僕と明日美と母さん 4
しばらく時間が流れた後、母さんが少しだけ震えた声で、
「一体、何のことを言ってるの? 分からないんだけど……」
明日美のことを分かってるくせに、わざとすっとぼけた感じで聞き返す。
まるで、そのことに関して触れて欲しくなかった様子だった。
そこで僕は母さんの考えていることをーー気持ちを軽くだが理解することが出来たような気がした。
母さんは、『僕と明日美の付き合うことに関して、私情を挟まないつもりでいる』ということを。
父さんが亡くなってしまったことは、母さんにとっては思い出したくもない出来事であり、明日美もまたそれを狙ってしたわけでもない。つまり、恨んだりしても意味がないことを分かっているからこそ、そのことを出さないようにしていたのだ。だから、話すという意味では『付き合う件に関して』のみで終わらせるつもりだったのだろう。
しかし、その墓穴を掘るかのように明日美が謝ってきてしまった。
明日美が話すつもりであることは分かっていたつもりなのに。その件から現実逃避しようとしていたのに。踏み越えられてしまっては逃げられない。
だから、最後の抵抗としてとぼけたのだ。
「……聞きたくないのも分かってます。でも、私はその件で恨まれたり、付き合うことを拒否されたとしても、『この家の敷居に入ってくるな』と言われても謝らないといけないと思ってたんです。自己満足かもしれません。両親が色々とお母さんにして気持ち的にはチャラにしてくれたのかもしれません。でも、私は私で謝りたいんです。だって、私が一番の当事者だから!」
頭を下げたまま、明日美はそう口に出す。
緊張なんてものは一切なかった。
悲しんですらいない。
ただただ、純粋に謝罪の言葉を口に出したい。
そんな気持ちが行動や口調で表面化しており、僕との付き合う件すらも二の次で、このことが明日美が一番本題として話したかったことが伝わってきた。
母さんは僕をチラッと見てくる。
戸惑っている目をしていた。
そして、口に出して言っては来なかったが、『知ってたの?』と尋ねられてる気がした。
だから、僕は首を縦に振る。
母さんはちょっとだけ目を閉じた後、椅子から立ち上がり、明日美の元へ向かう。そして、土下座している明日美の目の前でしゃがみこみ、その頭を優しく撫でる。
まるで幼い子供を撫でるかのように、優しくゆっくりと……。
「明日美ちゃん、大きくなったね。礼儀正しくなって、こうやって自分のしてしまったことに対して、ちゃんと謝れるようになったのね。成長ってすごいわね」
初めて明日美の名前を呼ぶ母さん。
今まで名字で呼んでいたのは、やはり一定の距離を保つためだったらしい。
明日美はそれでも頭を上げようとはしない。
「当たり前のことをしてるだけです。そんな褒められるようなものでもありません」
「その当たり前のことを、自覚出来てるってのがすごいって言うのよ。人間は辛いことから逃げたくなる生き物なんだから。現に私はこうやって謝られるまで逃げようとしてたんだし。だから、顔上げて。ね、お願いだから」
そこまで言われて、明日美はようやく顔を上げる。
上げた顔は唇を必死に噛み締め、泣くことを我慢し、さっきまでの緊張を無理矢理押し殺すようなものだった。
母さんはそんな明日美を優しく抱き寄せ、背中をポンポンと叩く。
「そんなに必死にならないで。明日美ちゃんは悪くないでしょ。あれは事故なんだし」
「事故の原因を辿れば、私なんです。だから……ッ!」
「そうね。それを言われたら、否定出来ないかな。でも、他にも要因があることを忘れないでね。私たちにも。それに……私はもう明日美ちゃんのこと、とっくの昔に許してるのよ?」
「そんな優しい嘘吐かないでください。もっと私に本音を言ってください。私に対して、暴言でも暴力でもなんでもしてください。じゃなと私が……私を許せないんですよ。いくら、こんな風に優しくして、私のことを許してくれたとしても……ッ!」
そこで明日美の感情は再び揺れ始める。
母さんの言動に対しての戸惑いが隠せないようだった。
「……覚えてないのね。あの時のこと……」
対して、母さんも少しだけ声を震わせつつ、弱々しく笑う。
「え?」
「事故の日の後のこと覚えてないの?」
「……はい」
「ご両親から聞いてない?」
「……聞いてないです」
「そっか。さすがに言えなかったのかな?」
「何をですか?」
「幼い時にね、こうやって謝ってきたこと。言葉は幼いから拙いし、何を言ってるのかは分からなかったけど、必死に『ごめんなさい、ごめんなさい……』って謝ってきたの。もうね、それを見る方が辛いぐらい謝ってきてたのよ。私と顔を合わすたびに謝ってくるの。もうどっちが被害者なのか分からないくらい……」
「嘘ですよね、それ?」
「嘘吐く理由なんてないでしょ。だから、私は明日美ちゃんのご両親にお願いしたの。『しばらくは私たちとは距離を取ってください』って。嫌いだからとか明日美ちゃんのご両親からお願いとかじゃなくて、可愛い明日美ちゃんにそんな心の傷がいつまでも残るような真似をしたくなかったの。時間が解決してくれると信じて……。でも、それもダメだったみたいね……」
困ったように母さんは笑う。
僕もそこまで聞いて、同じ気持ちになってしまっていた。
やっぱりは明日美は明日美なのだと……。
でも、それが明日美なりの反省だと思うと、本当にそろそろ自分を許してほしいと思った。
もう許されてもいい年月は経っているのだから……。




