表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
八極拳発祥伝説  作者: 宝蔵院胤舜
第一章 真壁雷蔵の段
4/9

参 金水門(きんすいもん)拳法

八極拳発祥伝説


〈八極拳開門譚〉



第一章 真壁雷蔵の段



【参】


清・雍正元年(1723)秋。

真っ昼間の寧波の街中で勢大な殴り合いをした雷蔵と()の二人は、お互い傷だらけのまま、月湖のほとりにある『柳汀(りゅうてい)酒家』で杯を交わしていた。

寧波郡廟前で行われた時ならぬ大立ち回りは、結局三対三の引き分けで幕を降ろした。

賭けを主催した胴元は豪気な男で、二人に賭け金の一部を分けてくれた。その金で二人は酒を酌み交わしているのである。

二人とも服は土まみれで、お互い顔に打たれた跡がくっきりと残っていたが、全力で技を出し切って相手の力量を認め合って、すっかり意気投合していた。

「あんたの武術は凄いな。昂拳と言ったか、苛烈な技だな」

雷蔵は心底感心して言った。

「お前の無極流も見事なものだ。特に擒拿(きんな)(しゅつ)(※1)の技術が素晴らしいな」

韋も大きく頷きながら言った。

「それにしても、昂拳の攻撃力には恐れ入ったよ。これは、あんた達の一族の拳法なのか?」

雷蔵は酒をあおると、韋に尋ねた。

「そうだ。我々壮族の先祖が、身を護る為に生み出した、戦の中で鍛え上げられた拳法だ。かつて我々の軍団は『狼兵』と呼ばれ、凶猛無比の強さで名を知られていた。お前ら『和冦』をも退けたと伝えられている」

韋も杯を空けつつ、上気嫌で答えた。

「確かに凶暴な拳法だな」雷蔵は笑った。「それにしてもこの酒、旨いけど強いな」

「桂林三花酒という、俺の地方の白酒だ」

「バイチュウ?」

「蒸留酒の事だ」

「なるほど、焼酎か」

「和国にも似たような酒があるのか?」

「これほど酒精は強くはないがな」

雷蔵はそう言いながら、「青梗菜と餅の醤油炒め」を口に入れる。

「ところで真壁、お前は何故清国にやって来たんだ?」

韋が「腐皮包黄魚(黄魚湯葉包み)」を頬張りつつ尋ねた。

「俺はな、地主の子供として生を受けた。有り難い事に金には困る事が無かったが、百姓である事に違いは無い。だが俺は、武術が好きだった。だから、百姓仕事のかたわらで、無極流の道場へ剣術を習いに行ったんだ。そこで、土子宗家に認められ、弟子入りが叶ったんだ。弟子入りして初めて、武術の奥深さが判った。そしたら、他の流派の技も見てみたくなってな」

「それで腕試しって訳か。命が幾つあっても足りんな」

「幸い和国では、徳川の世になって百五十余年 (いくさ)が無い。それで発達したのが『試合』だ。お互いの修練を披露し、腕を認め合う。それでこそ、武術は発展して行くんだと、俺は思っている。俺は色んな土地に行き、色んな人に会い、試合う事で技を体験させて貰って来た。やはり武術は奥深い」

