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八極拳発祥伝説  作者: 宝蔵院胤舜
第一章 真壁雷蔵の段
3/9

弐 昂拳(こうけん)

八極拳発祥伝説


〈八極拳開門譚〉



第一章 真壁雷蔵の段



【弐】


享保八年(1723)秋。

真壁雷蔵の乗った呉大人の荷船は、時ならぬ順風を得て、十日ほどで寧波(ニンポー)の港に到着した。唐代から交易の中継地点として発達し、遣唐使であった最澄や空海、また曹洞宗の道元などもこの地を踏んでいる、日本とも縁の深い港街である。

船の中で雷蔵の世話をあれこれと焼いてくれた(リー)船長は、海の向こうに立ち現れた塔を見つつ言った。

「寧波は日本人への悪感情が強い。気を付けた方が良い」

それを聞いて、雷蔵は大きく頷いた。

先の室町幕府の財源となっていた日明貿易、所謂"勘合貿易"は、後には細川氏と大内氏の利権争いの舞台となり、その結果、大永三年(1523) に『寧波の乱』と呼ばれる大規模な武力闘争が起こるに至った。その時に、怒りに狂った大内氏側の兵達が細川氏の使者のみならず沿道の明人をも虐殺した。更にその後、明国沿岸を席巻した和寇の横行もあり、二百年経った今でも、寧波の人々は日本人にはあまり良い感情を抱いていない。

「こいつに着替えなくても良いのかい?」

李船長が清の一般的庶民の服を取り出して来るのへ、雷蔵は首を振って答えた。

「しばらくはこいつで行くよ」

雷蔵は長着に袴、羽織に大小落とし差しの姿を示した。どこから見ても和国の人間である。

「あんたの武者修行が無事成就出来るよう祈ってるぜ。死ぬなよ」

李船長はそう言って手を振った。雷蔵は深く一礼して、舷梯を渡って桟橋へ降りると、荷降ろしをしている人夫達を掻き分けて地面を踏んだ。

「これが唐土(もろこし)か!」

雷蔵は目を輝かせた。港の向こうに、(いらか)波打つ壮麗な街並が見えた。奥の方に、海からも見えていた七重塔が聳えている。

古えより東西交易、特に海運の要衝として栄えた寧波の街は、広い大路に人や荷車の往来も多い、活気に満ちた大都市であった。

目を輝かせて周りを眺めている雷蔵とは対照的に、彼を見つめる住民達の目線は冷たい。明らかに和人と判るこの男の正体が判らず、警戒しているのだ。

やがて、腕に覚えのありそうな四人組が雷蔵に向かって動き出した。四人のうち二人の腰には提柳刀が下がっている。雷蔵は気付いてはいたが、あえて放っておいた。彼としては、異国の雰囲気にもう少し浸っていたかったのである。

