ったんですか」

「そこじゃ。少し前、儂の屋敷に突然現れたのだ。音もまるでなく、気がついたら儂の部屋で相対しておった」

「屋敷って、あんなヤクザばっかりの――」


 言いかけて、慌てて口を噤む芝原。だが失言を意に介さず、

 銀城英介は硬い声で言う。


「いや、構わん。むしろ、言う通りじゃ。普通、部外者がああも平然と敷地内に足を踏み入れることは敵わん。気味の悪さは最初から感じていた」


 要するに、暴力団のアジトに無断で侵入したということ。常人の神経ではまずありえない、自殺行為に等しい愚行だ。

 ならば、だ。どうやって組員の厳重な警備をかいくぐり、天権の対象である銀城栄介に近付いたのだろうか。


「信じられんのも無理はない。儂とて、今思い出してもゾッとするからの。だが、事実じゃ」

「それで提供者は何と言ってきたんですか」

「“貴方は今の自分に満足していますか?”とな。そんなことをいきなりぬかしおった。挨拶もなく、名刺を出すわけでもなく、だ。どこぞの新興宗教の勧誘だと思って、斬り伏せてやろうかと刀を取ったわ」


 苦々しく口元を歪める銀城栄介。

 対応としては乱暴だが、不躾に言われては警戒も当然か。


「じゃあ、そのときは追い返したんですか。協力もせずに」

「――いや」


 銀城栄介は、深々と息を吐いて間を置く。痛みを鎮め、記憶を探るように。


「その後も訳の分からんことばかり並べ連ねておったが、儂は相手にせんかった。しかし、あまりにしつこくてな。我慢の限界に達した、そのときだった。アヤツは言った“このまま組を畳むのも悪くないですが、貴方自身燻っておられるのでしょう? 過去に置いてきた夢がいつまでも滞留している。天下統一という夢が”と」


 え、っと真っ先に反応したのは陽ノ下だった。


「組を畳むって、本気だったんだ……」


 驚きに目を丸くする陽ノ下に、視線を合わせる銀城栄介。娘の顔を間近に拝む機会などこれまでなかったためか、じっくりと見つめながら項垂れるように頷く。


「口先だけの謝罪ではない。本当に、このまま儂の代で終わらせるつもりだった。だが、組員のこともある。残された者たちのことを考えれば、中々踏ん切りがつかなかったのじゃが」

「やはりあれは本心だったんですね」


 響里も気の抜けたように笑みを浮かべる。


「それを誰かに打ち明けたことは?」

「小僧、鋭いな。誰にも言うとらん。息子にもな。天下統一の夢も然り、だからこそ油断が出来たのだろうな」


 響里は腕を組み、そっと指先で唇をなぞった。

 銀城栄介が奥底に隠していた願い。それを提供者はどうやって知ったのか。日頃から動向を観察していたのだろうか。ならば、天権の候補者絞りというのはかなり前から行われていた……、ということになるが。


「そこからの記憶があまりない。気が付いたらこの異界の主になっておった」

「記憶が? 何も覚えていないんですか」

「うっすらと何かあったような気がするんじゃが、思い出せん」

「そこで誘拐されたのかもしれませんね……。どうやってかは分かりませんが」


 銀城栄介は数日前から行方不明になっていた。

 その短い時間で提供者は銀城栄介を攫い、異界の準備を進めていたということになる。事前に集めていたであろう、人々の魂を使って。

 と、黙って会話を聞いていた芝原も疑問をぶつける。


「だけどよ、扉は屋敷の中にあったんだぜ? それも意味分っかんなくね?」

「うん。まあ、もちろんそれもあるんだけど。扉の出現場所と、その理由……」


 ブツブツと呟きながら、響里が乱暴に頭を掻く。

 情報が少なすぎる。響里としては肝心な部分が靄に隠れてしまっていて、どうにもどかしい。

 提供者はどうやって天権の候補者を誘拐したのか。そして、異界創造の具体的な方法。

 そして、そもそもの狙い。人々の魂を吸い上げて異界を運営する――そのサイクルの先に一体何があるのか。すなわち、提供者にとっての利益。


 考えている間に、時間も差し迫ってきた。


 周辺の景色が消え、残されたのはこの社のみとなった。

 光の粒子が、地上から立ち昇る。そろそろ限界か。やがて光は四人のいるところまで達して、綺麗さっぱりに消滅するだろう。


「ね、ねぇ、でもさ。その犯人の顔は分かってるんでしょ? だったら向こうに帰ってからでもよくない?」


 狼狽える陽ノ下に、芝原は困ったように言った。


「厄介なことに、そうはいかねぇんだよ」

「なんでさ?」


 途端に口ごもる芝原。現世に帰った後の後遺症を伝えるべきか迷っているのだろう。親友の伺うような視線を感じながら、響里は銀城栄介に向き直る。


「銀城さん。最後にどうしても訊きたいことがあります」

「なんだ?」

「その男の名前は? 名は明かしてくれなかったのですか?」


 ああ、それは――と、銀城英介の口が動く。

 重要な情報が手に入る。聞き逃すまいと、響里は前のめりになる。


 ――しかし。


「夢破れ、願い霧散して何者にもなれなかった者に語る資格などない。そうではないかね? 銀城栄介よ」


 あまりにも、冷然とした声。

 その直後だった。響里の背後から音もなく、鋭い風のようなものが通り抜けた。


「がは……!」


 銀城栄介の胸から赤黒い液体が勢いよく噴き出した。くぐもった声を上げて倒れ込む。連鎖的に、陽ノ下もバランスを崩してしまう。


「な――!?」


 うずくまる銀城栄介を見て、呆然と喘ぐ響里。その液体が何なのか、理解するまでもない。大量の血液だ。滝のように流れ、最早消えかかっている土の地面に、みるみる広がっていく。


「お、おい!」

「父さん!」


 駆け寄る芝原。陽ノ下は必至に銀城栄介の胸を押さえて出血を止めようとしているが、指の隙間からどんどん溢れてしまう。


(何が……!?)


 駆け巡る思考。導かれる明白な答え。攻撃だ。狙撃のようなものを受けたのだ。不可解なのは、それが何なのか視認できなかったこと。銃声もなかった。あったのは、直前に耳に届いたあの声だけ。

 素早く振り返る響里。

 距離にして数メートル先。社の階段の上で、艶やかな黒髪をオールバックにした男がこちらを見下ろしている。

 三十代ぐらいだろうか。紺色のスーツに黒いシャツ。全身、影を思わせる出で立ち。悠然と佇むその姿には、迂闊には近寄れない不穏ささえ纏っているようだった。


「とはいえ、こちらに協力してくれたこと感謝している。これはプレゼントと思ってくれたまえ」


 黒いスーツの男は、こちらを指さすように上げた腕をゆっくりと下ろした。気だるげとも言えない、斜に構えた男。シニカルな笑みはそのままに、空虚のような瞳を響里に向けた。


「よもや二度も邪魔されようとはな。特異点である“聖傑”……実に面白い存在だな」

「まさか……」


 喉に張り付いたように上手く言葉が出ない。喘ぐように、そして、脱力した身体をどうにか奮い立たせ、響里は彼の正体を絞り出す。


「提供者……!」


 控えめな笑みが、より濃く、より深く。提供者と呼ばれた男は静かに目を細める。



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