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第二話 これは約定だ

 遠くで合戦の音が聞こえる。

 闇を切り裂く黄金の騎士隊と、闇の中を往く灰の軍勢が激突しているのだ。

 どちらが勝利したとしても、モルゲンブルグの大地が人間の真っ赤な血で染め上げられてしまうのは避けられない。それは戦士たちの血であり、この地に住んでいた民草の血だ。

 戦争によって多くの命が散っていった。あまりにも大きな闘争の前では個人の実力も身分も思想も意味を持たず、ただ粛々と失われていった。死亡者数の報告を受けた後、ヴィクは虚ろな眼差しを俺に向けて「今こそ正念場である」と述べていた。

 武力による勝利。権力による統治。力さえあれば、彼の語った理想がいつか成就すると信じてここまでやって来た。

 その終わりが、今まさに俺の手で果たされようとしている。


「俺たちの勝ちだ。魔王」


 剣の先には地面に這いつくばる灰色の女がいた。

 草木のような衣装を纏い、岩石が如く固い皮膚を持ち、その胸元で溶岩の熱が鳴動し続けている。

 城の外で大きな爆発が起きる。ヴィクの号令によって騎士隊の魔術師たちが攻撃を開始したのだ。窓の外からは名前に違わぬ黄金色の熱が大地を焼いていた。それは魔人に苦しめられた人々の怒りであり、正義を求める民草の決意だ。

 アンブロシウスが杖で地面を小突くと、戦場の怒号が急速に遠ざかっていった。城の中は打って変わって静寂に包まれて、朽ちた大広間にいるのが俺たちだけであるという実感が強まった。

 殺されようとしているのに、目の前の女は妙に冷静だった。


「捻じれて歪んだ魂、無軌道の浸蝕……人間はそうまでして(エゴ)に勝ちたいの」


 魔王の視線を受けて、アンブロシウスは外套で身体を覆い隠した。その下には無数の目玉が蠢いている。本人は大きなとんがり帽子のつばで見えないようにしているつもりだが、すでに首元から頬にかけての皮膚は溶け、破壊と再生を絶えず繰り返しながら火傷のような跡を形作っていた。

 何度もやめろと言ったのに、こいつは友のためにその身を酷使し続けている。元より病弱な体は深く蝕まれ、俺など比較にならないほどひどく変容していた。


「僕らの王様が作る世界に、お前たちの居場所はない」


「居場所がなくなるのは人間も同じ。深淵が命脈を蝕めば万物は終わりを迎えるから」


 魔王が命の終わりを目前にして、全く動じていないのが奇妙だった。どんな生物も死が迫れば大なり小なりたじろぐものだ。なおも態度を変えないのは、とっくに覚悟を決めていたか、あるいは。


「でも、どのみち人間の努力は無駄。命脈が尽きるまで、深淵を討つまで、星の代理は万物のために闘争を続ける…………いつか再び、(エゴ)はこの地に戻ってくるよ」


 無駄という言葉に反応して、アンブロシウスが「ぬかせ、この怪物が」と叫び杖を振り上げた。俺が手を突き出して制止すると、彼は不服そうに引き下がる。不必要に動けばうちで胎動する深淵が加速してしまう。友が怪物へと堕ちる様を見たくなかった。

 ゆったりとした外套に包まれた身体を折り曲げて、アンブロシウスはむせた。口元を抑える指からは血が飛び散り、手のひらを染める血を拭おうともしない。彼は何かをつまむと、無造作に石造りの床へ放り投げた。それは、人間の歯であった。

 見かねた俺は「ここは任せろ」と彼に言う。


「お前は騎士隊に勝利を報せろ。俺はこいつを始末する」


「戦争を終わらせよう」と言うと、帽子の影から覗く瞳が揺れる。

 死んでいった戦友の名前を呟いて、アンブロシウスは力なく首を縦に振った。

 よたよた歩く後ろ姿は大きなとんがり帽子と外套を身に着けてなお小さく感じた。初めて会った時の青年は見る影もなく、くたびれた老人のような動きで広間を出る姿を見届けてから、俺は再び王国を揺るがし続けた悪夢の方へ向き直る。

