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第七話 やりがいってのは何も金だけじゃない

 戸口に訪れた平民隊を見て妻が不安そうに息子を抱き寄せた。

 手の中で銀貨を弄びながら、軍の紋章を胸に掲げた兵士は無表情で立っている。

 私は「案ずることはありません」と言って、二人の背中を押してやる。魔獣と対面したことすら無さそうな若き兵士は自身の感情を押し隠すみたいに鉄の兜を目深に被り、短く挨拶をして、妻子を連れて出て行った。

 妻も、あれで元はギルドの受付嬢をしていた人間だ。荒っぽい現場だって経験しているし、何か問題があっても切り抜けられるだろう。


「………………そろそろ時間ですね」


 一時の別れでも惜しむ感情は湧いて出るのだが、危ない橋を渡っている関係上、愛する家族を危険に晒すわけにはいかない。窓の外から遠ざかる三つの影を眺めながら、私は一通の手紙を懐に忍ばせた。

 黒い外套を羽織りながら部屋を出て、高層住宅のかびくさい廊下を通り過ぎ、古びた階段を下りていく。外に出ると石造りの街並みが静寂と共に私を出迎えた。数か月前であれば宣伝旗を持った客引きの元気な発声や、派手な私服に身を包み散歩するご婦人の井戸端会議が聞こえていたものだが、今では固い靴音だけが王都の住宅街で囁いている。

 修道院から流れていた讃美歌はすでになく、慈悲の象徴たる建物は都市の片隅でひっそりと眠っていた。厳しい時代にあっては高潔な精神と無私の奉仕など簡単に意味を失ってしまう。

 広場まで来ると、人影がぽつり、ぽつりと見え始める。彼らは例えば鍛冶屋であったり、商人であったり、どこぞの貴族お抱えの伝達人だったりする。一様に暗い顔で足早に街道を往く姿は、どこか他人を恐れている風であった。


「なあ頼むよ、もっと値下げしてくれないか。苦しんでる人がいるんだ」


「無理だね。本当なら王城に全部売っちまうところを好意で卸してもらってんだ。あんた修道院の関係者?」


 即席の店屋で医薬品を巡り口論している平民たちをしり目に、噴水の近くに設置してある長椅子を見つけると、そこに腰かけた。値切り交渉は暫く続いていたが、巡回の兵士がやって来るのに気付いた客の男がそそくさと立ち去っていく。商人は仏頂面のまま、視線を下に向けていた。

「何を騒いでいた」と、先頭の兵士が聞くと、商人はへえ、と息を吐きだす。


「なんでもございやせん。貧乏人が騒いでただけでさあ」「みだりに治安を乱す真似をすれば、貴様も同罪で牢にぶち込むぞ」「へえ、へえ。すいやせん」


 下手に絡まれれば面倒くさいと思い、私は持ってきていた魔術書を開いて読書に勤しむふりをした。兵士の隊列はぞろぞろと眼前を通り過ぎ、やがていなくなった。

 とんがり帽子を持ってこなくてよかった。お気に入りではあるが、あれは嫌でも人目を引いてしまう。

 とうに内容を暗記している書物を適当にめくっていると、隣に男が座った。用事の途中で足を休ませるのが目的といった雰囲気で自分のふくらはぎを揉んでいる。男が全身の力を抜くように背もたれに体重を預けると同時に、私は魔術書を静かに閉じた。


「金色の夕焼けはどこで見られるでしょう」


 無精ひげを生やした男はいかにもな平民の出で立ちをしており、薄汚れた丈長服(チュニック)からは困窮が伺える。肩掛けの鞄からはほんのりと薬品の臭いが漂っていて、彼の身分が魔術師の使用人であると示していた。


