第二十五話 WILD PARTY
まるで砲弾を生身で受けたかのような衝撃。
灼熱が一瞬にして皮膚を炙る。
耳朶を圧迫するような炸裂音を知覚する頃には、響里は宙を舞っていた。
ドアの外側に時限式の爆弾が仕掛けられていたのだ。
吹き飛んだドアの破片が爆風と共に室内に流れ込む。シェルフや観葉植物といった家具が倒れ、クローゼットに仕舞っておいた衣類が辺りに飛散する。
紙切れのように吹き飛ばされた響里が、床に叩きつけられる。さらに跳ねて、壁へ激突。後頭部や肩を強打した。
いち早く察知したウォルターは、床に倒れた芝原を連れて奥の寝室に投げ込む。爆発をまともに受けてうずくまったままの響里も同時に拾い上げて、部屋の中に滑り込ませた。
間髪入れず、放たれた無数の銃弾。銃を持った男たちが崩れかけたドアを荒々しく蹴破り、四方八方に乱射する。銃弾の雨が、室内を容赦なく破壊していく。
「よう、金色の狼! 遊びに来てやったぜぇ!!」
アサルトライフルを手にした先頭の男が狂ったように叫ぶ。黒髪を逆立てたタンクトップの男は、徹底的な破壊がよほど愉悦なのか、家主の存在も確認せず、天井や壁や床を縦横無尽に撃ちまくる。
「おらおらおらぁ!! ヒャーハッハッハァ!!」
止むことのない銃撃によって、硝煙や破片が空気中に混じって視界を奪う。寝室の壁に身体を預け、リビングに顔だけ覗かせたウォルターが、襲撃をかけてきた男たちを笑い飛ばす。
「ハッ! サプライズパーティーなんて似合わねぇ! いつから“ザ・ペイン”は気取ったおままごとをするようになったんだ!?」
「喜べ! お前にだけ出血大サービスだ! 俺たちの奉仕をありがたく受け取りな!」
「だったら酒の一つでも持ってこいってんだ! シラフでヤりあうには具合が悪いだろうが!!」
「お前のケツの穴に入れるのは鉛玉で十分ってことだ! 絶頂し続けるだけの量をぶち込んでやるぜ!!」
ウォルターの眼前に火花が散る。もうもうと立ち込める煙を裂いて、複数の弾丸が壁を抉ったのだ。
軽く舌打ちしながら、銃を取り出すウォルター。予期せぬ襲撃に苛立つどころか、冷静にマガジンを取り換える。彼の職業柄、こういった奇襲も慣れたものなのだろう。小気味いい金属音を鳴らし、再び銃撃の嵐に身を躍らせようとした――そのとき。
「な、何なんスか、コレ!? 誰なんスか、アイツら! 知り合いッスか!?」
赤ん坊のように四つん這いしながら、狼狽する芝原。ウォルターは微かに笑うと、グリップの底で強張る芝原の額を軽く小突く。
「噂をすればなんとやらだ。“ザ・ペイン”。ここら一体を統治するマフィアだよ」
「それって、雄太郎の……!」
「どうやら尾けられていたみたいだな。もっと言えば、これはアイツの指示だ。お前らの存在まで把握されているかは知らんが、邪魔者をド派手に消しに来たようだな」
「そんな……」
「望月は今やボスの位置にいる。これで分かったろ? 純粋無垢なガキも大人への階段を踏み間違うと、こういうことになるのさ」
芝原の拳が床を叩く。壁一枚隔てた向こう側の弾幕。その恐怖よりも、渦巻く複雑な感情の方が上を行く。
「へこんでる場合じゃないぜ、ベイビー」
「…………」
ウォルターが薄く笑う。こんなときこそ軽口を叩く――その心理的余裕。宥めるわけでも諌めるわけでもない。彼自身が幾度と繰り返した銃撃戦で見出した、極限状態でのスタイル。
強張った芝原の瞳が、穏やかなウォルターの瞳と交錯する。
「どのみち俺もお前も、アイツに会わなきゃなんねぇ。とすれば、やることは一つ。このパーティーから抜け出すこと、だろ?」
「あ……ああ!」
強く頷く芝原。ほんの一瞬、目を細めたウォルターが、倒れている響里に視線を移す。
「で、コイツもどうにかしないとだが……」
「響里!?」
爆発をまともに受けた響里は、意識はあるものの酷い状態だった。全身の火傷。飛散した破片によって、肌のあらゆる箇所に痛ましい傷を残している。
「おい、しっかりしろ響里!」
「う……。芝は……、く……ん……」
か細く呻く響里に、芝原が躊躇いがちに触れる。泣き出しそうになるのを堪えたような顔で、ウォルターに叫ぶ。
「ウォルターさん! 薬は……薬はないのかよ!?」
「この家にあるストックは全部使いきってる。ババアのとこでもらっときゃよかったぜ」
ウォルターが首を振る。
「だったら、戻らないと! 雄太郎のとこに行くよりもそっちが先決だろ!」
芝原は、ぐったりとした響里をどうにか起き上がらせ、自分の背中に担ぐ。