「で、とうとう清国まで来たってか。物好きな奴だな」

「お陰であんたと知り合えたぜ」

雷蔵はニヤリと笑って言った。

「俺もお前と会えて良かったよ」

韋もニヤリと笑った。

そこへ、ドカドカと十人程の男達が踏み込んで来た。見た事のある道着を着て、手には全員提柳刀を持っている。

「お、どうした?あんた鄭自功だったかな?呑んで行くってんなら、全員奢るぞ」

雷蔵は敢えてお気楽に声を掛けたが、鄭はそれを無視した。

「貴様ら、街の往来で武術をひけらかしていたらしいな!」

「何だよその『ひけらかしていた』って言い草は」

「それはこっちの言葉だ」鄭は雷蔵を睨みつけた。「武術を見世物にした挙げ句、賭けの対象にしやがったらしいな」

「賭けにしたのは俺達じゃないぜ」

韋がヘラヘラと笑いながら言う。

「お前の話も最近よく聞くぜ、韋よ。ケンカ屋が大層な口を聞くじゃねぇか」

鄭は辛辣な口調で言う。

「別に見世物にした訳じゃない。周りの連中が勝手に遊んでただけだ」

雷蔵は肩をすくめた。

「皆の前で軽々しく武術を見せる必要があるか?」

「それは俺達の勝手だろう」

鄭の言葉に、雷蔵はしれっと答えた。

「兎に角、お前らは街を騒がしている。看過出来ん」

「ではどうしろと?」

韋が青梗菜を頬張りながら尋ねた。

「今から俺の道場へ来て貰おう。嫌も応も無しだ」

その鄭の言葉を聞いて、雷蔵は目を輝かせて身を乗り出した。

「そうか。連れていってくれるのか、金水門拳法の道場に?」

「あ、ああ、そうだ」雷蔵の態度に、鄭は思わず引いてしまう。「お前に制裁を加える為だぞ?判っているのか?」

「何でも良いさ。さあ、すぐにでも行こう」そう言ってから、雷蔵は眉を曇らせた。「あー、すまんが、この料理を食べてからで良いか?」


雷蔵の一行は、『柳汀(りゅうてい)酒家』からそれほど離れていない、奉化江のほとりにある『金水門拳法』道場にやって来た。広い敷地が高い塀で囲まれており、正面の門扉を閉めると外からは一切見えなくなる。

「凄いな。百人入っても一度に練習出来そうだな」

目を丸くして、雷蔵は呟いた。

「そうよ、我が金水門は、寧波で最も勢力のある一門だ」鄭の腰巾着らしい男が尊大な態度で言った。「この鄭自功先生は、金水門の次期当主様だ。本来ならお前らが口を聞く事など出来ないお方だ」

「お前、うるさい」韋が吐き捨てるように言った。「俺達は、その鄭先生に呼ばれたんだ。お前じゃない」

「何だと!」

腰巾着は怒鳴って踏み出したが、鄭がそれを止めた。

「悪いが、ここは俺の街だ。俺のやり方に従って貰う。従わないのなら」

「従わなければ、どうする?」

雷蔵は笑顔で尋ねた。

「力ずくで従わせる」鄭は真顔である。「武術は軽々しく見せるものでは無い。技を見せれば、その技は敵に知られ、戦いの場で後れを取る事になる」

「それがこの道場の教えなんだな」

雷蔵は頷きながら言った。

「そうだ。だから学生達にも無闇に技を見せぬよう命じている。使うのは、いざという時だけだ」

「お前さん、案外と真面目なんだな」

雷蔵はほうと吐息を漏らした。

「教えは判るが、それは俺達には関係ないだろう?」

鄭の言葉に、韋が首をかしげる。

「示しがつかんのでな。それに、普段は控えるように言ってあるから、たまにはうさを晴らしてやらんとな」

鄭はしれっと言う。

「つまりは、俺達は噛ませ犬って事かい?」

雷蔵はあくまで笑いながら言う。

「まあそう言う事だ。悪く思うな」

鄭は言いつつ、学生を二人指差した。その二人は立ち上がると、各々雷蔵と韋の前に立った。

「あんたが俺の相手をしてくれるのか?」

雷蔵は笑顔のままだ。相手は厳しい表情のまま、構えを取った。

「これが、金水門の構えか?」

雷蔵は、首を捻って鄭に尋ねた。

「そうだ。『旗鼓式』という。この構えから、全ての技が生まれるのだ」

「そうかい。では、一手ご指南よろしく」

そう言った雷蔵に、男は突き掛かった。力の入った型通りの動きだったので、雷蔵は体を開いて突きを捌きつつ、中楔(なかくさび)(※2)を相手の耳下の急所(※3)に打ち込む。男は昏倒してくず折れた。

「そんな型通りの突きで相手を倒せると思うか!次!」

雷蔵は鋭く声を上げると、学生達の集団を睨みつけた。いつもの師範代の時の調子である。

自分の相手を倒した韋が、目を丸くして雷蔵を見た。

「次、行け!」

鄭は次の男を差した。筋肉隆々の男だ。韋の方にはもう誰も来ない。雷蔵が目立つ行動を取り始めたので、韋の事はすっかり忘れられてしまったようだ。韋は、少し離れて高見の見物を決め込んだ。

筋肉男は、頭二つ分雷蔵より背が高い。男はいきなり前蹴りを放った。雷蔵は右の肘を振り打ちその足を払い、返す肘で腹を突き抜いた(※4)。男はその場にうずくまって動かなくなった。

