2-4・夜のささやき
【あなた、コガに何をしたの?】
「え?」
何やらプンプンと怒っているのはどうやらセリに関することらしい。
「わ、私は今日初めてここに来たから」
訳が分からずセリは焦る。
「おい、いい加減にしろ」
セリの目の前にいた妖精をイコガがヒョイと摘まみ上げる。
「俺には何やってもいいから、他の奴には手を出さない約束だ」
妖精というのはとてもイタズラ好きで、時には人間にとってかなり迷惑な存在になる。
その妖精はまたイコガに何かを訴えているが、セリには全く聞こえなくなった。
(近寄らないとだめなんだっけ)
セリは椅子から立ち上がり、自分の頭を妖精に近づけた。
【うるさいうるさい!、ちゃんと仕事しないと言いつけるからっ】
「ちゃんとやってるだろ」
イコガは邪魔臭そうに妖精の相手をしている。
ふいにイコガは、真剣な顔で会話を聞こうと背伸びをしているセリに気付く。
「ぷっ、くくっ」
笑い出すイコガの手から逃れた妖精がセリの肩にちょこんと乗った。
【あなた変な子ね。 でも怖がらないのは気に入ったわ】
そう言うと飛び上がり、窓から外へ出て行った。
残念そうな顔のセリを見て、さらにイコガは笑う。
「くくっ、本当に変な娘だ」
「えー、そんなあ」
反論しようとしたセリの腹がキュウと鳴る。
「あ」
真っ赤になった彼女にイコガはやさしく微笑んだ。
「すまない、やっぱ少なかったよな」
「あ、いえ、きっと外へ出たりしたからです」
じっと寝ていれば、おそらく朝までもったはずだとセリは思う。
イコガは衝立の向こうの炊事場へ向かい、何かを持って戻る。
「こんなものしかなくてすまん」
それは干して硬くなった肉の切れ端や果物だった。
「これ、保存食ですよね」
何かあった時のための貴重な物のはずだ。
それを奪って食べるほどセリは食いしん坊ではない。
「私の鞄に何かあると思うので取って来ます」
そう言ってセリは急いで客用の部屋に戻る。
荷物を漁っていると、不用意に廊下に出たセリを追ってイコガも部屋に入って来た。
「あった!。 これ、私が作ったんです」
セリは笑顔でクッキーの缶を見せる。
長旅のおやつにと持って来たものだが、セリはここまで緊張していて手を付けていなかった。
「はい」とイコガに渡すと、また笑われる。
「いや、今お腹空いてるのは君だよ」
「あ、そうでした」と恥ずかしそうにうつむいた。
「じゃ、俺も一つ頂こうかな」
二人は寝台に並んで座った。
「うん、美味しいね」
イコガの評価にセリは飛び上がるほどうれしくなった。
自分も口に入れながら、甘い匂いだけでお腹が満足する気がした。
「そういえばー」
セリは食べながら疑問を思い出す。
「ここへ来た時、コガさんは医療の棟から私を抱き上げて、その、走って来たのは何故でしょうか」
「あー」
イコガは少し恥ずかしそうに顔を背ける。
「まあ、その、この町に俺を訪ねてくる女性ってあんまりいないからさ」
寄って来るのだ。 住民も魔物も。
「俺の部屋は特殊結界があって、俺が招き入れないと誰も入れないんだ」
だからさっさとあの部屋へ移動したほうがいいと思ったそうだ。
「でも執事さんに毛布かぶせたりはいいんですか?」
それに勝手に病室を出てしまって。
イコガはガシガシと頭を掻く。
「あいつら、本当は駅に客が来たら俺に知らせなきゃいけないのにしなかった」
それは絶対にしてはいけないことだ。
「まあ、俺は皆に舐められてるというか、軽く見られてるからな」
仕方ないと諦め顔である。
何も言わずにセリを彼らの目から遠ざけたのは一種の意趣返しなのだろう。
「どうして舐められてると思うのですか?」
普通、領主に限らず目上の人の命令を聞かなければ罰を受けるはずである。
「んー。 じゃあ、その罪人のほうが領主より強かったら?」
セリはポカンとする。
イコガは学校では学問も剣術も優秀だったのに。
「優秀だった、ぐらいじゃ実生活では何の役にも立たないよ」
ここにはイコガより役に立つ者が大勢いる。
予算や会計などから、税関係まですべてを管理する執事。
町の住人なら魔物でも人間でも診察し、薬の開発もしている医療責任者。
警備兵はそのまま腕っぷしがイコガより強い。
