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聖傑  作者: 如月誠
第ニ章 罪と業編
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第三十二話 ハートに火をつけろ!

 研究所の上空。

 瞬いた一つの流星のような物体が、隣接した工場跡に落ちた。

 廃棄された正確な年数は不明。解体工事もせず、放置されていたために外壁もなく、剝き出しになった鉄骨が露わになっている。さながら巨大な迷路のように入り組み、いつ倒壊してもおかしくないほど朽ちていた。

 柱が折れて傾いた屋上に、土煙が立つ。飛来した物体の正体。それが芝原だった。

 望月の蹴りをまともに喰らい、遥か数十メートルは離れたこんな場所まで落ちてきたのだ。


「ぐは……っ!」


 聖傑状態の耐久力をもってしても、この一撃は重すぎた。

 陥没したコンクリに埋まり、身動きすら取れない。無理矢理にでも動かそうとすれば狂うような激痛が襲う。


「くそ……ったれ……」


 か細く呻き、激しく咳き込む芝原。


『おい、しっかりしろ! 智樹!』


 ウォルターの呼びかけも、ノイズにしか聞こえない。

 酸素を求めて開いた口に、風に乗ってきた砂利が気道を奪う。血の味も混じって気持ち悪い。


『智……!』


 不意に頭を掴まれた。

 芝原の後に続いて着地した望月が、片手で彼の頭部を鷲掴みながら簡単に持ち上げる。


「ゆ……たろ……」


 かろうじて絞り出したその名に応えるわけもなく。

 否。猛る憤りを増したかのように、裂けんばかりに歯を剥く。

 弓のように腕を引き、最短距離で芝原の顔面に拳を振るう。


『智樹!!』

「!?」


 脳内に響く鋭い声。ようやく意識をはっきりさせた芝原は、勢いよく反動をつけて望月の顔面に蹴りを入れた。僅かに望月はぐらつき、その拍子に指先が緩む。どうにか逃れた芝原が、崩れた体勢のまま風の弾丸を放つ。

 胴体に直撃。閃光が散り、圧縮された風の力が爆発を呼び込む。

 しかし。そのやぶれかぶれの一撃も、望月には何ら大したダメージはない。上半身が擦り切れたように赤くなっただけだ。望月は再度、右の拳を繰り出す。

 芝原に避けるだけの余力はない。腕を交差させて受け止めるだけで精一杯だった。超重量の鈍器で打ち付けたような衝撃に、骨が軋みを上げる。


「が、ああぁぁぁぁああああああ!」


 砲弾の如く吹き飛ばされた芝原は、何度か地面を跳ねる。転がった先は崩れ落ちた屋上の端だ。真下には蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨。そしてどこまでも深い、闇。小さなコンクリの欠片が音もなく吸い込まれてゆく。


(くっそ……)


 だらりと身体の半分を投げ出しながら、芝原は空を仰ぐ。

 もう、体力は限界に達していた。


「はは……。だっせぇ……」


 弱々しく、苦笑いがこぼれた。

 何が罪も業も背負う、だ。

 己の全てをぶつけ、徹底的に戦う。その気概も、望月の圧倒的な破壊力を前にして完膚なきまでに砕かれようとしていた。

 それが唯一彼に応えられる懺悔だと。所詮、自己満足。そんなことは初めから分かってはいたが、それすらも叶いそうにない。

 望月が大きな足音を立ててこちらに走ってくる。

 芝原は近くに転がっていた銃を拾い上げた。腕が震えて、照準も定まらない。そして、銃口に集まる風の粒子も弱々しく少ない。


「すまねぇ……な……」


 それは誰に向けての謝罪だったか。

 望月か。ウォルターか。はたまたこの世界で、無理に突き合わせてしまったクラスメイトについてか。とにかく、不甲斐ないという気持ちが言葉として吐き出される。

 引き金の金属音が虚しく奏でる。

 空砲。弾丸は射出されなかった。

 望月が飛びかかる。力なく笑った芝原が、覚悟を決めた。

 が、限界だったのはこの廃工場も同じだった。戦闘の衝撃に耐えられなくなったのか、屋上に亀裂が走る。望月の一撃が芝原に届く寸前で倒壊し、巨大な破片と共に二人とも奈落に落ちた。

 地上から遥か数十メートルという高さの廃工場。どういう意図があってこんな高層ビルのような造りになっていたのかは不明。人がどのようにして使用していたかの形跡すらない。


「シバハラァァァアアアアアアアアアアア!!」


 一定の距離があった。

 背中で風を受け止めながら、ただ重力に身を委ねる芝原。そんな彼に追いつかんと前のめりに加速していく望月。前傾姿勢になっているだけ、徐々にだが差が縮まってきていた。


(ああ……)


 朦朧とする意識。


(死ぬのかな、俺……)


