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八極拳発祥伝説  作者: 宝蔵院胤舜
第一章 真壁雷蔵の段
5/9

肆 楊家槍

八極拳発祥伝説


〈八極拳開門譚〉



第一章 真壁雷蔵の段



【肆】


清・雍正二年(1724)春節。

新春をことほぐ爆竹が鳴る中を、真壁雷蔵は足取り軽く歩いていた。彼が寧波へ来て三月が過ぎ、この地で金水門拳法と昂拳を学ぶ機会を得た。そんな彼の耳に、新たな拳法の情報が飛び込んで来たのである。

「江寧(南京)に甘鳳池あり。三皇炮捶を使う」

勿論雷蔵には初めて聞く人物であり、拳法である。寧波にはその拳法の使い手は無く、また情報も無かった。鍋屋でその話をしていた男も、現場で見聞きをしただけで、何も知らないようだった。「」

判らなければ、実際に見に行けば良い。

雷蔵が世話になっている『周防商店』の主人である周防は、彼の決意に笑顔で頷いた。

「真壁先生の事だ。いずれ何処かへ旅立たれると思っておりましたよ。江寧に行かれるなら、是非とも蘇州へ立ち寄り、太湖を観るとよろしい」

「何かあるのかい?」

「それは美しい風景ですから、一見の価値はあるかと」

「ありがとう。寄ってみるよ」

雷蔵がそう答えると、周防は巾着を取り出した。

「これは、先生がうちで働いてくれた分の賃金です。それに、私からの餞別を加えておきましたので、江寧まではそれほど不自由はないでしょう」

「そうかい、ありがとう。周防さん、世話になった」

「いえいえ、大した事は出来ませんでしたが…て、先生、その格好でお出掛けのお心算なんですか?」

周防は雷蔵を上から下まで眺めて言った。雷蔵は、日本から着て来た長着に袴、羽織に大小落とし差しの姿である。

「いかんか?」

「いえ、まあ、その…」

「そんなにみすぼらしいか?」

「ええ。かなり」

雷蔵に問われて、周防は結局はっきりと答えた。

「そんなにひどいか?」

「ひどいですね。こちらで服を用意しますから、和国の服は置いていって下さい」

「何から何まで済まない」

雷蔵は頭を下げた。

周防は店の者に清国の平民服を持って来させると、雷蔵に着替えさせた。ただ、雷蔵は陣羽折だけは手放さなかった。

「また日本に帰るまで、ここでお預かりしておきますよ」

雷蔵の長着と袴と草鞋、そして小刀を抱えて、周防は約束した。

「ありがとう。帰りも世話になるよ」

「お待ちしています」

雷蔵が笑顔で言うと、周防は深々と頭を下げた。


雷蔵が『周防商店』を出ると、そこに()昌輝(しょうき)が立っていた。

「あれ、どうしたんだい昌輝、そんな格好で」

韋は、小さな背負子を背負って、ちょっとした旅支度である。

「何が『どうしたんだい』だ、ヘキ」韋は苦笑いして言った。「昨日、何か様子がおかしいと思ったんだ。お前、黙って出発するつもりだっただろ?」

「何で判ったんだ?」

「お前、金水門の学生達に杭州や無錫の話を聞いていただろ?」

「それで察したのか。大したもんだ」

雷蔵は笑いながら歩き出した。韋も並んで歩く。

「水くせえなあ。何で俺に話してくれなかったんだ?」

そう言う韋に、雷蔵は笑ったまま答えた。

「これは俺の旅だ。お前を巻き込むような事じゃねえからな」

「まあそう言うな。俺もそろそろ寧波を出ようとは思ってたんだ。俺は勝手について行くぜ」

「どうぞご自由に」

二人が街はずれまで来ると、そこに鄭自功とその腹心達が待っていた。

「やはり行くんだな、ヘキ。お前も行くんじゃないかと思ってたよ、昌輝」

鄭はそう言うと、瓢箪を一つ差し出した。

「何だいこりゃあ?」

雷蔵は受け取りながら尋ねた。中に何やら液体が詰まっている。

「桂林三花酒だ。餞別だ、道々呑んで行け」

「そうか。ありがとう」

「こっちこそありがとう。お前らと知り合えて良かったよ」

「どうした、隨分としおらしいじゃないか」

韋が茶化すように言った。

「気をつけてな。他の拳法に遅れを取るなよ」

鄭はそう言って、抱拳礼をした。腹心達もそれにならう。

「ああ」雷蔵も抱拳礼を返した。「色々と見聞してくるぜ」

鄭はすぐに踵を返し、街へと戻って行った。