「初めて意見が合ったな。近隣の店はザ・ペインの息がかかってやがるからな。それしか方法はねえ」
ウォルターが顎で部屋の隅を指した。ベッドが置かれた窓の横に、別の扉があった。
「裏口から出るぞ。そこに俺の車がある。トンズラ決め込むぞ」
ウォルターに頷き返した芝原が駆け出す。
そして、壁を背にしたウォルターは反転。後先を碌に考えずに発砲しまくる愚かなマフィアへ、置き土産とばかりにガバメントが火を吹く。
「ダンスってのはな、こう踊るんだよ! 今度は、もうちっと勉強してから誘うことだ!」
煙で視界も判然としない中、複数の悲鳴が聞こえてきた。勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ウォルターも早々に退散する。
◇ ◇ ◇
ミッシリオに夕陽が射し込む。
どれだけ時間が経とうが醜悪な喧騒が収まることはなく、これでもかと人々の業が喚き散らす。
それでもかろうじて保たれた交通規制に則って車は走っているわけだが、その信号も無視した車が一台、ものすごい勢いで交差点内に突っ込む。
「うわわわわわわわわあああああああ!」
公道でドリフトを決めた黒塗りのセダン。ウォルターの愛車の助手席で、芝原が悲鳴を上げた。
市街地をありえない速度で疾走し、フロントガラス越しに迫りくる先行車の隙間を縫う。無理に避けた車が隣の車線と激突。衝突音すらも、すぐさま彼方へと消えていく。
「マ、マジでもうちょっとゆっくり……」
ヴィンテージの車らしく、後部座席にはシートベルトが無いために響里の全身が左右に揺さぶられる。爆破のダメージよりもウォルターの運転の方に恐怖が勝り、抗議してしまうほど。しかし、当のウォルターには聞こえていないのか、無視である。
「いやいやいや、ちょちょちょちょぉぉぉおおおおお!」
交差点で大型トレーラーが前方を塞ぐ。当然、こちらの信号無視である。急ブレーキでタイヤを滑らせ、これを鮮やかに回避。歩道に乗り上げながら再び車道に戻る。
「死んだ! 今、絶対死んだって!」
「喚くなよ! カーアクションは大昔から魅せどころだろうが!」
「映画の話っスよね、それぇ! ノンフィクションでそれをやんないでくれぇぇえええ!」
芝原の阿鼻叫喚も、ウォルターにはパンクロックのBGMにしか聞こえないらしい。獣のような眼光で、愉しげに叫ぶ。
「貴重な体験なんだ。ハイになれ、ハイに!」
「こんな爆速意味ないのでは!? それに、なんでこんな遠回りしてんスか!?」
実のところ、メイロウ婆の店には徒歩でも十分もかからない。カーナビすら必要のない単純な道のりのはずだが、車は店からどんどん離れているようだった。
「これがそうでもないんだよ。ほら、後ろを見て見な」
バックミラーにちらりと視線をやるウォルター。言われるがままに、響里も芝原も後ろを振り返る。
そこには追走する車が二、三台いた。時速は百キロを超えているのだが、ぴったりと張りつけられている。
「どうやら家の外にも、お仲間が待機していたようだな。すぐさま追っかけて来たんだろうぜ」
裏口からこっそり逃げてきたはずだが、ザ・ペインは見逃していなかった。そのとき、後続車のウィンドウが開く。上半身を乗り出し、マフィアの一人が発砲。響里の眼前のガラスに亀裂が走る。
「ひッ――!」
反射的に身を屈めたのが幸いした。さらに撃ち込まれたことでガラスが無残に砕け散る。頭を抱えた響里の背中に、破片が降り注ぐ。
「しゃーねーな。……おい」
そう言ってウォルターは懐から銃を取り出すと、シートで硬直する芝原に差し出す。
「え、これって……」
為すべきことを理解した芝原が、唇を引きつらせる。横のウィンドウが「さあ、どうぞ」と言わんばかりにゆっくりと下がっていく。
「お前に最高の栄誉を与えてやる。クールに決めろ」
「いやいや、無理無理!」
「いいからやれ。タイヤを狙えばいいんだ。その間、スピードは落としてやる」
銃を胸元に押し付けられ、芝原はまるで子猫を抱くようにそっと受け取った。
ウォルターの相棒、シルバーのガバメント。
決心もついていないような顔つきで銃を握りしめた芝原は、肩口から外へと身を乗り出す。爆風によって照準も定まるはずがない。まして、素人。ただの高校生が、安定しない高速走行の車内から撃とうというのだ。
無茶な要求。
そんなもの当たるはずがない――響里は当然のように、そう思った。
――だが。
破裂音が一発。ガバメントが火を噴いた、その直後だった。
