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第九話 あなたも食べなさい

「これは甘い。甘くない。甘くない。これは……やっぱり甘くない」


 牢獄の中に選別の声が響く。

 我らの母が冷たい地面に座りながら、包みを開いて色とりどりの砂糖菓子を頬張っている。隣で同じく腰掛ける人間の男は、その様子を興味深そうに眺めていた。


「人間、じろじろ見るでない。見世物ではないのじゃぞ」


「騒がないで。あなたも食べなさい」


 鉄格子を介して包みを渡され、儂は両手で受け取った。

 ううむ。人間が作ったものなぞ食べたいとは思わん。連中の無知蒙昧が伝染したら大変じゃ。様子を伺う限り毒の類は入っていないのじゃろうが、易々と信用するわけにはいかん。さりとて母からの贈り物でもある。無下にするのも忍びないが、はてどうしたものか。


「これは甘くない。これ……これは甘いね」


「甘いの好き?」


「知らない。甘いから甘いって言ってるだけ」


 愚かな質問じゃ。

 我らが王にして母は食の好みなど持っていない。深淵の討伐者として生まれた彼女には使命を全うする以外の機能など必要なく、ゆえに完成された星の代理たりうるのじゃ。

 大地は意思を持たぬ。海は感情を持たぬ。空は信念を持たぬ。ただ自然の中でかくあれかしと定められた役割を果たし、泰然としてそこに在るに留まっている。これが理想的な自然の在り方といえよう。

 そういう観点で言えば、なぜこの方が我らに自我と社会性などという概念を教え込んだのか、それだけは疑問であった。余分な感覚を排して、より合理的な組織集団として突き詰めていけば、脱走者や離反者などが生まれることもなかったろうに。

 数百年前、最初に母が生み出した軍勢は極めて原始的な知性しか持たない生命体であった。最終的に人間共の計略を前に敗北を喫したが、死をも恐れぬ屈強な戦闘集団であったと聞いている。


「ネロー、食べないの」


「ううむ、ううううむ。食べまする………………」


 我らに付与された自我の最もたる例が、名前じゃ。

 自身をアルケーと呼ぶよう子らに求め、新しい星の子を生み出すたびにネローやフォティア、イピロス、アエールといった言葉を与えてきた。フォティアは気軽に母をアルケー様などと呼んでいたが、能天気にもほどがある。

 名前は無形の概念を有形の実像へと変えてしまう。我ら星の子は別に良い。どのような形に歪められようとも最終的な生殺与奪は母の裁定で決まるのだから。しかし母は、星の代理たるあの方は、何者の手も加えられぬ原初の形を保たなくてはならない。別の意思が混じってしまえばもはや代理と呼べず、あの方の本質を否定することに繋がってしまうからの。


「どう」


「甘い……のでしょうか。儂にはよく分かりませぬ」


「最初はそんなもの。いろんなのを食べ比べて、あなたも『甘い』を知りなさい」


「それ、僕が君に言ったやつだよね」


 母が「そうだけど、だから何?」と挑発的な視線を人間に向ける。心なしか自慢げである。そうですじゃ、そうですじゃ。人間などに恭順する必要はありませぬ。彼奴等は己らの足元で眠っているものの危険性すら理解せぬ愚か者。威圧で以て恐怖させ、従えてしまえばよいのです。

 しかし、人間は表情を和らげて「いや、なんでもないよ」と笑った。

 確かに全盛時と比べれば些か威厳の足りぬ見目となったが、なおも偉大なる御方であることに変わりはない。それを笑うなどと不遜にもほどがある。


「図に乗るなよ人間。我らが王にして母は賢い。すぐに貴様らの文化を学んでみせるじゃろう」


「そうそう。(エゴ)は賢い」


「へえ……ネローはアルケーのこと、やっぱり尊敬してるんだね」


 尊敬などという陳腐な言葉で括るでない。

 この星の命運を左右する最も重要な使命を背負い続けてきた方なのじゃ。貴様ら人間のように、ただ生まれて時間を消費するだけの在り方とは根本からして異なる。ただ一つの使命を成し遂げるためだけに数百年を孤独に生きるなど想像も及ぶまい。


「見た目は巨人と少女なのに、なんだか子供と親みたいだ」


「黙れ、分かったふうな口をきくでない。貴様ら────」


 勝手に人間的な解釈を加えるな。そう反論しようとして、やめた。

 我らは生み出された時点で名前と社会性を与えられ、無意識の内にそれを当たり前と受け入れておる。これらの概念は、母が人間の文明を下敷きにして作り上げたもので、つまるところ我が心情もまた、その由来を辿れば人間に行き着いてしまう。母の行動はともかく、我らの行動を人間的に解釈するのは誤りとも言い難い。

