第二十七話 軸
メイルローレンス製薬――ミッシリオの北東、沿岸部に建造された巨大製薬会社。
この辺りは工業地帯になっており、都市部のような華やかさは微塵もない。寂れた印象なのは、潰れた工場跡が多いせいだろう。海からの湿っぽい空気と、剝き出しになった鉄骨の山。正しく、廃棄区画といって差し支えない。
その中で唯一、稼働しているのがメイルローレンス製薬だった。
近未来的なドーム型の研究施設。清潔感そのものを表現しているかのような全面真っ白な円柱形の外観は錆び一つない。あまりいい環境下ではないはずだが、壁面の手入れすら行き届いているのは、それだけ資金が潤沢だという証明だろう。
太陽が地平線の落ちようかという時間帯。
施設内の照明も灯り出す、そんなとき。一台の車が甲高いスキール音を響かせる。
まっすぐ伸びた道路を爆速で駆け抜けて、敷地の入り口で一旦停車。エンジンをふかし、ロケットスタートを決めて突入する。関係者専用ゲートを粉々に破壊し、そのまま速度を緩めることもなく、正面玄関のガラスまでぶち破った。
あまりに豪快。そして正々堂々。そんな不法侵入を成功させたのは、言うまでもなく響里たち三人だ。
エントランスで、華麗なターンをしながらようやく停車した車。腰砕けのように這い出てきたのは響里と芝原だった。
「ふええええ……」
失神しかけているのか、芝原は泡を吹いていた。響里も、冷たい床に横たわって弱々しく呻く。
「今度こそ死んだと思った……」
「だらしねぇな。それでもサムライか?」
運転席から悠然と降りたウォルターが呆れた様子で言う。
「俺の知ってるサムライはクールの極みだぞ?」
「い、意味が分かんないです……」
抗議する気力もない響里。
「しかも借り物の車でしょ、これ……。こんな乱暴にして大丈夫なんですか……?」
「知らん」
ボンネットも変形し、バンパーも外れかかった車からそっぽを向くウォルター。
この車は、マフィアとの交戦を見物していた赤の他人の物だった。強奪――もとい、拝借をして、こうやって乗り込んできたのである。ちなみに、マフィアにやられた彼の車はあの場所に放置してある。
「もっとこう……穏便なやり方があったんじゃ……。絶対バレましたよ、これ」
「厳重警備の包囲網を突破する唯一にして簡単な攻略法は、正面から突っ込むことなんだよ。計画的かつ、慎重に迅速に……なんて軍隊のすることだ。コソコソやるのはそっちに任せればいい」
なんて暴論を……と、苦々しい表情を浮かべる響里。どうせ、感情に任せての単なる無茶だというのは分かり切っている。
「どうせ望月のクソ野郎を倒せば世界が終わるんだろ? なら、その前段階にどデカい打ち上げ花火も悪くねぇ」
飛び散ったガラスを踏み潰しながら、ウォルターが首を鳴らす。ようやく会える仇敵を前に、興奮を抑えきれないようだ。
修羅場を幾度と越えてきた者だけが纏う、感性の違い。生と死――その狭間で常に自分の命をチップで賭けてきた男だからこそ、響里の常識とは違う次元で生きている。
こうなった以上、もう前へ突き進むのみ。響里は芝原を起こし、とっとと先に行こうとするウォルターを追いかけようとした。
そのときだ。
けたたましいアラート音が、館内に響き渡る。
『警告。研究所内で非常に強い衝撃が発生。関係者は速やかに原因の調査及び、対応を行ってください。繰り返します――』
続いて流れるアナウンス。抑揚のない機械音声が、まるで他人事のような文言で響き渡る。
この一世一代の突入劇を目の当たりにした警備員数名は、無論のこと三人の周囲を取り囲んではいるが、こういった事態に不慣れなのか最早案山子。戦意すらない。
――と。
エントランスの奥、両脇の通路が慌ただしくなってくる。
複数の近づいてくる足音。ぞろぞろと姿を現したのは、どれもこれもシックなスーツに身を包んだ男たち。とはいえビジネスマンとは真逆、とても堅気の道を歩んでいるとは思えない人相。事実、手にしているのはカバンではなく、物騒な銃だ。
男たちの数はざっと四十人以上。それを見て、我先と逃げ出す警備員たち。
「ウォルターさん。こいつらも……?」
響里が啞然として問う。
「ザ・ペインの構成員だろうな。こいつら、ここまで勢力を強めていやがったか」
ウォルターが軽く舌打ちをする。
「ミッシリオってのは、複数のマフィアが割拠する街。ザ・ペインなんて、マジで弱小の部類だったんだけどな。俺も知らん間にどんだけ数増やしてんだ」
『それは私がトップになったためだよ』
警告アナウンスが、突如、落ち着いた男の声に切り替わる。否、割り込みだ。
『ようこそ諸君。我が城へ』
スピーカー越しに語り掛けられる。
エントランスに設置された監視カメラで、様子をモニタリングしているのだろう。
