第十九話 ちらつく闇
その日の放課後。
週ごとで決められる掃除当番だった響里は、芝原と陽ノ下と共に教室掃除を終わらせて校庭までやってきていた。
「ったく、あいつら掃除サボんなよな~」
「ホントよ。部活もないくせにね~」
夕陽に染まるグラウンドでは、既に準備体操やランニングをしている生徒で溢れている。
芝原と陽ノ下が不満を垂らしているのは他の掃除当番の生徒たちのこと。六人一組のはずが実際に真面目に掃除したのは響里たち三人。めんどくさいからと、逃げたのである。
「椅子を机に上げるの何気にしんどいんだっつーの――なあ?」
「それから机を全部一回避けなきゃいけないからね……」
肩を鳴らす芝原に、響里は苦笑を浮かべた。
クラスの人数はおおよそ三十人程度。その量だけの机を動かすのは骨が折れる。中には教科書を置きっぱなしにしている生徒も多いので、これが中々の重労働だった。とはいえ、大掃除週間でもないので簡単な掃除で済ませるのだが。
「でもそれ、一年のときはアンタも向こう側の人間だったんだからね。他の連中とつるんでサボったの覚えてるんだから」
「ホントに?」
「う!? でも穴埋めに焼き鳥奢っただろうが!」
ジト目で陽ノ下に睨まれる芝原。陽ノ下はさらに詰め寄って、唇の端を持ち上げる。
「ほ~、たったあの一回で全てが許されるとお思いか」
「お前だってサボったことの一つや二つあんだろ!?」
「アタシはないもんね~。ツケは大分溜まってますぞ、芝原殿~? はっはっは!」
「ぐぬぬぬ……」
悔しそうに握りこぶしを作る芝原を見て、響里は思わず吹き出す。
「ほんとに二人は仲が良いよね」
思ったことを率直に言ったのだが、二人は同時に振り返りながら揃って嫌そうな顔を響里に向けた。
「はぁ~!?」
「あたしとコイツが!? やめてよね、もう!」
さらにユニゾンする二人に、響里は笑い声を上げる。芝原と陽ノ下は互いに顔を見合わせ、ほっとしたように頬を緩めた。
「なんか……元気になったみたいだな」
「――え?」
「このところ思い詰めた顔してたからさ。どしたのかな~って思ってたんだ」
響里の口から「あ……」と小さく声が漏れた。
宮井の一件があって、響里は悩み苦しんでいた。学校では平静を装っているつもりでも、彼等にはどことなく伝わってしまっていたらしい。
それも昼休憩に有沢と話したことで、心のつかえが取れたのだろう。
「ちょっと……ね。最近、色々あったんだ」
「そうだったんか」
「でも、もう大丈夫。心配かけてごめん」
抱えている内容は言えるはずもない。が、彼等の気持ちは純粋に嬉しかった。知り合ってまだ間もないというのに、気にかけてくれる。都会で暮らしていたころにはなかった親切心。それだけで今回の子の引っ越しは自分にとって幸運だったと思える。
「おーい、芝原―!」
もうじき校門をくぐろうかとしていた、ちょうどそのとき。
後ろの方から声をかけられた。響里たちが振り返ると、校舎の方から三人の男子生徒がこちらに駆け寄ってきていた。昼休憩で響里のクラスに来たあの三人組だ。
「お? どうしたんだ、お前らも今帰りか?」
「そうだよ。教室でだべっててさ。ちょうどお前の姿を見かけて慌てて追いかけて来たんだよ」
「俺を? なんか用か?」
息を切らしている三人組に、芝原は首を傾げた。そして、一人の生徒が悪戯っぽい笑みで言う。
「なぁ、これから隣町まで行かね?」
「はぁ?」
「さっき情報仕入れてな。ゲーセンに新しい筐体が追加されたんだと。新作のカードゲームらしい。やってみたくね?」
御伽町にはいわゆる娯楽施設というものは少なく、若者特有の発散の場としては不十分だ。休日となれば、ある程度遊び場が揃う隣町まで出かけるのだが、電車に乗り込む必要があった。
「……おいおい、今からかよ」
「おうよ。ほれ、見てみ?」
男子生徒は興奮した様子でスマホに表示された画面を芝原の顔の近くに持ってくる。ゲームセンターのサイトだろう。響里からの角度からは見えないが、トップページを開いているらしく指先で素早くなぞっている。
「な? 面白そうだろ?」
「ん~。でもな……」
「小遣い、入ったんだろ? その後はカラオケでもファミレスとか行こうぜ。他校の女子もいるかもしんねぇし」
「いいじゃねぇかよ。暇なんだろ?」
強引に迫ってくる男子生徒たちに、芝原は乗り気でない様子で渋面を浮かべている。すると、呆れたように大きなため息が聞こえてきた。
陽ノ下だ。いかにも不機嫌そうに腕を組んで、彼らの会話に割り込む。
「アンタたちね……、今がどんな状況か分かってんの?」
「んお? な、なんだよ陽ノ下」
睨みを利かす彼女に、男子生徒がたじろぐ。
「まだ集団下校は解かれてないんだよ? 寄り道すんなって先生も言って、みんなも守ってるのにさ。しかも隣町って。不謹慎すぎるでしょ」
彼女の低い声には有無を言わせない迫力があった。本人は諌めている程度の語調でも、注意されてないはずの響里までなぜかビビってしまう。
「いやいや。その決まりもさ、もう一週間以上は経つぜ? 俺たちもいい加減ストレスでどうにかなっちまうぜ」
薄ら笑いを浮かべる男子に、いよいよ陽ノ下の形相が変わっていく。
「罰則知ってるんでしょ? 破った人間がどういった報いを受けるか」
「大げさだな。見つかんなかったらいいだけの話だろ――なあ?」
「ん、いや……。さすがにマズいだろ……」
芝原もさすがに否定的だ。ノリが軽そうな見た目に反して、彼は意外に常識人だというのを響里も知っている。とはいえ、ぼそぼそと呟くのは甘い誘惑に抗いにくい証拠なのか。そのとき、男子生徒が芝原の肩に腕を回し、彼の耳元でこうささやいた。
「なぁ、いいじゃねぇかよ。俺たち親友だろ?」
瞬間の芝原の表情を、響里は見逃さなかった。
肩を震わせて、顔が強張る。金縛りにでもあったかのように固まった芝原は唇を震わせ、かすれた声を出す。
「あ、ああ……」
「おっし、決まり! じゃ、行こうぜ~」
言うや否や芝原は男子生徒たちに連れられ、校門からの下り坂を降りていく。響里は芝原の背中を訝しげに見つめながら、その場に立ち尽くす。
「もう! ほんっとバカなんだから!」
と腹を立てていた陽ノ下が何かに気付いたのか、左腕にはめた時計を見て、「やっば!」と口にした。
「あたしも道場に行かなくちゃ。遅刻したら何されるか分かんないし」
「え?」
「でも師匠にはちゃんと伝えてるから。ちょっと汗を流してすぐ帰るもん――というわけで、じゃあね!」
響里に手を振りながら、彼女も慌ただしく帰っていく。
一人取り残された響里。脳裏に消えないのは、あの芝原の反応。かけられた言葉に不審な点はない。だが、あまりに過敏。まるで得体の知れない何かに恐怖しているかのような、凍り付いた表情は異常だった。
友人への疑問を抱えながら、響里は真っ直ぐ家へ帰ることにした。