「俺はただセントラルとの往復で、何とか皆の機嫌を取ってるだけなのさ」
この町でも、セントラルでも、イコガは顔だけ出して存在を示しているに過ぎない。
自虐気味のイコガにセリは不思議そうに首を傾げる。
「それでも、ご領主様ですもの。
本当は皆さん、頼りにしてると思います」
セリの真剣な目にイコガは照れて笑う。
「そうだといいけどね」
クッキーを食べ終えて「お茶を淹れて来る」と部屋を出て行った。
イコガが持って来たお茶を受け取る。
彼の意外な一面にほっこりしていたセリが突然、ハッとした顔になった。
「ごめんなさい!、コガさん。
ご病気だったんですよね。 私に構わず寝てください」
イコガは苦笑いを浮かべる。
「寝なきゃいけないのは君もだろう。
とりあえず、さん付けは止めようか」
医療施設に就職が決まっている彼女にとって、どこの誰だろうと患者に違いはない。
「熱とかは無いんですか?。
それともどこか怪我でもなさったんでしょうか」
そう言ってイコガの顔や身体にぺたぺたと手を触れる。
急に積極的になったセリに驚き、イコガはタジタジとなった。
「病人というか、生まれつき身体が弱くてね」
イコガは普段から動く時は魔力で身体強化をしている。
「『ウエストエンド』にいる時はそうでもないけど、セントラルでは特に体調が悪くて」
個人差はあるが、『白化』の者は太陽の光に弱いと言われている。
それでなくても普段はあまり陽の射さない町で暮らすイコガにはセントラルは辛い。
「俺は出来るなら行きたくないんだけど」
そう言ってため息を吐いた。
「きれい……」
イコガの顔を覗き込んでいたセリが、突然、呟く。
先天性の者の瞳は赤いが、『白化』であるイコガの瞳は透き通った青で瞳孔は黒い。
「俺も女性の顔をこんなに近くで見たのは初めてだ」
お互いに眠気も通り越して、おそらく思考がおかしくなっていたのだろう。
イコガはセリを抱き寄せ、軽く口づけをした。
「明日は朝一の汽車になる。 俺が側についているから少しでも寝たほうがいい」
セリは素直に頷き、イコガの胸に顔を寄せた。
ずいぶんと我慢していたとみえて、セリはすぐに寝息をたて始める。
「おやすみ」
イコガは彼女を寝台に横たえ、そのまま隅に座った。
「ふわあ」
緊張がほぐれるとイコガも眠気に襲われた。
「おやおや」
明るい声が部屋に響いた。
「ん」
イコガはいつものように使用人の女性の声に目を覚ます。
彼女は長年イコガの身の回りの世話をしてくれている住民である。
「おはよう、ナニー」
「おはようございます、坊ちゃん。
で、その娘さんはどこのどなたです?」
ナニーはある程度聞いているのか、ニヤニヤしていた。
「あっ!」
イコガは今更ながら気づいた。
自分の私室ならば使用人でも許可なく入ることは出来ない。
だが、ここは客用だった。
イコガは頭を抱えた。
「おはようございます、コガ様。 お客様に早く朝食を取っていただいてください」
少年執事のロクローが遠慮なく入って来てイコガを急かす。
イコガは諦めて立ち上がり、ナニーに彼女の世話を頼む。
「では、男性は出て行ってください」
ナニーに追い出され、イコガとロクローは隣の部屋へと向かった。
「ロク、切符の用意と馬車の手配を」
「もう終わってます。 ウエストにいるその女性の祖父のほうにも連絡済みです」
『ウエストエンド』を朝一に出る汽車は昼過ぎにウエスト駅に到着する。
「すまん、ありがとう」
優秀な使用人たちに相変わらず頭が上がらない領主なのである。
「お嬢さん、良く眠れたかい」
イコガの声に半分起きていたが、彼らが出て行くとセリは身体を起こした。
「はい、すみません」
「何を謝ることがあるかね。
食堂に朝食の用意がしてあるよ。 何か手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です」とセリは首を振る。
元々そんなに荷物もないので、着替えて顔を洗うと鞄を持ってナニーの後に続く。
廊下に出たところでロクローに鞄を奪われた。
「あ、あの」
「朝食後、正面に昨夜の馬車が用意してございますので」
少年執事が去ってしまうと、セリはナニーに案内されて食堂に向かった。