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第弐話《覚》

 はっ、と意識が戻ると世界は一変していた。

 意識の移ろいの中を彷徨う世界──その朧げな世界の中で一人佇む自分がいる。

 ふと、鳥瞰図のような画面が視覚に重ねて入ってきた。なんと、先ほどまで自分だったはずの少年がそこにいるのだ。……不覚にも動揺した。これは自分自身のはずなのだ。なぜそこにいるのか。その存在もまた、別の意識で動いている。つまり、この人物と自分は別者だったということになる。その実態をはっきりと自覚した途端、強い拒絶の心が現れ始めた。その瞬間それとは顔つきも違う、幼い少年が映し出された。

 ──小学生の頃のもうひとりの自分だ。


 その瞬間、過去の記憶の有象無象が脳に入ってくるのを、否、本来の脳が「蘇る」のを感じた

 小五のあの時、比較的仲良くて相談にも乗ってくれた子がいて……。

 そうだった、僕の家がパン屋だった縁で、その子の誕生日プレゼントに自分でパンを焼いて渡したっけ。

 でも、その子は嬉しそうにはしてなかった……。


「誕生日だからって今日の私みたいなひとりだけが得なんてしたくない」


 正義感が強いのか、ひとりだけ得とかいうのが嫌で誕生日ですら嫌うその子にはバッサリ言い切られたけど「ありがとう、家族みんなで食べるから貰っておく」なんて言って結局は受け取ってくれた。


 でもその子はいじめられ始めたんだ。

 僕がどうこうとかよりも酷いいじめだった。

 その子を庇った僕に標的は変わり、やがて申し訳なさかわからないがいつの日か家のポストに手紙が届いて……


『もう学校には行かないから、これまでありがとう』


 それから僕は教室に居たくなくてトイレに篭もりはじめ、その後から保健室通いになったっけ。

 そのうち嫌になって学校行きたくなくなって、でも背徳感や行かなくなったら負けな気がして、それでも行き続けた。

 それから僕は……いじめに耐えて、耐えて、耐えきれなくなって……でも、彼女のような子を他に増やしたくはなくて。

 僕だけが辛い思いをすれば、いいんだって。せめてもの救いでトイレに篭もったり、そこからは兎に角僕は嘔吐や腹痛、いつしか遅刻早退は当たり前の毎日に。みるみる欠席も増えてしまい「前まではそんな子じゃなかった」と親にも叱られ、失望させ、期待もされなくなり……。


「死にたい」


 いつしかそんな言葉だらけになって、僕は……いつ、どうやって死んだのかは自分でもよくわからないけど、死にたいという思いは叶ってしまった。おそらくここにいることがそういうことだろう。

 記憶はそこまで。しかしこの混濁した記憶の謎は分からない。


 どうにか飲み込めた事象は「この少年に取り憑いてしまっていた」つまり「この少年は僕ではない」。

 僕がいつの間に取り憑いたのかは「何故だか思い出した小学校時代のトイレの記憶」から察するにそのことだろう。しかし自身は大人にもなっていないでそのまま記憶があやふやになりながらも今さっき、高校生活をエンジョイしていたところまで繋がっている。

 一瞬の出来事だったがこの時すでに自分はここから離脱し、記憶の傀儡をそれまで自分の意思で動いていた肉体から抜き去り、この朧げな、不確かな世界に飛んでしまった。

 きっと、確かに『死んだ』んだろう。それ以外にありえない。夢でも見てる、っていうならどうだ。頬でも叩いてみるか。幸い手はあるようだし。霧で見えなくなっていたが手先の間隔もあるし、動かせる。

 視界は黒く闇の中でまったく見えないが、頬がありそうな場所に手をやる。

 ひんやり、感触が手に拡がる。

 頬に触れた手を思い切り振り払って、だいたい同じであろう場所に勢いよく戻らせる。

 ぱちん。

 痛覚も感じられるようだ。


 もしこれでも……夢だったならば、どれほど良かっただろうか。

 でも、確か死んだ。そう、死んでいて、なぜだか今まで生きていたように振舞っていた。死人が生者を操って、生者そのものに成り代わっていた。それで生きていると思っていた。

 でも、それは偽りだった。


 その結論に至った僕を嘲るつもりか、なにも見えなくなっていた視界が晴れ、そこに偽りではない、僕の顔をした本物がもう一度現れる。

 トイレから戻った彼は、先生から授業前に行くんだぞと諌められ、友達からは笑いを受け取って、とても楽しそうだ。

 そんな楽しそうな人生を横取りなんてする気もない。所詮偽りだったと知れば、諦めは、躊躇うけれど諦めることはできる気がしてきた。今彼を自分だと思い込んでしまうほど彼としてまだ生きることに燃えていたとして、こう隔離されたことの意味も考えれば、そうさせる気もないだろう。だから受け止めるべきだと思ったのだ。ここまでのは推測でしかないが。


 自分はなぜ死んだのか。なぜ、自分でこの生きる道を閉ざしたのか。

 こんなにも生きるということが楽しかったのならば普通に生きたかった。昔の僕は何故そんな貧弱なんだ! とは思うまであったのだが今更悔やむより仕方がない。

 が、僕の人生はこんな道を辿りたくはなかったし、こんな結末を迎えたくはなかった。

絶対に、望んだ未来はこんな筈じゃなかったのに、なぜ──。



『ようこそ、死者の彷徨う世界へ。──二十年前に死んだ可哀想な幼子よ』

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