第二話 救世主を演じて
翌日の目覚めは最悪だった。
仮設のテントで寝ていたために身体中が痛く、まして昨晩の戦闘の興奮が全然抜けなかったというのもあって熟睡できなかった。野宿初体験の身としてはこんなにも辛いのかと、響里は重い体を起こしてテントの外へ。現実の日本とは違う、朝陽の眩しさに頭痛を覚えた。
「あぁ、義矩さん、おはようございます」
丁度通りかかったのか、咲夜が穏やかな笑みを浮かべて挨拶してくる。
彼女が目の前にいるということは、やはり昨晩の出来事は夢ではなかったようだ。一晩寝て、起きたら元の世界に戻っていました、なんてご都合展開あるはずもなく。若干の期待も裏切られ、響里は咲夜に苦笑で返す。
「これから朝ごはんですよ。義矩さんもどうぞ、こちらに」
彼女が手に持っているバスケットにはパンやチーズが大量に入っていた。どうやら野営地の中心部で仲間全員と共に朝食を摂るらしい。
咲夜についていくと、既に十人くらいの兵士たちが焚き火を囲んで談笑していた。
「おう、待ちくたびれたぜ救世主様! そっちの坊主もよく眠れたかよ?」
無精髭を生やした中年の男がこちらに気付く。一見、強面な顔だが、フランクな態度で響里に対し手招きしてくる。
「ほら、こっちだ、坊主。ここに座りな」
自分が座っている横の地面を豪快に叩きながら、響里を呼ぶ。少し強引だが気さくな態度に、響里はへこへこと頭を下げながらそばに寄った。
「もう、ジェームズさんったら」
苦笑しながら咲夜はバスケットの中からパンを取り出し、全員に配っていく。
「紹介します。彼等が、今私がお世話になっているミーアレント軍の方々です」
「お世話になってるーだなんて、他人行儀だぜ。こっちが助けてもらってるんだからよ、女神様!」
パンを受け取った一人のスキンヘッドの兵士が豪快に笑う。つられて他の男性陣から「そうだ、そうだ」と同調の意が漏れる。
「その呼び名、やめて下さいと何度も申してますのに……。あ、義矩さんは普通に呼んでくださって結構ですから」
頬を膨らませる咲夜。戦闘のときは冷徹な鬼のような気迫さえあったが、こうして拗ねた表情を見せると、年相応の少女の印象を受けた。
焚き火の前で焼かれていた鶏肉を咲夜が切り分け、さらに全員分配っていく。チーズもスライスし、朝食のサンドが出来上がる。
いただきますの合図もなしに、無骨な男たちがチキンサンドをむさぼりつく中、響里の隣に座る咲夜が唐突に話し始めた。
「もう一年も前のことですか。私がこの人たちに出会ったのは」
「え?」
受け取ったサンドを口に咥えたところで、響里は横目に咲夜を見る。
「それは……君がこの世界に飛ばされてきたときのこと?」
「はい」
咲夜は揺れる炎を見つめたまま、小さく頷いた。
「義矩さんと同じように、生まれた時代こそ違えど私も日本で育ちました。……ちなみに義矩さん、今の日本は平和ですか?」
「そう……ですね、比較的。戦争はないですし」
「それは良かった。ならば未来は明るい。ですが、私が過ごした平安の世は、お世辞にも穏やかだとは言えませんでした。都や地方、妖怪が跋扈する大変な時代だったのです」
「よ、妖怪?」
「私の家系は代々、妖怪退治を生業としていました。朝廷から依頼を受け、各地にはびこる妖怪を討伐していたのです。私も幼少期から旅に同行し、修行を積みながら刀を振るっていました」
唖然と聞きながらも、響里は彼女の強さの理由に納得した。てっきり空想上の産物だとばかり思っていた妖怪という存在。そこに立ち向かう人間もまた実在したのだ。彼女が振り回していたあのバカでかい刀も、きっと妖怪退治に使っていたものなのだろう。