 地上まで、あとどれくらいなのか。落下死か、それとも望月によって殺されるか。そのどちらも、回避する方法は見出せない。

 霞む視界。這いよる闇が、芝原の生命を奪おうとしていた。

 そのまま、目を閉じようとする――その刹那。


「諦めるな!」


 遥か彼方から、その声は響いてきた。

 鋭く、そして叱咤するように。自分の名を呼ばれた芝原は、ハッとして意識を取り戻す。安易に死を受け入れようとしていた自分に恐怖しつつ、声の出所を探す。

 空中でもがいて、首を振ってみるが暗闇で何も見えない。人影もないが、何かを叩くような音だけが高速で芝原に近付いてきていた。


(響里なのか……!?)


 唇が喘ぐ。痛みが、言葉にするのを邪魔している。

 そして。

 落下する芝原の真横を、何かが追い抜いた。

 見覚えのある、その背中。彼は鉄骨を蹴りながら跳ねるようにして、どんどん上へと昇っていく。


「響里!!」


 かすれた声が、血と共にようやく発せられた。

 響里は芝原の方に顔だけ振り返り、力強く叫ぶ。


「救うんだろ!? 伝えなきゃいけないことがあるんだろ!?」

「――!」

「だったら最後までやり通せよ! 自分で決めたことなら、ケジメをちゃんとつけて生きろ!」


 研究所にいた彼が、どうしてこんなところにいるのか。さらにはどうやって移動してきたのか定かではない。

 いや、むしろどうでもいいのだ。投げかけられたその言葉。息を吹き返すには十分すぎるほどだった。芝原の魂の火種が、再び燃え盛ろうとしていた。

 軽やかに跳躍していく響里が、刀を素早く抜き放つ。そして、さらに加速するように強く鉄骨を踏んで望月に迫る。


「うぉぉおおおおおおおおお!」


 交錯する瞬間。

 望月の攻撃をかいくぐるようにして身を丸めた響里は、そのまま刀を押し出すようにして望月の胸を貫く。ロケットのように勢いをつけたことと聖傑の力が乗った刺突は、分厚い胸筋をものともせず深々と突き刺さる。


「ガァァアアアアアアアア!」


 怪物が叫びを上げた。これまで受けたことのない苦痛なのだろう。

 密着したままの響里が、刀を持ち替えた。振り切るようにして勢いよく横へ薙ぐ。胸を裂き、大量の血飛沫が響里にかかる。

 その光景を見ていた芝原は、顔をしかめて強くかぶりを振った。


「だめだ! そいつはすぐに再生を――!?」


 言いかけて、芝原は目を見張った。

 響里が懐から何かを取り出している。一見して、それは大きなカプセルだ。彼はそれを斬り裂いた胸元に強引に押し込んだ。どれだけ返り血を浴びようとも関係ない。無理矢理に捻じり込む。


「今だ、撃てぇぇええええええええええ!」


 その叫びは当然、芝原に向けて。

 怒り狂った望月が響里を蹴り飛ばす。鉄骨が歪むほど強く叩きつけられた響里は、そのまま力なく落下していく。

 本来ならば、そこで響里を助けに行くのが正解だろう。だが芝原の視線は、望月に釘付けになっていた。

 響里が何をしたのか。ただ単に斬りつけただけではない。

 彼が託したもの。

 望月の傷口が修復しない。無残に抉られたまま、血を垂らし続けている。

 あのカプセルが関係しているのか。


『智樹、チャンスだ!!』


 芝原の瞳が輝きを放つ。全身からほとばしる緑の蒸気が、間欠泉のように噴き上がった。

 引き金に指をかけ、銃口を望月に向けた。狙いは、その胸元――カプセルに。緑の粒子がシルバーのガバメントに集う。優しく撫でながら銃身を伝い、脈動するように一つの光となる。


「雄太郎ォォォオオオオオオオ!」


 芝原の残された気力全てを振り絞って生み出された銃弾。それは決して力強いものではなかった。けれど、あまりにも真っ直ぐに。正直すぎるほどに。思いの丈をぶつけるために。そう導かれるようにして、望月の胸元に届く。

 カプセルが木っ端微塵に割れた。

 中身の薬品ぶち撒かれ、望月の肉体に浸透していく。怪物と化した男が、激しく苦しみだす。

 予想は的中したのだ。響里がどこであんなものを手にしたのか見当もつかないが、間違いなくワクチンだ。

 あれだけ膨張していた筋肉がみるみるうちに収縮していく。咆哮のような叫びを上げながら、徐々に本来の人間としての姿に戻り出す。

 瞬間、地上から爆発的な突風が吹き荒れた。

 聖傑となった芝原が呼び起こした、風の恩恵だ。自然が感謝するかのように、三人を一気に上空へと運んでいった。





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