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聖傑  作者: 如月誠
第ニ章 罪と業編
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第二十三話 表と裏

 辺り構わず銃声が飛び交う、ミッシリオの中心街。重傷のウォルターに案内されたのは、そこから五キロほど北に抜けたノースポイントと呼ばれる大通りだった。

 こちらはハイブランドが主の中心街とは、全くの真逆。雑貨やダイナーなどが立ち並ぶ、いわゆる大衆向けのエリアだった。

 行き交う人の多さは変わらないが、ファッションセンスは一般的。庶民的な景観も相まって、古くから親しまれる街並みになっていた。


「――ここだ」


 ウォルターの指示に従うまま到着したのは、路地の奥にポツンとあった一軒の古い店。歴史を感じさせるといえば聞こえはいいが、事実ボロい。

 レンガ調の外壁は亀裂だらけ。一応体裁としてオーニングテントはあるが、それも破れて(すだれ)のようになっている。これが店主のこだわりとしたら大したものだ。


「……なんスか、これ?」


 と、思わず芝原がツッコむほど。

 外観はまだいいとして、看板もなく店名すらも掲げられていないのはどういうことか。まるでショーパブの裏口のようなスチール製の分厚い扉だけが待ち構えているだけの、謎の店。これでは何を扱っているのか不明過ぎる。


「いいから入るぞ」


 初見の反応は分かりきっていたとばかりに、げんなりとウォルターはドアノブに手をかける。ムーディーな音楽と共に出迎えたのは、真っ赤な照明の小部屋だった。壁全面にカーテンが敷かれてあり、中央には簡素な造りのベッドが二台。マッサージ用のベッドだ。

 意識が朦朧とするような強いアロマが店中に充満しており、いわゆる一般的な施術を行うマッサージ店とは別種だと訴えかけてくる。


「おやおや。お前さんがお客を連れてくるなんて、天使がラッパでも吹くのかね」


 こちらの来訪に気付いたのか、カーテンに閉ざされた奥のスペースからひどくしゃがれた声が聞こえてきた。

 全身黒のローブを羽織った、ウェーブがかかった白髪の女性。齢七十を越えているだろうか。背が低く、腰が折れているために余計に小さく見える。


「ヒョッヒョッヒョ、随分と若いねぇ。なら安くしないと。ほら、服を脱いで横になりな」


 響里と芝原をじっくり観察しながら、高齢の女性が妙な笑い声を発する。

 本能的に悪寒が走る。間違っても来てはいけない場所。出会ってはいけない人物だと、直感する響里。


「ヘルスの紹介なら他所にするっての。……てか、この姿の俺を無視して、まずそっちかよ。くそババア」


 悪態つくウォルターの顔色は増々悪くなっている。彼の脇腹の出血が、響里の学生服にまでべっとりと付着している。


「くたばりぞこなったんなら依頼は成功したんだろ? ほら、よこしな」


 高齢の女性は、途端に興味が削がれたように鼻を鳴らす。

 うんざりと悪趣味な冗談をかわして、ウォルターは芝原の肩から腕を外しコートの中へ。取り出したのは、小綺麗なテディベアだった。愛娘にプレゼントするかのような可愛らしい代物を、老婆へ無造作に放る。


「これでいいかよ? ったく分かりにくいんだよ、注文が」

「ヒョッヒョッヒョッ。上等上等」


 再び気味の悪い笑い方をしながら、老婆はテディベアを丹念に眺める。そして、腰元から抜いたナイフを、あろうことかテディベアの腹部へ勢いよく突き刺した。


「ヒッ!」


 思わず悲鳴が上がってしまう芝原。

 いくらぬいぐるみとはいえ、老婆が嬉しそうに胴体をかっさばく光景は戦慄するというもの。ドン引きする響里だったが、老婆がその中から抜き出したものを見て、僅かに顔をしかめた。

 薄く、あまりに小さな長方形の物体。


「USBメモリー?」

「そんなとこにあったのかよ……」


 呟く響里の横で、ウォルターが疲労感をたっぷり滲ませながら吐く。


「標的の娘が別会社の取締役と内通していたらしくてねぇ。政略にゃあ、洒落たやり方だろ? それじゃ、こいつは縫い直してこの店のマスコットにでもしようかね。ヒッヒッヒ」


