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聖傑  作者: 如月誠
第一章 覚醒の少年編
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第十四話 聖傑

 全身から力が抜けていく。

 磔のように縛られた咲夜。そこに生気は感じられない。

 響里が助けたいと願ったその女性は、憂いを帯びた表情で固まってただの置物として鎮座していた。


「咲夜……さん……」


 口にしたその声に、当然反応するわけもなく。

 握っていた刀が手から滑り落ちる。甲高い音を鳴らしながら床を叩いた。


「ひゃはははは! 残念だったね。この通り、咲夜はもう僕のものになった。凡人のお前がこうして勇気を出して? 偉そうに講釈も垂れて? 大して強くもないのに僕に挑んだのも全て無駄だったってわけさ!!」


 宮井の哄笑が、部屋全体に響き渡る。

 宮井が他人の能力を奪う。それは存在すらも消去してしまうものだ。

 天権としての万物創世。それはどんなものも自由に扱える、まさしく神の所業であり、宮井自身がそう願い創造した世界だ。

 よほど人間が憎いのだろう。その根底にある想いが異界という産物になり、死霊術や他人の存在価値を奪うといった“消去”に繋がっているのだ。


「く……」

「ん?」


 ゆらりと立ち上がった響里が落ちた刀を拾い上げる。そのまま倒れそうなほど前掛かりな態勢になりながら、勢いよく駆けだした。


「うぉおおおおおおおおおおおお!!」


 獣のような咆哮を上げ、宮井に突っ込む。感情は振り切れている。理性も吹き飛び、ただ怒りのままに刀を振るう。

 ――しかし。


「ばーか」


 つまらなそうな口調で、宮井は黒い刀を振り上げた。魔術を纏った刀は衝撃波となって響里を襲う。衝突した途端、爆発を呼び起こし城全体を大きく揺るがした。響里はまともに被弾。石ころのように地面に叩きつけられる。


「自暴自棄になるのはやはりサルだね。なんだい、咲夜を取られたのがそんなに悔しい? そりゃそうだよね、徒労に終わったのだから」

「う……」

「どうしてそこまで肩入れするかな? お前には何の価値もない人形だっていうのに」


 冷めたように呆れた口調で、肩をすくめる宮井。


「……言っただろう……。例えお前が用意したものであっても、それは命だと。それぞれ生を受けた者の人生を……、どんなヤツにも……自由にしていい権利はない」

「ふん」


 宮井は後ろを振り向き、咲夜を見上げた。嘲りを交えて、響里に言う。


「生意気だね。咲夜と似てるよ」

「な……に……?」

「こいつも最後の最後まで抵抗したんだよ。力を吸収するにはルールがあってね。信仰心や誇りといった、いわゆる心の拠り所ってやつを粉々に打ち砕く必要があるのさ。自分が自分たらしめるもの――すなわち核を破壊することでようやく僕のものになる」


 咲夜の肢体に、宮井の指先が触れる――その寸前だった。バチンッと小さな電撃が走り、宮井の腕が弾かれる。結界……、なのだろうか。響里にも視認できない障壁が咲夜の身体を守っているようだ。


「咲夜はどうやっても僕に力を渡さなかった。素直に渡せば楽だったのにさ。だから僕は強制的に心を犯した。力は手に入れたけど、咲夜は残る自我を渡すまいと、こうやって自らを石に変えたのさ。無駄な悪あがきだね」


 完璧と化した自分の方が絶対的に優位であるという過剰な自信。それは、絶望に追いやろうとする心理が働いた上での無慈悲な発言だ。

 ……が、響里は失意に陥るどころか、全く反対の感想を抱いていた。


「生きて……いるのか。咲夜……さん」

「生物としては死んでいるんだって。意識を封印して殻に閉じこもっているだけだって、同じこと言わすなよ」


 心の在り処――それは咲夜が大事にしていたものだ。

 すなわち、魂。

 彼女が信じ、どんな屈辱を受けようとも決して、曲げなかった想い。

 貫いた、その意志。だからこそ宮井に抗い、負けなかった。最後の最後、魂に蓋をすることで明け渡さなかったのだ。


 ――ドクンッと、脈を打った。


 響里の心臓の鼓動ではない。指先に伝わる強い振動。刀からだ。彼女の強い思念が、ここにも宿っている。


(まだ助けられる。希望は――ある!)


