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聖傑  作者: 如月誠
第ニ章 罪と業編
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第二十八話 黒き衝動

 響里たち三人は、セクション4に到達していた。

 その間、物騒な連中の歓迎はとどまることを知らない。熱烈を凌駕して苛烈。大挙して押し寄せるマフィアを片付けるのは骨が折れた。そんな人数が、研究室以外のどこに待機していたのかと思うほどだ。

 ――加えて。

 響里は、とある違和感を抱えていた。

 各セクションを突破する度。そして、聖傑の力を以てすれば取るに足らないであろうマフィアたちを倒すごとに、その違和感は強くなってきていた。


「――おい、響里。気付いてるか?」


 セクション4の廊下で、ウォルターが肩で息をしながら言った。

 このセクションは他のエリアとは違い、妙に薄暗い。等間隔にある血のような色の照明。光量としても乏しく、なおかつ、かなり寒い。薬品の匂いはどこも一緒だが、ここだけは金属の独特な匂いの方がより強く感じた。


「……敵さん、えらくタフになってきてるぞ」

「ウォルターさんも思いましたか」


 どっと疲れたように長い息を吐く響里。


「どういうことでしょうね、これ」

「え? え? 何が? 何がどしたんだよ?」


 ここまで恐怖に抗いながら必死についてきた芝原が、前方の二人の背中を交互に見やる。

 響里は、床に転がっているマフィアたちを一瞥して答えた。


「相手、強くなってきてるんだよ。しかも急激に」

「? そりゃあ……そんなもんじゃないか? 奥に行けば行くほど精鋭を配置するのは定石ってもんだろ。雄太郎が自分のトコにまで来いって言ってたし……。俺たちを試してるんじゃ……?」

「そう思う。だけど、そうじゃないんだ」


 煮え切らない響里の返答に、増々怪訝な表情になる芝原。つまらなそうに鼻を鳴らしたのはウォルターだ。


「要は簡単に倒れてくれねぇってことだ。弾丸も当たりゃ痛えだろ。俺も一応急所にブッコんではいるんだがな、野郎どもそんな素振り全然なかったろ」

「あ、確かに……」

「血噴き出しながら平然と襲ってきやがる。まるでゾンビみたくな」


 ウォルターの言葉に、重々しく頷く響里。


「俺も……。最初はそこまで力を必要としませんでした。だけどこのエリア……。一人一人に全力を込めなきゃ無理でした」


 刀を握る右手が痙攣していた。

 これまで普通の人間を相手にする場合、腕力など必要なかった。咲夜の英傑としての力、そのものを活かすために柔らかく刀を振る。それが鋭い剣閃となり、切れ味が増す。

 しかし、セクション4のマフィアたちにはその方法が通用しなかった。完全な力任せ。峰で強引に殴りつけるといった方が正しいかもしれない。


「まるでタイヤを叩いてるような感触でしたよ。“安綱”が折れるかと思いました」


 不安になった響里は、刀身を顔に近づけてみる。幸い、刃こぼれはないようで、安堵の息を漏らした。


「……あんのヤロー。こりゃあ、やっちまったみてぇだな」

「……? ウォルターさん、どういうこと……スか?」

「ここがどういった場所か、もう一度よく考えてみな。そうすりゃ自ずと――」


 芝原もようやく一つの結論に行きついたのか、ゆっくりと瞠目していく。

 そのときだ。

 場違いな拍手が、三人の緊張を高める。

 三人の前方――管制室の扉が開き、人影が姿を現した。

 トレンチコートを羽織った、短い黒髪を逆立てた男。頬がこけているが、決して痩せているわけはなく、むしろ筋肉質だった。コートの上からでも分かる胸筋は盛り上がり、肩幅もある。軍人上がりのような体躯による威圧感は相当なものだった。

 彼の後ろに、もう一人男がいるがこちらはむしろ真逆。スーツを着たビジネスマン風の出で立ちだ。


「素晴らしい。あれだけの人数をものともしないとは」


 にっこりと笑みを浮かべて拍手を続ける、トレンチコートの男。手放しの称賛を送るその男を視界に捉えた瞬間、真っ先に声を発したのはウォルターだった。


「望月ィィ……!!」


 肉食獣の如き唸り。こうして相対するのは、過去の裏切りに遭って以来なのだろう。今にも噛みつきそうな勢いだが、その衝動を無理矢理抑えつけているかのようだった。


「そう睨むなよ。感動の再会じゃないか。旧交を温めるのも悪くないと思うが?」

「ざけんな。こっちは、はらわたが煮えくり返ってしょうがねぇんだ。理性のセーフティはとっくに外れてんだよ」


 銃を構え、挑発するように指を引き金から外して遊ばせるウォルター。引きつったように唇を歪ませるその表情が笑みだということに、彼自身、血が沸騰しすぎて気付いていないだろう。


