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聖傑  作者: 如月誠
第ニ章 罪と業編
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第十六話 闇夜の銃声

 その夜は、()()()()()()()騒々しかった。


 至るところで響く銃声。また別の方向では、耳をつんざくスキール音が空気を斬り裂く。交差点からだろう、ありえない速度で車同士が衝突した音だ。壊れたクラクションが鳴り響くのもまた、小鳥のさえずりのように馴染んだ音楽だった。

 長身の男がオフィス街の一角にある古い雑居ビルに侵入したのは、夜中の三時を回った頃だった。

 街灯も壊れている部分が多いため、辺りは暗闇。残業などという、さも襲ってくれという愚か者もいないために、屹立するビル群は消灯しきっている。

 にも拘らず、男は丸縁のサングラスをかけていた。白のフード付きのハーフコートは何年も着ているのか、少しくたびれている。くすんだ金髪に、カラーレンズの奥に覗く垂れ目は十分歓楽街でも通用しそうな顔立ちだが、荒んだ空気をまとっていた。

 男はコートのポケットから手を出して、予め依頼人から渡された偽造IDを認証端末にかざす。電子音が鳴り、正面玄関の扉が開く。


(いつものことだが、用意のいいことで。あんの婆さんは)


 と、心中で悪態を突きつつ、正面フロアへ足を踏み入れる。無人の受付を通り過ぎ、非常階段へ。煌々と光る階段灯を確かめつつ、目的の四階に向かう。

 五階建てのこのビルの最上階は、当然ながら社長室。その真下はごくごく一般的なオフィスになっている。事前準備として監視カメラの電源はオフになっている。男は廊下を堂々と進み、オフィスへと入った。

 男の目的は、とある重要なデータの奪取だった。どうやらこの会社の専務は、自社の機密が入ったデータを別の会社に売り渡すつもりらしい。水面下で色々動きは見せているようだが中々尻尾を見せないらしく、泣く泣くこの会社の社長は仲介人を通して、依頼を寄越したのだ。社長も秘密裏に動き、この日だけ監視カメラの電源を切っておいたというわけだ。

 とりわけ、この男にとってよくある類の仕事。裏切りといった行為は、この街では日常茶飯事だった。

 男は携帯端末を取り出し、専務の画像を確認。眼鏡をかけたふくよかな中年だった。あくどい考えを持つような人相ではないのだが、世の中そんなものだろう、と男は仲介人の言葉を思い出す。


(確か婆さんは、おおよそこの場に似つかわしくない物に、それは隠されている――って言ってたよな)


 簡素なパーテーションで仕切られたデスクに一通り目を配る。どの机もPCや書類といったオフィスにありがちな物ばかりが置かれてある。平社員は皆、一様にして真面目らしい。興味本位から資料の山から一枚手に取り、業務内容を流し読みして無造作に放る。


「さて……と」


 問題はオフィスの奥。専務の机だ。機密データとだけ言われているので、どれがその物品なのか探るところから始めなければならない。そういった適当さもいつものことなので怒りすらももはや沸かなかった。

 男は専務の長机をぐるりと回りこみ、携帯端末のライトをかざす。こちらも綺麗に整頓されており、これといって怪しげなものは無さそうだった。


(不正の証拠を堂々とデスクの上に放置、なんてことはさすがにしねぇよな)


 男は身を屈め、引き出しの中を探っていく。すると、一番下の袖箱に妙な物が入っていた。


「なんじゃ、こりゃ……?」


 それはぬいぐるみだった。大きさにして、二十センチ程度のテディベア。真っ赤なハートを抱いた、いかにも可愛らしい代物だった。


「え、なんで……?」


 突然のメルヘンに、戸惑う金髪の男。もう一度この机の主の画像を表示させて、テディベアと交互に見やる。


「このおっさんにはそういった趣味があるのか……? ま、まぁ好きなものは人それぞれだしな……。いや、待てよ。そういえばこいつには娘がいたんだよな。なら、そのプレゼント用とか……。その方が筋は通るが……」


 と、あれこれと推測して、引き出しの奥に戻そうとした。

 直後、男の動きが止まる。


(おおよそこの場に似つかわしくない物……。まさか、こいつか……?)


 各引き出しをそれぞれもう一度念入りに調べてみる。あるのはファイルや事務用品のみで、やはりこのテディベアだけが異彩を放っている。

 ただ、正解がこれだとして、機密データはどこに隠されているのか。テディベアをあらゆる角度から観察してみるが、それらしきものは見当たらない。

 ただただ、愛らしいクマのぬいぐるみを訝しげに眺める男の図が、そこにあった。


「――おやおや。こんな深夜にド派手なネズミが侵入したかと思って来てみれば……。かの有名なウォルター・レイブンじゃないか」

「――ッ!?」


 背筋を撫でる、低い男の声。オフィスの入り口からだ。

 異様な殺気を感じたウォルターは振り向きもせず、反射的に素早くしゃがみ込む。

 ――刹那。銃声が轟き、ウォルターが身を潜めたデスクを銃弾がかすめる。間一髪、というところだろう。弾丸は奥の白壁にめり込んでいた。本能的に反応していなければ、身体のどこかに穴が開いていた。


