第十五話 残る謎
のどかな春の陽気も、夕方となれば風もまだ冷たい。
「それじゃ、また明日」
響里義矩は、いつものように芝原たちと別れを告げて住宅街を歩いていた。
異界での戦いから一週間。人知れずこの町を救った響里には穏やかな学校生活が戻っていた。激闘の影響でかなりの負傷をしたはずなのだが、帰ってくればきれいさっぱり無傷だった。痕跡も後遺症も何もなく、当然扉も消えていた。残されたのは響里の記憶にだけ、というのは少し寂しい気がした。
事情を知っていそうな有沢にも話を訊きたかったのだが、あれ以来、家には帰ってきていない。学校で他の先生に所在を確認してみたのだが、どうやら県外に出ているらしい。クラス担任がそれでいいのかとも思えるが、仕事となれば仕方がない。
(商店街も活気が戻ってきているし、これで良かったんだよな)
商店街で起きた集団の意識不明事件は、地元ニュースでも大きく取り上げられた。真相を知らない一般市民には、無論理由は分からないし、テレビでは精神科医による専門的な考察が述べられていたが、まさかそれが悪魔による魂狩りとは思わないだろう。ただ、これも搬送された被害者の人々もすぐに目を覚ましたことで、報道の熱は徐々に下火になっていった。
ともあれ、響里がこの御伽町の安穏をもたらしたのだ。
「…………」
そう、全て元通り。
響里は現実世界に帰ったから、何度か彼女に呼びかけてみた。
しかし、応答は一切無かった。
融合を果たしたときは、その存在を近くに感じられたのだが今はそれも無く。心にぽっかり穴の開いた気分だった。
やったことに後悔はない。宮井を倒した後に起こる影響も、全部理解した上で響里は行動したのだ。
響里は頭を振って、カバンを肩にかけなおす。
「いつまでもウジウジ考えてもしかたがないよな」
気持ちを切り替えて、これからの日常を過ごすしかない。駆け足で家へと急いだ。
◇ ◇ ◇
「ただいま~」
玄関の引き戸を閉めながら、居間へと上がる響里。台所には今晩の夕食がラップにかけられて置いてあった。用意を済ませた祖母の有沢文代はというと、居間でのんびりとテレビでニュースを観ていた。
「おや、義矩。おかえり。ご飯にするかの?」
「うん。先に風呂に入ってからね」
立ち上がろうとした祖母を制し、響里は自室へと向かおうとした。
『続いてのニュースです。今朝未明、御伽町の路上で遺体が見つかりました。警察の調べによりますと、地元に住む高校生とみられ――』
普段なら耳を通り過ぎていくはずのニュース音声が、その時ばかりは違った。カバンを落とし、画面を凝視する。
「どしたんじゃ、義矩。気になるのかえ?」
「あ……うん。ちょっと……」
食い入るようにテレビを見つめる響里に、文代は首をかしげる。
自分でも何故だか分からないが、どうも胸がざわつく。同じ高校生だから、だろうか。
「そういえば噂を聞いたことがあったの。子どもが行方不明になって親が警察に捜索願を出したとか……。名前は……なんじゃったかのぉ……」
「…………!」
行方不明。
そういえば、と響里の中である記憶が呼び起こされる。
あれは、この町に来た直後のことだ。異界への扉があった森付近にある掲示板。そこには行方不明になった住人の情報を求める張り紙がいくつもあった。
その中に、今となっては見覚えのある少年が載っていたのである。
「まさか……それって宮井……?」
鐘を鳴らすように、心臓が高く跳ねている。ニュースでは、まだ少年の不審死について報じている。
「おお! そうじゃ、そうじゃ。なんじゃ、義矩。知り合いじゃったんか?」
「あ……い、いや。え……と……」
「この町の少し外れたとこに住んでるお子さんでな。地元でも有名な資産家なんじゃよ。えんらい賢いらしくてなぁ、他県の進学校に行ってたようなんじゃが……。親御さんも可哀そうにの~」
宮井が、死んだ?
いや、そう決めつけるにはまだ早い。ニュースで報じられている高校生と宮井が同一人物だとは限らないのだから。とはいえ、こんな平穏な片田舎で事件が起こるのも珍しいことだ。安易に結び付けてはいけない――そう頭の中で否定しても、不安は拭い去れない。
『この少年は数週間前から行方が分からなくなっており、捜索届けが出されておりました。警察は自殺と他殺、両方の観点から捜査を――』
と、ニュースキャスターが事実を淡々とした調子で伝えている。響里の僅かな希望を打ち砕くように。
「そんな……」
やはり宮井で間違いない。
何がどうなっているのだろうか。彼の身に、何が起こったのだろうか。
現実世界に帰ってきてから変なことに巻き込まれたのか。もしくは、異界の崩壊が彼の命に何かしらの影響を与えたのか。
異界を理想郷として創造したということは、裏を返せば現実を忌避していたということ。傲岸不遜な性格からはそう窺えた。だからといって死んでいい理由にはならない。響里も、彼には現実世界で反省してほしいと願うだけだった。
ぐるぐるといろんな考えが頭を巡る。どれも想像の範疇を越えない。
こんなときに従姉に相談できないのがもどかしい。
「どうなってるんだよ、一体……」
何もかも終わったはずなのに。
謎が、霧のように濃く深く残る。
響里は、その場で立ち尽くすしかなかった。