「冷たい谷からであれば」


 やはり彼女の使いだ。偽装は自然、時刻も厳守、これで三人目となるが、屈強な兵で知られるイガルギッター領は優秀な斥候まで豊富に揃えているのだろうか。

 男はあくびをしながら「あんたがペーターさんね」と言って鞄の中から巾着袋を取り出す。約束の報酬だ。


「確かに受け取りました。それでは、これを」


「どうも。しっかしあんたも大変だねえ、うちの姐さんは人使いが荒いでしょ」


「問題ありません。労働に見合った対価は受け取っておりますので」


 私が指で丸を作ると「ははあ、ごもっともだ」と男が笑う。

 世の中、大切なのは金だ。大量に持っている必要はない。ちょっと贅沢できるぐらいの金をいつでも貯めておけば、過不足のない幸せを手に入れられる。

 欲張ってはいけない。多すぎる財産には欲深い連中が群がってくるし、何より自分自身の飽くなき欲に圧し潰されてしまう。見切り、損切り、そういう考えがよりよい人生の第一歩だ。

 私のところに届いた手紙も元は王国軍に属する指揮官の一人が書いたもので、それが王城の使用人に渡り、庭師が受け取り、商人の懐に入り、私の手元を経由して彼女の部下へと到達した。彼らもまたささやかな幸福の対価を受け取り、その代わり情報を横に流しているに過ぎない。内容は王国軍の巡回経路であったり、防衛作戦の計画書であったり、王城で使われている砂糖の消費量だったりするのだ。


「それじゃ。全部終わるまでお互いなんとか頑張りましょうや」


 人生の意味だとか、大義だとか、そんなものは必要最低限の金があってこそ成り立つ。相手がそれを理解しているからこそ私と彼女の友情は長きに渡り続いてきた。底なしの野心を見ていると距離を置きたくなる時もあるが、残念なことにあれだけ清濁を使い分けられる貴族の友人は他におらず、今日に至るまで協力を拒む理由が見つかっていない。

 友人と言えば彼はどうしているだろう。理想を貫くことも、現実と向き合うこともできなかった哀れな傭兵は。


「魔術師ペーターだな。さっきどんな情報を流した」


 目立つのを避けるために路地裏へ入ると、見すぼらしい恰好の平民が私を取り囲む。その立ち振る舞いは軍人然としていて明らかに一般人ではない。


「争う必要はございません。拳よりも言葉、言葉よりも金があればあらゆる面倒ごとは解決できるのです」


「下賤な男だ」


「平和的拝金主義という言葉をご存じない?」


 封鎖された王都において恐ろしいのは平民隊の兵士たちではない。この都市は騒動の制御を画策する貴族たちの戦場と化しており、間諜たちによる駆け引きは激化の一途を辿っていた。中でも若きタイヒラントの部下とはすでに何度となく交戦しており、彼らが主導権を握ろうと必死なのがこちらにも伝わって来ていた。

 権力闘争、社会信念、鬱積した因果。

 あまりにもくだらない。貴族たちは真に大切な事実から目を背けている。

 大量の部下を王都へ送り込めているのはなぜか。内部の情報を手に入れられているのはなぜか。全て、裏で幾ばくかの金が動いているからだ。


「待て、魔術師!」


「条件はすでに提示しましたよ」


 昼間だというのに閑散としている外食店通りの前を走りながら、隠し持っていた短杖を背後に向けて「オーベン」と唱えると、地面に埋め込まれていた煉瓦が一つ浮かび上がり間諜の足を引っかけた。ぐえ、だとかおふ、という間抜けな声を待つこともなく、安宿の立ち並ぶ馴染みの区画へと逃げ込んでいく。

 以前は勇者と呼ばれる荒くれ者が滞在して王都でも最悪の治安と嘆かれていた区画は、彼らを中心とした経済活動が終わりを迎えて店舗が次々と閉店し、近年は行き場のない浮浪者や危険な犯罪組織のたまり場となっていた。おかげで平民隊の兵士たちも寄り付かず、多少の騒ぎは容認されがちな傾向にある。こんな時でもなければ私も来訪しようとは思わないだろう。

 寒空の下、水たまりから掬い上げた泥水を啜ろうとしている浮浪者から器を借りて「ハイスヴァルム」と杖を振って追いかけてきた人影にぶちまけると、男が野太い悲鳴をあげた。いきなり沸騰した汚い水を顔面に浴びれば誰でもこうなる。