「俺の名を知ってるってことは……、さては同業者かよ?」


 ウォルターは、音を立てずコートの内側から拳銃を取り出した。コルト・ガバメントの長年使い込んだグリップを指先でなぞりながら、デスクの天板から襲撃者を覗き見る。


「お前さんとは違ってフリーランスの傭兵よ。依頼主を嗅ぎまわるイヌを殺せっていうチンケな仕事だったんだが、こうして“金色の狼”と出会えたのは幸運だな!」


 黒い頭髪を綺麗に撫でつけた男は、口元を綻ばせて言った。三十代ぐらいだろうか。Vネックのスーツベストを着こなし、腕まくりしたシャツには皺ひとつない。俗にいう始末屋の類だが、その業界で外見にまで気を配るのは珍しい。品があるのは、数々の依頼を成功してきた自信からか。


「お褒めにあずかるのは光栄だな――っとぉ!」


 ウォルターが頭部を晒した瞬間を狙って、再び弾丸がデスクを抉る。そのまま跳ねた弾丸が、今度こそ耳の傍を通った。ウォルターも、すかさず応戦。スライドを引き、上半身をデスクから乗り出して発砲。オールバックの男も近くのデスクに身を潜めた。


「悪いが、男と戯れる趣味はねぇんでな。ダンスの相手ならよそを当たってくれよ!」


 素早く上半身を起こし、デスクを飛び越えたウォルター。相手の動きを封じるため、男が隠れている辺りの床めがけて数発撃ち続ける。狭い通路を体勢低く駆けて、男のいる出口付近で滑り込む。


「――!?」


 銃を構えるウォルターの瞳が大きく見開かれる。男は既に移動していた。直後、窓際にあったはずのデスクが宙を舞う。意表を突く投擲。眼前に迫る重量物をウォルターはどうにか回避したが、その行動が身を晒してしまう結果になった。窓の月明かりに照らされた男の銃撃が乱れ飛ぶ。


「う、おおおぉぉぉおおお!」

「ハッハァ! そうつれないこと言ってくれんなよ“金色の狼”!パーティーの途中退席なんてダセェだろうが、メタルが流れるのはこれからだぜ!」


 銃弾がコートのあちこちをかすめ、露わとなった肌に赤い線が浮かぶ。ウォルターは転がりながら遮蔽物に身を寄せようとするが、男の弾丸の嵐が容赦なく破壊していく。パーテーションが飛び、書類が紙吹雪のように室内を舞った。

 柱へと飛び込むウォルター。一息つき、ふん、と鼻を鳴らす。


「チョイスは悪くねぇな。口説き文句としちゃ及第点だ。いいぜ、付き合ってやるよ!」


 これまで手に持っていたテディベアを胸元にしまい、ガバメントのマガジンを交換。あわよくば男の隙をついて逃走、などと考えていたウォルターは静かに表情を変化させる。猟犬の如き鋭い眼光を宿し、柱から飛び出した。今度は男に向かって一直線に駆ける。


「ッ!?」


 無謀、無策。明確な動揺を示した男がやぶれかぶれに発砲。ウォルターは軽やかにステップし、男の懐へ。肉弾戦へと持ち込む。


「ふっ!」


 予備動作なしの鋭い拳が男の鼻先をかすめた。僅かに身を仰け反らせた男に、ウォルターは回し蹴りを放つも空を斬る。


「ぬぅん!」


 スーツからでも分かる頑強な肉体を持つ男は、体術も得意としているらしい。身を屈めた男は、ウォルターの腹部に膝蹴りを叩き込む。くの字に折れ曲がったウォルターの背中に、男の肘鉄が落ちる。


「がッ!」


 あまりに重い衝撃に、ウォルターの膝が床に落ちた。呼吸すらまともに出来ないが、歯を食いしばって耐えた。一瞬でもよろめいたらそこで終わりだ。ウォルターは咆哮を上げ、その姿勢を利用し男の足を払おうとした――が、男は読んでいたのか軽く跳びこれも回避。しかし、ウォルターにとっても男がかわすことは折り込み済み。回転しながら男の顎に一撃を見舞う。


「ぐふッ!」


 さすがに効いたのか、男がたたらを踏んだ。そのまま男の顔面を殴り続ける。男の頭部が二度、三度と揺れて遂には打撃の余波で窓ガラスにひびが入る。その好機を逃すまいと、渾身の蹴りを放とうとしたウォルターが、びくりとその動きを止めた。

 銃口がウォルターの顔面を捉えていた。鼻が曲がり、血を止めどなく流しながらも男の表情は勝利を確信した笑みを浮かべていた。


「く――ッ!」


 ウォルターは咄嗟に銃を掴むと、強引に銃口を下げさせた。直後、破裂音と共に腹部に鈍い衝撃が走った。燃えるような熱が脇腹を中心として急速に伝わっていく。


「ぐあ……!」

「ヒヒッ、愉しかったぜ“金色の狼”!」


 喘ぐウォルターに、男がさらに引き金を引こうとする。崩れ落ちるウォルターの胸元に、その照準が合っている。


(まだだ……)


 銃弾がめり込んだ脇腹を押さえる左手に、ぬるぬるとした感触。指の隙間からこぼれる出血はどこまでも酷くなる。激痛なんて生易しいものじゃない。


(まだ、終われねぇんだよッ……!)


 だが、ウォルターは屈しなかった。通常の人間ならばとっくに死を覚悟する時間。サングラス越しの瞳は、強い輝きが宿っていた。

 そこにあるのは生きようとする意志――ではなく。

 悔恨。

 心の奥底に潜めた、あまりに強烈な負の情動がウォルターを突き動かす。

 痺れる右手。指にかけた引き金に力を入れ、ウォルターは己の銃を男に向けた。


「――ッ!」


 息を呑む二人。僅かな静寂。

 そして。

 二発の銃声が、ほんの僅かなタイムラグを残して荒れたオフィスに響き渡った。





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