『久しぶりじゃないか、ウォルター・レイブン。お前が生きているということは、私の招待状は気に入ってくれたようだね』
「望月……!」
強く歯噛みしたのはウォルターだ。
「俺があんな襲撃で死ぬとでも? ナメんなよ」
『ほんのご挨拶じゃないか。しかし……たった数年で、こうも立場が変わるとはね。俺はマフィアのトップ、君は地面を這いつくばるドブネズミだ』
「ふん。お前を殺すためだ、底辺の暮らしもそこそこ悪くなかったぜ」
『強がりを。だが、君にはお似合いだがね。それと――』
望月と思われる声が、言葉を切った。そして次に放たれたのは、紳士的な口調から一転。寒気を催すほどの低い声音。
『そこにいるのは、智樹か。本当に何年ぶりか』
「雄太郎!!」
絞り出すように芝原は叫ぶ。
『よくもまあおめおめと、その間抜け面を出せたものだ。何の用か、さえも訊きたくない』
「雄太郎! 俺はお前に話が――!」
『今さらなんだ。貴様のおかげで俺は地獄を味わった。話すことなど一ミリもない』
僅かな怒気を孕ませて、望月は拒絶。
芝原に対し、望月は相当な恨みを抱いているようだ。響里には彼ら二人の間に何があったのか、当然知らない。芝原の罪。これまでの彼の様子からして、ただ事ではないとは思うのだが――。
『俺とお前では文字通り、住む世界が違う。その点では感謝しようじゃないか。俺がこうして裏世界の地位を築けたのだからな』
「やめてくれ! お前はそんな奴じゃなかっただろ!?」
『小さい頃少しだけ一緒にいたお前に、俺の何を理解している? いいだろう、ここまで来い。そうすれば、話す機会を与えてやろう』
「雄太郎……!」
『ここは四つのセクションに分かれている。それぞれが違う薬品の開発をしていてね。渦を巻くような構造なんだ。私はセクション4の更に奥――ドームの中心の管制室にいる。そいつらを倒して、ここまで来たまえ』
望月の嘲笑が、プツリと途切れた。
「雄太郎!!」
「――智樹」
虚空に叫ぶ芝原。複雑な感情に表情を歪めるその少年を、ウォルターが澄んだ声で呼ぶ。
「行くぜ。ツアーの会場には到着してる。後は壇上にいるアイツの元に一直線だ」
「ウォルター……さん……」
芝原の腕に抱えられている己の銃を指さし、不敵に笑うウォルター。それから懐に収めていたもう一つのガバメントを取り出し、前方に顎をしゃくる。
「あの観客の呑まれないようにしっかりついて来いよ?」
マフィアたちが、じりじりとこちらに近寄ってくる。せせら笑う男たちの、その余裕。手にした銃を構えようともしない。
響里も再び、力を解放する。黄金色の光が全身から放たれ、空間を爆ぜる白い雷を静かに握りしめる。
――顕現。太刀“安綱”を手にし、ゆっくりと腰を落とした。
「咲夜さん、準備はいい?」
そうして問いかけると、艶のある愉しげな声だけが返ってくる。
『いつでも』
心地よい女性の声に一瞬惑わされたマフィアたち。その隙を狙い、響里が突撃を開始。援護とばかりに、ウォルターが目にも止まらぬ速度で引き金を引いた。
風穴が開く。
正面の一角に、血飛沫が舞う。
数人のマフィアたちが仰け反ったその穴に、響里が即座に飛び込む。刀に雷を纏いながら跳躍し、地面へと思いっきり叩きつける。爆発的なエネルギーがフロアを抉った。紙切れのように吹き飛ぶ周囲のマフィアたち。
相手に動揺する暇も与えない。
響里は地面スレスレを這うように疾走しながら、斬撃を繰り出す。無用な殺生はしない。峰を返して叩き、ときには蹴り飛ばす。波のような集団の半分が、易々と削られていく。
「さあ、早く!」
響里の叫びに反応し、ウォルターと、やや遅れつつ芝原も続く。
ようやく反撃を開始したマフィアの銃弾が飛び交う中、二人は一直線に奥の通路へと向かう。
しんがりを務めるのは響里だ。
盾になりながら、マフィアたちを蹴散らしていく。途中、ウォルターの銃撃も加わりながら、僅か数分足らずで一掃していった。
「よし、行くぞ!」
「はい!」
そのまま研究所内に突入する三人。廊下は緩やかなカーブを描いており、左側は全面ガラス張りになった広い部屋が見えた。
様々な計器類。試験管の数々。白衣を着た研究員たちが、臆病な眼差しを部屋の隅から向けている。
彼らを無視し、見えたのは通過した扉のプレートにはセクション1の文字。反時計回りの構造なのか、奥へ行くほどより重要なエリアになっているようだ。
「――!?」
廊下の先――セクションを区切る硬質な扉がゆっくりとスライドする。
覗く複数の黒い影。待ち構えていたマフィアが、一斉に銃を構える。
「来るぞ!」
距離にして数メートル。広い廊下といえど、射線上から逃れる術はない。このまま銃弾の嵐を受けて、ハチの巣になるのが関の山。