「ほう。まだ遊び足りないとみえる。やはり試作段階では満足できなかったか」

「……やっぱりか。キメてやがったな、このクソ野郎」


 確信めいたウォルターの口ぶりに、望月の笑みがより深みを増す。

 その嗜虐的な表情は、とても響里や芝原と同年代とは思えない程の闇を内包していた。裏社会に長年身を置いてきたからこその冷淡さ。その余裕。小物感は微塵もない。

 張り詰めた空気。喉の渇きすら覚えてしまうその時間を破ったのは、意外にも望月の傍に控えるスーツの男だった。

 銀のジェラルミンケースを取り出した彼は、こちらに見えるように静かに開けた。中身は五本の細長い管。それがまるで高級品のように、光沢のある緋色の布の上に乗せられていた。


「新薬の実験台として彼らに投与した。効果は身をもって知っただろう?」


 医療用の注射器だろうが、入っている緑の液体はいかにも毒々しい光を放っている。望月は真ん中の一本を取り出すと、これ見よがしに軽くプランジャを押してみせた。


「肉体の硬化に加えて高い再生能力。極度の興奮状態に陥るが、まあそこは副作用にもならないだろう」

「んで、出来上がったのはキリングマシーン共ってわけか。悪趣味を通り越して下劣だぜ」

「誉め言葉として受け取っておこう。こいつのおかげで俺は“ザ・ペイン”のトップになれたんだ。そして、ゆくゆくは商品化し、裏組織だけでなく一般層にまで広がれば、俺は間違いなくこの街の王になれる」

「はっ、反吐が出るね」


 眼光鋭く、吐き捨てるウォルター。

 やはりか。そう響里は思いながら、再び地面に転がるマフィアたちに視線を落とす。

 筋力増強剤。簡単に言えば、まあそんなところだろう。とはいえ、現代に普及しているものよりも遥かに悪質なものには違いない。どれだけの期間や量を投与されていたかは知らないが、高い効果の代償は人間を内から破壊してしまうほどのもの。それこそ死をも(いと)わない、まさに使い勝手のいい実験台としてこのマフィアたちは道具にされたのだ。


「雄太郎!」


 放たれたのは、悲愴交じりの叫び。芝原だ。望月の笑みは一瞬にして消え、彼の方へ目線だけをずらす。


「……芝原」

「お前、何やってんだよ。一体どうしちまったんだよ!?」

「愚問だな。お前に俺を非難する資格はないはずだが」

「…………ッ!」


 かつての友との再会。マフィアの頭目となり果てた望月の瞳に宿るのは侮蔑の色のみ。


「にしても、小学校以来か。お前はあのときのままだな。腑抜けたような間抜け面。我も欲もない。あれからもお前はヘラヘラと他人の顔色ばかりうかがって生きてきたか」

「……そんな、こと……」

「お前は、自分が他人からどう思われているか気になって仕方がなかったんだよな? だから必死に周囲と波長を合わせていた。俺と付き合ったのもそうだろう? クラスのトップだった俺と友人ごっこしていれば、決して周りから疎まれることはない。だから俺を利用したんだよな?」