 実際、老いたのだろう。ヴィクがゴルトオヴァールの権力を受け継ぎ、各地の豪族や魔人と戦い続けてどれだけ歳月が流れただろうか。指折り数えるのすら疲れてしまい、とっくにやめていた。

 魔王は変わらず抵抗する様子もなく、ただうつ伏せになって地面へ倒れている。


「名乗れ。お前もこの世界に生まれた命だろ。その力に敬意を払い名前と共に屠ってやろう」


 敵対者であろうとも、懸命に生きた存在には敬意を払うべきだ。

 死は憎悪と共にあるべきではない。称え、埋葬し、その生き様を受け入れてこそ、俺たちは命を奪ったうえで明日を生きていけるのだから。

 どれだけ綺麗事だと嗤われようとも、この考え方を止めるつもりはない。

 魔王と目が合った。垂れた前髪の隙間から覗く瞳は青色の光彩を放っていて、吸い込まれそうになるぐらい美しかった。


「名前ってなに?」


「…………己の意味を定め、己の生き様を規定する言葉だ」


 理解できないと言うように女は首を傾げた。

 まさかこいつ、名前が無いのか。


「名前はいらない。(エゴ)は単なる代理に過ぎないから」


「深淵を討った後はどう生きていくつもりだったんだ」


「知らない。その後のことなんて星は何も望んでない」


 俺は眉をひそめた。

 生きることがどうでもいいだと。この戦いでどれだけの命が散っていったと思う。どれだけの人間が当たり前を奪われたと思う。明日を拝める俺たちには、死者の分まで生きていく責任がある。それをこうも容易く放棄するなんて許される所業ではない。

 横たわる顔面のすぐ傍に剣を突き立てて、魔王を見下ろした。


「いいだろう。お前に名前をくれてやる。敗者らしく甘んじて受け入れろ」


「これから殺す相手に名前を付けるの?」


「戻ってくるんだろ? なら無駄にはならないさ」


「…………名前自体が無駄だと思うけど」


 無駄だなんてとんでもない。

 どんなのがいいだろうか。当たり前だが、他者に名前を与えた経験はない。子供でもいれば違ったのだろうが、そんな機会は無かった。

 まあ、獣を素手で縊り殺すような人間を選ぶ女はどこにもいないだろうが。


平和(フリーデン)……いや寛容(トレランツ)……? うーん、ヴィクならもっといいのを付けるんだが」


「『魔王』に与えるには似つかわしくない文字の並びみたいだけど」


「そんなことはない」と言って、俺は近くに転がっていた瓦礫に腰かけた。

 幾度もの戦いで傷を重ね、すっかり淀んだ金の鎧が擦れて、ちゃかちゃかと金属のぶつかる子気味良い音が鳴る。戦火に包まれて絶望に沈んだ平民に、親を失って惑う子供に、希望を与えてきた鎧だ。俺がやって来ると人々は「騎士様だ」と言って、自分たちを打ちのめすあらゆる困難を払ってくれと縋ってきた。

 俺たちは、勇ましき黄金の騎士隊は、人々の導きであるべきだ。

 この世界の闇を払う希望であるべきなのだ。


「復活したときにお前が平和や寛容を名乗れば、あるいは人間との戦争など起こらないかもしれない。魔人と人は今度こそ手を取り合えるかもしれない。協力して深淵を討てるやもしれない」


「それで戦に勝ったあなたたちの言語で、あなたたちに都合の良い言葉を付けるの? 傲慢だね」


 む。

 なるほど傲慢か。確かに女の指摘通り、こちらの都合で物事を考えていたかもしれない。古きの終わりと新しき門出に祈りを捧げるならば、それは馴染みある言葉であるほうが良いだろう。

 新しき門出、か。

 未来、これから先の出来事など、今を生きる俺には想像もつかない。ならばせめて、彼女の未来に多くの選択肢があることを祈るしかない。

 俺が「お前たちの言語で『全て』はどう言うんだ」と尋ねると、魔王は少し考えて「アルケー」と答えた。


「アルケーか──────うん、良いな。魔王改め、アルケーだ」


 女は「安直」と嗤った。

 始めてみせるその笑顔は人とさして変わりなく、無邪気で、自然だった。

 俺は膝に手をついて、勢いに任せて立ち上がる。戦いの疲れが出てきたのか全身が気怠かった。これから目の前の命を狩らねばならないことに疲れていた。いつまでこんなことを続けるのだろうと思った。