 結局、星の子でありながら余分なものを持って生まれた我らと、星の代理である母では根本からして異なるのじゃ。


「…………あんまりこの子を褒めないで。すぐ調子に乗るから」


「いや、別に褒めてないけど」


「そのくせ失敗は隠そうとする。そうだよね、ネロー。あなたが部下の失敗を雪ぐとか言って独断専行したから、(エゴ)たちは負けたんだよね」


「その件は、ど、どうかお許しくだされ……」


 我らの軍は人間の社会性を模倣して組織された。我らが母を王として、階級や役割を割り振られ、人間のそれに劣らぬ強大な集団となった。

 しかし、残念ながら戦術や戦略までは模倣できなかった。母は自分が見聞きした概念しか我らに与えられなかったのだ。これを改善すべく、生け捕りにした敵将から連中の経験を聞き出した。手に入れた知識を軍内で広めようとしたものの、将軍職に就いていたフォティアやイピロスは興味を示さず、アエールは理解しきれないといった様子であった。

 そして、儂が人間に捕らえられたことでまともな作戦を練られる者はいなくなった。その隙を突かれ、人間共が攻勢に乗り出した結果、軍勢は勝機を失った。

 我らが母は時折、この件を持ち出して儂を非難する。しかしこれは当然の罰でもあるのじゃ。


「いつまでもねちねち責め立てるのはよくないよ」


「そうなの? こういうのを人間はきょーいくって読んでなかった?」


 教育というのは、人間が他者に情報や経験を伝達する方法の一つだったか。

 我らのように血脈を介して概念を与えることができぬとは不便極まりない。


「うまく言葉にできないけどなんか違うと思う。線引きって言うか」


「ふん、いらん情けをかけるな。これは正当な非難じゃ」


「ほら、ネローもこう言ってる。もっと責めてあげるね」


「お、お許しくだされ……」


 近頃の我が王は、人間の後ろにくっ付いて行動しておる。

 今日も地下牢にいる儂に会うため、勇者を名乗る男を伴ってやって来た。訪問の目的は「遊びに来た」とだけ告げていたが、以前であれば考えられない動機じゃ。それに、頭で光るその飾りは人間が趣向を凝らして作る手芸品であるように見える。これも誰か、おそらく勇者から贈られた品であろう。

 儂が生まれた当初からこの方は何度となく勇者との約定について口にしているが、はっきり言って儂は懐疑的じゃった。

 大昔の人間と交わした約定を今の人間が守るとは思えなかったし、現にこやつは徒党を組んで我が王にして母を一度倒しておる。どういう経緯で行動を共にするようになったか知らないが、やはり簡単には信じられない。

 そも、儂らもまた多くの人間を殺しておる。この者が同族を殺した恨みを抱いていないとも思えなかった。


「もう一個食べて」


「ええ、いやしかし、ううん。いただきまする……」


 受け取ろうと手を伸ばしたが、それは叶わなかった。

 初めに、母の指先が揺れた。次いで建物に埋め込まれている鉄格子が唸りを上げ、ごうごうという地鳴りが遠くから押し寄せてきおった。凄まじい揺れに立っていられなくなり、儂は後ろに倒れる。幼子の姿となっている母を案じると、あの方は人間に支えられてなんとか立っていた。お怪我がなければ何よりじゃ。

 すぐに揺れは収まり、牢の外から別の人間が入って来た。


「勇者様、ご無事ですか」


「大丈夫です。そちらも怪我はありませんか」


「お気遣い痛み入ります。私は他の場所も確認してきますので、申し訳ありませんが少しの間だけネローの見張りをお願いしてもよろしいでしょうか」


「脱走する素振りがあれば斬ってください」という声掛けに、人間は軽やかな返事をする。足元では菓子を没収されると思ったのか、母が包みを大切そうに抱えながらうずくまっていた。

 別の人間が出て行くのを見届けてから勇者が母の肩にかけていた手を離す。「大丈夫?」という問いかけに、我が母が首を縦に振って応じた。その顔つきは最近の弛緩したそれでなく、我らの軍勢を率いていた頃の、星の代理然とした厳しいものに変わっていた。

 王にして母は儂に向き直ると、ひどく平坦な声で「ネロー」と呼ぶ。


「星の血脈がこじ開けられた」


「しかし、到達にはまだ時間があるという話では……」


「知らない。けど、近くに一つと遠くに二つ。確かに穴を開けられた感覚がした。つまり────」


 血脈。

 星のいたるところに張り巡らされた生命の循環路。これがあるから世界は、自然は、生命は、今の形を保ち続けてきた。本来は星の意思で生み出された代理とその子らにしか知覚することのできない非実在性概念情報であるにも関わらず、唯一、我ら以外にも干渉できる存在がいる。


「────────深淵が動き出した」


 ありえない。

 戦争の終結後、母は計画を大きく変更させた。地域一帯の人間との協力関係ないし服従を諦めて、勇者に同行して各地を回り、この地のどこかに潜んでいる深淵を発見、討伐する予定であった。

 儂らは本来、人間と戦争するために生まれたのではない。我らが母が自らの血肉を削り、大地から命の情報を吸い上げて軍勢を作ったのは、来たる寄生虫共との決戦に備えてのことじゃ。それを愚かな人間共が戦争を吹っかけてきたせいで軌道修正せざるを得なくなってしもうた。そのしわ寄せが来ておる。


