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2000字短編

ニーナ、出ておいで

作者: 百地おもち

「ニーナ、出ておいで」


 扉越しに、少年の声が優しく響いた。泣いていたニーナが顔を上げる。彼女を呼んでいるのは、お隣に住む、一つ年上のレオだった。


「おじさんが下で待ってるよ。一緒に謝ってやるから、出ておいでよ」

「いや! あたし、いたずらなんかしてない!」


 ニーナの父は小さな理髪店を営んでいる。今日は順番待ちのお客が一人、居眠りをしていた。幼いニーナは、お客の髪を赤いリボンで結ったのだ。


『こら、いたずらはやめなさい』


 窘める父の口調は静かであったし、常連客も鷹揚に許してくれた。だが、父の言葉は、お手伝いのつもりでいた幼女のプライドをいたく傷つけた。

 泣き出したニーナは、屋根裏部屋へ飛び込んだ。こうなると説得できるのは、仲良しのレオしかいない。


「あのなぁ、お客さんはリボンを着けに来たわけじゃないだろ」

「だって……可愛くしたら、誰だって嬉しいでしょ?」

「馬鹿言うな。ニーナに髭を描くようなもんさ。やってやろうか? 凄くカッコ良くなるぞ」

「や、やだ! 謝るから、やめてぇ」


 急いで出てきたニーナと手をつなぎ、レオは階下へ降りて行った。


 □


「ニーナ、出ておいで」


 青年の声が呼びかけた。まだ豊穣祭の晴れ着を身につけて、ぼんやりしていたニーナが、ハッと息を飲む。


「……急に、その、悪かった。だけど、俺、出来心とかじゃなく、真剣だから」


 年頃のニーナの頬が赤くなる。祭りが終わり、レオに送ってもらった帰り道。夕暮れの中で起きた出来事を思い出すと、無意識に唇へ触れていた。

 突然のくちづけに動揺し、逃げ出した後である。追いかけて貰えた嬉しさと、気恥ずかしさに狼狽(うろた)えた。


「あの、私……」

「嫌だったか、()()()

「!?」


 ニーナがカッと目を見張る。疾風(はやて)のように彼女は部屋を飛び出した。


「誰よ、その女っ!!」

「へ?」

「今、ミーナって言った! どこの誰! 誰なのよおぉ!?」

「? ただの空耳だろ。それか、俺が噛んじゃったのかもな」

「え、やだ……私の早とちり? ごめんなさい」


 ニーナの体を、(たくま)しい腕が抱きよせる。


「…………可愛いよな、お前」

「う、うるさい」


 二人とも耳まで赤くなっていた。


 □


「ニーナ、出ておいで」


 夫の声が呼びかけた。子供たちの泣き声が後に続く。


「おがあさんが、消えぢゃったぁ!」

「うあぁん、おがあさぁん!」


 ギョッとしたニーナは、慌ててクローゼットの外に出た。


「かくれんぼしようって言ったの、あなたたちでしょ? どうして泣いてるの!?」

「なんか、探してるうちに、寂しくなっちゃったみたいでさ」

「そっかぁ。お母さん、ここにいるよ。大丈夫よ」


 すぐ泣き止んだ子供たちに、安堵したレオとニーナは微笑み合った。


 □


 穏やかな時間が過ぎていった。良いこともあれば、悪いこともあった。変わったもの、変わらなかったもの、その両方を二人で受け止めて、年月を重ねていく。


「ニーナ、出ておいで」


 老人は言う。妻が好きな花を持って。


「どんな姿でもいいよ。必ず守ると約束する。俺たち、教会から追いかけられるかな? ははっ、お前が好きな活劇みたいで、楽しそうじゃないか。色んな所へ行こうな。どこへでも連れてくよ。だから、ニーナ……」


 春風が草木を揺らし、サワサワと吹き抜ける。


「なあ、出てきてくれ、頼むから……!」


 石碑は何も応えない。老人はしばらく(たたず)んでいた。やがて花を手向けると、深い皺が刻まれた顔に笑みを(にじ)ませる。


「……また来るよ、ニーナ」


 レオは時々、花を持って現れた。二年後の春に来なくなり、新しい石碑が一つ、隣に並んだ。


 □


 □


 □


「リーナ、出ておいで」


 若い紳士が扉をノックした。妙齢の女性の私室ではあるが、親族の許可を得てここにいる。


「お茶会に出てから、君の様子がおかしいと、ご両親が案じておられたよ。何か言われたのか?」

「……いいえ。ただ、わたくしでは、貴方に相応しく無いと思えてきて」

「年齢のこと? たかが二歳差じゃないか」


 誰かに嫌味を言われたらしい。彼らは親同士が決めた婚約者で、リーナのほうが年上だ。年長の男性へ嫁ぐ女性が一般的なためか、睦まじい二人に水をさすように、意地悪を言う人間が現れる。


「僕はね、君がいいんだ。自分で相手を選べたとしても、きっとリーナを選んでいる。ただ単純に、君が好きなんだよ」

「レン様、わたくしは……」

「どうか顔を見せてくれ、()()()

「!?」


 ガタンと椅子が揺れる音がした。扉が開き、青ざめたリーナが顔を出す。


「ど、どなたですか?」


 唇を戦慄(わなな)かせて、リーナが尋ねた。


「え?」

「い、いま、ニーナとおっしゃったわ。まさか、わたくしの他に……」

「? 聞き間違いじゃないか。もしくは、僕の滑舌が悪かったのかもしれないね」

「まあ! 嫌だわ、とんだ誤解を。申し訳ありません」


 男らしいレンの手が、リーナの手をそっと包む。


「謝らないでくれ。会いたかったよ、リーナ」

「レン様」


 廊下の奥で、心配して見守っていたリーナの両親が咳払いするまで、二人は寄り添い、見つめ合っていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 砂臥さまの割烹から飛んできました。 「ニーナ、出ておいで」 の呼び掛けには、優しさと愛を感じます。 この呼び掛けが繰り返されるところが、詩のようで素敵ですね。 そしてふたりの関係がとにかく…
[一言] やだー(歓喜の意味で)おもちさん絶好調! 二本立てとか喜びしかない!! 「ミーナ」?!誰よ?!って思ったら転生匂わせとか粋過ぎます!! 『ニーナ』の話単体でも尊いのに、なにその仕掛け!尊ッ!…
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