 魔王を倒せばそれで終わるのだろうか。ヴィクの示した理想は、誰かを殺さねば成し遂げられないものだったのだろうか。

 俺は首を横に振って、余計な思考を振り払う。

 名付けなんて慣れない真似をしたから妙な哀愁を呼び起こしたに違いないと言い聞かせる。

 突き刺さっている剣の鍔には今でも青い宝石が光彩を放っていた。そうだ、あの日ヴィクが示してくれた光を信じて俺はここまでやって来たのだと言い聞かせた。

 持ち上げた剣は、いつもよりずっと重たかった。


「アルケー、万の可能性を持つ星の代理よ。いつか深淵と相対し、その道半ばで苦難に敗れようとしたとき、必ずや勇ましき者(タップファーカイト)がお前を助けるだろう──────これは約定だ。永劫廃れることのない契約だ」


 だから今だけは安らかに眠るといい。

 そうして、刃が振り下ろされて。

 魔人と人間の戦争は終わった。



────



 かつて多くの豪族が支配していた土地はある男の武力によって統合され、一つの大きな国が生まれた。豪族たちは貴き血族、貴族へと名前を変え、土地の君臨者から管理者へと意味を変えた。

 中でも国の中枢を支配する者たちは王族と呼ばれ、貴き血の中でも重要な役割を持った。

 ヴィクとその親戚たちである。

 民草は彼をルートヴィーヒ王、建国の父、偉大なる統治者と呼び、その栄光を称えている。不義の子と蔑まれた放蕩者が出世したもんだ。

 アンブロシウスとその部下たちは新しく始まった王都の移転計画を主導していると聞いている。だが、彼の興味はいまだ深淵にあるようだった。

 そして俺は、ヴィクに呼び出されて王城へと足を運んでいた。


「タップ、よくぞ参った」


 狭い執務室で、煌びやかな王冠を被った男が腕を後ろ手に組んでこちらを見ている。

 その冠は、戦場で死んでいった騎士隊の鎧を溶かして作られたものだ。


「酒盛りなら付き合えないぞ。この前医者にやめるよう言われてただろ」


 ヴィクももう若くない。気が付けば、ゴルトオヴァールの王が彼に家督を譲った年齢をとうに超えていた。


「歳月というのはあっという間に流れていく。友と競って麦酒を飲んでいたあの頃も昔日の記憶となってしまった。覚えておるか。身体が弱いくせに、スヴェンはいつもムキになって倒れるまで飲んでいた」


「反骨心こそ、アンブロシウスの真髄だからな」


「すべては思い出だ……ただ一人、貴様を除けば」


 ヴィクが、震える指を向けた。

 今、部屋には俺と王の二人しかいない。


「タップ、貴様だけがあの頃から変わらず若々しい。スヴェンは深淵を食らったが、命の代償として醜悪な見目となった。私はあの怪物の肉を食らう気にはなれず、ただ老いていくだけよ。王国の始まりを知る三人の中で、未来があるのは貴様だけだ」


 この男が弱音を吐くなんて珍しい。

 どんな時でも未来を見据え、理想について考え、可能性を模索しながら進み続けるのがルートヴィーヒという男だった。彼をここまでの地位に押し上げたのはその行動力と求心力に他ならない。

 どんな絵空事も、この男の手にかかれば現実味を帯びているように感じる。いつだってその傍らには具体的な計画と揺ぎ無い自信を従えていた。だから俺とアンブロシウスはこいつの道具に徹したのだ。たとえこの手が血塗られようとも、その先に道が示されると信じて進み続けたのだ。


「かつて私は貴様に理想を語ったな。孤独な者が生まれぬ国を、誰もが暖かな家で腹を満たせる国を作るのだと」


 そうだ。だから俺はお前に付いていった。

 お前の語る理想に憧れたから、お前なら出来るかもしれないと信じたからここまで来た。

 争いの中で家族を失い、住む場所を失い、食べる物さえ見つからない人々がどれだけ生み出されようとも、未来には希望があると言い聞かせてきた。


「そのためには百年先まで栄え続ける国を作らなければならん」


「安心しろ。理想を見届けるまでは勝手に死んだりしないさ」


「違う」とヴィクはかぶりを振る。彼は「それこそが問題なのだ」と苦々し気に言った。

 ため息をつくと、彼は木彫りの椅子に座った。これを作った職人の息子は黄金の騎士隊に加わり、多くの魔人を殺した末に、串刺しにされて死んだ。暇になると俺に椅子の話をよくしてくれた男だった。


