第二十九話 二人目
シルバーのガバメントが唸りを上げる。
注射器を粉砕した初撃。これはなにも、手元が狂ったわけではない。
ウォルターの脳は正しく沸騰の極みだったが、馬鹿正直に己の成果を見せびらかした望月へのあてつけの一発だ。
しかし、今度は正真正銘、明確な殺意を込めた弾丸を放つ。狙いは望月の眉間。脳天を吹き飛ばす――そのために。
が、その弾丸がめり込んだのは、奥の管制室へと通じる扉だった。
恐るべき反射速度でその場に身を沈めた望月は、翻ったコートに潜り込ませるように手を忍ばせる。握りしめた黒光りの物体。ハンドガンの銃口が、今度はウォルターの胸元に向く。
「――ッ!」
ウォルターの舌打ちと望月が引き金を引いたのは、ほぼ同時。
即座に横っ飛びし、弾丸を回避。しかし、続けざまに銃弾の嵐が襲い掛かる。
望月の銃の腕前は、ウォルターよりも若干劣るものの、確実に狙いを定めたものを始末する程度には備わっている。要はスナイパー向き、というやつだ。
つまり、素早く動き回る対象を射殺するのは苦手。望月は戦闘能力によって今の地位を築いたというより、頭脳で勝負してきた男だ。
だからこそ、ウォルターは奇策に打って出る。撃ち合いなら負けないだろう。しかし、姑息な望月は何をしてくるのか分からない。
ならば――と。
弧を描きながら廊下を駆けるウォルターは跳躍。重力を無視したかのように壁を走り、遂には天井へ。望月の真上から銃撃を見舞う。これには面食らった望月がすぐさま後方へ飛び退くも、ウォルターは逃さない。床に着地し、望月に肉薄する。
「シッ!」
自らをコマのように回して蹴りを放つウォルター。望月のアゴを狙ったつもりが、轟いたのは重い打撃音。望月は動きを予測し、一歩引きながら己の蹴りをぶつけたのである。
「さすがだな、ウォルター! まるで曲芸だ!」
「そいつはどうも!」
至近距離。
過去、この悪逆都市を生き抜くため身に付けた戦闘スタイルは互いに不本意ながら似通ったらしく、今度は同時に銃口を突きつける。
さらに、その引き金さえも。
一分のズレもない破裂音から射出された銃弾が、狂いもなく二人の眉間に吸い込まれていく。
その間、僅か数秒。
人間の動体視力で対処に移るのでは遅すぎる。それこそ、数多の死線を経験した上での予測が薄氷の勝利を呼び込むのである。
瞬時に首を捻り、弾丸をかわす両者。しかし、バランスを崩したのはウォルターだった。無理な体勢が災いし、軸足に負担がきた。
「は!」
確信の笑み。
生まれたウォルターの隙を、望月が逃すはずもない。
「いい機会だ。見せてやろう、幾年にも及ぶ努力の結晶をな!」
ウォルターの顔面を鷲掴み、全身を振って力任せに投げ飛ばす。並の成人男性とは思えない怪力だが、軽々とウォルターはガラスを突き破り、セクション4の研究室の中に叩きつけられた。
ウォルターの「ぐっ……」という呻き声は、けたたましいサイレンによってかき消された。防犯装置が作動したのだ。施設が異常を感知したために照明の色が元に戻り、フロア全体が明るくなる。
「ウォルターさん!」
咄嗟に叫ぶ響里の視界の端で、望月が猛然と室内に飛び込んでいった。
――直後。
怒涛の銃声の波が荒れ狂う。
望月の追い打ちか。それともウォルターの反撃か。もしくは、その両方。響里には爆音の違いなど当然分かるわけもなく、ただただ不安を煽るだけにしかならない。
「くっそ!」
自らもあの爆心地へと身を投げ出そうとした、そのときだった。
焦燥感が周囲への警戒心を排除してしまっていたのだろう。音もなく忍び寄る気配を察知できず、反応が遅れた。
「ッ!?」
背後にいたのは、望月の傍にいた側近の男。
細身なその男は、銃を持たず刃物すら携行していない。ならば体術――という響里の判断も、僅かに外れていた。
別の意味で恐ろしい武器が、響里の眼前に迫る。突き出された右手。五指を真っすぐ伸ばした、いわば手刀だ。
振り返りの動作が幸いしたのか、その勢いで回転したことで顔面は避けられた。しかし、肩口の肉が抉り取られ、鮮血が噴き出す。
「ぐあ……!」
痛みに呻きながら、たたらを踏む響里。
英傑を宿したことの恩恵。それは剣技だけでなく、防御面にも現れている。それをも凌駕する貫通力に、響里は愕然とした。
(なんだ、この人……。まさか……!)
