第四十五話 烈火に拳を乗せて
炎が立ち昇る。
揺らめくオーラ。陽ノ下に内包された力が留まり切れず、外部に溢れだしていた。
元々赤みがかった髪もより鮮明に。紅蓮の輝きに美しく染まっている。湧き上がる熱風がセーラー服を焦がすことなく、ゆらゆらとたなびかせる。
聖傑の充足感。
心地よさに浸る陽ノ下は、眠りから覚めるように瞳を開けた。
「すごい……」
虚ろな呟き。次第に意識がはっきりしてきたのか、感覚を確かめるように指先を動かす。
「なんだろう……。めちゃくちゃ力がみなぎってくる……」
『ハハッ。どうだい? 極上の気分だろ?』
陽ノ下の背中から幻影が現れる。魂だけの存在となったダリアだ。
「ダリア……さん」
半透明になった彼女を目にとめた陽ノ下は、気まずそうに目をそらした。
「……ごめん」
自分のため犠牲となったダリア。謝罪を口にする陽ノ下を、ダリアは笑い飛ばした。
『なーにへこんでるんだい! アタシは望んでこの姿になったんだ。澪、アタシはあんたを認めた。澪も自分で決めた運命を受け入れな』
「……だよね。ありがとう」
小さく頷く、陽ノ下――その直後。
我を失った銀鬼が体勢低く屈む。これまでになく、静かな予備動作。だからこそ、陽ノ下はそのことに気付かない。
「――危ない!」
響里が叫ぶ。しかし、遅い。
床を踏みつぶし、銀鬼が突進する。瞬時に陽ノ下の懐まで接近した銀鬼が、拳を大きく振りかぶった。
それでも、まるで察知能力を失ったかのように、陽ノ下は銀鬼の方を見向きもしない。
巨大な衝撃が辺りを揺るがした。乾いた音が波紋のように風を呼び起こす。
「――!?」
顔を歪めたのは、銀鬼だった。
陽ノ下は微動だにしていない。それどころか、銀鬼の拳を片手で易々と受け止めていた。ゆっくりと、銀鬼の方へ向き直った陽ノ下。ごく自然に。悠然と一つ深呼吸しながら、彼女はもう片方の腕を小さく引いた。
「……ふん!」
気合一発。銀鬼より何倍も小さな陽ノ下の拳が、真っ赤に燃える。無駄なく腰を回し、炎の拳を振りぬく。
極めて速いわけではない。
だが、まるで決定事項のように、銀鬼のがら空きの腹部に直撃。爆発を起こし、銀鬼の巨体が紙切れのように数メートル吹っ飛んだ。
「うお、すっげ! さっすが陽ノ下……」
感嘆する芝原に、響里も思わず頷いた。
ダリアはそもそも格闘術に長けていたし、陽ノ下自身も格闘技を習っていた。相乗効果とでも言うべきだろうか。聖傑になったことで驚異的な破壊力を得たのだろう。
(純粋な腕力は、俺や芝原くんよりも上かも……)
なんて失礼なことを響里が考えていると、陽ノ下が振り返って微笑む。
「ここからはアタシ一人にやらせて」
「なにぃ!? そりゃいくらなんでも――」
「大丈夫。調子に乗ってるわけじゃないよ」
芝原が抱く懸念をすぐさま察知したのか、静かに首を振る陽ノ下。
いくら聖傑でパワーアップしたとはいえ、相手は天権。力に酔う万能感からの過信とも思えたが、陽ノ下は冷静だった。
「この戦いは、アタシがケリをつけないと意味がないってこと。タイマンで勝つことこそ価値がある――違う? 響里くん」
勝ち気に陽ノ下は笑う。
「危なくなったら手を貸すから」
響里の言葉により笑みを深くした陽ノ下は、雑に手をひらつかせながら銀城英介に向き直る。
そして。
「そんな気、さらさら無いくせに!」
地を蹴った。炎を原動力に、高速で駆ける。立ち上がろうとする銀城英介に肉薄したのは一瞬だった。
「こんのぉ……、バカ親父ぃぃいいいいいいいいいい!」