「おい!お前!」

四人組の頭目らしき男が声を上げた。ドスの利いただみ声だ。雷蔵は気付かない振りをした。

「おい、お前だお前!そこの和人!」

男が声を荒げた。

「何だ、俺の事か?」

雷蔵はとぼけて言った。

「お前しか居ねえだろ」男は顔をしかめた。「誰だお前は?ここに何しに来やがった?」

「俺は真壁雷蔵。物見遊山でやって来た者だ」

雷蔵が答えると、周りの野次馬の中に動揺が走った。

「何だお前、言葉が解るのか?」

男が目を丸くした。

「さっきの返事で判らなかったのか?」

雷蔵は肩をすくめた。

「なら話は早い。俺は(てい)自功(じこう)、この辺りを仕切ってる者だ。お前のような素状の知れない奴、しかも和人とあっては放ってはおけないんでな」

鄭はそう言うと、雷蔵を睨みつけた。

「俺はただの旅人だ。しかし、挑んで来るとあっては捨ててはおけんぞ」

雷蔵は笑いながら言うと、目に力を込めた。

鄭はビクリとして、咄嗟に構えた。低い丁字歩に右前拳を伸ばした形だ(※1)。他の三人もそれにつられて構えを取る。集まって来ていた野次馬がどよめきながら後じさった。

「へえ、あんた、結構腕が立つんだね」

雷蔵は笑って立ったままである。

「おい、こいつ出来るぞ。気を抜くな!」

鄭は言いつつ一歩出た。二人は腰の剣を抜いた。野次馬から悲鳴が上がる。

「もし、真壁先生、こんな所に居たんですか?」

殺伐とした輪の中に一人の商人風の男が入って来た。鄭達が訝しげに男を見た。

その男は、笑顔で雷蔵に歩み寄った。

「真壁先生、待ち合わせの場所に行っても居ないんで、探しちまいましたよ」

そう言ってから、男は小声で囁いた。

『あたしに合わせて下さい』

それは日本語だった。

「何用だ周防(すおう)」鄭は目を細めて男を見た。「和人の商人の出る幕じゃねえ。引っ込んでろ」

「おお、周防さん、良かったよ会えて。街が広いもんだから、迷っちゃったんだよ」

雷蔵は大袈裟に振り返った。鄭はそんな雷蔵を見て、首をかしげた。

「周防、お前の知り合いか?」

「ええ。長崎の呉大人の客人で」

呉大人と聞いて、鄭は構えを解いた。

「何だよ紛らわしい。それなら早く言えよ」

鄭は一度恐い顔で雷蔵を睨むと、その場を立ち去った。

それを見送ってから、周防は雷蔵に向き直った。

「何とか間に合って良かったです。申し遅れました。私はこの寧波で商売をしております、周防と申します。呉大人にはお世話になっております。つい先程大人からの手紙を受け取りまして。お出迎えが遅くなり、申し訳ありませんでした」

「こちらこそ、ご足労頂いて(かたじけ)ない。もう少しで初修行となる所だったよ」

「その辺りも伺っております」

周防はそう言って笑った。


寧波郡廟近くの『周防商店』は、日本の雑貨や反物を扱う店で、品質の良さもあってこの界隈では結構な有名店である。

雷蔵はその店の客間に通された。

「私の一族は、その昔、室町幕府が行っていた"勘合貿易"で力を付けた大内氏に隨って通商を任されていた、山口は周防の商人でした。ところが『寧波の乱』があって、我々日本人は自由な出入国が許可されなくなり、結果としてこの街に住み着く事となったのです。我々と呉大人とは彼がこの街に居た頃からのお付き合いです」

周防はそう言うと、古い一冊の大黒帳を取り出した。表紙に大内菱(おおうちひし)が描かれている。大内氏の家紋だ。

「大永年間から二百年になります。先祖は地元の漢族と結婚してこの国の人間になろうとしましたが、我々は今でも"和人"と呼ばれ、ひとつ下に見られています」

「ひでえ話だなあ」

「まあ、最後にものを言うのはカネですからね、今では誰も正面切って悪口を言う者はおりませんよ」

周防はそう言って笑った。

「で、真壁先生は武者修行に来られた、と」

「ああ。清国の武術を見たくてな」

「清国の武術は多彩です。特にここ寧波は、戚継光が著した『紀効新書』に残された数々の武術が今も練られていますよ」

「俺は、日本で査拳と洪拳を見た。どちらも凄い武術だった」雷蔵は目を輝かせて言った。「で、さっきの、何て言ったかな…、そうそう鄭だ。鄭はどんな武術を使うのか、知ってるかい?」

「鄭自功は、ここからそれほど離れていない、奉化江のほとりにある『金水門(きんすいもん)拳法』道場の道場主、(てい)大功(たいこう)の息子です」

「息子って事は、次の当主だな。そうか、ではあれが『金水門拳法』って奴だな」

雷蔵は鄭の構えを思い出しつつ言った。

「ええ。この辺りでは名の通った道場で。まあ実力もありますので、あの息子はこの街の自警団を気取っていますよ」

周防はそう言って笑った。

「早速見学に行かせて貰おうかな」

雷蔵は朗らかに言ったが、周防は優しい表情で、しかしきっぱりと首を振った。

「とりあえず、荷をほどいて一服して下さい。長い船旅の疲れもあるでしょう。あ、宿はこちらの離れをお使い下さい」


翌日、朝食を済ませた雷蔵は、街をぶらぶらと歩いた。『周防商店』のすぐ横にある寧波郡廟は、明の洪武四年(1371)に明太祖朱元璋の詔により、国の安全を祈願して建立されたものだ。そのすぐ横にある七重の塔が天封塔。唐の時代からあったらしいので、最澄や空海もこれを見上げていたのであろう。

