(06)一日は続く~continue~
「なに、これ……」
エリスの眼前に迫る巨大な岩――
目に入りきらないサイズの岩――
きっとマリー校長が仕組んだに違いない。それにしても冗談が過ぎている。
走って間に合うものでもない。
魔法を使えば――いや、シュウ1人を抱えて脱出するのは間に合わない。
エリスは脳をフル回転させる。それでも打開策は思い浮かばない。
「どう、すればっ……」
仮に魔法で≪防壁≫を張っても、この巨大な岩からシュウを守り切れるかどうか。自分だけならまだしも、2人が助かる術がどうしても見当たらない。
エリスは、成す術なく立ち尽くした――
「――しゃがめっ!」
突然うしろから響く声――
気づけばシュウの縛られている手足に魔法陣が浮かび、地面の拘束を解き始める。
不思議な模様の魔法陣――
一瞬のうちに拘束を解いたシュウは急いで立ち上がり、エリスの肩を引っ張った。
エリスは尻モチをついて地面に倒れ込む。
背中が地面でこすれ、ビリビリに破けた青い作業着――
その隙間から、真っ白の淡い光が漏れ出した。
「くっ……」
シュウは、静かに右手を上げ、上空に振りかざす。
その右手の前には、岩に匹敵するほど巨大な魔法陣が繰り出される。
エリスが今さっき見たものと同じ、不思議な模様の魔法陣――
今回はその大きさもあり、模様がはっきりと目に映る。
中心の六芒星、その頂点一つ一つに小さな六芒星が接する模様――
「……ロッドも、詠唱もなしで――」
見たことない魔法陣もだが、この大きさの魔法陣をこの短時間で発現させることがまず信じられない。
やがて魔法陣は白い光を放ち、シュウの瞳も白く発光する。
模様の六芒星全てが、激しく回転し出す。
「まさか……」
巨大な岩が魔法陣に向かって落ちる――
そしてぶつかる直前、魔法陣からは強力な≪波動≫が飛び出した。
轟音と耐え難い揺れが、ドーム中に響き渡る。
巨大な岩はその≪波動≫の光に包まれ、粉々になっていく。粉となった岩がエリスとシュウの周囲にポロポロと落ちていく。
≪波動≫の威力は収まらず、半透明のドームを突き破り、覆っていた強化ガラスさえも粉々にする。
観客席では悲鳴が鳴り響き、大勢の人が逃げ惑う。
しかし、観客席にいる数人は、ある意味美しいその≪波動≫に見惚れてしまっていた。
○○○○○○
VIP席で静かに観戦していたマリー校長も、見惚れていた1人だった。
「……校長、やはり彼は――」
「ええ、ついに見つけたわ……」
マリー校長は、その美しい≪波動≫に両手を捧げ、恍惚の笑みを浮かべる。
「やっと会えたわね、サラ――」
○○○○○○
多くの人が逃げ惑い騒がしい中、1人の男子生徒と1人の女子生徒は≪波動≫の光が徐々に薄れていくのをじっくり見つめていた。
おっとりとした表情の赤髪の少年に、キリッとした顔つきのポニーテールの少女――
2人とも、他の生徒とは一風違った空気感を醸し出している。
「……見た? 今の」
「はい」
「あれが、ホンモノだよ」
少年は、ニヤリとほくそ笑む。
「騒がしくなるよ、これから――」
○○○○○○
強力で強大な≪波動≫を前にすべての岩が粉塵と化し、埃のように流れ落ちる。
やがて≪波動≫は収まって魔法陣が消えると、シュウは静かに目を閉じて背後に倒れた。
「――っちょっと!」
エリスは、慌ててそれを支える。
「――ん、おもっ……」
重たいがなんとか力を振り絞り、シュウの首を胸で受け止めながらゆっくりと床に座らせる。
寝ている、ようだった。
闘技場には、シュウの魔法に感動した数人が残っているだけで辺りは静けさに包まれた。
●●●●●●
――母さん、やめて……
背中に走る激痛。
頭がガンガンと鳴る。
――どうして……?
