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聖傑  作者: 如月誠
第三章 母の愛編
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第三十五話 天真爛漫な少女

 午前四時。


 まだ太陽の姿は拝めないものの、空がうっすらと青みを帯びる時間帯。山間から冷たい大気が町全体に流れ込む。シンとした澄んだ風は春独特の涼しさだ。


 スズメのさえずりが、静寂に包まれた町に一日の始まりを告げていた。


 御伽夢通り商店街は町民の生活を一手に担う場所だ。古き良き文化を残した対面式の店構えも、当然ながらまだシャッターは閉じたまま。何十年と続く店ばかりで、歴史あるレトロな外観は例え開いていなくても魅力に溢れていた。

 そんな閑散とした通りを、頼りない明かりが照らしていた。

 部品が錆びついているのか、ギシギシ鳴る自転車が通りをふらつきながら走っていた。

 乗っているのは、赤みがかったショートボブを揺らす少女だ。


 陽ノ下澪(ひのもとみお)


 地元の明霊山高校に通う二年生だ。誰もが布団の中で温もりを堪能している時間。彼女が汗だくになるほど走っている理由は、その前カゴと荷台にあった。ぎっしり高く積まれた紙の束。新聞である。

 陽ノ下澪は、新聞配達のアルバイトをしていた。

 明霊山高校は原則としてアルバイトは禁止。やむを得ない事情の場合のみ、申請を出せば許可される。彼女は家庭の事情もあって、特別に許されていた。

 商店街を一軒ずつ回り、順番にポストに新聞を入れていく。もう一年以上仕事をしているので、手つきは慣れたものだ。始めはルートを覚えるのに苦労したが、徐々に新聞が減っていくことで自転車が軽くなるのが達成感を感じる瞬間。学校指定のジャージの胸元を開け、風を入れる。


「よし、もう一息――っと」


 涼しくなったところで、次は住宅地の方へ自転車を走らせる。

 陽ノ下の担当しているエリアは高齢者が多く住んでいる。陽ノ下が着いた頃に丁度起きてくるのか、朝陽を浴びに玄関に出てくる彼らと気さくに挨拶を交わすのも日課になっていた。


「あぁ、おはよう澪ちゃん」

「おっはよー、あばあちゃん! 今日も早いね~」

「澪ちゃんには元気を貰えるからね~。ほら、持っておいき」

「うわぁ、ありがと!」


 お菓子が詰まったお手製の子袋を受け取り、手を振って次の家へと向かう。その厚意が繰り返され、いつの間にか前カゴが新聞紙からお菓子でパンパンになっているのも、バイト代とは別の嬉しいご褒美だった。


 ――と。


 本日分を配り終えたところで、ふと、陽ノ下は足を止めた。住宅地を抜けた町の北辺り。日中でも人や車もほとんど通らないその路上を、彼女は険しい目つきで睨みつけていた。


(…………)


 それは彼女の魅力とも呼べる愛嬌とは正反対の表情。憤り……、いや、憎悪に近しいものだった。時間として短いものだったが、陽ノ下は素早くターンして逃げるように去っていった



 ◇ ◇ ◇



 澄み渡るような晴天の下。

 響里義矩(きょうりよしつね)のクラスは体育の授業の真っ最中だった。広々としたグラウンドでは男女分かれて、指定されたスポーツに奮闘していた。

 男子はバスケットボール。仲間内でチームを作り、二面あるコートで交代しながら試合を行う。体育担当のゴリラのような顔をした教師が厳しい視線を送る中、響里は一応真面目に、それっぽい動きで試合をこなしていた。


「はぁ、はぁ……」


 響里のチームが交代を告げられ、コートの外に出る。

 授業終了、十分前。休憩をしながらではあるが、ハードな運動に身体はへとへとだった。この授業が終われば、昼休みとあれば尚更だ。


「つ、疲れた……」


 まだ過ごしやすい気温だといえ、ハードな運動に汗は滴る。たまらず響里はジャージを脱ぐ。


「ひ~、もう足がガクガクだぜ」


 コートの外でぐったりと響里が座っていると、茶髪の前髪をヘヤバンドで上げた少年がダイブするように草むらに突っ伏す。

 芝原智樹(しばはらともき)。響里が転校してできた最初の友人だ。


「くっそ、小野田のヤツめ……。部活じゃないってのに、シゴキやがって……。俺たちでストレス発散してんのか、ちきしょー」


 体育教師の名前を恨めしく呟く芝原。響里は、芝原と教師の顔を交互に見ながら苦笑を浮かべる。


「やめときなって。聞こえるよ」

「噂じゃ、見合いまた失敗したんだってよ。通算で二十連敗中らしいぜ」

「それでこの仕打ち? まさか」


 どこでそんな情報を仕入れてきたのか、教師の暴露話を放り込む芝原。と、上半身を起こした彼は、さらに小声で響里に問う。


「なあなあ、響里さんや」

「……なに?」

「聖傑の力ってさ? パワーとかスピードとかめちゃくちゃアップするじゃないですか?」

「しますね」

「それって、現実世界じゃ何の効力も発揮しないんですか?」

「しませんねぇ、残念ながら」

「誠に遺憾です」


 ドサッと再び倒れる芝原。それは俺も過去、同じように痛感したな~と響里は同情しつつ、打ちひしがれている芝原の背中を優しく叩いた。


 そんな友人もまた、自分の過去を受け入れたことで聖傑になった。


 一見、平穏に映るこの小さな田舎町。響里が引っ越してきてまだ一ヵ月と経っていないのだが、正に異常事態の連続だった。

 異界と呼ばれる謎のもう一つの幻想世界。この町の人間が創り出し、その本性が反映されることで現世にも悪影響を与えてしまう。響里はもう二度もその異変に巻き込まれてしまった。望む、望まないに拘わらず、である。異界の創造者を倒す戦士――聖傑として。