 響里の眼光が、鋭さを帯びる。


「咲夜さん!!」


 ありったけの力を込めて、響里は叫んだ。身体が軋む。少しでも動かせば激痛が走る。それでも響里は己を奮い立たせて、立ち上がる。


「俺はここにいます! 自分の魂に従って、俺はあなたの元にやってきました! 咲夜さんを救うために!」

「あぁん?」


 不機嫌そうに眉を吊り上げる宮井。


「まだそんな力が……。これだからバカは……」


 舌打ちをしながら、宮井は無造作に左腕を振るう。魔力を込めた弾丸が響里に放たれる。しかし、苦も無く弾丸は刀によって弾かれた。

 ただし、それは響里自身が防いだわけではない。刀がまるで意思を持ったかのように反応したのだ。


「ッ!?」


 動揺する宮井。

 その背後で、静かに何かが音を立てた。


「俺は戦うことに決めた。だけど、力が足りない。弱いんだ、どうしようもなく! 戦うためには咲夜さん、貴女の力が必要なんです!」


 さらに音が鳴った。より大きく。

 音の発信源は石となった咲夜からだった。頭頂部辺りにヒビが入り、亀裂となって顔面にまで達している。


「聖傑なんてのはどうでもいい。大切なのは、今。このときのためだけに、苦しんでいる人々がいるなら助けたい。だから――」


 一方で、響里の全身に小さな稲妻がほとばしる。

 ミーアレントでのひとときで、咲夜との会話で覚悟を問われた際の不思議な力と同じ現象。

 今にして思えば、それがきっかけだったのだ。

 魂の融合。響里と咲夜の魂が結びつくサインが、あの時既に行われていたのだ。


「うらぁあああああああああああああッ!!」


 力一杯に地面を蹴って、響里は駆け出した。理性など、かなぐり捨てた本能。リミッターは外れていた。

 そして跳躍。

 太刀“安綱”を逆手にして持ち、咲夜に飛び込む。


「俺に、貴女のすべてをくれ!」


 咲夜に入った亀裂が首筋を通り、胸元に到達すると同時。刀の切っ先が咲夜に勢いよく吸い込まれる。


「バカが! 血迷ったか!」


 宮井が理解不能といったように冷めた笑みを浮かべた……が、その直後。その余裕の表情が一変する。

 咲夜から光が溢れだした。さながら、殻を破る雛のようにヒビが網目状となった瞬間に、石化が砕け散った。


「うわッ!?」


 眩い光が、咲夜から放たれる。光の正体は、彼女自身の意志。硬質な殻を突き破るほどの想いが輝きとして外へ溢れだしたのだ。

 光は奔流となり、室内を、やがて城全体を、いや世界全体をも呑みこんでいく。

 そうして構築されたのは、天と地もない光の空間。空も、大地も、あらゆる万物が消失。色とりどりの光彩がまるで、虹のように淡い光の世界を飛び交っている。

 響里はそこに只一人、上か下かも分からないまま浮遊していた。心地よさに浸り、光の中を漂う。

 そんな中、彼女は現れた。

 一糸まとわぬ姿の源咲夜が、慈愛に満ちた笑みで響里の元に飛び込んでいく。


「咲夜さん……!」

『その想い、受け取りました』


 厳かに、彼女は答えた。


『これより貴方の刃となり、闇の一切を断ち切ってみせましょう』


 そして、響里の身体に咲夜の指先が触れる。そのまま咲夜は溶けるようにして響里の中に溶けていった。



 ――融合が、果たされる。



 光は彼方に消えていた。

 世界は再びその時間へと戻る。マゼライト城、王の間へと。

 戦いの場に、響里は立っていた。

 違和感はどこにもなかった。

 むしろ、心地よい感覚。咲夜の温もりが細胞レベルにまで包んでくれるようだった。とはいえ、彼女が響里の中に棲みつき、脳の領域を犯しているわけではない。主導権はあくまで響里だ。彼女が生前抱いていた記憶や思考も微かに感じられる程度というだけ。それも響里がそこに触れたいと思えば届く、といった具合だ。


