第三十六話 月村綾音
翌朝。
響里は教室に入ったところで軽く首を傾げた。
芝原と陽ノ下は既に登校していて、自分の席で談笑している最中。いつもと違う雰囲気なのは、見知らぬ女子生徒が彼らの輪に加わっていたことだ。
「お、おはよー……」
響里は、着席すると同時に恐る恐る声をかけてみる。よほど会話が盛り上がっていたのか、友人たちはようやく響里に気付いたらしく、挨拶を返す。
「おっすー、響里。なんだよ、朝からキョトンとして。徹ゲーでもしてたか?」
「そりゃ、アンタだろ」
と、目元にクマのある芝原に、呆れながらツッコミを入れるのは陽ノ下だ。
「聞いてよ、響里くん。コイツってば夜中の二時までゲームやってたんだよ? で、遅刻したー! って慌てて起きたら起床アラームの一時間前だったんだと」
「いや~。クエストクリアをしたら、また別のクエストに繋がってな。止め時を見失ってさ、知らん間に寝落ちしてた」
「は、はぁ……」
曖昧に頷きつつ、響里は前の席にいる女子生徒が気になって仕方がない。チラチラと見ていると、当の女子生徒がその視線に気が付いたのか、微笑みを浮かべて小さく会釈した。
「初めまして。響里くん……だよね。私、月村綾音っています。新学期に合わせてこっちに引っ越してきたんだよね。これからよろしくね」
「あ、うん。響里です。こちらこそよろしくお願いします……」
涼やかに、頬を撫でるような音色で言う女子生徒。
初対面の美少女とあって、人見知りを思い切り発動した響里はぎこちなく首を縦に振る。
月村と名乗った少女は、艶やかな黒髪を二つに結んで肩口に垂らしていた。アーモンド色の大きな瞳を黒ぶち眼鏡で覆い、一見して文学少女という印象。それ以上に、姿勢よく背筋を伸ばした姿と口調が、品の良さを感じさせた。陽ノ下が快活なら、彼女は楚々と表現するにふさわしい。
「あ、そっか! 響里くんは綾音と会うのは初めてか」
「うん。ずっと休んでいたからね、私」
申し訳なさそうに苦笑する月村。そこで、ようやく響里は思い出した。
彼女の話題は度々上がっていた。新学期早々から体調を崩していたらしく、ずっと欠席になっていたのだ。正直な話ところ、これまでの生活が目まぐるしすぎて失礼ながらすっかり忘れていた。
「ところで、この町にはもう慣れた? 澪とか迷惑……かけちゃってない?」
「なによ~それ。失礼だなぁ……。そんなことにないよね~、響里くん」
大げさに頬を膨らませる陽ノ下。
「う、うん。芝原くんも陽ノ下さんも面白いし、楽しく生活できてるよ」
正直に響里は答えたつもりだったが、まるで心外とばかりに芝原と陽ノ下は二人とも顔をひきつらせた。
「いやいや、それじゃまるでウチらが漫才師みたいじゃん」
「やめろっつーの。お前がボケだと、ツッコミが追い付かんわ」
「いや、逆でしょ! アタシがツッコミで、あんたがボケ」
「お前な、ツッコミ役ってのはセンスが求められんだよ。脳みそが常に飯のことしか浮かんでねぇお前に、切れ味鋭いツッコミが出来るわけねぇだろ」
「誰が万年腱鞘炎か!」
「――は?」
意味不明な日本語に、ポカンと口を開ける芝原。響里も頭に「?」が浮かんでいると、月村だけがこらえきれず吹き出した。
「それを言うなら健啖家ね。惜しい、澪」
「う……」
顔を真っ赤にして肩をすぼませる陽ノ下に、芝原が嘆息して一言。
「ボケ以外の何物でもねぇじゃんかよ」
口元に手を当てて静かに笑う月村。
陽ノ下澪と月村綾音。まるで正反対な二人だが、仲の良さがこれでもかと伝わってくる。
何はともあれ、だ。月村が復帰したことで学校生活がさらに賑やかになりそうだと、響里は三人の掛け合いを眺めながら困ったような笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
月村の快気祝いに、どこかで食事をしようという流れになった。