 老婆は満足げに喉を鳴らして、壁際のカウンターにテディベアを置く。そうして再び部屋の奥の方へと移動する。


「それじゃ、アンタの手当をしようかね。治療費は、依頼料から天引きだね」

「この守銭奴が……」


 カーテンの隙間へと吸い込まれて行く老婆。さっぱり会話の内容が読めない響里は、ため息をつくウォルターに訊ねた。


「ウォルターさん、あの方は……?」

「ん? ああ、メイロウ婆つってな。金にがめつい、くそババアだよ」

「普通のお婆さんじゃない……ですよね?」

「猟奇的な振舞いを前にその判断ができるなら、お前は正常だ。悪いが、あっちに運んでくれるか」


 あの老婆のせいか余計に体力を奪われたかのようなウォルターを連れて、店の奥へ。

 そこはスタッフ専用ルームかと思いきや。

 仄暗く、狭い室内の正面には巨大な多面モニターが、これでもかと主張。PCの機器関連がスペースを圧迫しており、うねる蛇のような配線がこれでもかと這っている。

 人の姿は他にない。メイロウ婆と呼ばれた彼女だけが、中央に置かれたどこぞの戦闘機のコクピット席のようなハイテク椅子の前で待っている。


「ほら、ここに座んな」


 ぶっきらぼうに急かすメイロウ婆に従い、ウォルターを椅子に座らせる。手当するような設備はどこにも見当たらないが、ウォルターは身を任せるようにぐったりと息を吐いた。

 こんな状態でよくこれまで意識を保てたものだと、響里はウォルターを見つめる。


「バ、ババア……」

「あいよ。もうちょい待ちな」


 メイロウ婆はというと、部屋の隅でごそごそしている。キャビネットから取り出した物体に、響里は思わずギョッとした。


「さぁて大人しくするんだよ」


 細長い形状の、メタリックな容器。指先で挟んだそれは恐らく、注射器。中には緑の液体が毒々しい光を放っている。

 嗜虐的な笑みを浮かべながら、ウォルターに近付いていくメイロウ婆。治療といいながら、人体実験でも行いそうな様相だ。

 そして、その注射器をウォルターの首元に勢いよく押し当てる。一瞬、ウォルターが呻く。空気の抜ける音と共に、液体が彼の体内に流れていく。


「あわわわわ……」


 身震いする芝原。響里も生唾を飲む。

 効果はすぐに現れた。ウォルターの呼吸が落ち着き、驚くべきことに脇腹の出血が完全に止まったのである。


「ふぅ……」


 おもむろに立ち上がって、身体の調子を確かめるウォルター。あれだけ鈍かった動きが嘘のように、肩をぐるぐる回している。


「ったく、しょうもない依頼のせいで代償が高くついちまった。こいつももうダメだな、気に入ってたのによ」

「ヒヒヒ。アンタの稼ぎじゃ、まともに服も調達できないだろ。新調するなら注文しとくよ」

「ピンハネしてるババアがよく言うぜ」


 血の染みがべっとりと付着したハーフコートを脱ぎ捨て、ウォルターは恨み節を吐く。二人の会話なんて全く頭に入らない響里は、困惑の目を彼に向けるしかない。


「あの……もう、大丈夫なんですか?」

「ああ。ま、いつものことだ。つーか、礼もまだだったな。助かったぜ」

「それはいいんですけど……」

「何をそんな驚いてるんだ? メイロウ婆がそんなに変か? 確かに得体の知れねぇ、イケすかねぇババアだが」


 首を傾げるウォルターも、置いてけぼりな状態の響里たちに納得したらしく笑みをこぼした。


「裏の顔を知れば誰でも面食らうか。薬にしてもこんな機材にしても、どこで手に入れてんだか」

「オイ、アンタ。あまり口を滑らすんじゃないよ」


 刻んだ目じりの皺をより深くして、メイロウ婆が睨む。


「構わねぇよ。どうやら、コイツ等は時間旅行者らしくてな。面白いし、何を話したってそれなりに通用しそうな部外者だぜ?」

「古臭いSFじゃあるまいし……。頭まで変なウィルスにやられたのかい?」

「かもな?」


 冗談めかして言うウォルターに、呆れるメイロウ婆。そして、彼の背後にある巨大なモニターを響里たちに指し示す。

 分割された画面には、都市部の至るところに設置されたカメラの映像がリアルタイムで流れている。


「これがハッキングされたものかは置いとくとして」

「うるさいよ。覗き見さね」


 肩をすくめるウォルター。


「お前らも《《こういった》》街なのは肌身に感じただろう?」


 どの画角の映像にも共通する部分。暴力、窃盗、殺人、非道の数々。画面越しでも辟易するような中継に、響里は無意識に顔をしかめる。


「法も欠如したミッシリオ。警察も病院もないこの汚れた街の住人は、自分の身は自分で守ることが義務。ママンのお腹の中で産声を上げることよりも先に、その教えを叩き込まれているのさ」

「そんな不条理な……」

「不条理こそ、理不尽こそ、誉め言葉だな。ま、言いたいことは分かるがな」


 ウォルターが椅子にかかったコートから取り出した銀色の銃。彼は自身の相棒を手先で弄びながら言う。


「誰もが防衛策を容易しているわけじゃない。だから俺たちみたいなのも存在する」

「そういえば、ウォルターさんって何者……?」

「いわゆる便利屋ってやつさ。この婆さんからしてみりゃ、使い勝手のいい駒だろうけどな」

「願いを叶えてやってるのはどちらかねぇ」


 再び気味の悪い笑い声を発するメイロウ婆。


「このババアは裏の業界に精通した斡旋役でな。ありとあらゆる大物に顔が利く。表向きはマニアックな趣味の男の《《癒し》》役だが……、汚れ仕事を請け負う仲介人だ」


 とすると、ウォルター・レイブンという男は彼女の依頼をこなすエージェントのようなものか、と響里は理解する。裏路地で絡んできた悪漢の、あの狼狽えよう……。彼自身もよほどの実力者なのだろう。