「な、なんだ。今のは……」


 融合の余韻に浸る響里の背後で、啞然とする宮井。


「お前、何をした……? 咲夜を、どこにやった……」


 全身に光を纏いながら、ゆっくりと響里は振り返った。負の一切を拭い去った澄んだ眼差しに射抜かれ、宮井は二歩、三歩と自覚なしに後退る。


「何をした!? 知らないぞ、僕はそんなもの……!」

「俺と咲夜さんは一つになった。お前を倒すために」

「お前如きが、この天才の僕を……? 笑わせるな!!」


 宮井が響里に踏み込み、魔術の刀を振り下ろす。剣術の才は一ミリもない宮井だが、天権の恩恵によって強化されているために一撃は重い。しかも中途半端とはいえ、咲夜から頂戴した斬撃。生身の人間を両断し、地面さえ割断してしまうだろう。

 だが、響里は片手一本で易々と撥ねのけた。

 白と黒の光の粒子が乱れ飛ぶ。簡単に弾き飛ばされた宮井は、みっともなく背中から地面に落ちた。


「ぐあっ!」


 苦しそうに咳き込む宮井に、響里は悠然と近づく。穏やかな瞳で見下ろし、諭すように言った。


「お前の夢はここでおしまいだ。現実に帰ってその罪を反省し、ちゃんと生きろ」

「き、貴様……!」


 憤怒の表情で宮井は左手を素早く突き出した。魔力が手のひらに集中し、光弾が生み出される直前。彼の手首を響里は握りしめる。


「やめろ。無駄だ」


 淡白に告げる響里。それを憐れみと受け取ったのかは定かではない。腕を乱暴に振り払って、斬撃をあらゆる角度から繰り出す。

 その一切を弾き飛ばし、響里はお返しとばかりに宮井よりも無駄のなく、鋭い斬撃で斬り裂く。素早く宮井の背後に瞬時に移動し、蹴りを叩き込んだ。


「ぐえ!」


 みっともなく床を転がる宮井に、響里は静かな歩調で近づいていく。

 形勢逆転。圧倒的な屈辱を感じさせるには十分な力の差だった。


「まだ、やるか?」

「う、うるさぁぁぁああああああい!」


 そうして癇癪を起こした子供のように、喚き叫ぶ。


「なんなんだ、お前は! ここは僕の世界だぞ。僕だけのおもちゃなんだ。僕に与えられた、全部好き勝手にやってもいい場所なんだ!!」

「…………」

「風景も、城も、村も、人間も! そして咲夜もだ! 僕が用意した僕だけの居場所なのに!」


 宮井は頭を掻きむしりながら荒い呼吸を繰り返し、黒い刀を響里に突きつける。脆い精神面が露呈し、今度こそはっきりわかる表情で、響里は落胆の息を吐いた。


「パパも、ママも、同級生も! そしてお前も! どうして! どうして!! 全部、全部お前らが悪いんだろ! 僕は一生懸命やってんのに、お前らが邪魔するんだろ!」

「…………」


 かける言葉は、この少年にはもうない。


「僕は天才だ。何もかも劣るお前が、僕を見下すなぁぁぁああああああああああ!」


 斬撃による衝撃波が放たれる。これまでより数倍大きい魔力が、響里を吞み込もうと襲い掛かってくる。

 まるで巨大な波だ。喰らってしまえば、たちまちに消し炭だろう。

 だが、響里は姿勢をそのままに、静かに目を閉じた。

 そして、奥底に眠る咲夜の意識に呼びかける。


「――いくよ、咲夜さん」

『ご随意に。共に参りましょうぞ、我が主よ』


 刀身が輝きを放つ。

 湧き上がる万能感。躊躇なく、内包する力を解放する。

 響里の全身から黄金の闘気が溢れ、足元の地面が強大な力に耐えきれず陥没した。


「異界ごと全てを切り伏せる!」