肉体の硬化。
望月は薬剤の説明の中で確かに、そう言った。ならば、この男は自分の身体を部分的に改良したのか。
望月の側近は、血の付着した白手袋をさらに深く、指先を食い込ませながら響里を見つめている。感情の一切が欠落したような無表情で。
革靴の音を立て、ゆっくりと円を描くように止まった先は、ウォルターたちが戦闘を続ける割れた窓ガラスの前だ。
「そっちには行かせないってこと……か」
言葉を持ち合わせていないとばかりに、側近の男は何も語らない。
主を守る忠実な機械の如く。
鳴り止まない銃声。
中の設備だろうか、金属系の何かが破壊されていく音までどんどん酷くなっていく。
響里は深く息を整え、太刀をゆっくりと構えた。
◇ ◇ ◇
激しい銃撃戦によってこれでもかと破壊された研究室は、さながら宇宙船のような構造をしていた。
青白い壁は所々巨大なスクリーンになっていて、網の目のような電子回路が輝きを放ちながら走っている。
棚に並べられたカプセルは作成された薬品だろう。無残に割れて、中の液体が床にまで垂れている。これを、壁に密着した椅子に被験者を座らせて投与し続けていたのだろう。
人間を根本的に変えてしまう実験を平気で行っていた研究員はどこにもいない。裏口から逃げたのか。他人をいじくるのは好きでも、わが身は可愛いらしい。
「ぐは……!」
血まみれのウォルターが膝をつく。
身を潜める場所もないこの部屋は、いわばガンマン泣かせであった。
近接からの大立ち回りで身を投げ出すに他なく、ウォルターの肉体は銃創まみれだった。
「最高だよ、ウォルター。ホント、あの頃を思い出すな」
感慨にふける望月も、血を流しながら対峙していた。
どちらも瀕死の状態。しかし、望月は愉しげに笑う。
「毎日毎日、生きるために必死だった。心臓の鼓動がいつ消えてしまうかという恐怖。それに抗うのに歯を食いしばって耐えていたよな」
懐古の言葉。ウォルターは痛みに歪めながら、無理やり笑みを作る。
「ふん。臆病者の戯言なんか知るか。要はそれに負けて俺たちを巻き込んだんだろうが。拾われた恩も忘れてな」
「友情もクソもなかっただろうに。所詮は、寄せ集めの集団だ。ヤクやって勝手に死んだバカもいたぞ」
「ああ。だからこの掃きだめのような世界じゃ、もがくことに価値があんだよ」
悪事なんか散々働いた。確かに、仲間と呼べるような間柄じゃない。しかし、事を成した後の酒の旨さ。ジョッキを酌み交わせて呑んだ酒の味は最高だった。
「俺はそれが嫌だった。本当の意味でお前は分からないんだ。この街の素晴らしさが。救いようのない絶望が、歓喜に満ち溢れる――その瞬間を!」
興奮交じりに吼える望月は何を思ったのか、ウォルターではなく、真横に銃を撃つ。大きな音を立てて割れたのは、円柱型の透明なガラスケース。望月身体を引きずりながらゆっくりと近づき、カプセルを手に取った。
そして、取り出した注射器にセットする。
「お前……、何を……」
呟く言葉とは反対に、ウォルターの脳裏にかすめたのは恐ろしい予感。ありえない……、そう結論付けた行動を、望月は実行する。
「言っただろう? 見せてやると。これが俺の長年の歳月をかけて叶えた夢の成果だ!」
自分の腕に注射器を押し込む望月。プシュッ、という空気の抜ける音と共に、液体が望月の中に流れていく。
「な……」
「ははは、ははははははは!」
歓喜に震える望月の表情が変化したのは、その直後。
ありえないほどに隆起した血管が、蛇のように全身を這いずりまわる。
「ぐぐ……、ぼ……!」
嗚咽よりも醜くく、口から大量のよだれが湧き出る。
啞然とするウォルター。そこに、別の声が響く。
「雄太郎!?」
扉から現れたのは芝原だった。部屋の外では響里が戦っていたはずだが、隙を見て入ってきたらしい。
「バカ野郎! 来んじゃねぇ!」
芝原が硬直する。
ウォルターの非難に対してではない。旧友の変貌していく姿に、愕然としてしまったのだ。
