文章の一次元性と物語が表現に要求する多次元性
文章表現に対して、あらゆる種類の表現は、二次元的、三次元的、四次元的である。それぞれに長所短所が有るにしても、こと物語を表現しようという場合には、文章表現の一次元的な特性は極めて不利である。物語は通常、場面の状況と、人物、人物の行為、性格、思想等が、単数から複数、並行して描かれる事に依って成立する。多次元量の情報を持つ表現媒体であれば、これらを並行して描くのに何の苦も無いが、文章に於いては絶対的に、線的な情報としてしか表現され得ない。
一方で、文章の美的な構成とは、始点から終点までが、少なくとも一つの観察や観念によって貫徹されているものである。これは、論述などにおいては、容易に達成され得る事柄である。これは抽象的観念が、抽象の世界に於いて、普遍的に作用するからこそ可能である。しかし物語に於いて描かれるものは具体的な表徴が基本であり、これは普遍的に作用せず、或る一つの存在、一つの事象、一つの観察、これらのものは必然的な後の文章を惹起しない。故に文章は場面や行為、現象と共に断続し、美観は損なわれ、散漫で取り留めない文章とならざるを得ない。
これを防ぐには、段落毎に貫徹する観照対象を設ける等が考えられはするものの、根本的な解決になっていない。また、これをすると、文章としては良い構成になっても、物語の進行速度や焦点に悪影響を及ぼす可能性が極めて高い。小説を書こうとする良心的な人物は、文章を犠牲にするか、物語を犠牲にするか、妥協するか、根本的な解決の術を試行錯誤するか、選ばねばならない道理であり、本論は根本的な解決を試みるものである。
解決の術策として考えられるものは、文章が絶対的に一次元的であるという前提を踏まえて、物語を一次元的に解釈するしか有り得ない。因って、論点は此処に絞られる。
物語は常に何者かの行為であり、また、その行為と周囲及び周辺人物との関係である。これらはそれぞれ独自に存立し且つ同時に存在するが故に、並行的な描写が求められる。これを一次元に解釈するという事は、その存在性を奪う、或いは希薄化させるという事になる。これは例えば、個人の妄想内部の動きに於いて可能かも知れない。思考が全の世界に於いては、即ち文章が全で在り得る。これは唯心論的な世界である。
一技法としては、この手段は評価に価するだろう。しかし、物語に於いて他者性とは葛藤を生み出す主因であると同時に、そうした見所として捉えずとも、「他者」を表現したい場合に、一者の思考の内部に全てを納める手段は適切ではない。因って、各要素の存在性を希薄にするとしても、それを一者に納めてはならない。ここに明らかなる課題は、「あるもの」と「あるものでないもの」の関係を、どのように一次元化するのか、という事である。
条件として、「あるもの」と「あるものでないもの」の関係は、始端から終端までを繋ぐ一本の線上に在る情報として描写されなくてはならない。
物語に於いて文章が断続するのは、偏に具体的事象が普遍的性質に乏しいからである。そこで、「あるもの」と「あるものでないもの」と、その関係、それぞれを普遍的性質を表現する象徴として描く案が有る。仮に上手くこれらを象徴的に描けたとして、これらは一次元的な線の上に在る必要が有るので、この場合問題になるのは、これらを線的に統合する観照乃至描写の対象、主題であり、特にその解釈の手法である。
文章に線的な統合を持たせられる主題は、条件から、始めと終わりを持つものでなければならない。また美的な構成を保つ場合、描けるのもこれと同じ始めから終わりまでになる。因って解釈の手法の手始めは、終わりに至る目的の設定であり、即ち問題、乃至は課題の設定である。物語中の行為人物事象関係総て、この設定に従属するか、少なくとも関わりの有るものでなければならない。即ち文章の総て、この設定に係るものである。そしてこの設定は、これが小説の、そして物語のものである事から、行為の主体となる人物の存在理由となる。
然れば、小説の構成から考えて、描かれる存在理由の前提する状況、存在理由またはこれに係る課題、それに纏わる外圧乃至行為の連関及びその反復、これらの結果、という、文章構成の順序が浮かび上がる。
こうした構成の下で、課題(存在理由)はどのように解釈されるべきか。それは線的な統合を要求するから、例えば要素毎に見た時、あらゆる要素が鎖のように連結されている必要が有る。要素は共通項に因って連結され得る。
とはいえ、小説の文章の一次元性は、それは一本の直線で示し得ないか、極度に困難である。既述のように、物語に於いて、描写の対象、時間、場面等、描写を要求するあらゆる要素は断続して存在するからである。そこで、ここに提案する方策は、或る一箇の象徴を往来するという方法である。即ち、抽象と具体の世界を行き来する方策である。これについてどの程度の効果が得られるかは実験しなければ判然としないが、一先ずの方策として提示しおく。