追走するマフィアの車が、急激にバランスを崩した。たちまちスピンし、縁石で勢いよく跳ねた。何度も横転した挙句、アパレルショップのショーウィンドウに突っ込んだ。
「あ、当たった……」
「う、そ……。し、芝原くん、すご……」
自分でも信じられないといった様子の芝原。それに感嘆する響里。軽快な口笛を鳴らすのはウォルターだ。
「やるじゃねぇか! センスあるぜ、お前!!」
車内の歓喜は、ほんの束の間。
ガクンと、大きく振動した。ハンドル制御が効かなくなり、ウォルターがブレーキを強く叩き込む。
今度はこちらのタイヤがやられたらしい。
小さい空間が嵐のように渦を巻く。撹拌され、響里はルーフやシートに身体をぶつけた。
その後、車はどうにか繁華街のど真ん中で停止。大惨事にならなかったのは幸運でしかない。響里たちは、這うように車から抜け出してアスファルトに倒れこんだ。
平衡感覚がすっ飛んだように、まともに立ち上がれない。胃の中をぶちまけそうになるのを堪えるのが精一杯だった。
思考もまともに働かないまま、追走してきた車が急停止する。目視で確認できたのは三台ほどだったはずだが、いつの間にかその数を増やしている。
「あ、あんた……、どんだけ憎まれてんスか……」
「本命の為に突っ走ってきただけなんだがな。ちとやり過ぎたかね」
「モテ期ってやつ……ッスか?」
「史上最大のな」
へたり込む芝原の銃を受け取りながら、ウォルターは力なく笑った。彼も衝撃で脇腹を痛めたらしく、その足取りはかなり頼りない。
弱々しい姿の獲物に対し、垂涎の一品ごとく下卑た笑みを浮かべるマフィアたち。総勢、二十人はいるだろうか。ぞろぞろと車から降りてくる。
ウォルターがおぼつかない足取りでマフィアの前に立ち塞がる。
これだけの数を相手に、一人で挑むつもりなのだ。その一丁の銃のみで。
「いよいよ終わりだなぁ。金色の狼さんよ!」
そう荒々しく叫んだのは、ウォルターの自宅を襲った男。先行していた仲間に追いついたのだろう。リーダーの立ち位置だったらしく、部下が彼の為に道を開ける。
「死に場所がこんな大衆の面前ってのは、お前も本望じゃねぇか!」
ウォルターが薄く笑った。緩慢な動作で、コートの胸元に手を入れる。瞬間、全員のマフィアが銃を構えた。
取り出したのは煙草だ。軽く振って、折れ曲がった最後の一本を咥えると箱を放り捨てる。火を点け、ゆっくりと味わうように空に向けて吐き出す。
そして、笑みを浮かべたままに。銃口をマフィアたちに突きつける。
「ウォルター……さん……!」
死を覚悟した最後の一服なのか、それは分からない。少なくとも響里の瞳に映るウォルターの背中は、そんな儚さが滲んでいた。
現実主義のウォルターが、奇跡を信じているわけがない。自身の復讐の為に、みっともなく懇願する性格でもない。諦観の境地――そんな思考なのかもしれない。
「くっそ……!」
ウォルターが蜂の巣にされる光景を想像して、響里は上半身を起こした。骨が軋み、激痛が襲う。それでも、歯を食いしばって、震える膝を叩いて立ち上がる。
(なんとか、なんとか出来ないのか……!)
死なせたくない。
そして、死にたくない。
響里も芝原も、死ねばきっと現世に戻ることが出来る。だからといって、殺されることを望んだりしない。命が失われる瞬間の、あのさざ波のような静かな闇は二度と体験したくない。させたくない。
(力が……、力があれば……!!)
都合のいい願い。そんなもの、こんな異界では価値すらない。
――だが。
心臓が一つ、強く脈打った。そして、燃えるような熱が、胸の内を急激に満たしていく。
――魂。
黄金の燐光が肉体から溢れ、爆発的に膨れ上がる。その光は灼熱であり、さらには穏やかな清流のようにめまぐるしく変化。だが、そこに異質さは一切感じない。
見事に心地よく、そして懐かしい。
そう。響里は知っている。
その正体を。
いつの間にか握られた、一本の刀。
記憶を探らなくとも思い出せる。
名は――“安綱”。
そして。
驚く響里に、悪戯っぽい鈴の音のような笑い声が耳元で囁きかける。
『その想い、確かに届きました』
響里の前方に、一人の女性が姿を現した。
幻影のようであり、光の輪郭を確かに宿した、超然とした存在。
長い濡羽色の髪の巫女。
彼女は振り返ると、唖然とする響里に穏やかな微笑みをたたえる。
『我が主よ。存外に早い再会、嬉しく思います』
「あ……あ……!」
『呼び声に応え、“源咲夜”只今参上いたしました』