「立派な街だ。きっと色んなものがここに集まるんだろうなあ」

雷蔵は辺りを見回しながら呟いた。周りの視線などお構い無しである。

そんな雷蔵に、一人の男が近付いた。街の漢族達とは違う服を着ている。

「なあ、そこの人」男は雷蔵に声を掛けた。「あんた、和寇かい?」

雷蔵は目を丸くして振り向いた。

「今時和寇なんていると思うのかい?」

雷蔵は逆に問い返した。

「俺の中では、和寇ってのは武士(もののふ)だって意味だ」

男はそう言って、不敵に笑って見せた。

「と言う事は、あんたも武士って訳か」

雷蔵も笑って言う。

「俺は岭南(れいなん)壮族(チワン族)の()昌輝(しょうき)。一度、和国の武術と仕合ってみたかったんだ」

「それは(やぶさ)かでは無いが、ここでやるのか?」

「寧波は尚武の気風だ。誰も咎めはせんよ」

韋はそう言うと、右肘を立て、左肘を開いて拳を顎に付けた。右足前で腰は低い(※2)。

「我が一族に伝わる昂拳(こうけん)、とくと見よ!」

「へぇ、見た事の無い構えだ」

雷蔵は言いつつ、自らも構えを取る。右手を前に出し、肘を曲げる。拳を鼻の前に留め、左手は胸の前。

韋は一歩詰めて右前蹴りを放った。雷蔵は少し退く。韋は蹴った足をそのまま踏み込み、右肘を突き上げた(※3)。雷蔵はもう半歩退きつつ、右掌で肘を押さえた。韋は構わず左の鉤突き(フック)を放つ。雷蔵は右手刀で受けた。間を置かず放たれた右の鉤突きを雷蔵は頭を下げて避けた。その雷蔵の顔前に、韋の膝が飛んで来た。

咄嗟に『(いただき)』の構えで受けたが、そのまま膝で突き上げられ、上体が仰け反る。そこへ韋の両拳が放たれ(※4)、雷蔵は後ろに吹っ飛ばされた。地面に大の字になる。

それを見て、韋は構えに戻った。

「俺の『水牛撞樹』がかわされたのは初めてだ」

韋にそう言われて、雷蔵は苦笑いしながら立ち上がった。

「あんた凄いな」雷蔵は土を払いながら言った。「拳足が当たるまで、前へ前へ出て来る圧力が半端じゃねえ」

「お前こそ。最後の両撞、自分から飛んだだろ?」

「受けが間に合わなかったからなあ」

「そんな受け方も初めてだ」

韋は笑った。構えを変え、右拳を下にして肘を立てる(※5)。

「では、次は俺から行くぜ」

雷蔵は言いつつ、開いた間合いを歩いて詰める。構えも何も無くただ歩き、あっさり拳の届く距離に入る。

虚を突かれて思わず出した韋の右裏拳を左掌で外へ払いつつ、下から右掌で「(かすみ)」(※6)を取る。左掌で受けに来た所を掴むと、その手を引き込みつつ左腕を韋の脇に差し込み、引き込んだ肘を極める(※7)。

韋は左足を一歩踏み出して投げを堪えようとしたが、雷蔵の差し込んだ左手に止められた。雷蔵はそのまま韋の左腕を巻き込み地面に投げ倒した。左足を挙げて踏む体を見せたが、足を下ろすと掴んでいた韋の左腕を離した。韋は地面を転がって間を取ってから立ち上がった。

「畜生、何だ今のは?擒拿(きんな)か?」

「擒拿はよく判らんが、これが柔術と言う奴だ」

「お前の功夫か?」

「無極流兵法と言う」

「しかし、さっきはなぜ止めを刺さなかった?」

訝しげに問う韋に、雷蔵は意外そうな顔で答えた。

「なぜって、これは仕合だろ?互いの技の試し合いだ。無駄に外傷をする必要は無い」

「和国の人間はそんな甘い考え方なのか?」

「互いを生かし合い、共に研鑽してより高みを目指すのが、俺達のやり方だ」そう言ってから、雷蔵はニヤリと笑った。「でも、やる時は容赦無くやるぜ」

「成程、共に研鑽するか…。悪く無いな」

韋もニヤリと笑う。

いつの間にか、彼ら二人の周りには人だかりが出来ていた。しかし、二人はお構い無しに技の試し合いを続けた。

お互いが交互にお互いの技をかわし合う様子に、いつしか胴元が立ち、「どちらが先に綺麗に決めるか」という賭けが始まっていた。

「楽しいなあ」

雷蔵が笑って言った。

「楽しいなあ」

韋も笑って言った。




20190806

20190903改




註 :


※1 金水門拳法 「旗鼓式」

※2 昂拳(壮拳) 「騎馬式」

※3 昂拳(壮拳) 「仙人指路」(前蹴りから縦肘)

※4 昂拳(壮拳) 「水牛撞樹」(左右のフックから膝、両拳突き) 套路の上では、膝の前に前蹴りが入る。

※5 昂拳(壮拳) 「打馬式」

※6 無極流兵法「(かすみ)」 五指を拡げて顔を払うように突く。目つぶしを主目的とする。

※7 無極流兵法「交差捕(こうさどり)」 右手首を取り、腕を伸ばして右脇に左腕を差し込み、肘を極めつつ投げる。


※昂拳(壮拳) 広西省壮族に伝わる拳法。古式ムエタイに酷似する。タイの泰族と同種族なので、昴拳と古式ムエタイは同根であると思われる。


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