その描いた不吉な未来をなぞるように、マフィアたちは発砲。反射的に、ウォルターと芝原は足を止めた。
しかし。
響里だけは違った。二人をかばうように前へ躍り出て、銃撃を刀で受け止める。弾ききれなかった弾丸が頬をかすめたが、意にも介さない。驚愕するマフィアの一人に肉薄し、柄でみぞおちを突く。そのまま叩き伏せ、他のマフィアも簡単に片づけた。
「はぁ……はぁ……」
静まり返った廊下で、響里は膝をついた。
今まで感じたことのなかった疲労感。聖傑としての能力を持続的に使用した反動によるものだった。
その代償を考えなかったわけではない。これまでは、その余裕がなかったに過ぎないのだ。
「お、おい大丈夫か、響里!」
ぐったりとした響里の背後に、芝原が駆け寄ってくる。
「あ……うん。少し、疲れただけだから……」
「立てるか?」
「はい……」
ゆっくり立ち上がった響里は、ウォルターに頷く。ウォルターは視線を廊下の天井に移すと、いきなり発砲。監視カメラを吹き飛ばす。
「ウォルターさん……」
「あまり意味のない行動だがな。今からそっちに行くぜって合図だ」
白々しい嘘を、平然と言うウォルター。こちらの弱みを見せたくないのが狙いだろう。
響里にしても、聖傑としての弱点をあまり晒したくない。恐らく、このまま能力を使用し続ければ、こうして立つことすら怪しくなる気がする。
「でも、ほんとにすげえよ、お前。俺なんかビビっちまって何にも出来ねぇんだから」
弱々しく苦笑する芝原。
「仕方がないよ。俺だって怖いものは怖いもの」
「…………」
ふと、黙り込む芝原。思い詰めた表情のまま、唇を固く結ぶ。
「芝原くん?」
「……なあ」
ようやく芝原が言葉を発する頃には、響里が息を整えるのに十分な時間が過ぎていた。
「どうしてお前は戦えるんだよ。格闘技をやってたわけでもないんだろ?」
「それは……」
「それも聖傑ってやつの影響なのか? おかしいだろ、おれたち普通の高校生だったんだぞ。殺す気マンマンの奴等を前にして、いきなり立ち向かえるなんてどんなメンタルしてんだよ」
強張った表情の芝原は矢継ぎ早にまくしたてる。まるで怪物を見るかのような彼の怯えた瞳に、思わず響里は目をそらした。
「そう……だね。俺もそう思うよ」
恐怖心は紛れもなく存在する。
と、同時に、万能感に伴う高揚を感じているのもまた事実。力を行使している間は咲夜の精神までをも同化しているのか、理性のネジが緩んでいる気がする。狂戦士と言ってしまえば咲夜に怒られてしまいそうだが。
そういえば
こんな会話を、以前もしたことがあった。
ミーアレントで、咲夜にも同様の質問をしたことを思い出す。
「俺はさ、都会に住んでいた頃に一度壊れているんだ」
「……は?」
いきなり何の話を、といった風に眉根を寄せる芝原。
「大げさに言うとだけどね。同年代の人間との差に辟易してた。勉強とか運動とか、そんな安易なことじゃなくて。ずっと未来を見つめて、先々進んでいく同級生についていけなくなった。なんの取り柄もない俺は取り残されて、次第に学校っていう空間が苦痛でしかなくなった」
「それはお前の考え過ぎじゃ……」
「そうだね。今にして思えば、きっとそうなんだと思う。でも当時はどうしたらいいか分からなくて苦しかった」
苦笑を浮かべる響里。
「それを乗り越えたっていうのか、お前は……」
「どうかな。自分じゃ分からない。ただ、異界に行って、戦いに巻き込まれて。そこで、覚悟が必要なんだって身に染みた」
「覚……悟……?」
「周りがどうこうじゃない。俺はあの異界で、咲夜さんを助けたいと思ったから動いた。やらなくちゃいけないこと、本能に耳を傾けること。……自分がどうしたいか。それは現実でも異界でも同じ。自分の“軸”を持つことが重要なんだって思うようにした」
心が、いや、正確には魂か。
温もりが伝わってくる。これは自分の感情じゃない。咲夜が、響里の言葉を聞き、喜んでいるのだ。
「今回の一件。望月さんを倒すことが正解なのか、俺には判断がつかない。でも結末は見届けるつもりだよ。その為に、芝原くんやウォルターさんは全力で守る。そのために戦うんだ」
「響……里……」
自分でもカッコつけ過ぎだなと、急に気恥ずかしくなった響里は踵を返し、扉に向かう。
芝原がどう感じたか分からない。あくまで自分語りでしかなく、要は自己満足だ。
ドンと、背中に衝撃が走る。隣にいるウォルターが、何も言わず微笑んでいた。
(俺は、助けるだけだ。そしてこの異界もどうにかしないと……)
呆けたように立ち尽くしていた芝原も、慌てて追いかけてくる。
あと三つのセクションを越えるために、三人はまた走り出す。