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聖傑  作者: 如月誠
第三章 母の愛編
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第三十七話 不穏な銀城会

 ヒーローになりたかった。


 それは、町を救うとか悪の軍団を倒すとか、そんな大層なものじゃなくて。

 この世でたった一人の家族を守りたい。

 大好きな母を支えたい。

 その優しさに、包み込んでくれる笑顔に応えたい。


 何からとか、明確な敵……みたいなものはないけれど。自分の一番大事な人を、穢すものは絶対に許さない。正義感に酔っていたのかと問われれば、当時の幼心に認識は難しいだろうけど多分違う。


 純粋に好きだったから。母を愛していたからだと思う。自分に科した枷のようなものかもしれない。


 だから嬉しかった。誕生日のプレゼントに、当時流行っていた特撮ものの変身ベルトを贈られたときは。だって、母だけのヒーローが現実に誕生するのだから。男の子でもないのに、腰に巻いてポーズを決めたりもした。当然、変身はしない。様にならない姿でも、母は拍手をしてくれた。


 ――なのに。




 ◇ ◇ ◇




「陽ノ下が休みぃ?」


 朝のホームルーム。

 芝原の素っ頓狂な声が騒がしい教室内に響いた。


「そうみたい。私も家に出る前に連絡が来てびっくりしたんだけど」


 彼の隣に座る月村が、怪訝に呟いている。


「あの石炭要らずの蒸気機関車のような、エネルギーの塊がか? 信じらんねぇ」

「うん。無遅刻無欠席、皆勤賞狙ってるっていつも言ってたんだけどな。……それより、芝原くんのその例え、澪が聞いたら怒ると思う」


 響里も後ろの席から苦笑する。

 聖傑になってからというもの、芝原はウォルターという英傑の影響からか微妙な例えを口にするようになった。本人はきっと無自覚なのだろうが、周囲には芝原の性格が突然変わったなんて思われているのかもしれない。


「陽ノ下さん、病気にでもなったの?」


 響里が訊いてみると、腰を回した月村は首を横に振った。


「ううん。澪本人じゃなくて、どうもお母さんの具合が良くないみたいでね」


 月村はスマホを取り出し、メッセージが書かれた画面を掲げる。彼女の言う通り、端的な文面でその内容が綴られている。その後も月村がメッセージを送っているが、既読すら付いていない。


「ちょっと心配だよね……」

「病院の付き添いかな?」

「そうかも。定期的に診察は受けてるみたいだし。元々身体が弱いから、状態が悪化したのかも……」


 前日の記憶が、響里の脳裏に呼び起こされる。

 アパートにいたスーツの男。陽ノ下と何かしらの関係がありそうだが、それが彼女の母の病状と直接結びつくのかは分からない。


「私、放課後にお見舞いに行ってこようと思うんだ」


 月村は、端末をセーラー服のスカートにしまい込む。お洒落に目覚める年代にあっても、学生の模範のように制服をきちんと着た彼女は柔らかい笑みを浮かべる。


「澪にもおばさんにも、お世話になっているから。少しは恩返ししないと」


 長いまつげを伏せがちに、懐かしい記憶を辿っているかのようだった。

 響里と芝原の目が合う。おそらく、芝原も同じことを考えているのだろう。響里は意を決して月村に言った。


「それ……、俺たちも行っていいかな?」

「え?」

「お邪魔になるかもしれないけど、俺も気になるし」

「えっと……私はいいけど……」

「あまり大勢で行っても驚いちゃ悪いからな。少しだけ様子見たら帰るよ。な、響里?」


 芝原もそっぽを向きながら首筋を撫でている。分かりやすい照れ隠しに、響里も頷く。月村は呆けた後、嬉しそうにはにかんだ。


「うん。ありがとう」


 つつがなく授業をこなす一方で、やけに時間の進みが遅く感じるのはやはり陽ノ下澪という少女がいないからだろう。

 底抜けに明るい彼女は、自然と周囲も笑顔にさせる。悪目立ちするほどはしゃぐわけでもないし、他人の心にずけずけと入る無遠慮な性格でもないからだ。誰も不快に思わない愛嬌の良さ――そんな彼女がいないだけでクラスは驚くほど静かだった。

 放課後。三人はすぐさま陽ノ下の家に向かうことにした。

 結局、彼女からの連絡は来ないままだった。それだけで嫌な想像が頭の中でどんどん膨らんでくる。母親の容体が悪化し、携帯を見る余裕もないほど切迫した状況に陥ったのかもしれない。とりわけ月村の不安は大きいようで、彼女の足取りも心なしか早まっていた。