「あ、お前その技は!?」

韋が思わず声を上げた。

「悪いな、あんたの技、早速盗ませて貰ったぜ」

雷蔵は韋に顔を向け、ニヤリと笑った。

「次は俺だ!」

腰巾着が、怒気に顔を赤くして雷蔵の前に立ちはだかった。

「おいお前、怒りに呑まれると実力を発揮出来ないぞ」

雷蔵はそう言ったが、腰巾着は構わずに突進して来た。力任せの大振りの左右の拳から胴体を抱えに来たので、両肘で首肩を押さえて相手を固定すると、両腕で引き込みつつ膝を腹に突き入れた(※5)。腰巾着が呻くのを更に首を下に落とし、顔面に膝を入れた(※6)。腰巾着は前歯を全て折られて、血を噴きながら倒れた。

「だから落ち着け、と言ったんだ」

雷蔵は腰巾着を見下ろして冷たく言うと、鄭を睨みつけた。

鄭が誰か別の男を指差して「行け」と言うのに被せて、雷蔵は大声で言った。

「いい加減にしろ!鄭自功!お前がそうやって学生や看板の後ろに隠れるような事をしているから、お前も、お前の取り巻きも実力が伴わないのだ!これ以上"金水門"の名を汚すな!」

「なっ!?」

鄭は言葉に詰まった。ここまで真正面から自らを否定されたのは初めてだったのだ。

「お、俺がじっ実力が無いだと!?」

「残念だが、良い素質を持ってはいるが、修練が足りなければ宝の持ち腐れだ」

雷蔵はピシャリと言い放った。

「おのれ、言わせておけばいい気になりやがって」鄭は怒り心頭である。「持ち腐れかどうか、とくと見せてやる」

鄭は大股で歩いて来ると、雷蔵の前に立った。

「さあ、相手になってやる。いつでも…」

鄭の言葉を遮るように、雷蔵は「霞」を放った。それは頬を打ち、バチンと派出な音を立てた。

「痛てーなこの野郎!何しやがんだ!」

「馬鹿かあんた。敵の手の届く位置に無防備に立つ奴があるか!」

鄭の文句を押し潰すように雷蔵は叱責した。

鄭は慌てて一歩退がり旗鼓式で構えると、気合と共に右逆突きを放ち、続けて右[足登]脚、更に右足を踏み込んで右突き(※8)を放った。雷蔵は易々とそれを払い受ける。

「そんな力任せで拳足が届くものか」

雷蔵は敢えて挑発するように言い放った。

カッとなった鄭が闇雲に出した右拳を受け掛けつつ、雷蔵は鄭を投げ捨てた(※7)。勢い良く地面に叩きつけられた鄭は、呻き声を上げて地面でのたうっている。

「判るか、それが自分を過信した報いだ。周りを脅して見映だけ張っていたツケが回って来たんだ。これに懲りたらまた一から功夫を積め」

雷蔵が説教めいた事を言った時、門の辺りから拍手が聞こえた。見ると、初老の男が門を開け放って立っていた。

「いやいや真壁殿、見事な腕前。その言葉も誠に耳が痛い」

男は言いつつ雷蔵に歩み寄った。その隙の無い身のこなしから、雷蔵はそれが誰であるか気付いた。

「何だオヤジ、あんたどっちの味方なんだよ?」

鄭が苦しそうな声で文句を言う。

「うるさい、未熟者が。それが今のお前の限界だ。思い知ったか」

苦々しい表情で言う男に向き直って、雷蔵は頭を下げた。

「あなたは、金水門拳法道場主、鄭大功殿ですね。勝手に乗り込んで生意気な事を申し上げ、失礼致しました」

「いや。あんたの言う通りだ。わしは師として厳しくしてやれなかった。父親の欲目が眼を曇らせていたようだ」

「まあ親子で師弟関係ってのは、中々難しいですからね」

「自功にも良い薬になっただろう。ありがとう」

「なに、礼を言われるような事では」

「ただな、真壁殿」鄭大功の表情が鋭くなった。「今のを金水門拳法だと思ってもらっては困る」

「勿論。当然、見せて頂けるんでしょう?」

雷蔵は不敵に笑いながら言った。

「我が金水門の真髄、見せてやろう」

大功は言いつつ、旗鼓式に構える。雷蔵も構える。

「いつでも良いぞ」

「では、お言葉に甘えて」

雷蔵は一気に間合いを詰め、中楔を連打した(※9)。大功は半歩退いて連撃を避け、連打の途中の拳を引き込むように受け流しつつ指先で雷蔵の喉を突いた(※10)。軽い一撃だったが、息が詰まって雷蔵は思わず退いてしまう。