といっても、ファストフードやファミレスのようなチェーン店はこの町には無い。学生がたむろする場所といえば商店街ぐらい。惣菜店で出来立てホヤホヤの野菜炒めやコロッケを買い、店先にある簡易テーブルで食べるのが恒例だ。ただ、味は長年続けているだけあって絶品というに他なく、様々な地域からテレビの取材が殺到するほどだった。
「どこ行こっか? せっかくだし“風月”でラーメン食べてく?」
学校を出てほどなく。夕日に染まった河川敷の水面は、白い光が波打っていた。四人は歩きながら話し合っていたが、やはりいつもの商店街コースは味気ないという結論に至った。
地元でも人気の中華そば店を提案する陽ノ下の瞳は、これまでになく輝いている。
「悪くねぇな。集団下校も解かれたし、ある意味、月村の復帰はタイミング良かったよな」
芝原もお腹を鳴らして同意する。陽ノ下のチョイスは、彼らのその時の気分にどストライクなので、対抗馬の意見がまず出ない。響里も、行ったことのない店なので否定する理由もなかった。
「うーん、気持ちは嬉しいんだけど……」
と、唯一異を唱えたのは、祝われる側の月村だった。
「さすがに夜ご飯前にラーメンはちょっと……。食べてくるって家にも言ってないし」
やんわりと苦笑しながら言う月村。先頭を歩いていた陽ノ下は足を止め、キョトンとした顔で小首を傾げた。
「え? そんなの、ラーメン食べてから夜ご飯も食べればいいじゃない」
「あ~、そういうことじゃないんだけどな」
「確かに病み上がりでガッツリ系はキツイよな。そもそも月村って小食だし」
「そういうことでも……ないんだけどね」
乾いた笑いを浮かべる月村。暗に気を遣わせるのが申し訳ないだけなのだろう。
「大病を患ってたわけでもないんだしさ。私の為に何かしてくれなくていいよ」
「え~、遠慮しなくていいのに~」
「そんなこと言って、ホントは澪が行きたいだけでしょ?」
「あ、バレた?」
舌をちろっと出して、肩をすぼませる陽ノ下。
「澪こそ早く家に帰らなくていいの? おばさん、具合良くないんでしょ?」
「あ~……」
痛いところを突かれた――誰にもそれが伝わるほど、分かりやすく表情を曇らせる陽ノ下。
「おいおい、マジか?」
「実のところ……そうなんですよね……」
驚く芝原に、陽ノ下は歯切れ悪く答える。
「や、でも、全然違くて! そんな心配しなくていいよ! お母さん、昔から身体弱いいからさ。ちょっと仕事の疲れが出ただけって感じ?」
「澪……」
そう呟いた月村は、悲嘆の中に少しの怒りが混じっているようだった。
「おばさんには澪しかいないんだよ? 具合が悪いんだったら一緒にいてあげないと――」
「だから大袈裟だって! いつものことだよ。本当に何でもないから!」
必死の強がり……というのだろうか。引きつった笑みを張り付かせて陽ノ下は両手を大きく振る。
「…………?」
どうも話についていけない。一人だけ蚊帳の外のような響里が怪訝な表情でいると、陽ノ下が察したのか、頬を掻きながらポツリと言った。
「ウチってさ、母一人子一人なんだ」
「……え?」
「シングルマザーってやつ? 私が生まれる前に離婚しててさ、今までお母さんが一人で働いて私を育ててくれたんだ」
「そうだったんだ……」
かける言葉が見つからない響里。昨日芝原が言っていた言葉の意味はこういうことだったのかと、ようやく理解する。
沈痛な空気が四人の間に漂う。
「だからやめてってば! 私のせいで暗くなんないでよ!」
陽ノ下が困ったように眉を下げて、大げさに笑い飛ばした。
「確かにウチは貧乏だけどさ。それで悲劇のヒロインぶるつもりもないし、むしろそれで逞しく生きてんだから!」
細い腕で「むん!」と可愛らしく力こぶを作る陽ノ下。
「格闘技を習ってるのもそれが理由。お母さんを守るためにもね」
「澪って偉いよね。新聞配達のバイトもしてるし」
