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第壱話《痛》

「──とここまでの西部戦線の動きをさらうと、1914年9月に」

 それは三時間目の授業中のことだった。

 先ほどまで少しずつ身体の中を蝕んでいた痛覚がピークを迎え、ついに我慢の限界に達したのだ。容赦なく胃と腸の壁を抉って、今にも内側から穴が開くような痛みに身体はこれ以上我慢を許さなかった。

 心当たりはあった。紛れもなくこれは朝食の、消費期限が二週間以上過ぎたパンのせいだ。カビは付いていないし、まだまだいけると思ってつい食べてしまったがこの有様だ。


「あ、あの先生」


「なんだ柏木」

「トイレ行ってきてもいいですか」

「駄目だ」

 まじかこの先生、そんな人だとは思わなかったのに……仕方ないか、でもほんと無理なんだけど。

「なーに真に受けてるんだ、嘘に決まっている。さっさと行って戻ってきなさい」

 わははははっ!!

 クラスは笑いの渦中だが、こっちの気分はそんな雰囲気で変わるもんじゃない。腹を蝕むような痛みは現在進行形で悪化しているからだ。

 背後から笑いと好奇の目線が突き刺さる教室から抜け出し、階段の前にある男子トイレへ廊下を早足で向かう。

「ええっと……個室個室」

 授業中なので休み時間とは違い、当たり前のように人はいない。

 授業をサボってトイレに篭ったりする連中もどうやらこの時間はいないようだ。

 入ったのは、中でも一番お気に入りの入口から三番目の個室。

 なぜここを気に入っているのかというと、ほかと比べるとほんの少し小綺麗で、不思議と落ち着ける感じがあるからだ。

 便座に座った途端、少し意識が遠のいてきた。歩いていた時はそこまで辛くなかったのだが座ると一気に痛みがぶり返す。

「さっさとこの腹痛を止めなきゃな……」

 未だ続く鈍痛に終止符を打つべく、目を瞑り、痛む腹部に圧力をかける。


 出すものは出した。


 軽く嘆息をし、目を薄く開け目の前のドアを無気力に眺める。なぜか黒い煙が立ち込めているように見える。気のせいかと思って、目をしばたきもう一度目の前を見るが、ますます周りはその煙のようなもので黒く染まっていく。頰を叩いても痛いし、夢か気絶でもしてるわけでもないとわかった。……そういえば、この黒い煙のようなものは何故だか見覚えがある。


 そのうちふと僕は自身の過去を思い起こす。小学生の頃の思い出……ではないか。それぐらいのこと、なんでか胃腸炎だっけかな、いつも学校では決まったトイレの個室に閉じ篭もる癖ができた。

 いや、もっと嫌な思い出だったはずだ。だけどクラスの奴らはそんな特に悪いやつじゃないし、むしろ仲良かっただろ……あれ?


 何かがおかしい。


 そうなんだけど、僕はいっときなんでかハブられた気はする。ただ、小学生の頃なんて覚えてないのが普通だし、単なる忘れだろう。

 ただ、その中でもこの思い出だけは強烈に蘇った。とってもくだらないけど、決まったトイレの個室に閉じこもることに安心感を覚え出して、当たり前に高校に上がってさえその習慣がついてしまったような。小学校時代のその一幕が特に印象的だった。そう、なにか黒いものが現れて、僕の全身にまとわりついたのだ。そして……僕の胸に吸い込まれるようにして消えた。

 その存在も記憶もそこでぷっつり消えたし、なぜだかその先も何があったかなど、まるで覚えていない。まあ、小学生の頃の記憶なんて覚えていることすら普通にあまり無いのだがこの部分だけ部分的に強烈に記憶がある。

 しかし、あまりにも不自然だ。この記憶はここでばっさりと切れている。

 自分はこの記憶に明らかな何か、違いを感じていた。

 この記憶にある小学校の校舎は随分と新しい。在籍していた時は確かそれなりに古かったはずなのに、だ。

 なぜか記憶に違いがある。

 まるで「別人」のように……。

 ほんとうに?

 これは見ず知らずの別の人の思い出なのか? いや違う、この僕がこの人なはずだ。

 辺りに黒っぽい霧のようなものが立ち込めてきて、僕の視界は黒い闇に飲まれる。

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