雷蔵と韋も、街道を西へと歩き出した。

二人は一日野宿をして、翌日は紹興で宿を取った。空になった瓢箪に紹興酒を一杯に詰めると、半日歩いて杭州に泊まり、東坡肉トンポーロウに舌鼓を打った。

そこから太湖を東に回り、蘇州を系由して無錫にたどり着いた。

「確かに素晴らしい眺めだな。水墨画のようだ」

湖畔に立って、雷蔵は感嘆の声を上げた。湖の水面と島の折りなす景観が美しい。

「ここは蠡湖(れいこ)だ。かつては五里湖と呼ばれたらしいが、范蠡(はんれい)が、絶世の美女といわれた西施と過ごしたという逸話から名を改められたそうだ」

韋も溜め息混じりに蘊蓄を披露した。

「范蠡と言えば、越王の軍師だな。こんな美しい所に居たら、さぞかし身も心も休まっただろうな」

雷蔵はそう言うと、大きく息を吸い込んだ。

「美人と一緒となれば直尚だ」

韋も笑って返した。

二人が湖畔から街中へ戻って来ると、運河に掛かる橋のたもとに、何やら人だかりがあった。人の垣根をかき分けて中へ入ると、人だかりの中心に一組の男女が居た。大人の男と少女である。

男の手には一本の槍があった。

「私は山西の李と申す。私は故郷では槍術に秀でていたので"神槍"と呼ばれた。今からその妙術の一端をご覧に入れる」

李は口上を述べると、槍術套路を演じ始めた。

槍は李の手の内で自由自在に回転し、生き物のように突き出される。

まるで舞いを舞っているかのような動きに、周りの観客から拍手が巻き起こる。

最後は李の体の側に槍が収まり、静かに演武が終わった。他の観客と共に、雷蔵と韋も大いに拍手を送った。

他にも、二枚重ねた紙を目にも止まらぬ早さで連続突きし、一枚目は貫きながら二枚目には傷ひとつ付けない早技や、少女が宙に投げる瓜を次々と空中で刺し貫く槍さばきを披露した。

最後には、長さが十尺(三メートル)はあろうかという大槍を自在に振り回し、皆の喝采を浴びた。

演目が全て終わり、見料を放った観客が三々五々散って行く流れに逆らって、雷蔵と韋は神槍李に近付いて行った。

少女が地面に落ちている放り銭を拾っているのを、突然かがみ込んだ雷蔵が同じように拾い出した。目を丸くしている少女の掌の上に、集めた銭を乗せながら、雷蔵は口を開いた。

「神槍李どの、素晴らしい腕前だった。この俺に、その槍の技を伝授してくれないか?」

「何者だお前は?見た所漢族でもないようだが」

李は訝しげに雷蔵をねめつけた。

「不信に思うのも最もだが、別に怪しい者じゃない」韋が横から声を掛けた。「こいつは和国人の真壁、俺は岭南の韋だ。武術の見分を広める為に旅を始めた所なのだが、図らずもこの

無錫の地で、かような素晴らしい武術の師に出逢えた、という訳だ」

「随分と褒め上げてくれたが、要は俺の技を盗みたい、という事だな?」

李は警戒を解かずに言った。銭を集め終わった少女が、李の後に隠れるように身を潜めた。

「盗むというのは少々聞こえが悪いが、まあそう言う事だな」

雷蔵は屈託なく答えた。

「何だ、もう少しごねると思ったのに」

李はたたらを踏んだ格好だ。

「俺は武術に興味があるだけだ。世の中には種々な武術がある。俺一人の頭では到底思いつかない色々な技がある。俺は、それを見てみたい。それだけだ」

雷蔵はそう言って笑った。

「変わった奴だ」

李は肩をすくめた。

「変わった奴だろ?」

韋もそう言って笑った。

「別に決闘してくれ、という訳じゃない。道場破りではないから安心してくれ」

そう言う雷蔵に、李は横に立て掛けてある長さの違う数本の杆子(穂先の付いていない槍)を示した。

「教授するからには、お前の腕前を確認しなければな。素人に一から槍を教えるほど、俺は暇じゃない」

「最もだ」

雷蔵は一番長い杆子を取ると、荷物に掛けてあった掌大の長さの金属製の管を取り出した。

「おい、ヘキ、この旅に出てからずっと不思議に思ってたんだが、その輪っかは何なんだ?」

韋が首をひねって尋ねた。

「これか?」雷蔵は金属の管を示した。「これは『管槍』の管だ。尾張貫流の核心的技法だ」

言いつつ雷蔵は管に杆子を通すと、左手で管を持ち、左前に構えた。李は演武の時には右手で槍の根元を持ち、槍を長く構えていたが、雷蔵は中程を持ち、根元を後ろに長く伸ばす。

