2-1・病室のイコガ
第二部になります。
今回は五話で終わります。
よろしくお願いします!
中央都市セントラルから来たセリを待っていたのは、薄暗い空の町だった。
町というには人影は少なく、活気もない。
『ウエストエンド』の駅に到着すると、三つの人影が動いた。
長いローブに深くフードを被り、顔が全く見えない男性が列車の運転士と話をしている。
あとの二人の男性は、窓から見えるセリの姿をじっと目で追っていた。
周りを見回しても他に人影は少なく、客車から降りる者はごくわずかであった。
「セナリー嬢とお見受けする。
俺はこの町の警備をしているラオンという者だ」
中年ぐらいだろうか。
小綺麗な皮鎧を身に着けた警備兵らしき大柄な男性が軽く礼を取る。
手を差し伸べてセリを列車から降ろしてくれた。
「はい。 セナリーと申します。
イコガ・イクーツ様にお会いするために来ました」
セリがそう言うと、兵士の横から小柄な若い男性が顔を出す。
「長旅、お疲れ様でした」
ニコリと笑う顔は幼く、セリの弟と同じくらいか、少し上くらいの年齢なのだろうと思われた。
「馬車をご用意してございます」
ダークブランの髪の少年は、セリと兵士の前に立って駅の出口へと向かう。
「まあ、ステキ」
そこに待っていたのは美しい白馬。
しかも翼を持つ魔獣が一頭と、それを繋いだ馬車であった。
セントラルの街中では、最近は自動車というものが多くなった。
それでもまだまだ馬車が主流である。
しかしここまで美しい馬車は王族でも持っていないだろう。
しかも魔獣なのである。
「あ、あの、近くで見てもいいですか?」
セリを馬車に乗せようとしていた少年は、明らかに興奮している姿にビクッと身体を強張らせた。
「ああ、構わねえよ。 なあ」
答えたのはセリの後ろにいた警備兵のラオンだ。
しばらくの間、セリはその艶やかな馬の姿をした魔獣の様子を眺める。
迂闊に手を出そうとせず、うれしそうに眺めるセリにラオンは感心していた。
「お待たせしてすみません」
「いいえ」
予想外のことに顔をひきつらせていた少年が何とか調子を取り戻してセリを馬車に乗せてくれた。
気が済んだ顔のセリが乗り込むとラオンが御者席に座る。
ゆるゆると動き出すと、向かいに座る少年が口を開いた。
「セナリー様。 自己紹介が遅れまして申し訳ございません。
私はイクーツ家の執事でロクローと申します」
座ったまま、少年執事は簡単な礼を取った。
二人はお互いに「よろしくお願いします」と挨拶を交わす。
馬車は町中を通らず、すぐに郊外に出て坂道を登って行く。
落ち着かない様子で窓の外を見ていたセリに、ロクローは、
「狭い町ですから、すぐに着きます」
と無表情で言った。
昼過ぎにウエスト駅を出たので、もうすぐ日暮れである。
丘の上から見る駅はすでに暗く、周辺には明かりが点いている窓も少ない。
セリは、何となく寂しい町だという印象を受けた。
丘の上の領主館は、中央にある円形の背の高い棟と両脇に渡り廊下でつながった四角い建物の三棟に分かれている。
正面の入り口に馬車を止めると、ロクローが先に降り、セリに手を差し伸べた。
警備兵のラオンはここまでのようで、馬車と共に町のほうへ戻って行く。
「コガ様は、今、右の棟にいらっしゃいますので、そちらへご案内いたします」
セリは黙って頷き、ロクローの後ろについて行く。
「ドクター、入りますよー」
扉の前で声をかけ、大きな扉を押し開く。
暗い外観とは違い、建物は古いが壁も床も磨かれて清潔感に溢れていた。
「ドクターって、あのぉ」
セリが言いたいことを察してロクローが答える。
「ああ、こちらは医療を担当している棟です」
この町の病院のような施設らしい。
そういえば、嗅ぎ慣れた消毒液の匂いがする。
玄関から奥へ進む度に、何かの膜を通るような抵抗感があった。
「すみません、邪魔くさいでしょう?。
ここのドクターは神経質なんですよねえ」
どうやら身体や服に付いた見えない菌を落としている医療用の見えない結界があるらしい。
ロクローの少年らしい口調に、セリはちょっと苦笑いした。
医療に携わる者は神経質くらいがちょうど良いと思っているからだ。