「……だめ、やっぱり出ない」


 スマホを耳から離し、月村は重苦しい息を吐く。校舎を出てからもう何度も電話をかけてみてはいるが、応答は一切ない。


「落ち着けって、月村。まだおばさんに何かあったって決まったわけじゃねぇだろ」

「うん、分かってる。分かってる……けど」


 芝原が冷静に宥めるも、月村の唇は震えていた。

 ちなみに、陽ノ下の家に固定電話はない。元から料金節約のために設置していないようで、町内会の連絡などはもっぱら近隣住民から直接言伝で教えてもらっているらしい。

 一応、かかりつけの病院にも連絡してみたが来院は無かった。となれば、やはり家にいる可能性が高い。


「澪……」

「ともかく急ごう。単に通知に気付いてないだけかもしれないし」

「そーそー。案外“あ、ごめーん。爆睡してたー”とかな」


 あまり似てない口真似をして、場を和まそうとする芝原。ぎこちなく笑いながら、月村は頷いた。とはいえ、芝原も表情は硬い。普段漫才のようなやり取りをしている間柄だ。やはり陽ノ下がいないだけで調子が狂うらしい。


「どうせだ。お見舞いに行くんならフルーツでも買ってくか?」


 商店街の入り口を示すアーチが見えたところで、芝原が言った。青果店もあり、昔からこの辺りを庭のように通っている陽ノ下のためとなれば店主も安くしてくれるかもしれない。


「そうだね、手ぶらじゃ失礼だし。澪に自分が食べちゃだめよって言わないと」


 月村がサラッと毒を吐きながら、スカートの中から小さながま口財布を取り出す。


「さ、さすがにそれはしないと思うけど……」

「甘い。甘いぜ、響里よ。陽ノ下には“待て”は通用しない。我慢を知らない女だ」

「ひどすぎない……?」


 本人がいないことをいいことに、言いたい放題の二人。まあ下手に暗いまま行くよりかはいいか、と響里も所持金を確かめようとした――そのとき。


「…………?」


 商店街に到着したところで、響里は眉をひそめた。


「ねえ」

「あん? どした?」

「なんか……やけに静かじゃない?」


 踏み入れるのも躊躇うほどの静寂が、まっすぐに伸びた商店街の通りを包み込んでいた。雑貨、精肉店、呉服店など色々店はあるのだが、どこもシャッターは開いている。つまりは営業中なのだ。人通りが異常に少ない。いや、無人といった方が正しい。


「確かに変だね。夕方は一番混む時間帯なのに……」


 月村も、ずれた眼鏡の位置を直しながら言った。

 気味が悪かった。人気もないために、店主の呼び込みさえも聞こえてこない。所々置かれた自動販売機だけが通常通り稼働して、空しい機械音をうっすら立てていた。


「おい、こっち来い!」


 声を潜めて芝原が呼ぶ。何故か彼は、アーチの柱部分に隠れるようにして手招きをしている。


「芝原くん?」

「いいから早く!」


 月村と顔を見合わせ、互いに首を傾げつつ、とりあえず芝原に従ってみる。年季を感じる柱からそっと顔を出しながら、芝原が「あれを見ろ」とばかりに無言で通りの先を指さす。


「……一体、何を……」


 響里の口が、芝原の手で勢いよく塞がれる。

 訳が分からない響里の背後で、月村が息を呑んだ。


「あれって……」

「ああ。銀城会だよな」


 緊張を孕む芝原の声。通りの奥を凝視して、ようやく響里も理解した。

 直線的な商店街の通りの出口は僅かに坂になっており、国道へと繋がっている。その付近には路上駐車している黒塗りの高級セダン。徘徊しているのは、柄物のシャツに真っ黒なスーツを着た男たちだ。

 他人を寄せ付けない粗野な男たちは、眼光鋭く何かを探しているかのようだった。


「なんでアイツらがこんなところに……」


 忌々しそうに芝原が舌打ちをする。月村も喉を鳴らした。


「だから商店街の人たちも出てこないんだね。お客さんも寄り付かないよ、これじゃ……」

「普段は違うの?」


 響里は酸素を求めるように、芝原の手を強引に剥がす。


「ああ。一応、俺たちのような一般人とは関りが無いよう表立って行動しないんだけどな。銀城会って、昔から仁義を重んじるから筋を通すために線引きしてるんだと」


 肩をすくめる芝原。


「親分さんと警察の関係も悪くないらしいんだけどな。でも俺たちにしてみればヤクザって存在だけで怖ぇし、向こうが気を利かせてもやっぱ邪魔だよな」

「そうだよね……」


 十人はいるだろうか。銀城会の男たちは念入りに店の奥まで覗き込み、仕事をしている店主に何かを聞いている。すっかり身を縮こませながら壊れそうなほど激しく首を振っている店主にそれ以上絡もうとはせず、銀城会の男たちは別の場所に移っていく。


「これじゃ、お見舞い品どころじゃねぇな。なんかこっちに来そうだし、ずらかろうぜ」


 響里と月村は黙って首肯。足音を消してその場から離れ、直接陽ノ下の家に向かうことにした。




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