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新しいチャンスをもらったのにも関わらず、今のところマティルダになったから叶えられたようなものばかりだった。
それにやはり中身が伴っていなければ、幸せは掴めないのかもしれないと傷心中である。
(わたくし、転生者の中でもダメな奴なのかもしれない……でも、ここで諦めたら前と同じになってしまうわ!まだまだ猶予はあるものっ)
しかしマティルダの父親と母親はいつまで経っても鬼のように怖いし、兄も婚約者のローリーもマティルダに対して氷のように冷たい。
そして無意識に発揮する社畜としての生真面目さで雷魔法を極めていき、王妃教育を受けたことで淑女として完璧になっていく。
ガルボルグ公爵邸では侍女達の仕事を一緒に手伝い、掃除や料理スキルはメキメキと上達していく。
その努力がやっと実ったのか、ガルボルグ公爵と夫人は次第にマティルダの実力を評価し始めた。
周囲から評判がよく、両親の『完璧』の基準を満たしてしまったためだろう。
今まで必要最低限しか学ぼうとしなかった魔法を積極的に磨いて魔法講師達に「もう教えることはありません」と、言われたマティルダに感心したようだ。
ガルボルグ公爵は今まで見たことがない満面の笑みでマティルダを褒め称えたかと思いきや更に上を目指せるからと、とある人物を呼び出してくれた。
それがこの国で一番と言われている魔法の実力を持っているらしい『ベンジャミン』と呼ばれている男だった。
あまり表に出てこないことも要因で、国王ですら彼の居場所を知らないと言うのだから驚きである。
そんなベンジャミンにガルボルグ公爵はダメ元で交渉したらしいが、案外簡単に了承をもらえたそうだ。
パープルグレーの髪は女性のように長く、後ろに結っており、爽やかな白と紫の燕尾服は最強の魔法使いというよりは執事のようだ。
常に黒いハーフグローブをしており、潔癖症なのかと勝手に思っていた。
そしてマティルダはベンジャミンの顔を一度も見たことがないし、声を聞いたことはない。
というのも彼との会話は空中に浮かぶ光る文字だからだ。
何より訳がわからないと思ったのが四六時中、黒い兎の仮面をつけていて絶対に外さないところだった。
そんな彼はブルカリック王国の危機を何度も救っているらしい。
大旱魃の際には国全体に雨を降らせて、街を破壊する巨大なドラゴンを一瞬で撃ち落として、押し寄せる魔物の大群を一瞬で消し炭にしたという話もある。
しかし大した御礼も受け取らずに去って消えてしまう。
(魔法使いというか……もはや英雄?守り神かしら)
ベンジャミンについては正体不明で女性なのか男性なのか子供なのか、はたまた人間なのかという疑問や不思議な噂しかないそうだ。
(ベンジャミンは、乙女ゲームに出てこなかったわよね?)
出てきたら絶対に記憶に残りそうな奇抜な風貌である。
そんな得体の知れないベンジャミンだが、乙女ゲームに登場していないと思うと気楽に話ができたし、なにより文字で会話していることと、表情が見えないことが相手の顔色を窺わずに済むので気楽だった。
マティルダになる前に、たまたまクレーンゲームでゲットしたモチモチとした手触りの黒ウサギのクッションを思い出すからかもしれない。
会社で辛く苦しい目にあっても、大失敗して心が砕けそうな時も、黒ウサギのクッションを抱きしめて眠ると次の日、不思議と元気を取り戻せる魔法のようなアイテムである。
それが常に頭にあったからか、自然とベンジャミンの前では素を出すことができていた。