大功は大きく一歩踏み込むと、右逆突きで雷蔵をよろめかせた。更に一歩出て左逆突きと右順突きの連打を入れる(※11)。

パンッという大きな音がして、大功と雷蔵の動きが止まった。

雷蔵は大功の左拳を右掌で掴み止めると、左手で大功の肘を捕らえて引っくり返して極めようとした(※12)。大功は右手刀を自らの腕に滑らせ、雷蔵の手を切り離した(※13)。

二人は大きく飛び退かってお互いに構えた。

大きくひとつ息を吐いて、雷蔵は構えを解いた。

「柔剛兼ね備えたその技、感服しました」

「それこそが我が金水門の秘伝だが、自功にはまだ伝えられなかった」

大功は困り顔で息子を見た。自功はうつむいてその視線を避けた。

「老師、参りました。私の完敗です。とても勉強になりました」

「そういう謙虚な所が和国人の美徳だ、と周防が言っていたが、この清国では不利になる事もある。気を付けた方が良い」

大功が笑って言った。

「えっ?鄭老師は周防先生をご存知なんですか?」

「ああ、呉大人との縁で、長い付き合いだ」

「何だ。周防さん何にも言ってくれなかったな。人が悪いぜ」

「わしは、今まで周防商店に居たんだ」

「今日帰ったら、周防さんに文句を言ってやる」

雷蔵は口を尖らせた。

「良かったじゃないか真壁。新しい拳法を教えて貰えそうだな」

韋が楽しそうに言った。


雷蔵は寧波へ三月ほど留まり、その間に鄭大功から金水門拳法を、韋昌輝からは昂拳を教わった。

季節は冬になり、寧波は日によっては江戸よりも冷え込む時もあった。しかし、雷蔵は武芸の修練に余念が無かった。

ある日、練習も終わり、鄭自功と韋昌輝と共に連れ立って鍋が美味いと評判の店へ行った。海鮮鍋で近隣でも知られている店だ。

三人が席に着いて料理が出て来るのを待っていると、隣の席で食事をしている客達の会話が聞こえて来た。

「俺、こないだまで江寧(南京)に居たんだけどな、凄え奴がいたんだ。甘鳳池って奴で、八尺もある大男なんだ」

「そんな奴居ねえだろ」

「居るんだって!そいつの使う三皇炮捶って拳法が、また強えのなんのって。十人からいたならず者をあっさりなぎ倒しちまった」

その会話を耳にした雷蔵の眼が光った。

「おい、聞いたか今の話し」

「ん?何が?」

鄭も韋も聞いていなかったようだ。

「あんたら、"三皇炮捶"って拳法、知ってるか?」

「いや、知らん」

鄭は首を振った。

「俺は聞いた事あるぜ、ヘキ。何でも嵩山の武藝の流れらしいぜ」

韋が、運ばれて来た鍋をつつきながら言う。雷蔵は真壁の"壁"を取って"ヘキ"と呼ばれている。

「噂に聞く嵩山の武藝の流れ、か…」

雷蔵は呟くと、しばし黙り込む。

「…おいヘキ、お前、江寧に行って三皇炮捶を見たいと思ってるだろ?」

韋にそう指摘されて、雷蔵はニヤリと笑った。

「ああ。俺、年が明けたら江寧に行くぜ」




20190904




註 :


※1 擒拿(きんな)(しゅつ) 擒拿は関節技、摔は投げ技を指す。

※2 中楔 中指拳。無極流の中指一本拳を指す。

※3 「独固(とっこ)」。三叉神経を圧迫する。

※4 昂拳 「南蛇纒身」

※5 無極流兵法「樽砕き」

※6 無極流兵法「面砕き」樽砕きの応用。側頭部への膝は「鉢砕き」となる。

※7 「流柳(ながれやなぎ)」 相手の上段を受け掛けつつ、「虚車」の要領で投げを打つ形

※8 金水門拳法 「一馬当先」(右逆突き)~「猛虎扑食」

※9 無極流兵法「千鳥」 千鳥が囀ずるような矢継ぎ早の連撃。烏兎・人中・肢中・壇中・水月の五ヶ処を一息で突く事を最上とする。

※10 金水門拳法「翻雲覆雨」

※11 金水門拳法「一馬三槍」

※12 無極流兵法 「肱蔓(ひじかずら)

※13 金水門拳法「玉女穿梭」の応用




※ 金水門拳法 明代嘉靖(1522--1566)年間に浙南地方で創立された民間武術。主な內容は“金、木、水、火、土”五組の攻防技法で構成される。金剛拳、水型套路などの套路がある。分類上は"南拳"である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