僕と明日美と母さん 1
明日美の言っていたお願いを聞かされる日は案外早かった。
いや、これは前から僕自身もやらなければいけないと思っていたことを約束として取り付けられただけのため、日にち的な意味合いでいうと誤差はそんなにないのかもしれない。
その約束とはーー。
『母さんに明日美と付き合っているということを報告すること』
家族に付き合っている人を報告するというただそれだけのこと。
きっと一般家庭でもこの報告をするという意味合いだけでは緊張は免れない出来事の一つだろう。緊張はするけども、結婚まではいかないので賛否両論はあるだろうが、付き合うという観点では許されることが多いと思う。たぶん。
しかし、僕たちはちょっとだけ事情が違いすぎる。
やはり過去の問題が大きすぎるのだ。
だから、正直母さんの反応次第で僕たちは粘っても粘り勝ち出来ないという予想が十分に出来る。そのたため、緊張は普通の人以上なのは間違いない。
そのことを表すように一緒に僕の家に向かっている明日美も僕が知ってる限りの範囲ではあるが、今まで一番余裕がない様子だった。
普段の学校帰りに歩みと比べ、足取りが重い気がして、思わず何かにつまずき、転けてしまうのではないかと心配になってしまうほど。
「大丈夫?」
何度目になるか分からないこの問いを僕は再び明日美に尋ねる。
「う、うん。大丈夫だよ。やっぱり近づくにつれて、心臓のバクバクヤバいけど……」
「コンビニで飲み物でも買って、気持ち少しだけ落ち着かせていく? 母さんには少し遅れるって連絡すればいいだけだしさ」
あと少し歩けば、コンビニがあるので僕はスマホを取り出し、明日美が答える前に連絡しようと準備をし始める。
しかし、それは明日美が僕のスマホを取り上げるという行為で阻止される。
「いいって! さすがに私がお願いして時間を作ってもらったのに、そんなことして待たせるなんて悪いよ」
「でもさ、そんな調子じゃ辿り着く頃にはメンタル的に弱ってそうなんだけど……」
「それは……そうだけど……。でも、だよ?」
「うん、なに?」
「もし、透が私の両親に挨拶にしにくる時がいつか来るわけじゃない? その時、私と同じで緊張するでしょ?」
「それはもちろん緊張するだろうけど……」
「その時にさ、私が同じように気を使って、『どこかに寄って、少しでも気晴らしして行く? 連絡すればいいだけだし』って同じこと言ったらどうする?」
「……待たせるのは悪いから大丈夫だよ?」
「でしょ? きっと似たようなことを言うと思うの。うん、それが今の私のだけだから気にしないで」
あっさりと論破され、僕はそれ以上、何も言えなくなってしまう。
気を使っているつもりが、余計なお節介になっているとはまさにこのことを言うのだろう。
だから、僕はあっさり引き下がることにした。
「それにさ、何か飲んで大事な話中にトイレに行きたくなるってのも恥ずかしい話でしょ? だから、本当に気にしないでよ。ちなみにスマホは家に着くまで没収ね。気を使って、変な連絡されても困るし」
そう言って、明日美は自分が持っているポシェットに、僕のスマホを入れた。
変な連絡をするつもりはなかったが、もしかしたらの可能性を考えているのだろう。現状、その可能性を僕自身もないとは言い切れないため、素直に従うことにする。
「……分かった。明日美が望むなら、それに従う。余計なお節介してごめん」
「私もだよ。スマホを取り上げてごめんね。気持ちだけはちゃんと伝わってるから、それだけでも心強いよ」
「それならいいけどさ」
「うん、ありがとう。私のお願いのために無理言ってくれたことに対してもありがとうだよ」
「それはいいけどさ……。僕はそれを伝えて、時間を作ってもらうだけだし」
「でも、緊張したでしょ?」
「まぁ……」
僕は視線を横に逸らしながら、頰を掻く。