「うえ!? それは俺も知らなかったぞ」
芝原も目を剥く。鼻息を鳴らし、陽ノ下は胸を張った。
「まぁね~。家計を助けるためにだよ」
白い歯を見せて満面に笑う陽ノ下。逞しい彼女の姿に、響里は素直に尊敬してしまう。
「すごいね。この町全部を回ってるの?」
「いやいや、さすがにそれは無理。担当エリアがあって、私は主に商店街中心。ちゃちゃっと済むから学校前には丁度いいんだ」
と、乾いた音が響いた。陽ノ下が両手を叩いたのだ。自分の話題はこれでお終い、といった風に。勢いよく回って再び彼女は歩き出す。響里も続こうとしたそのとき、芝原が何気なく訊いた。
「おい、陽ノ下。まさかあの“銀城会”のエリアは行ってないんだよな?」
「行ってないよ」
背中を向けたまま、彼女は即答した。
「……そっか。なら安心だぜ」
安堵する芝原の横で、息を吞む音がした。月村だ。
「……銀城会?」
「ん? んまぁ、アレだ。いるんだよ、この町の北には。怖ーい人たちがさ。大きな屋敷にさ、ほら、腕やら背中にカラフルなペイントをされてる方たちが出入りしてんの」
直接的表現を避けながら、芝原は歯切れ悪く声を潜める。だがその説明だけで十分だった。
要は暴力団というやつだろう。
幼少期の記憶しかない響里は、軽く絶句した。
「仁義を重んじる組織ってのは俺も聞いたことがあるんだけどな。別に何かしらの被害があったわけじゃないけど、でも……やっぱ怖いモンは怖いっつーかさ」
「……あんなの早く消えてしまえばいいんだよ」
陽ノ下から発せられたのは、これまでにない低い声音だった。
「存在だけで害悪でしかないんだからさ」
「陽ノ下……さん?」
響里が声をかけるも、彼女は足を止めなかった。
結局のところ、月村があまりに心配するので、一度陽ノ下の家に寄ろうという話になった。
河川敷を過ぎてから、四人は会話をすることがほとんど無かった。気まずい空気でもないのだが、先頭を行く陽ノ下の背中が拒絶の意思を示しているかのように映ったのだ。
しばらく歩き続けていると、古びたアパートが見えてきた。二階造りで、部屋が四つずつ。飾り気のないシンプルな構造だ。
そのとき。
陽ノ下が、突然足を止めた。敷地まであと数メートルという妙な距離で、である。つんのめって危うく彼女の背中にぶつかりそうになった芝原が非難の声を上げた。
「のあ! どしたんだよ、急に!」
陽ノ下は答えなかった。むしろ耳にすら届いていないのか、彼女の視線は何かに縫い付けられたように前方に向けられていた。
「…………?」
響里は、彼女の目線の先を追ってみた。
黒のスーツを着た男が立っていた。
響里よりも年上なのは間違いない。二十代の後半か。細く縁のない眼鏡をかけている。長身で知的なビジネスマンといった風貌だ。サラリーマン自体こんな田舎町にもいるのだが、手首にはめた高級腕時計から見てもその佇まいは異質。周囲の外観から完全に浮いてしまっている。
「あの人がどうかした?」
響里が訊ねてみるも、やはり陽ノ下には聞こえていないようだった。男は毅然とした足取りで、敷地内に入っていく。それを見た陽ノ下の目つきが険しくなり、歯嚙みする音が明瞭に聞こえた。
「……ごめん。やっぱり快気祝いはまた今度にしよう」
感情を押し殺したような声。
「澪……」
心配そうに名前を呼ぶ月村の言葉もかき消すように、「ごめん」ともう一度呟いて陽ノ下は駆け出して行った。
「どうしたんだ? アイツ……」
芝原も困惑しながら首を捻る。なにやら只事じゃない雰囲気だが、しばらく陽ノ下の消えていく姿を見つめていた月村が男二人の方に振り返り、静かに言った。
「私たちも帰りましょう」
「え、いいのか?」
「うん。きっと大丈夫だから」
強引に促し、月村は響里と芝原の背中を押していく。陽ノ下の事情について何か知っているようだが、問いただす間もなく反対方向に戻っていくしかなかった。