「それがある日、とある妖怪を退治するよう依頼を受けた私たち家族は、山中の奥深くへと入っていきました。その途中です――異変が起きたのは」
「異変?」
訊き返した響里に向き、咲夜は硬い表情で頷いた。
「とても深い霧が我々を覆ったのです。昼だというのに、それは闇夜のように暗く、墨をこぼしたかのように黒い。一緒にいた父上や兄上の姿さえ見失うほど濃い霧でした」
霧。
響里は息をのんだ。自分がこの世界に飛ばされたのも、変な霧が発生したからだ。やはり自然現象ではなかったのだ。
「最初は、妖怪の操る妖術の類かと思いました。悪しき者が放つ瘴気に近いからです。ですが……、違った」
「…………?」
「妖怪なんて最初からいなかったのです。朝廷は、強力すぎる力を持つ我々一族に危機感を抱いていたのでしょう。薄々気づいてはいましたが、まんまと嵌められたのです。霧の中には幾人もの人影があって、それは恐らく朝廷が武士を森に配し、待ち伏せをさせて――」
「いや、ちょっと待ってください。それは本当に人間でした?」
遮るようにして響里が問いかけると、咲夜は意外そうに目を丸くした。
「よく分かりましたね。そう、それは勘違いでした。ですから私も意味が分かりませんでした。ただの影でしかなかった。なのに、あの邪悪な気配は、今考えても分かりません。……もしや、義矩さんも?」
強く首肯する響里。
「俺も同じです。突然霧に襲われて、幽霊のような人影が怖くて逃げていたんです。そうしたら、変な扉があって気付いたらここに……」
今思い出してみても、身の毛がよだつ。実体のないものが、あれほど恐怖だなんて知りもしなかった。
青ざめる響里を見かねてか、咲夜は水の入ったコップを差し出した。受け取った響里は一気にそれを飲み干す。
「扉……ですか。私のときはそのようなものはありませんでした」
「え、そうなんですか?」
「はい。父上や兄上の呼ぶ声も聞こえぬほど、無我夢中で影を斬りつけていました。ですが所詮、影。手応えはありません。霧は濃くなる一方、やがて疲れ果てて、倒れ……そしてこの世界に、というわけです」
「じゃあ、咲夜さんも自分から来たわけではなく、理由は分からないと?」
「そうですね。しかも父上や兄上はこちらにはいないようです。探してはみたのですが一向に見つからず……。まだ全部を見回っていないので何とも言えないのですが」
同じ世界に連れて来られたのだとしても方法が違う。そこの差異は何なのだろうか。いや、自分もあのまま影に襲われていたら扉とは関係なしにここへ来たのかもしれないし、逆に咲夜の記憶があいまいな可能性もある。
ただ、共通して言えるのは何故そうなったのか、だ。
なんのためか。誰かの策略なのか。響里自身、誰かに恨まれるような人生は送っていないはずなのだが。
「そうそう! いやぁ~あんときゃびっくりしたぜ。俺たちの村にいきなり変な服着た美人さんが現れたんだからな!!」
真剣な二人の話し合いを吹き飛ばすように、豪快な笑いで割り込んできたのはジェームズだ。ガタイのよさでは屈強な男たちの中でも一番な彼は、朝食をぺろりと平らげて鍛え上げられた腹を撫でている。
「でもすぐに俺はこう思ったね。この嬢ちゃんは天の御使いだってよ。なんせ悲惨めいたこの状況で降って湧いた奇跡だ。俺たちを救ってくれるに違いねぇとな」
うんうんと、周りの男連中も何故か誇らしげに頷き合っている。咲夜は恥ずかしそうに頬を染めながら、咳払いをした。
「それは置いといて。いいですか、義矩さん。この場所はミーアレントと呼ばれる、大陸でも最南端に位置する小国です。それは説明致しましたよね?」
「はい」
「現在、この国は他国に侵略されていまして。ジェームズさんの言うように非常に危うい状態にあるのです」
