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聖傑  作者: 如月誠
第ニ章 罪と業編
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第二十六話 女傑、降臨

 源咲夜。


 泰然と佇む彼女の姿を、響里は呼吸をするのも忘れ、ただただ見つめていた。


 汚れなき高潔な魂。咲夜を形容するならば、その表現しかない。



 響里にとって初めての異界。出会いとしては鮮烈の一言。

 彼女は武人として、見知らぬ国のためにその刀を振るっていた。洗練され、舞うような太刀筋。美麗としか言いようのない彼女と、響里は行動を共にすることにした。

 戦火に見舞われた小国、ミーアレントを救うために。


 それは、最初から用意されたシナリオだった。

 天権であった宮井公平が、己の野心を成就させるための舞台を創造。咲夜にしても、宮井の血肉となるための餌でしかなかった。


 結果として、響里たちは敗北した。

 ミーアレントは壊滅。全ては宮井の統治となった。戦争の勝敗も、宮井の望んだシナリオ通り。響里も死を経験。咲夜も宮井によって、吸収される直前のところまできていた。


 監督、脚本。全てが宮井の思うままに進行していた。

 ――しかし。

 想定外のアドリブというものが、宮井の独りよがりの物語を根底から破壊した。


 異界にとってのイレギュラー、響里義矩。

 異界で生まれる、この上なく優れた戦士――英傑、源咲夜。

 絶望に屈しなかった、この二人によって。


 惹かれ合った魂が、絆を結ぶ。


 聖なる結合。二人は融合を果たし、傑物へと至った。起こるはずのない奇跡が起きたのだ。

 “聖傑”となった響里が宮井を倒したことで、あの世界は終わりを告げたはずだった。


 響里にしてもあの戦い以来、咲夜の存在を全く感じなかったのだが……。


「咲夜さん、どう……して……」

『それはきっと、義矩さんが“私にどうしても会いたい!” と強く願ったからではないでしょうか』


 鈴を転がすように、クスクスと笑う咲夜。


『そこまで求められたら、私としても拒む理由はありませんもの』

「な……!」


 取りようによっては過激な冗談をさらりと言われ、響里の頬は真っ赤に染まる。

 思いがけない再会。無論、響里も嬉しくないはずがない。それよりも困惑の方が大きく、咲夜の平然とした態度にも理解が追い付かない。


「俺だってずっと咲夜さんのことは気になっていたんだ。でもあれから全く感じなくなって……。だから、もう無理なのかなって……」


 悪戯っぽい笑みを消した咲夜は、おもむろに空を見上げた。そして、風を感じるようにそっと目を閉じ、胸に手を当てた。


『私にも本当のところ、理由は分かりません。あの戦いが終わった時点で、私の物語もおしまいだった。それは間違いない』


 そう。咲夜もまた宮井の世界で創られた人間の一人。その世界も瓦解し、存在としては消去されている。響里も咲夜も互いに承知の上で、宮井を倒したのだ。


『ですが、きっと義矩さんの魂の中で私は生き続けていたのでしょう。証拠にこうしてまた顕現しましたが、この通り実体ではない』


 確かに、咲夜の身体は光の粒子によって構築されている。肉体としての彼女はもう存在しないのだ。言い換えれば、響里に宿した残留した概念のようなものなのかもしれない。


「聖傑になったから、その影響……」


 響里の言葉に、咲夜は再び微笑みながら深く頷く。


『この場所も異界なのですよね? ならば……いえ、だからこそ私は義矩さんの呼びかけに応えることができた。願いによって生まれる世界。そこは共通していますから』


 そうか、と響里はふと思い至った。

 現実でいくら呼び掛けても反応しないのは当然。このミッシリオという不本意な異界の力によって、こうして咲夜はまた輪郭を得たのだろう。

 と同時に、不満も頭をもたげてくる。


「なんとなく理解していたなら、もうちょっと早く出てきてもいいと思うんですけど」

『私も今まで眠っていたものですから。義矩さんが本気で願わない限り、条件は満たされないということでしょう。そう、あまりむくれないでください』


 唇を尖らせる響里に、咲夜は困ったように彼を宥める。

 とはいえ、これは先程の冗談のお返しだ。響里も咲夜も互いにクスクス笑い合う。その光景を、周囲はまるで時が止まったかのように唖然と見入ってしまっていた。


「きょ、響里くーん? そ、その人は……?」


 ようやく口を開いたのは、響里の背後でへたり込んでいる芝原だ。


「何が一体どうしちゃったの……?」

「あ~……」


 響里もそこでようやく、現実に引き戻された。

 友人も異界の人たちも完全に無視して、二人だけの世界に浸ってしまっていた。

 恥ずかしい。周囲からしてみれば異様だったに違いない。見ようによっては、甘ったるさ満点の空間だったのだから。


「この人はなんていうか……そう、恩人だよ。咲夜さんがいなかったら、俺は前の異界で生き残れなかった。そして、人として大事な部分も教わった。それが無かったら、俺は今でも苦しんでいたと思う」