実のところはそんなに緊張はしていない。
たしかに言う前までは緊張をしていたのだが、それを母さんに伝えるとあっさりと了承してくれていたのだ。いや、そもそも僕と明日美が付き合う可能性があることを分かっていたらしい。だから、どのタイミングでそれを言ってくるのか、母さん自体が待っていたような節がある。だから、あの時尋ねた時の一言ーー。
『やっと? 待ちくたびれたわよ』
この返事は今でも忘れることが出来ない。
だから、どっちかっていうと僕よりも母さんと明日美の方が緊張しているはずだ。そのためなのか、僕は案外冷静で入られているような気がする。
そう、緊張よりも二人が話す内容の方に興味があると言っても過言ではない状態だった。
けれど、そんなことを言えば不謹慎なのでごまかしておくことしか出来ない。
「だよね……。うん、私頑張るから応援しててね」
僕の気持ちとは裏腹に明日美は緊張した面持ちで、僕の左手を握ってくる。
緊張をほぐすかのように。
だから僕もそれを握り返し、元気付けるように努めることにした。
しかし、そんなことをしてる間にも歩みは止めなかったため、家の前まですぐに辿り着いてしまう。
「着いちゃったね……」
玄関の数歩の前で立ち止まると明日美はさらに緊張した面持ちでそう呟き、
「じゃあ、返すね」
先ほど没収されたスマホをポシェットから出し、僕に返してきた。
僕はそれを頷き、受け取り、ズボンのポケットに入れながら明日美の様子を見守る。
明日美は、僕がスマホを受け取った後、すぐに肩で深い深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせ始めた。しかし、一回では落ち着かないらしく、何度も深呼吸をし始める。
大丈夫なのかな?
その様子を見守っている僕は次第に明日美の目尻に涙が浮かびつつあるのを見えていた。
緊張しすぎて、感情を抑えきれないほど、追い詰められていることだけは手に取るように分かる。
さすがにこの状態で母さんに合わせるのはマズいと思い、どうにかして緊張を解す方法を考える。
瞬時に思いついたことはあった。
それは意識を逸らして、緊張を少しでも緩和させる方法。
けれど、その意識を逸らすとは分かったとしても手持ちに何かあるわけでもなく、生半可なことではきっと意味がない。
そこまで分かっているとやれることは一つしか思いつかない。
しかし、それをすれば明日美に怒られてしまう可能性が高い。
でも……ッ!
ここで僕まで混乱してしまっては意味がないと思うと、もうやらずにいられなかった。
「明日美、ちょっとこっち向いてよ」
それだけ簡単に伝える。
「な……なに?」
明日美は涙声の状態でそう僕の方へ顔を無理向けた瞬間、明日美の頭に右手を伸ばし、頭を引き寄せ、キスをした。
外なので一瞬しか出来なかったが、それでも効果はあったと思う。
明日美の表情は緊張から驚いた表情になり、何をされたか理解した瞬間、顔を真っ赤にして、自分の口元を押さえて、慌てて僕から距離を取っていた。
「〜〜〜〜〜ッ‼︎」
そして、声に出せないような声を上げていた。いや、外だから声を出さなかったのかもしれない。
「緊張少しは解れたでしょ? いきなりしてごめん」
僕のキスした意味を簡潔に伝える。
そのことにちょっとだけハッとしたような表情をするも、すぐに僕を睨みつけ、
「バカ……ッ。でも、ありがとう。少しだけマシになったかも」
一応と言った感じでお礼を伝えてきた。
「どういたしまして。じゃあ、開けるよ」
僕はその言葉を受け止めた後、再び緊張の渦に明日美が飲み込まれる前に扉を開ける。
返事を聞かずに無理矢理そういう行動に出たのは、明日美が緊張の渦に再び飲み込まれるのを阻止するためだった。
もう、これで僕たちはどんな結末が待っていようと前に進むことしか出来なくなった。