そう言って、着物の胸元から丸まった紙片を取り出して響里に見えるように広げた。ボロボロの羊皮紙に描かれていた絵は、どうやら地図。彼女は地図上の大きな大陸を指さして続ける。
「敵はマゼライト帝国。強大な武力を以てこの大陸を統一しようと戦争を始めました。地方にある小国には、彼ら帝国に対抗する術はありません。次々に吞み込まれていきました」
ごくりと、響里の喉が鳴った。
初めて見る世界地図。聞いたことのない地名。やはり、ここは次元の異なる世界なのだ。
咲夜は、確か“異界”と称していた。
「そうして残ったのがこのミーアレントだけ。私がジェームズさんの村に着いたそのときでさえ、戦の真っ最中だったのです。それはもう悲惨な有様でした。家は焼かれ、食料も奪われ……。そして、この人たちの家族も……」
かすれる声を絞り出しながら、咲夜は唇を噛んだ。周囲の男たちも、うつむいて悔しさを滲ませている。
平和な日常に生きてきた響里には想像できない壮絶な苦しみだっただろう。何も言えなかった。
「怒りに任せ、私はマゼライトの兵を全て叩き斬りました。それから私は彼らに手を貸したのです。失った命は帰ってこない。ですが、心までは失わない。どれだけ戦力差はあろうとも、全力で立ち向かう。そして、帝国を倒す。それが死んだ者たちの手向けです」
「俺たちが絶望に打ちひしがれているときにな、この嬢ちゃんが鼓舞してくれたんだ。“悔しくないのですか! 貴方たちが戦わないでどうするのです!”ってな。嬢ちゃんの言葉には力がある。勇気が湧いてくるんだ。やっぱり俺たちにとって舞い降りた女神様だったんだよ」
力なく笑うジェームズ。今度は否定することなく、咲夜は優しげな微笑みを送る。
「そうですね。私は彼らの希望であり続ける」
そう断言したことで、周りの男たちが活気づく。まだ朝だというのに、さながらパーティーのような盛り上がりだ。響里も思わず笑いがこぼれた。
「正直、元の世界に帰る方法は分かりません。もしかしたらないのかもしれない。でも、彼らを救うのが使命ならば、ここで生きていく覚悟です」
「覚悟……」
響里は天を仰いだ。
群青色の空には雲一つない。群れを成して優雅に泳ぐように飛ぶのは、知らない鳥。彼らが彼方に飛び去っていくのを見つめながら、響里は途方に暮れる。
(俺はこれからどうすればいいんだろう……)
見ず知らずの世界。
右も左も分からない地に迷い込んで、この先どう生きればいいのか。
運よく咲夜に助けられたのはいいものの、彼女も現実世界に帰る方法を掴んでいない。一生こんな戦争真っ只中の危険な世界にいなければならないのかと思うと、絶望的な気分に陥る。咲夜のように戦う力があれば、まだ強い意志が生まれるのだろうが。
「それじゃあ、えっと……。皆さんはこれからどうする予定なんですか?」
誰となく響里は訊ねてみた。
「昨晩でマゼライト軍の侵攻は一時的に食い止めました。なので、これから城に帰還します。ミーアレント王に報告しなければなりませんので」
そう言いながら咲夜が立ち上がり、袴に付いた砂を払う。
「義矩さんも一緒に行きましょう。ここは国境に近い。一人にするのは危険なので」
「え、いいんですか?」
「もちろんですよ。とりあえずの避難として城下町の宿にでも泊まればよろしいかと。あ、それとも私が王様に頼んで、永住権を得られるよう交渉しましょうか」
さらりと、とんでもない発言してきた咲夜に、響里は「いやいや! そんなことまでしてもらわなくても!」と激しく首を振る。少し悪戯っぽく笑う咲夜は実に可憐だった。
彼女が差し出してきた手に、響里は苦笑しながら自分の手をそっと置いた。