拳が炸裂する。
目を覚まさせるかのように、何度も殴りつける。その度に火花が散った。さらに蹴りを叩き込むと、苦悶に歪んだ鬼の頭部を鷲掴みにした。
「いい年こいてバカな夢見てんじゃないっての! 目覚ませ、コノォ!」
上半身をこれまでかとのけぞらせた陽ノ下が、思い切り頭をぶつけた。
全力の頭突き。
大砲でもぶっ放した豪快な音と共に、銀城英介もたたらを踏んだ。
「どうだ、痛いでしょうが!」
自分の額もさすりながら叫ぶ陽ノ下。目眩までするのか、彼女までふらついている。
「こちとらアンタにいつか一発かまそうと鍛えてきたんだ! ヘッドバットまでは教わってないけどね!」
『ハハハ! いいね、最高の喧嘩だ!』
想いの丈をぶつける陽ノ下から、ダリアの愉快な声が響く。これも相性の良さだろうか、陽ノ下から揺らめくオーラも、鮮やかな輝きに満ちている。
『後腐れないよう、徹底的にやんな!』
「当然! むしろ、これで終わられちゃこっちが困んよ! 溜まりに溜まった鬱憤、これでもかと晴らさせてもらうんだから!」
パァンと拳を打ち鳴らして挑発をかます。
完全にハイな状態というやつだ。
怒りと興奮。蓄積された恨み辛み。父の真実や誤解があったとしても、陽ノ下が経験してきた不遇が帳消しになるわけではない。
だからこその、全てを清算する絶好の機会。脳内に出るアドレナリンを抑えきれるわけもない。
「陽ノ下さん、油断しないで!」
やや離れた位置から戦況を見つめる響里が忠告するも、彼女の耳には届いていないのか、さらに追撃の拳を叩き込もうとする。が、冷静な判断が出来ていない陽ノ下に、銀鬼が放つ一瞬の殺意に気付けなかった。
「ガアアアアアアアアア!」
「!?」
振り上げた拳が陽ノ下の顎を見事に捉えた。耳障りな乾いた音と共に、陽ノ下が宙を舞う。
「陽ノ下さん!」
銀鬼が跳躍。地面に落ちて動かない陽ノ下に、自らの体重を乗せた強烈な一撃を見舞おうとする。喰らえば地中奥深くまで刺さりそうなほどの勢いで、落下を加速させる。
「な……、めんなぁぁぁああああああああ!」
陽ノ下が咆哮を上げた。跳ねるように飛び起きた彼女は、まるで隕石のように落ちてくる銀鬼を待ち構える。
攻撃を紙一重で躱す。その反射神経にも驚きだが、さらに陽ノ下は思わぬ反撃に出た。
銀鬼の腕部をからめとったのだ。大木に抱き着くように。それから一歩強く踏み出す。そして――。
「ぬぅぅぅ……おりゃぁぁぁあああああああああああああ!」
勢いよく自分の身体ごと回って、銀鬼の巨体をぶん投げたのである。
まるで柔道の一本背負いのように。ただその違いは床に叩きつけるのではなく、放り投げるという点。それも、とてつもない速度を伴い、本殿の入り口まで吹っ飛んでいく。
風が重く唸る。身動きも取れない響里たちの間を通り抜けていった鬼が、大しめ縄を粉砕して庭に粉塵を巻き起こした。
「……ウソ……」
「……野蛮ッスよ、陽ノ下……」
可憐な見た目の女子高生の突き抜けた豪快さに、顔が引きつる響里と芝原。鼻息の荒い陽ノ下は、強張る二人の男子を置いては本殿の外に向かう。
唖然としていた響里たちも我を取り戻し、急いで後を追った。
そもそもシルバー地区は、このミッシリオでも特異な場所。沿岸部というのもあり、小さな区画はまるで離れ小島。通常なら潮風の香りが包む穏やかさがあるのだろうが、纏う空気はかなり淀んでいる。
それも天権の住まう地、であるからこそ。