「人として大事な部分……」


 まるで自分に染み込ませるかのように、芝原が響里の言葉を反芻する。

 響里は深く頷く。


「そう。だから、咲夜さんは俺にとって――」

『嫁です』

「咲夜さん!」


 この上ない真顔で、おふざけが止まらない咲夜。あたふたする響里の反応が余程楽しいらしい。

 あの従姉然り、咲夜然り。

 振り回してくるタイプの女性に自分は弱いのかもしれない、と響里はがっくりと肩を落とす。


『申し訳ありません。嬉しくて、つい』


 軽く舌先を出して、肩をすぼめる咲夜。すっかり調子を狂わされたが、響里にしても想いは一緒。あのまま一生会えないなんて、辛すぎるから。


『――さて。あれが今度の敵、ですか』


 咲夜の声音が変わった。

 冷淡。

 ゆっくりと振り返った彼女の瞳は剣呑さを含むと同時に、軽蔑の色さえも混じっていた。


『多勢に無勢。弱い者ほど群れたがるのは、いつの時代も変わりませんね』


 ずらりと囲むマフィアたちに向かって、咲夜は嘆くように吐き捨てた。ようやく我を取り戻した男たちは相手がか弱い女性だと侮り、下卑た笑い声を漏らす。


「――咲夜さん」

『なんでしょう?』

「また一緒に戦ってくれる?」

『無論、断る理由などありましょうか』


 間髪入れず、咲夜は答えた。


『我が主の願いは、私を満たす活力。この力、存分にお使い下さい』


 巫女装束の袖がひらりと舞う。

 咲夜が重力を無視したかのように、ふわりと浮かぶ。響里の方に跳躍した彼女は、全身を光の粒子へと変化。雨粒が次第に体に浸透していくように、響里と同化を果たす。


『参りましょう、我が主よ!』


 響里の全身から、黄金色の炎が揺らめく。

 傷口の痛みなど消失し、体内に流れる膨大な力の心地よさに浸る。

 静かに、緩やかに。刀を両手で握りしめて、重心を低く落とす。


「お、おい。お前……」

「ウォルターさん、下がっていてください」


 ウォルターには一瞥もくれず、響里が地面を蹴る。

 いや、消えたと言った方が正しい。

 下半身に溜めた力を一気に放出。駆けるのではなく、路面を滑空しながらマフィアの群衆に真っ向から突っ込む。

 構えよりもより低い体勢でマフィアたちの中に潜ると、振り上げ一閃。恰幅のいい男が、その重量さえ無視して宙を舞う。他の面々が響里の存在に気付いたその直後だ。

 だが、遅い。

 男たちが銃を構えるよりも先に、響里の剣閃が乱れ飛ぶ。

 斬られた自覚もなく、次々と吹き飛んでいくマフィアたち。それだけ鋭く、速い。


 英傑――源咲夜としての特性がまさにそれだ。


 異次元の速度から繰り出される連撃。軽やかに跳ねるステップは、常人の視界には捕捉不可能。一瞬の斬撃は雷の如く、対象を屠る。


 男たちの醜い絶叫が、不協和音となって響く。

 誰が発砲したかも分からない銃弾が仲間に命中し、さらに混乱を助長させてしまう。そうなれば、烏合の衆にも満たない。

 いとも容易く、響里は止まることなくねじ伏せる。

 二十人以上いたマフィア連中が倒れるのに、一分もかからなかった。

 そして、残るは一人。

 リーダー格の男のみ。

 男は狼狽えながら、仲間が次々とくずおれる姿を眺めるしかない。そうして、やぶれかぶれにアサルトライフルを放とうとした――その瞬間。


 ふわりと、銃口に何かが乗った。


「へ……?」


 気の抜けた声。リーダー格の男が現実を受け入れられないのも当然。

 細い銃身の上に、響里が足を揃えて立っているのだ。


「なんなんですか、あなたは……?」


 みっともなく鼻水を垂らすリーダー格の男。

 答えてやる義理はないとばかりに、響里は男の肩口にまっすぐ刀を落とす。鈍い衝撃に、男はあっさり昏倒した。


「ふぅ……」


 深い息を吐く響里。聖傑としての力が抜けていくのを感じていると、咲夜が嬉しそうに語りかけてくる。


『さすがは我が主。もう私の力を使いこなすとは』

「考えるよりも早く、身体が動いたんだよ。これも前に咲夜さんに稽古をつけてくれたおかげかな?」

『ふふ。私たちは一心同体。これからはいつでも私を使ってくださいね』


 安堵し、ほどよい疲労感に微笑む響里。

 満たされる充足感と、力の発現に伴う万能感は何事にも代えがたい。だが一方で、聖傑としての運命からは避けられないと悟ってしまう。


(戦うしかないんだろうな……)