 裂帛の気合を放ち、響里は刀を天高く掲げて、一気に振り下ろす。

 黄金に染められた刀から放たれる衝撃波が、宮井の魔力を押しつぶす。空気を裂き、地面を抉りながら宮井を呑み込んでいく。


「う、うわぁあああああああああああああ!」


 強大なエネルギーをまともに喰らって、宮井は内壁に叩きつけられた。そのまま壁が破壊し、宮井は月光輝く空へと投げ出された。


「――はっ!」


 響里が宮井を追う。常人をはるかに超えた速度で駆け、城の外に跳躍。落下する宮井の腕を掴む。

 響里の肉体は聖傑となったことで爆発的に強化されている。ただ急激な成長は脳とのズレを生じさせ、無意識に制御をかけようとするが、咲夜がそのギャップを補っている。だから響里の思考に素直に身体は反応する。

 響里は外壁を滑りながら、庭の芝生に着地した。分かってはいても、やはり恐怖感じていた響里は一息つきながら、宮井を放った。


「あが、が、が……」


 服も焦げ、全身のあらゆる箇所に傷を負った宮井。全力を込めた一撃だったが、天権である宮井にも一定の耐久力はある。睨みつけてくる宮井に、響里は穏やかに言い放つ。


「終わりだよ、さあ元の世界に帰ろう」

「く、くっそぉぉおお……」


 涙を浮かべながら、よろよろと這うように城の外に逃げようとする。


「絶対、絶対許さないからな。お、お前だけは……!」

「宮井……」

「もう一度、もう一度やり直すんだ。僕の世界を……」


 弱々しい嘆きを繰り返す宮井に、響里は痛々しく見つめるだけ。

 響里にしてもこれ以上、彼をどうこうするつもりはない。仮初の楽園から戻り、これからの現実をしっかりと受け止めてもらうだけだ。


「!」


 宮井の足元が淡い輝きに包まれる。細やかな粒子となって、空へ昇っていく。宮井の身体が消えていく様子を眺めていると、星が散りばめられた夜空にも変化が訪れ始めた。

 絵画に塗り固められた絵の具が剥げるように。ぽろぽろと景色が崩れ落ちていく。剥がれ落ちた空に残されたのは、モザイクの幾何学模様だった。


 世界の崩壊が始まった。


 いつの間にか、宮井の姿も消えていた。

 そして、響里の身体も光に包まれる。


『ありがとう、義矩(よしつね)さん。世界を……、皆を……、私を救ってくれて』

「はい。だけど……」


 散りゆく世界のピースに降られながら、響里は声音を落とす。


「宮井が創り出した世界は消滅します。ということは皆さんも消えちゃうんですよね」


 響里の脳裏に、数多の出会いが呼び起こされる。ミーアレント王やジェームズや仲間の兵士。その他のまだ出会ったこともない人々も、存在しなくなる。

 すなわち、この世界の歴史は無かったことになるのだ。


「咲夜さんも消えちゃうんですか……?」

『分かりません』


 脳内に響く咲夜の声は澄んでいた。消失に伴う悲しみや恐怖はないように感じる。


『でも、これで良かったのです。私も結局は生み出された宮井のための部品。ですが、最後にこうして貴方と共に戦えた。定められた人生を己の手で変えられた。だから、満足です』

「咲夜……さん」


 俺もそうだ、と声に出したかったが、上手く言葉にならない。意識が遠のき始めている。


『我が主よ。もし再び出会えたなら、また――』


 名残惜しそうな咲夜の声がかすかに聞こえながら、響里は眠りに落ちていった。





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