「尾張貫流というのは、和国では主流なのか?」

興味を覚えた李が問い掛けた。

「いや。御留流として、世には出ていない」

雷蔵は一言答えると、杆子を突いて見せた。管を通り、杆子がうねるように突き出される。速い。

「ほお」

李は素直に感心した。見た事のない技術だったからだ。雷蔵の杆子さばきをしばらく見ていたが、やがて自分も杆子を手に取った。

「お手合わせ頂こうか」

李は杆子を構えた。

「喜んで」

雷蔵も大杆子を構える。

有無を言わせず雷蔵が仕掛けた。素早い突きを李は左へ弾くように払う(※1)。次の突きも今度は右へ払う(※2)。

雷蔵は大杆子を差し上げ李の頭上に打ち下ろした(※3)。李は右足を外に踏み出して攻撃を避けつつ、杆子で雷蔵の喉を突いた(※4)。雷蔵は大杆子を下から跳ね上げて払い受けた。

雷蔵は素早く大杆子を操り引くと、李の足を狙い操り出した。

李は杆子を振り下ろし、雷蔵の攻撃を払い受けつつ足を進める(※5)と、杆子の手元で打ち掛けた(※6)。雷蔵は大杆子を横一文字に差し上げそれを受けると、素早く退いて間合いを取った。

李は杆子を体の左右で旋転させると、杆子を振り下ろしつつ馬歩になり(※7)、三尖相照の構えを決めた。

暫しの間槍を構えて相対していた二人だったが、やがて雷蔵が槍を外し、大きく息をついた。

「いやあ、素晴らしい腕前だ」雷蔵は笑顔を韋に向けた。「見ただろ昌輝、今の神槍李の腕の冴えを」

「ああ、しかと見させて貰った。見事な腕前だった」

韋も大きく頷いた。

「しかし、お前の槍術もかなりの物だ。それほどの腕を持ちながら、何故我が武術(ウーシュー)を求めるのだ?」

李の問いに対する雷蔵の答えは明快だった。

「和国の武芸は秀れていると思うが、唐土の武術は躍動感がある。俺はそこが好きなんだ。俺は、和国の技も、唐土の技も、どちらも手に入れたい」

「贅沢な奴だ」

韋が笑いながら言った。

「特にあの、体の左右で槍を回すのが良い」

雷蔵は大杆子を短い杆子に持ち替えると、見よう見真似で回して見せた。

「ああ」李は笑いながら動いて見せた。「これは『舞花』という。槍さばき、体さばき、歩法を身に付ける基本功法でもある」

「おお、是非教えてくれ」

雷蔵の熱意に、李もその気になったようだ。

「良かろう。お前の貫流も教えてもらうぞ」

二人は杆子を振り回し始めた。

韋は事の成り行きに呆然としている少女に近付いた。

「なあお嬢ちゃん。君は李の娘さんかい?」

韋の問いに、少女は目を丸くしながらもこくんと頷いた。

「そうか。では、君の泊まっている宿を教えてくれないか?まだ宿を決めていないんでね」

韋は雷蔵と李を肩越しに見ながら、少女に笑って言った。

「どうせあいつら、二三日は槍の事しか考えねえんだろうからな。お前さんも難儀な親父さんを持ったもんだな」



20191123



註 :


※1 楊家槍 (ラン)

※2 楊家槍 (ナー)

※3 尾張貫流 有無ノ一香

※4 楊家槍 跨馬刺槍

※5 楊家槍 撥槍問路 (跟歩扣把)

※6 楊家槍 打花子

※7 楊家槍 力劈華山(劈槍)


※ 清代楊家槍の資料があまり無かったので、槍術の名称や動作は「呉氏開門八極拳」の六合花槍のものを用いています。

尾張貫流についても同様で、こちらは空想の域を出ていません。

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