 ぼんやり見つめていた刀も、次第に消失していく。

 そこへ、ウォルターが肩を竦ませながら近寄ってくる。


「クール過ぎて言葉もねぇ。本物のサムライをこうして直に拝めるなんてな」

「はは、やめてくださいよ」

「いやいやいや、すげぇって!」


 興奮気味なのは芝原だ。腰を抜かしていたのもどこへやら。目を輝かせてまくしたてる。


「なんつーか、こう……。あぁ、もう訳わかんねーけど! とにかくスーパーヒーローじゃん、英雄じゃん! お前そんなに強かったのかよ!?」

「いや、だからこれは……」

「あのお姉さんは!? 女神様なんか!? こんなすげー力、黙ってたなんて人が悪いじゃんかよ!!」

「お、落ち着いてってば」


 肩をぶんぶん揺さぶられ、説明すらさせてもらえない響里。咲夜も反応に困っているか、苦笑しているのが心の中で響いてくる。


「だから言ったでしょ。異界をどうにかするために仕方なく――!」


 そのときだ。

 単調な電子音が、響里の言葉を遮った。

 音源はウォルターからだった。彼がレーザーパンツのポケットをまさぐって取り出したのは、響里たちのスマホと似たような携帯端末。コール画面に表示されたのは、あのメイロウ婆だ。

 依頼主からの連絡というのは、大概良い兆候ではないのだろ。眉をひそめたウォルターが、スピーカーに切り替える。


「何だよ、ババア。こっちは今、機嫌がすこぶる良いんだが?」

『ほう。なら、もっと喜ばせてやろうか』

「仕事なら勘弁してくれ。想定外の労働で、家を丸ごと失ったからな」

『なら、そのまま突っ込みな。アンタの想い人が動くよ』


 勝利の余韻が一気に消え去る。

 ウォルターの眼光が鋭さを帯びた。


「それは――」

「雄太郎か!?」


 芝原が、ウォルターの手首を強く掴む。端末の向こうから感嘆のような吐息が漏れた。


『ガキ共も生きていたようだね。……そうだ。ザ・ペインのボスになった望月は、次々と製薬会社を手中におさめていた。それは話したね』

「ようやく居場所を掴んだってわけか」

『この街を盤面に例えるなら、まだ唯一チェックされていない場所がある。そこさね』


 芝原の目線がウォルターに向く。ウォルターもかぶりを振りつつ、メイロウ婆に問いかける。


「どこだ、それは」

『“メイルローレンス”――独自の技術を持つ、超大手さ。あらゆる勢力が狙っていたんだが、遂にヤツの手に堕ちるようだね』


 巨大企業ならば、あらゆる勢力が真っ先に手を付けるはず。

 企業側がバックをこれまで必要としていなかったのか、望月が余程のメリットを提示したのか――。

 どのみち、相手は強大だろう。


『ヤツは街の監視カメラを全部把握していてね、中々行方が分からなかった。だが、ついさっきその会社に入っていくのを見つけたよ』

「オーケイ、サンキュー。ババア」

『礼はいらないよ。とっととケリをつけてきな』


 通話終了。

 ウォルターはすぐさま画面を切り替え、マップを表示。メイルローレンスという製薬会社を検索。ここから十キロほど東に行った先の場所だ。簡素な地図でも、その敷地面積が広いのがよく分かる。


「ババアの言った通りだぜ」


 嘆きか、それとも内に秘めた喜びか。ウォルターはため息をつきながら、現世からやってきた二人の学生に目を細める。


「急転直下の運命だ。お前らと出会ったことで、最高にツキが回ってきやがったぜ」

「……行くんですね」

「答えるまでもねぇ」


 静かに意思を確認する響里に、ウォルターは鼻で笑う。


「お、俺も行きます!」


 声を上擦らせながら芝原が叫ぶ。再会に対する不安感はまだ拭えない。強張った顔がそれを物語るが、腹は括ったようだ。


「当たり前だ。互いにケジメはつけようや」

「は、はい!」


 ウォルターが自らの拳を芝原の胸に当てる。それに、と響里に視線を合わせて、不敵に笑う。


「こっちには伝説のサムライも付いているんだしな。……だろ?」

「……サムライにガンマンですか。とんだ三流映画ですね」

「ハッ! 違えねぇ!」


 響里の気の利いた返しを、笑い飛ばすウォルター。


「精々、エンディングだけは感動させようじゃねぇか。陳腐な評論家も唸らせてやろうぜ」


 ウィットに富んだジョークを聞きながら、響里も覚悟を決める。

 それが、異界との向き合い方なのだと。


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