頭が回らない。
ここはどこだ。
――おれは、誰だ……
天高くに向かって手を伸ばす。
必死に伸ばした両手が空を切る。
――どうしてだよ、母さん……
「――おねがい」
――いやだ
「おねがい……生きて――」
――いやだ、やめろ……
「生きて――」
「――やめろぉおおっ!」
シュウはベッドから飛び起きた。
目を覚まし、徐々に意識が覚醒してくる。
落ち着いた眼の前には真っ白いカーテン、ほのかに香る消毒液の臭い――
白くて硬いベッド、シュウはそこで横になっていた。
ベッドの横には、両手を合わせたままの女の子が目を見開いている。
「び、びっくりした~ 大丈夫? すっごいうなされてたよ」
「あ、ああ……きみはたしか――」
「鈴・鳴、リンでいいよ!」
「リン……ここは?」
「保健室だよ。シュウ……さんだったよね? 倒れちゃったあと、エリスちゃんと2人で運んできたの。保健室の先生も急だったからか、すっごく驚いてて」
「そう、なんだ……ごめん、よく覚えてなくて」
模擬戦の終盤――
巨大な岩が落ちてきたところから記憶が曖昧だった。もっと言うと、何も覚えていない。
自分でない誰かが、勝手に体を突き動かしていた感覚だった。
頭にズキッと痛みが走る。
「だいじょうぶ? 熱とかない?」
リンは、シュウの頭に体を寄せ、シュウのおでこに手を当てる。
目を閉じて、シュウの体温を感じ取る。
「――だいじょうぶ、そうかな……?」
「あ、ありがとう」
リンの体が思いのほか近くに迫り、照れ臭くなってしまう。敏感にその空気を感じ取ったのか、リンも慌てて手を離して身を引き、頬を赤らめる。
「ご、ごめん。気になっちゃって、つい……」
「いや、ありがとう。心配してくれて」
お互い少しだけ気まずくなって、黙り込んでしまう。
保健室のアナログ時計が、2人だけの時を刻む――
「――やっほー! どうだい少年!」
『――っ!!』
白いカーテンが開かれ、白衣を着た背の高い女性が現れる。
突然の訪問に、2人ともビクリと驚いた。
「ワネット先生! 驚かさないでください!」
「いやね、若い男女が保健室のベッドでイチャイチャと戯れているものだから……おばさん邪魔をしてやろうとね」
リンが顔全体を真っ赤にさせる。
「イチャイチャなんてしてません!」
爆発寸前のところでワネットに向かって叫ぶ。
「分かった分かった。とりあえず今日はもう帰りな。エリスには無事だと伝えておいたから」
「そうだ! エリスは?!」
そう言えば「エリスと一緒に運んだ」と言っていた。エリスにもお礼を伝えなくてはならない。
「エリスちゃんは保健室に運んだあと、校長室に来るよう呼ばれたの」
「もう帰ってるだろうだから、お礼言うなら今度にしな」
改めて周囲を見渡すと、確かに外は真っ暗で校内に生徒がいる様子はない。
模擬戦のことで何か怒られているのかもしれない。なおさら申し訳ない気がした。早く会って話したかったが、ワネットの言うとおり今日のところは難しいかもしれない。
「リンも寮に戻りな。今日の続きはまた今度にして――」
「もう! いい加減にしてください!」
ワネットはひたすら慌てふためくリンで楽しんでいるようだった。「冗談冗談」と言いながらリンを帰るよう促した。
帰らせたいのか虐めたいのか――
「じゃあシュウさん……またね!」
「お、おう」
照れた顔のまま、リンは保健室を後にする。
シュウも帰ろうとベッドを降りた。代わりにワネットがベッドに座る。
「スリ傷は全部治しておいたよ。でも破れたその服は直してない、私は≪治癒≫専門だからね。家は近いの?」
近いどころか、学園の敷地内だ。
勤務場所がすぐそことは便利なものだと、いま気付かされる。
「はい、本当にありがとうございます」
ワネットに向かって深く頭を下げる。
そんなシュウに向かって、ワネットはまっすぐ右手を差し出した。
「――フローラ・ワネットだ。よろしくね」
「お、お願いします」
手を握り返す。
するとワネットは、そこそこ強い力でシュウの手を握り込んだ。
「ずいぶん重そうなもの、背負ってるね」
「……これが何なのか、おれも分かってなくて」
背中全体に刻まれた模様のことだろう。
魔法陣の形のようだが――
昔、姉のマリコにも協力してもらい、地元の図書館で同じ模様を必死に探したことがある。結局、何1つ見つからなかった。父のコウヘイも知らないらしい。