扉を抜けた先に、中央棟に向かうと思われる廊下があった。
「誰が神経質だと?」
「きゃああ」
廊下を歩き出すと扉の一つから金色の髪の男性が顔を出し、セリは思わず声を上げてしまった。
この人がドクターなのだろう。
セリがセントラルの病院でよく見かける医者の匂いをしている。
彼は廊下に出て来るとセリに向かい手を差し出した。
「私はここの医療責任者のアーチーだ」
長いまっすぐな金髪を背中で一つに括り、イコガより年齢も背丈も少し高いようだ。
「セナリーと申します」
ドクターの差し出した手を握り返す。
「イコガに用か?」
彼の手は冷たく、セリの手をしっかり握っている。
「あ、はい。 セントラルでお世話になりまして」
医者にしては筋肉質な男性が、セリの顔をじっくりと観察していた。
しばらくして、アーチーがようやく手を離す。
「イコガなら一番奥の部屋だ。 病人だから、静かにな」
「はいはい」
少年執事は軽くあしらうように返事をすると、スタスタと目的の部屋に向かう。
セリは病人という言葉を聞いて足が竦んだ。
「病気?、この間まで元気そうだったのに」
いや、直接話はしていないのだとセリは気づく。
会わなかった間、ずっと具合が悪かったのだろうかと心配になる。
「入りますよー」
「んー?、ロクローか」
イコガの声がする。
セリは慌てて少年の後に続いて部屋に入った。
病室にしては広い部屋だった。
領主の個室なのだから当たり前だろう。
そっと見回し、セリはイコガを探す。
「いい加減、起きてくださいね。 お客様です」
少年執事は少し怒ったように寝台から毛布を剥いだ。
「客?、聞いてないぞ」
セリは、白い上質そうな寝間着姿のイコガを見つける。
「あのお」
「は、セリ?」
寝台の上で上半身を起こしたイコガが驚愕の表情でセリを見た。
「はい」
ロクローの後ろに隠れていたセリが、顔を見せる。
それは一瞬の出来事だった。
イコガは毛布をロクローに被せて視界を遮ると、寝台から飛び降りた。
「ワッ、何するんですか!」
少年の声を無視して、イコガはセリの腕を掴んで部屋を出る。
「ちょっとだけ我慢して」
イコガは廊下に出ると、セリを抱き上げた。
「ひゃああ」
そのまま駆け出し、中央の建物を素通りして左手の塔に向かう。
左の棟の、廊下の突き当たりの扉を開けて入る。
「ハアハア、ここまで来れば大丈夫」
イコガはセリを下ろし、扉をきっちりと閉めてひと息ついた。
セリはポカンとしていた。
「あー、すまない。 ちゃんと荷物は運ばせる」
セリは、そんなことはどうでも良いと首を振る。
「コガ先輩!、病人なのに走ったりしたらダメですよ」
真っ先にイコガの身体の心配をする。
今度はイコガがポカンとした。
「ふ、ふふ、あははは」
突然、笑い出したイコガにセリは釈然とせず、不機嫌そうに睨む。
「ふっ、すまん、しかし、セリ。 どうして、ふふっ」
まだ笑いが収まらないイコガに、セリは諦めたように大きく息を吐いた。
「アゼル様が直接会いに行けと切符を下さったんです」
「アゼルが?」
イコガは笑みを消して眉を寄せ、セリを見る。
とりあえず、ここはイコガの私室らしかった。
セリは大きな窓の側にある長椅子に座るように勧められる。
「食事はまだだよね?」
セリが頷くとイコガは一度部屋を出て行ったが、すぐに戻って来た。
「準備が整うまでお茶でも淹れよう」
「えっ、先輩がですか?」
この部屋にはイコガとセリ以外、誰もいない。
「当り前だろう」
何でもない顔で領主であるはずの男性が、部屋の隅にある衝立に向かう。
その奥がどうやら炊事用の場所らしかった。
「あの、お手伝いします!」
セリは急いで後を追う。
「いや、君は客だからね」
イコガはセリに座っているようにと指示をする。
それは威圧を含んでいて、思わずセリの動きが止まった。
「一晩泊めるのは構わないが、明日の朝一の列車でセントラルへ戻りなさい」
お茶を淹れながらイコガの背中はセリを拒絶する。
「はい……」
歓迎されないだろうことは分かっていた。
セリは仕方なく、質素だが肌触りの良い椅子にぽすんと座る。
その時、セリは窓の外に揺れる光に気付かなかった。