第二十話 傷跡
幼い時分というものは無垢そのものであり、ときとして残酷だ。
六年前。
それは、芝原智樹がまだ十歳の頃だった。
常に無邪気で、誰とも壁を作らない。人当たりが良く、周囲を自然と笑顔にさせる性格の芝原は、クラスの中心的存在だった。
そんな彼には幼馴染がいた。
名は、望月雄太郎。
幼稚園から小学校に上がってもずっと一緒のクラスだった。
芝原と共にやんちゃしたり担任の先生にイタズラしたりと、大人を困らせることもあったが常に行動を共にして彼もまた男女問わず人気があった。
いかに毎日を楽しく過ごせるか――それが幼心の大半を占めていた。
「俺たち親友だもんな~」
「な~」
望月のお決まりのセリフに、芝原も決まってそう返す。他の誰かがそこに割り込む隙間もなかった。
もちろん、休日も一緒。
日曜日には必ず集まり、互いの家でゲームをしたり公園に行って夕方ぐらいまで遊ぶ。この狭い御伽町のほとんどの場所を巡ったかもしれない。
どうしていつも共に行動するのかと問われても、芝原は疑問にすら持ったこともない。子どもだから。
そう、子どもだから。
突然の気の変わりようも、ごく普通に起こってしまうものである。
「智樹、今日も雄太郎くん来てるわよ」
「うん……」
母親がエプロンで手を拭きながら、彼を呼ぶ。自室でマンガを読んでいた芝原は母に背を向けたまま生返事で答えた。
インターフォンの鳴る音は、二階にいても聞こえてきた。昼食の後片付けをしていた母が、いつものように望月を出迎えたのだろう。
「あら、行かないの?」
「ん~。う~ん……。今日は行きたくないかな……」
唸りながら身体を左右に揺らす芝原。妙に覇気のない息子を見て、母親は首を傾げた。
「あら、珍しいわね。いつもだったら飛んで出かけるのに。……どこか具合でも悪いの?」
「ううん。そんなんじゃないよ」
マンガのページをめくって、読むフリをする。内容なんか頭に入っていない。
それは唐突に、降って湧いた思い。
めんどくさいな――そう感じてしまったのだ。
「なんか……元気が出ないんだ。ちょっと、寝ていたいかなって」
「あら、そう……。じゃあ、雄太郎くんに断ってこようか?」
「うん。お願ぁい……」
下手なウソを信じたのか、芝原の本音を察したのかは分からない。母親は芝原の部屋を出ると、玄関に向かっていった。その話し声はさすがに聞こえてこなかったが、望月は素直に帰っていったようだった。
彼の様子を知りたくて窓辺に行こうとしたが、やめた。もしも、目が合ってしまったら。動揺してしまうのを恐れて踏みとどまった。
心のどこかで、申し訳ないなという罪悪感はあった。
でも、明日また学校で謝ればいい。そして、いつも通り遊ぶのだ。
そう思いながら、その日は過ぎていった。
――だが、その機会は訪れることはなかった。
「智樹! 雄太郎くんが事故に遭ったんだって!」
翌日。
学校から帰った芝原は、母からそう聞かされた。
前日の誘いを断ったその帰り道で車に轢かれたらしい。重傷を負い、そのまま入院。手術もしたようだが、下半身が動かせなくなったらしい。
(僕の……せい?)
母の言葉が耳に刻まれ、いつまでも反響する。
世界が、歪む。
(僕が昨日、断ったから? あのまま一緒に遊んでいれば雄太郎くんは無事……だった?)
罪。
その闇が、芝原の小さな身体に棲み付く瞬間だった。
(僕が……、僕のせいで……)
頭を満たす後悔の渦。己の選択による友の運命が、単なる結果論に過ぎないのでは、と片づけるにはまだ幼過ぎた。
嗚咽がこみ上げてきた。家の絨毯に胃の中のものを全部吐き出した。
そこから記憶はなく、どうなったのか覚えていない。翌日の学校も休んだ。
そこから、望月と顔を合わせることは無くなった。
あまりに気まずいために、お見舞いにすら行っていない。母親同士も仲が良かったので、病院に行って望月の様子を聞かされるぐらいだった。
車いすの生活。その絶望が、リハビリする意欲を奪い取っているのだという。沈痛にそう伝えてくる母に、芝原は何も答えられなかった。
一度きっかけを失えば、顔を合わせる勇気はない。
小学生の間は以降、彼がクラスに戻ってくることは無かった。入院が長引いているらしい。
中学に上がっても、出会うことはなかった。
時間が経ちすぎて、望月がどうなったのか分からない。母親もパートを始め、交流もなくなっていった。
その年月の重さも、残り続ける罪悪感として強くこびりついている。
それからだ。
“友”という言葉に敏感になったのは。
誰彼構わず、誘われれば断れない。断ろうという気持ちが働けば、小学校時代の親友の顔が浮かんでしまうから。
一生消えない、心を抉る傷跡として。
芝原の罪は未だに残り続けている。