「対処できる者がおりませぬ。如何しますか」


「一つは大丈夫。目算通り(エゴ)たちがいた場所だから」


「ええとごめん。白熱してるとこ悪いんだけど何の話? アルケーたちがいた場所って言うのは旧支配地のこと?」


 控えめな態度で人間が口を挟んできた。

 素人は黙っとれと突っぱねようとしたが、我らが慈悲深い王は儂が口を開くのを視線で制した。


「そう。あそこは深淵を捕えて滅ぼすために作った天然の監獄要塞。無理やり生態系の循環を早めたから歪みが出ちゃってるけど、安心して。五十年もすれば元通りになる」


「僕もおじいちゃんになってるなあ」


「しわくちゃフランツ」「そうそう」


 見ると、我らが王の顔つきが弛緩したものに戻っていた。人間の頬を上へ下へと自在に引っ張って「おー。しわくちゃ」と生命の老いに関する見解を披露している。

 ぐぬぬ、やはりこやつらの能天気さに毒されつつある。フォティアの奴なら子供の情緒発達になぞらえた楽観的な意見で儂を宥めようとするだろうが、もう奴は死んだ。何としてでも、我らが王には再び使命を強く自覚していただかなくてはならん。

 姿勢を正すと、王と人間が同時にこちらを向いた。


「迅速に『大穴』を叩かねばなりませぬ。場所は判明しておいでですかな」


「うん。ここから最も遠い場所。また馬車に乗って移動しなくちゃ」


「それは大変だ。またみんなと相談しなくちゃいけないな」


 人間がうんうん唸っておる。自分を取り巻く社会事情について思いを馳せているのじゃろう。これだから人間というのは面倒くさい。


「……貴様らの事情は、貴様らの参謀役に頼ればよかろう。ここで出もしない結論を探すでない」


「それもそうか。ねえアルケー、先に戻ってユーリエたちに説明してくれるかな。僕はたぶん城を出るのも時間がかかるから」


「はーい」と言って我らが王は駆け出す。体のいい使いっ走りのように扱うなと咎めるも、人間は苦笑するだけだった。

 数百年にも及んだ因果がようやく動き出そうとしておる。母の隣にいるのが星の子でなく何も知らない人間共であるのが癪だが、重要なのは最初の使命がしっかりと果たされることにある。我らはそのために命を与えられ、戦ってきたのだ。

 他のあらゆる出来事は些事に過ぎない。

 部屋を出ようとする人間を呼ぶと、そいつはいつものように間抜けな顔で立ち止まった。


「僅かばかりの間で貴様は星の子らの代わりに遠く離れた地で我らが王を庇護し、信を得た。それに免じて儂も貴様らとは協調路線を取ってやったし、こうして大人しく牢に戻ってやった。だが忘れるな、人間が王にして母の信頼と期待を裏切った時、儂が貴様の命を奪う」


 人間は無言を保ったままで、時間が止まってしまったと思うほど微動だにせず、こちらをじっと観察しておった。常々思っていたが奇妙な奴じゃ。元より我ら星の子と人間では感情表現も差異が多く、機微をくみ取るのが容易でないとはいえ、こやつの同行者たちはまだ声色や態度から判断しやすい。

 この、勇者の称号を持つ人間は何を考えているのか読めない。いわゆる善人に分類される人物らしいがその理由が今一つ分からない。

 その人間が、儂に対して短く笑った。


「あなたを見てると、やっぱり人と魔人は分かり合えるんだって嬉しくなるよ」


「何を馬鹿な、戦争でどれだけ殺し合ったと思っておる。」


 人間は足早に近づくと、鉄格子の前で屈み込んだ。

 起き上がった奴が手の平を差し出すと、中で先ほど落とした包みが転がっている。儂がそれを受け取ると、人間は「これで良し」と呟いた。


「あなたは自分が嫌っている人間と協力して、まあ、結果的にだけど僕を見つけてくれた。おかげで勇者フランツはこうして王国に戻れたし、いつか故郷へ帰れるかもしれない。そのことは感謝してるよ。アルケーとの関係を踏まえて、信頼だってしてると思う」


 人間は「それでも」と言って、こちらに背を向ける。


「僕はあなたが嫌いだ。世界で一番大切な幼馴染を攫って、傷つけて、殺そうとした魔人を決して許さない………………これは、あなたが人間に不信を抱く理由とそう変わらないんじゃないかな」


「貴様……」


「ええと、つまり……線引きだよ。僕らの憎しみはお互い様。でもそればっかりじゃ何も始まらないから、相手の良いところを見つけていこうっていう話さ」


「うーん、やっぱりユーリエみたいにうまく言葉にできないや。ごめんね」と頭を掻いて、人間は牢獄から出て行った。

 鉄の扉が閉じられると後には静寂だけが残される。儂は渡された包みを丁寧に開いて、砂糖のまぶさっている菓子を口に入れる。

 味のよく分からないそれを、儂はいつまでも舌の上で転がし続けた。

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