「ペーター、イガル谷の連中みたいに死にたくなければ協力しろ」


「実力の差は歴然なのに、それでも金を惜しんで勝負を仕掛けるのですか?」


 もちろん、勝率はあちらの方が上だ。

 狭い路地に挟み撃ちの形で追い込まれた。前には三人、後ろには二人、数の有利を覆すのは並みの人間には難しい。それに、私は戦闘が得意ではない。英才教育を受けた万能な貴婦人や戦闘に秀でた傭兵とは違うのだ。先程扱った魔術だって日頃は事務仕事の負担を軽減したり、茶を沸かすために使っているだけに過ぎない。

 基礎的な戦闘術文を一通り習った記憶もあるが、一人二人気絶させてもどうにもならないだろう。


「これが最後の忠告だ」


「困りました。タイヒラント候の部下は主人に似て無能な分からず屋ばかりなのでしょうか」


「…………殺せ!」


 男たちが飛び掛かる。

 悲しいかな運動神経が良いわけでもなく、乱暴な集団を搔い潜って逃亡を図るのも不可能だ。哀れ守銭奴のペーターは王都の暗がりで無惨に殺されてしまうのであった。終わり。

 とは、ならなかった。

 一人が壁に叩きつけられ、次いでばきっという固い音が通りに響いた。あれは顔面を殴打される時に鳴る音だった気がするが、大昔の記憶なのであまりあてにならない。他方から飛んできそうになった罵倒は言い終わるのを待たずにうめき声へと変化し、私の元に人が倒れ込んできた。寸でのところで身を翻すと男が顔から路面に突っ込んでいく。あれは鼻が折れたかもしれない。


「よお、さっきぶりだな」


「おおよそ期待通りの到着です。流石ですね」


 イガル夫人の部下はなんでもないというように残りの連中も軽くひねり、王都の冷えた裏路地に五人いた男たちの身体を並べた。

 諜報どころか戦闘も一流とは恐れ入る。だが、その戦い方は武芸というよりは不良の喧嘩を思わせる荒っぽいもので、私はにわかに彼の経歴が気になった。


「可哀そうな連中だ。ご主人様に褒められたくてこんなとこに来たんだろ」


 男は気を失っている連中の手首を慣れた動作で縛っていく。ここに放置するか、あるいは平民隊に引き渡すつもりなのだ。これで彼らはおしまいだろう。


「安っぽい服に不出来な短剣。どう見ても捨て駒に見えますが」


「タイヒラントの野郎ほど金と人手があるなら、本来こんな回りくどい行動を取る必要はないからな。あいつからすればただの()()()だよ」


 今頃ドミニク本人は貴族連合軍の拠点で進軍を開始するよう諸家をせっついているだろうと男は言う。彼らが私にさえ報酬を渋っていたのはケチだからでなく、そもそも金など無かったからというのが正解だ。端から成功は期待されておらず、せいぜいイガルギッターへの嫌がらせとして派遣されたに過ぎないのだろう。

 あるいは、侯爵本人の与り知らぬところで下請けを任されただけなのかもしれない。

 男の言う通り、可哀そうな連中だ。


「だからあんたも金をふっかけたんだろ。無いと分かっててさ」


「もし私が本気で寝返ろうとしていたら、彼らと同じく地面に伸びていたでしょう」


「いや、すまないがその時は殺すしかない」


 鼻先を掻いて、男は申し訳なさそうにしている。「裏切り者は生かしちゃおけないんだ」というのが彼の主張だった。

 脅すような声色ではない。品物の売り切れを客に伝える商人みたいにさりげない口調だ。業務内容の範疇だから単純な事実として命を奪うと明示しただけなのだろう。私の目の前にいるのはそういう類の仕事をしている人物だ。

 つまるところ、彼の主人は今までもそういった命令を下して来たし、これからも彼は必要であれば殺し殺されを続けていくのだ。可能であれば深入りのしたくない世界である。


「大変な仕事なのですね。安給では割りに合わなそうだ」


 男は僅かに逡巡する素振りを見せて「いいや」と首を振った。最後の一人を縛り上げ、地面に引きずりながら表通りへと出る。タイヒラントの部下は一本の縄で繋がれており、彼らは連なって路地を出て行った。