「……望月さんの様子は?」


 しばらく黙っていた響里は、ふと芝原に訊ねた。ゆっくりと顔を上げた芝原の表情は沈んでいた。


「まだ意識は戻ってない。あれから毎日見舞いには行ってるんだけどさ」

「そっか……」


 望月とは、芝原の昔の友人だ。

 自身の幼少期の不義理が原因で、ずっと関わりを避けていた。そこには望月側の要因も大きく絡むのだが、ずっと芝原は罪の意識に苛まれてきた。謝罪の機会をうかがっていたようだが、心の弱さから長年叶わず。それが突然現れた異界ミッシリオに望月がいることを知り、ようやく対面。戦いの末に己と向き合い、和解にまで至った。過去を克服したのだ。


「あれから三日だ。いつになったら目が覚めるんだろうな」


 芝生を強く掴み、芝原は呻く。

 異界は心身ともに負担が大きい。望月はずっと病院のベッドで眠ったままになっている。検査によれば健康状態には問題ない。脳系の異常と診断されているが、医者も困惑しきりだった。


「…………」


 響里にも、異界の影響が人にどこまで与えるのか全く分からない。励ましてあげたい気持ちはあるものの、安易な気休めも逆に芝原を傷つけてしまいそうで出来ない。


「とにかくさ、これからも様子を見に行ってみるよ。またアイツと話したいしな」

「うん。そうだね」


 気を取り直したように表情を引き締める芝原。周囲をキョロキョロと見渡して、近くに人がいないことを改めて確認しつつ声を潜める。


「でさ、どうする? またあそこに行かなきゃいけないんだろ? どうやって行く?」


 他のチームの試合を眺めていた響里は目を伏せた。顎に手をやり、口元を隠しながら声音を落とす。


「実はさ、あれからもあの森に何度か足を運んだんだ」

「お、それで?」

「扉は無かった。やっぱり前兆の黒い霧が発生しないと駄目なのかもしれない」


 かぶりを振る響里に、芝原も天を仰いだ。


「じゃあ、その黒い霧が出る条件ってのは何なんだ? 異界から漏れた悪意って話だけど」

「それは……分からない」


 そういえばミッシリオに入る直前。黒い霧は出たが、あの悪魔まではやってこなかった。あの醜悪な見た目をした悪魔は、悪意が変質した姿。人間の魂を狩ることを目的としているのだが、そんな騒動は起きなかった。ただあのときは単純に、それを見つけるだけの時間はなかったのもあるが。


(要は、負のサイクルだって深雪さんは言ったよな。そして、この御伽町のどこかに天権の願いをかなえる()()()()()があると……)


 嘆息する響里。芝原同様に、空を見上げる。

 いかんせん情報が少なすぎる。素人の響里が個人的に調べたところで解決の糸口すら見えてこない。


「やっぱり、協力を仰ぐしかない……か」


 ぼそっと放たれた響里の言葉。

 だがそれは、突如響いてきた甲高い声によってかき消された。


「あぶなぁぁぁぁああああああああい!」


 どこか聞き覚えのある声。響里と芝原がグラウンドに視線を戻そうとした――その瞬間。


 ガッシャァァァン! と二人の真上にあるフェンスに何かがぶつかった。


 反応する間もない速度。コンマ何秒遅れて風がやってきたほどだ。

 ぎこちなく首を回す響里。確認してみれば、白くて丸い物体が回転しながら煙を上げ、フェンスにめり込んでいる。ようやく落ちてきたそれは、ソフトボールだった。


「ごっめーん、当たんなかったー?」


 遠くの方で、悪びれもない笑顔で手を振る女子がいる。

 陽ノ下澪だ。

 彼女は学校指定のジャージでヘルメットを被り、バットを握っている。

 彼女が犯人だと分かった瞬間、芝原が飛び起きる。


「ウラァ、陽ノ下! 何してんだ、危ねぇだろうが!」

「だから注意したじゃんか。これ、ホームランってやつ?」

「思いっきりファウルじゃ、バカたれ!」


 静まる周囲を他所に、遠距離で叫び合う二人。

 女子の種目は全員でのソフトボールだった。

 グラウンド全域を使ってやっていたようだが、どうも陽ノ下は男子のいる右側後方のバスケットコートまで打球をかっとばしたらしい。

 推定飛距離、百メートル。いや、それ以上か。


「ったく……」

「はは、すごいね。陽ノ下さん」

「馬鹿力すぎんだよ。あんなんじゃ嫁の貰い手に困るぜ、きっと」


 ブツブツ文句を言いながら、再び座る芝原。


「アイツ、運動神経は並外れてんだよな。部活の誘いもしょっちゅうらしいし」

「あれ? でも陽ノ下さん、どこにも所属してないよね?」

「格闘技を習ってるからな。それに――」


 何気ない疑問を口にしたつもりだったが、芝原は真面目な顔で頬杖を突いた。


「あそこも家庭事情が複雑みてぇだしな。そんな暇がないんだとよ」

「…………?」


 首を捻る響里。

 と、授業の終了のチャイムが鳴った。


「お、飯の時間だ。響里、早いとこ着替えようぜ」

「う、うん……」


 素早く校舎に戻っていく芝原。

 気にはなったが、軽々しく聞くような内容じゃないと感じた響里は、黙って教室に戻ることにした。



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