「ギギ……、ギ……!」
スーツも弾け、筋肉が加速度的に膨張していく様は、ウォルターですら目も背けたくなるぐらいだ。頭髪も抜け、まるで神話の怪物の如く進化を遂げた望月は、咆哮を上げた。
「雄太郎……」
その呻きに、異形の望月が反応する。
「シバ……ハラァ……!」
微かな理性か。否、そこにあるのは恨みの情動。喉を潰したような声を発しながら、地面を踏み鳴らして近づいていく。
「くっそ!」
咄嗟にウォルターは駆け出した。
腕を横ぶりに、芝原を吹き飛ばそうと無造作に振るう。彼らの前に割って入ったウォルターが、何トンもの衝撃をまともに受けた。
「があッ!」
壁に叩きつけられるウォルター。
「ウォルターさん!」
芝原が駆け寄る。意識はあるようだが、ウォルターは指一つ動かせない。
背後に巨大な影が忍び寄る。
荒い呼吸をまき散らす望月に、両手を広げて芝原は叫んだ。
「もうやめてくれ、雄太郎!」
怯え。声を震わせながら、それでも芝原は叫び続ける。
「殺すなら俺を殺してくれ! それで何もかも終わらせてくれ!」
「ばか……やろう……!」
そんな無様な懺悔で許すわけもない。相手を逆撫でするだけだ。むしろ、そもそも言葉なんて届いてないのか、望月の巨大な右腕は目一杯引き絞られている。
「雄太郎!」
魔手が伸びる。覚悟を決めた芝原は瞳を閉じた。
肉を貫く、その音。
しかし。
衝撃も、痛みすらもない。目を開けた芝原は、衝撃的な光景を目にする。
「ぐぼ……!」
芝原の視界は、ウォルターの背中で埋め尽くされていた。腹部から腰にかけて、おびただしい血が付着した望月の手が覗いていた。
「あ……あ……」
ウォルターが庇った。その受け入れがたい事実を脳が理解する。
「ああああああああ! ウォルターさぁぁぁあああああああ!」
慟哭。
叫びを上げる芝原に、ウォルターはゆっくりと顔だけ振り返る。
「……ったく、俺もバカだよな」
ごぼっ、と鮮血が口から零れる。腕を引き抜かれ、崩れ落ちるウォルターを芝原は慌てて受け止めた。
「ウォルターさん! ああ、ウォルターさん!」
ぐったりとするウォルターは、それでも笑みを浮かべていた。
「何やってんだかな……。これじゃ、弟のカタキが討てね……じゃねぇか……」
「どうして……」
困惑、悲嘆。ぐちゃぐちゃに混じり合った表情の芝原に向けて、穏やかに優しく。ウォルターの白濁した瞳は、芝原に確かに向けられていた。
「……智樹。いいか、お前は……死ぬな」
「ウォルターさん……!」
首を何度も振って、芝原は死にゆく彼の名を呼ぶしか出来ない。
「アイツを……救いたい……か?」
ハッとした芝原が、涙を流しながら頷く。
「なら……力を示せ。俺たちのような臆病風に吹かれてたら、何も……解決しないんだ」
最後の力か。ウォルターの右腕が、芝原の頬をそっと撫でる。
「伝えたい……ことがあるなら、お前の罪ごと……撃て」
そうかすれた声でウォルターは言葉を残した。
頼りなく滑り落ちていくその手を、芝原は見つめることはない。
獣のような咆哮が、室内を揺るがす。ウォルターの死を嘲笑うでもなく、悔いているわけでもなく。心など、とうに失くした望月という男の残滓。最早誰彼構わず殺戮するだけの怪物を、芝原は見据える。
その視線には、もう懺悔を乞うような軟弱さは微塵もない。
「分かったよ、ウォルターさん」
抱きとめた芝原の全身に、光が宿ったのはその直後だった。
燐光が立ち昇り、柔らかに芝原を包む。
「お前がそこまで堕ちた原因が俺にあるというのなら、命を懸けて止めてやる」
風が、吹き荒れる。
草原を彷彿させるような淡い緑の粒子がウォルターに絡まり、蔓のように縛る。やがて、ウォルターの肉体は消失し始め、その欠片は芝原へ流れ込んでいく。
「お前の罪も業も、俺が全部背負ってやる。それが俺の覚悟だ!!」
そして、融合する。
弱気な少年と、どこまでも斜に構えた英傑。
傑物の領域へ、進むために。