「だから俺のような商売も人気でな。鉄火場に身を置く同業者は多い。俺と他の奴らとの違いは、稼ぎのほとんどがこんのくそババアが持っていくこと。ナメてるよな」

「近頃じゃ治療薬も高騰しててねぇ。こちらも苦しいのさ」


 とぼけた調子で言うメイロウ婆に、憮然と唇を尖らせるウォルター。話題から逸れたが、響里は本来尋ねたかった話を振った。


「それですよ。あんな一瞬で傷が癒えるなんて、どんな薬を使ったんですか」

「あれも、割と一般的に流通している市販薬なんだが……。そうだな、じゃ反対に聞くが」


 逆質問とばかりに、ウォルターが唇の端を持ち上げる。


「ミッシリオには警察も病院もない……、そう俺は言ったよな?」

「はい」

「なら、この街のあらゆる場所にはゴロゴロと死体が転がっている――はずなのに、それがない。クリーンさが保たれているのは何故か?」

「それは、その薬が特効薬としてあるから……?」

「こいつだけじゃない。この一帯を取り仕切ってる企業のほとんどが製薬会社だ。薬品開発の技術が異様に発展してるんだよ。医療が廃れてる分、日進月歩でな」


 そういえば、と響里は、ウォルターをここまで連れてくる道中の記憶を呼び起こす。

 中心街から一歩離れれば、薬品を扱う店が多く見受けられた。医療機関が無いのであれば、生活する人間はそこに頼るしかないのだ。

 これだけのディストピアで、歪なクリーンさを維持している世界。

 それは天権が望んだものか、それともクリエイトされた人間が必死にもがいた証なのか――。


「そして、あらゆる製薬会社のバックにいるのが大抵、マフィアの連中だ。製薬会社の何割を手中に収めるかで、勢力図が決まる」

「うわぁ、出た。こういった世界には必ずいるやつ……」


 部屋の片隅で一人、か細い声で呟く芝原。震えながら自分の身体を抱きしめている彼に、ウォルターは嘆息をついた。


「ビビり過ぎだろ、お前……。まさかオムツが必要なんて言わねえよな……?」

「ほ、欲しいかも……。ここに置いてないッスか?」

「マジに受け取んな! ったく……、情けねえな。お前のダチを少しは見習え」


 感心されても困る、と響里はウォルターに非難の目を向ける。

 こちらも悪ノリなのか、どこからか持ってきた紙オムツを、メイロウ婆が芝原の眼前にぶら下げている。


「ヒヒ。肝っ玉の小ささはアンタの弟によく似てるじゃないか」

「……うるせぇよ。殺すぞ、ババア」


 途端に機嫌を損ねたのか、ウォルターが悪態をつく。そんな彼の反応を楽しみながら、メイロウ婆がさも思い出したかのように言った。


「他人を傍に置かなくなったアンタが、何の因果か興味を示したんだ。アタシも気分がいい。運命っていうのはこういったときに動くんだろうね」

「どういう――」


 言葉を切って、ウォルターが瞠目する。


「まさか……」

「アンタの想い人が出世したようだ。ここから地位を盤石にしようと、あらゆる大手製薬会社に密約を交わそうとしてるらしい」


 強く、歯を食い縛る音。猛獣の如き眼光が虚空を睨む。


「望月……」


 馴染みのある響き。日本人か。

 依頼の報酬とばかりに提示するメイロウ婆に、綺麗なウォルターの相貌が憤怒の色に染まる。

 と、同時。

 響里の背後からも息を飲む音が響いた。振り返ると、芝原が金縛りにでも遭ったかのように硬直している。よろよろと踏み出して、ウォルターへ急激に詰め寄る。


「な、なぁ! もっ、望月って、まさか望月雄太郎か!?」

「な、なんだよオイ、いきなり!」


 全身を激しく揺さぶられるウォルター。芝原の態度のあまりの変わりように困惑しながら、掴まれた腕を強引に引き剥がす。


「どうしたってんだ! そうだ、望月雄太郎だよ! このノースポイントを取り仕切ってるマフィア勢力のメンバーだよ!」

「そ……んな……」


 よろよろと後退る芝原。愕然と、そして怯えた表情。


「芝原くん……?」


 そこで、ふと響里が思い出す。雄太郎という名前。それは芝原の――。


「……? っつうか、待て。お前もヤツのこと、知ってるのか?」


 怪訝なウォルター。今度は彼の方が追求しようと、芝原に歩み寄る。


「芝原くん。まさか――」


 崩れ落ちるように、床に膝をつく芝原。まるで、信じ難い現実を突きつけられ、思考停止したかのように、彼は誰にともなく言葉をこぼす。


「アイツは……。望月雄太郎は俺のダチだったヤツだ……」









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