「やりがいってのは何も金だけじゃない」


「よければ聞かせていただいても?」


 廃れた建物の影から浮浪者が、大人五人の引き摺られていく様子を覗いている。通りの誰もが異様な光景に興味を持っていたが、面倒ごとに巻き込まれる危険性と天秤にかけて傍観を選んでいた。

 しかし、多種多様な現実を経験してきたであろう男の口から、金だけがやりがいではないなんて話を聞くとは思わなかった。貴族であれば野心、無知な平民であれば夢だの理想だのという言葉を並べるだろうが、男の言動は彼らのそれと一致しない。

 彼は何を糧に日々を生きるのだろう。


「忠義さ」


「それは……あの冷酷な女貴族に対する?」


「姐さんは尊敬してるが主人じゃなくて、あくまで主人の奥さんだ」


 ああ、そうか。

 命令しているのが彼女であっても、あくまで彼はイガルギッター領の人間だ。その忠節は領主であるアナスタシウスに向けられて然るべきである。

 それでも、あの裏も表もなさそうな人間に忠義、というのは出会って間もない男に抱いた印象と微妙に被らないような感じを受けた。


「ははっ、ガラじゃないってんだろ。分かってるよ」


「正直に申し上げますと、そうですね。金と言われた方が納得できます」


「良い人なんだ。我らが旦那様はさ。血塗れで帰って来た俺らを汚いと笑って、自分ちの広い風呂場を貸してくれるようなお人好しなの」


「んで、腹が減ったろうと酒場で飯を奢ってくれる」と男はおどけながら語る。どれだけ能天気な人間であっても、アナスタシウスがイガルギッター伯爵であるのは揺ぎ無い事実だ。後ろ暗い仕事の数々を把握してなおも態度を変えないのは、生来の豪快さゆえだろうか。

「金もいいけど忠義も案外悪かねえと思うよ」と締めくくって、男は黙った。

 道中で、疲れたから交代してくれと言われて縄を引っ張る任を負った。時折聞こえるうめき声を無視して、ひりひりと痛む肩をさすり、ようやく平民隊の宿舎に到着してみると、気が付けば男の姿はどこにもなかった。


「協力感謝する」


「いえいえ、王の臣民として当然の義務ですから」


 実際、私の危機に彼が駆けつけたのは仲間を助けるためではないだろうというのは、何となく察していた。おそらくタイヒラントの部下に絡まれた最初の時点で、男はどこからか事の成り行きを見守っていたのだ。そして、イガル夫人の旧友が裏切りに走るような人物か見極めようとしていたのだろう。

 私が命惜しさで本当に情報を売っていたら?

 その場にいた人間を全員始末して、何事も無かったかのように受け取った情報をイガル夫人へ届けに行ったに違いない。残念ですがご友人は争いに巻き込まれて命を落としましたとでも報告するだろうが、彼女は素っ気ない相槌を打って終わるだけだ。同じように、部下を失った筈のタイヒラントもまた大した関心を示さずに計画を進めていくだろう。

 恐ろしく、複雑で、冷たい世界である。

 やはり金は良い。金がもたらす道理は至極単純だ。

 彼らの信奉する忠義や野心といったそれよりも無機質で、非人間的で、安定している。己の能力や経験に左右されることもないし、自分の資質が足りないからと苦しむ必要もない。


「…………やはり私にはこれが性に合っていますね」


 貰った巾着袋を開くと中には数枚の金貨が入っている。これだけ貯まったならそろそろ潮時だろう。

 やはり世の中、大切なのは金だ。大それた贅沢の必要はない。ほんの少し、ままならない人生に彩りを添えるだけの金があれば幸福は容易く手に入る。これが平凡な人間に許された賢い生き方である。

 そうだろう、ゲヴァルト。

 帰り道、私は修道院の前を通りがかった。相も変わらず慈愛と清貧は沈黙を守り、中からは怪我人の苦しむ声だけが聞こえてくる。封鎖された今でも、ここは医療施設としての在り方を留めているようだった。

 市場で値切りしていた男を思い出す。

 少し悩み、懐から巾着袋を取り出して、募金箱へ一枚の金貨を投入した。

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