そして、再び外に出て分かったのは、その瘴気がより濃さを増していることだった。重く湿り気を帯びた霧が、周囲の光景をも奪っている。
やおら立ち上がった銀城栄介。否、巨大な鬼がこれまでになく静かにたたずんでいる。
不気味さえ感じるほどに。
何か仕掛ける――その前兆。ともすれば……と、銀鬼と対峙する陽ノ下に、響里が叫ぶ。
「不味い――! あれが、来る!」
ゆらりと小さく揺れた銀鬼が大地に両手をついた。低く、重く、唸るように唱える。
「獄炎・百鬼蛮行」
鬼の周囲に現れた無数の小さな炎。人魂のように揺らめくその炎は、鬼の手へとその形を変えた。闇に浮かぶ歪な手の軍勢は、たった一人の少女に照準を絞る。
「避けて、陽ノ下さん!」
鬼の手が、一斉射撃のように放たれる。
その威力の恐ろしさを、痛感しないまでも戦闘を見ていた陽ノ下も分かっている。
だが、彼女は動かなかった。身構えもしない。回避を諦めたかのような、棒立ち。優位から一転しての反撃に臆したのか。
まるで自殺行為な彼女に、響里が太刀を構えて駆け出そうとした。
しかし。
「やめて!」
振り向きもせず、陽ノ下が叫ぶ。
「なっ!?」
「来ないで!」
その拒絶に、響里の脚が反射的に止まる。
もう間に合わなかった。
無数の鬼の手が、陽ノ下の華奢な身体に喰らいつく。爪による斬撃、食い込み、刺突――。容赦なく、陽ノ下は餌食となる。
「あ、あぁぁぁあああああああああああ!」
大量の鮮血が、飛沫となって舞う。
つんざく悲鳴。群がる鬼の手が陽ノ下を無残に斬り刻んでいく。セーラー服も破れ、露出した白い肌も赤く染まる。
厄介なのは鬼の手が彼女の手足を掴んで離さないこと。身動き一つ出来ない状態を作り、一方的に弄ぶためだ。
ただ、陽ノ下はそれでも身じろぎしなかった。ひたすら耐えるかのように攻撃を受け続けていた。
「こんな痛み……」
その意図。敢えて身を差し出す、その理由。
「こんな痛みが……なんだってんだぁぁぁああああああああああ!」
爆発的な炎が陽ノ下から放出された。
太陽の如き熱量が衝撃波となって、鬼の手を弾き返す。穢れを討ち払うかのように粉々の粒子となって吹き飛んだ鬼の手は、一瞬にして消滅した。
「アタシは……、アタシは……!」
見るに堪えないその姿で、それでも彼女の瞳は強い輝きを放つ。
屈服しない。鬼の手は過去の痛みなのだと。しっかりと受け止め、越える――それを宣言するために、陽ノ下澪という少女は行動で示したのだ。
「やあぁぁぁぁああああああああ!」
裂帛の気合を放ちながら陽ノ下は真っ直ぐに、突進する。
銀城栄介が変貌した鬼の腹部に、大ぶりな一撃を叩き込む。苦しみに喘ぐ銀鬼。浮いた顎に、続けざま陽ノ下は宙返りしながら蹴りを加える。
見事な連撃に、銀鬼が宙に浮く。
着地と同時。陽ノ下もすぐさま地を蹴る。高く跳躍し、銀鬼のさらに上へ。炎を纏った拳を振りかぶる。
「そんな簡単にさ、受け入れるのは無理だけど」
正直な告白。陽ノ下は静かに、抱いた本音を銀城栄介に放つ。
「過去は変えられない。でもこれからは向き合うよ、ちゃんと。あんたから、兄から、それとお母さんからも逃げずに」
銀城栄介もまた、鬼とは思えぬ穏やかな顔を浮かべていた。娘からの想い――そして、これから放つであろう、ケジメの一撃を受け入れるために、瞳を閉じる。
「だぁぁぁああああああああああああああ!」
拳を振り下ろす。
激しい衝突が起きた。そのまま燃えるような流星となって地面へと落下。爆風がシルバー地区全体に吹き荒れた。