「違う! 俺は本当にお前を親友だと――!」

「じゃあ、何故俺を裏切った!!」


 望月の荒げた声に、ビクッと肩を震わせる芝原。そこに取り繕っていたであろうビジネスマンとしての仮面は割れ、望月が感情を剝き出しにする。


「この裏切り者が! 俺はお前のせいで人生を狂わされたんだぞ!!」

「そ、それは……!」


 果てしない動揺に呼吸もままならない。芝原の膝が、力なく落ちる。


「芝原くん!?」


 呻きながら頭を抱える芝原に、響里が駆け寄る。その様子を見て、望月が嘲るように鼻で笑う。


「お前がそのクズの新しい友というわけか。つくづく、誰かに依存しなければ生きていけないのだな」

「なんだって……!?」


 さすがに看過できないと、響里が憤怒の眼差しで睨む。その感情が聖傑の力で増幅され、おぞましい殺気を放つも、望月は歯牙にもかけない。


「ソイツを庇うメリットなんて何もないぞ。語ってやろうか、芝原智樹という男が何をしたのかを」

「…………!?」


 項垂れていた芝原は絶望に顔を歪ませた。対して、冷淡に望月が告げる。


「確かに、あの頃は常に一緒だったよな。それは正に契約のように、解除不能な縛りのように、な。いや、今にしてみれば呪いのようなものか」


 薄い笑みを含ませて語る口調に、懐古の温かみは一切ない。


「あ……、ああ……」


 芝原の口から漏れるのは、相槌か、それとも喘ぎか。判別不可能なぐらいに、掠れている。


「だが、ある日。お前は破ったんだよな。理由などどうでもいい。仕方なく俺は別の奴等と遊んでいた。その帰りだ、俺が足を失ったのは」

「失った……?」


 響里は思わず望月の足元へ目線を動かす。鍛え抜かれた足元はスーツの生地がぴったりと張り付いている。言葉の意図が理解しかねていると、望月が淡白に言った。


「車に轢かれてね。下半身不随だ。あの事故で、俺の人生は終わったんだよ。芝原、お前のせいでな!!」

「望月、俺は――!!」

「黙れ!! 俺が苦しんでいたにも拘らず、お前はのうのうと生きていた。なんだ、もう遊べないからと俺を切り捨てたか! クラスのヒエラルキーを維持するために別の奴らと組んで、俺を元からいない者として扱ったか!!」

「ち、ちが――!」


 芝原の悲痛な叫びも、望月の罵倒にかき消される。

 どれだけ言い繕っても、心には響かない。謝罪しようとも無意味なほど、望月の心は淀んでしまっている。そして、芝原に巣くう罪の意識が、言葉すらも奪って痛みとして牙をむいているようだった。


「だが、先ほども言ったように、俺は第二の人生を得ることが出来た。導かれたんだ、このミッシリオにな」

「まさか……世界の創生……?」


 響里の呟きに、僅かに肩眉を上げる望月。


「それは……誰に……」

「何を言っているかは知らないが、ともかく動かなくなっていた足も簡単に治った。この世界は最高だ。薬さえあれば不可能なことは何もない。生き抜くのは大変だったがね」


 響里の脳裏に、この異界に来る前の記憶がよぎる。黒い霧の中に、一体だけ車椅子の人影があった。悪意の投影である霧は、きっとこの男から増幅されたもの。果てしない恨みが、芝原の身も心も潰さんとして誘ったのだ。


「その頃に俺たちと出会ったわけか」


 今度はこちらと話す番だ、とばかりに銃を構えたままのウォルターが口を挟む。望月の表情が再び冷徹なものに戻る。かつての温い日常ではなく、血と硝煙にまみれたアンダーグラウンドの闇に浸ってきた現在の微笑へと。


「ああ、そうだ。懐かしいな」

「裏切り者、ね。どの口がいうのか」

「学んだのさ。頼れるのは結局、己自身だと。だが、本音を言わせてもらえれば、ウォルター……、君たちと過ごした時間は最高だったよ」

「痒すぎて虫唾が走るね。死んだ仲間にそんなことを言ってみろ、八つ裂きにされて汚ねぇローストビーフの出来上がりだ」


 望月が哄笑する。

 かつて、二人は困窮していた生活から脱却するため、同じギャングチームに属して日々を食いつないできた。

 望月がいつこの異界に来たのかは定かではない。ただ、同世代の人間がこんな悪徳の街で、まして一人。最初は地獄に思えただろう。だが、皮肉にも純潔な心が奪われていたことで、ある意味馴染みやすかったのだろう。

 眼窩の奥の闇――あれは血生臭い世界に染まった者だけにしか宿らない空虚だ。


「俺も必死だったのさ。こうしてザ・ペインに取り入るためにはどうするべきか。分かりやすく功績を上げる必要があった」

「ほう……。それが俺たちを殺すことだった、と」

「そんなとこだ。だが、お前の弟は利用価値があった。一応誘ったんだぜ? “一緒に来ないか”とな」

「答えは聞くまでもない。ノーだったろ?」

「そう。実はな、俺はかねてからこの薬の計画は立てていたんだ。そこにザ・ペインは乗っかってくれた。お前の弟は、その実験台第一号として予定していたんだけどね」


 手にした注射器を満足げに眺めながら、肩をすくめる望月。


「アイツは俺の計画に気付いていたようでね。邪魔だから消したよ」

「貴様ぁぁぁああああああああああ!」


 これまで強引に抑えていた怒りが噴出する。

 放たれた銃弾が、望月の握る注射器を粉砕。液体が激しく撒き散った。


 それが、開戦の合図。


 長い年月を抱えてきた、その業。解き放つべきは今とばかりに、ウォルターの咆哮が爆発する。





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