「国の安定とは、即ち王家の安定だ。私の息子が、孫が、連綿と続くゴルトオヴァール家の血が絶えれば、王国の未来は暗い。そして面従腹背の貴族共はいつだって玉座を狙っている」


 ヴィクは、机に肘をついた。


「断言しよう。私が死んだ時、スヴェンがいなくなった時、貴様を利用する輩が必ず出てくる。建国の英雄たる貴様が背負う権威はあまりにも利用しやすい。あるいは……」


 彼は何かを言いかけて、眉間の皺を深くすると「いや、なんでもない」と話を切った。

 王の口から語られた未来は暗く、それを撥ねつけるだけの時間も力も残されていないとでも言いたげだった。

 ならば俺たちは、俺は何のために同胞たちの死を見送ってきたのだろうか。いくつもの命を見過ごし、理想の為だと言い訳してきたこの人生に、何の意味があると言うのだろうか。

 意味。

 いや、そうか。

 意味なら、すでにあの山でヴィクに与えられている。俺の人生は勇ましき者の名と共にあって、これが王国(りそう)に暗い未来をもたらすならば、やるべきことは一つだけだ。


「……………………つまり、俺の役割は終わったんだな」


 簡単な結論だ。

 俺の望んだ理想の中に、俺自身がいる必要はない。


「案ずるな、貴様の衣食住は王国が保証する。望むならどの都市にでも家を用意し、女もあてがおう。ただタップという男が表舞台から消えてくれれば────」


 俺は紐をほどくと、腰からぶら下げていた剣をヴィクの目の前に置いた。

 重苦しい響きに目を開き、王が僅かにのけ反る。彼の瞳は「どういうつもりだ」と問いかけていた。


「この剣も名前も、お前に返す。俺は王国を出て行くさ」


「それは…………」


 分かっているだろうに。

 建国の英雄が死んだとて、うり二つの男が英雄の使っていた剣を携えて現れれば何も変わらない。賢いお前ならこんなことは気付いているはずだ。

 それに『タップ』以外の名などいらない。ここまでお前に尽くし夢を共有してきた男は、勇ましき者の名に誇りを持って、自分の命には意味があったのだと何度も何度も励まされながら生かされていたのだ。他のあらゆる言葉は意味を成さない。与えられたとしても、そこにいるのはただの抜け殻だ。災害と飢饉を生き延びてしまった、ただ生きているだけの抜け殻だ。

 そんな者に俺はなりたくない。


「ヴィク、前にお前の父親は目に見えぬばかりが人愛ではないと語ったな…………生き延びてしまった名もなき男も確かに手に取っていたよ」


 執務室を出ると、アンブロシウスが立っていた。

 王城まで出向くとは珍しい。最近はずっと館に引きこもっていたのだが。

 帽子の下がどのようになっているのか、今となっては確かめようとさえ思わない。

「戦争は終わったんだ、深淵の研究はもうやめたんだろ?」と釘を刺すと、陰気な男は「ああ」とか「うん」とか言って首を斜めに振った。


「これからどうする」


「深淵を討伐しに行く。それから……帰るんだ。名前のない男の故郷にな」


 彼は低く「そうか」と呟く。

 いつも通りの冷静沈着ぶりに、俺は安心感さえ覚えた。たとえヴィクの命が尽きたとしても、彼の息子とアンブロシウスがいるなら王国は安泰だ。

 これで本当にあの異形と縁を切っていれば、だが。


「後は任せろ。僕らで始めた理想なんだ。僕らで成し遂げないとな」


 それを間近で見られないのが残念でならない。

 だが、俺の歩んできた道のりは決して無駄ではないのだ。理想の遂げられる過程がいかに苦しく、険しい道のりであろうとも、人々は決して諦めないだろう。

 なぜならば、王国はいつだって勇ましき者の名前と共にあるのだから。

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