ワネットは握っていた手を離し、物思いに顔を天井に向けた。
「そうかい、なにかあればいつでも来なよ」
「はい」
失礼しますと言い残し、シュウは校舎を後にする。
疲れた――
とても長い、長い一日だった――
1日の疲れがドッと押し寄せる。
危うく家に帰りそうになるが、ふと思い出してこれからお世話になる倉庫に向かう。
明日には出ていくことになるかもしれないが――
シュウは肩を落とし、下を向いて進む。
「――おい」
男の野太い声、苛立っているように思えた。
顔を上げると大きな男が倉庫の入口に立っていた。
「遅いぞ」
「ごめんなさい! いろいろ――ホントにいろいろあって……」
疲れた顔に破れた作業着、手ぶらの体を見てさすがに異常事態を察するダイモン――
大きなタメ息をつき、右手の親指で倉庫の中を指した。
「入れ。今日はカレーだ」
「――えっ! まじすか?!」
そう言えばお腹も空いていた。
思い出したようにお腹が鳴り出した。
「だいもん……さんっ!」
あまりの嬉しさに涙がこみ上げる。
「早くしろ、冷めるぞ」
ダイモンは倉庫に戻る。
シュウも急いで倉庫に向かって走った。
「ダイモンさんっ! 一生ついていきます!」
「……なにいってんだ」
クビになるかもしれない――
そんなことも忘れてカレーを頬張った。
ひたすら食べる。それだけで今日一日の疲れが一気に回復した。
○○○○○○
校長室――
エリスは、マリー校長が座る机を強く叩き、険しい表情で睨みつける。
「どういうことですか? 説明してください」
「エリスさん、マリー校長に向かって失礼ですよ」
「いいのよ。それで、なんのことかしら?」
エリスは、トボけた表情のマリー校長に激昂する。
「あの巨大な落石です! あなたが仕組んだことですよね?!」
「責任者として、申し訳ないことをしたわね。メンテナンス担当には厳しく言っておくわ」
「そういうコトではありません! あれはどう考えても不自然です。死につながる大事故でした。ちゃんと説明してもらわないと――」
「あら、あの程度の落石……あなただけなら問題なかったでしょう?」
エリスは言葉を失った。
マリー校長が何を考えているか全く分からないが、信用だけは出来ないと深く心に刻まれた。
「……もういいです」
きびすを返し、早歩きで扉に向かう。
マリー校長は、そんなエリスの背中に言葉を投げかけた。
「そうそう――彼のこと、これからも宜しくね」
結局、勝敗はあやふやだった。
だからといって、負け判定になるのは本意でない。
しかし、もう何も言い返す気にはなれなかった。
「……失礼します」
扉を強く締め、外に出るエリス――
マリー校長は、ただただ不敵な笑みを浮かべていた。
○○○○○○
――チュンチュン
倉庫の1室の小さな窓から指す木漏れ日――
小鳥が爽やかな朝を告げる。
シュウは爆睡していた。
朝は強いはずだが、ここまで体が目覚めないのは人生初のはず。
「起きろ! いつまで寝てる!」
ドスの利いた野太い声でシュウは飛び起きた。
「すみません! ダイモンさん、おはようございます!」
ダイモンはすでに、清掃員の戦闘服に着替え出陣する手前だった。
「すぐに準備します!」
時刻は朝7時半――そろそろ登校の早い生徒が来始める頃合いだ。すぐにでも掃除に取り掛からないと間に合わない。
シュウは、慌てて仕事の準備に取り掛かろうとした。
「まずは朝メシを食え! そして机の上に置いてある服に着替えろ」
「はい! ……え?」
机の上に置いてあるパンとソーセージにスクランブルエッグ――
その隣、透明の袋に包まれた作業着ではない洋服――
この学園の制服だった。
「……どういうことですか?」
「まずは校長室に来いとのことだ。特進の学生寮は女子寮しかないから、しばらくはここに住み続けてもらう。もちろん掃除も続けてもらう、放課後にな」
「あ、あの……これはどういう――」
「じゃ、頼んだぞ。人が足りないからな」
ダイモンはその場を後にした。
今日も理解が追いつかない。
「……どういうことだよおー!」
シュウの嘆きが倉庫に響く。
どうやら大変な日々は、まだまだ続きそうだった――
少年少女の行く末をどうか一緒に見守っていただけると幸いです。