カラオケ 3
「ねぇ、滝本くんはこれからどうするの? 何かやり返したりするの?」
何気ない秋山さんの一言。
僕はハッとさせられたような気がした。
悲しみにくれていただけで、そこまでのことを考える余裕がなかったから。
同時に湧き上がる憎しみに近い感情。
けれど、僕はその感情を首を横に振って捨てる。
昨日やられたからと言って、一応は今までお世話になった側なのだ。そんなことをすれば、今までの僕がしてきた応援などが無駄になってしまうような気がしたから。
いや、違う。
広いネットの世界で、こんなちっぽけな僕がやれることなんてものすごく限られている。
だから、やるだけ無駄なことが分かっているだけだ。
「たぶんやらないかな。僕に出来ることなんてないから」
完全に捨て切れることは出来なかったから、ちょっとだけ悔しそうに声が漏れた気がした。
そこで秋山さんが「うーん」と唸る。
どうやら、僕に出来ることを考えてくれているらしい。
しかし、それを僕が実行に移すことはない。
なぜなら、秋山さんよりも僕の方がそういうことに詳しいからだ。
「じゃあさ、やり返すより見返す方でやってみれば?」
「見返す?」
逆転の発想の一言。
憎しみよりもそれは明らかにメリットで考えれば、間違いなくいい方法だと僕も思った。
「いや、ダメだよ。見返すって言ったて僕に出来ることなんてないから」
「その配信ってのは出来ないの?」
「それはパソコンやスマホがあれば、誰でも出来るけどさ」
「スマホはもう誰でも持ってるんだから、秋山くんだって出来るでしょ?」
「そうだけど……。パソコンもあるけど、僕には出来ないよ」
「なんで?」
「なんでって……」
何気ない秋山さんの一言に僕は自分の無力さを痛感し始めていた。
なぜなら、僕には取り柄というものが少ない。
『手先が器用』とか『パソコンのことを秋山さんより詳しい』とかそういう問題じゃないから。配信について知識があったとしても、配信として使える能力が思い当たらないからだ。
そこでチラッと秋山さんを見る。
容姿、知能、声質の三つを兼ね揃えている秋山さんが羨ましいと思えた。
同時に『秋山さんを使えるなら……』という他人を利用する考えが頭の中に思い浮かぶ。
しかし、すぐにそれを取り消す。
僕自身の問題にこれ以上、他人を巻き込みたくない。何より、さっき打ち砕かれた心のせいでそんなことをしたくなかった。
秋山さんは、僕が向けた視線を見て、首を傾げていた。というより、返答を待っているようだった。
「僕にはそういう配信に使える特技がないからさ。トークスキルもないし、盛り上げられるような才能がない。だから無理なんだよ。秋山さんみたいに他人に羨ましがられる才能がないんだ」
だからこそ僕は本音を告げる。
これでこの話を終わりにするべきだと思い。
結局は僕が我慢すれば、今回の件が全部終わりなのだから。
しかし、そんな僕の気持ちを知ってか知らずかーー。
「ふーん……。じゃあ、私が協力してあげよっか? それじゃダメ?」
先ほど否定した僕の考えを秋山さんの口からそれが放たれる。
「えっ⁉︎?」
「良い考えだと思うだけどダメかな?」
「いやいや、ダメも何も巻き込もうと思ってないんだけど……」
「巻き込むって何が? 私が興味を持ってやりたいな〜って思ってるだけだよ。その配信者さんみたいに、私がその人の悪口を言うわけじゃないし。ただ普通に配信して、その人より人気になって、滝本くんが私の推しになればいいんだよ。それだけで優越感に浸れるでしょ?」
「あの……その……ちょ、ちょっと?」
「うんうん。ものすごく良い考えだよね!」
秋山さんはものすごく楽しそうに語り始める。
楽しそうとというか、これから悪巧みを考えている人の顔だった。
そして、妄想の世界に一人入っており、僕の力では引き戻せそうにない感じだった。
「ねぇねぇ、それで聞きたいことがあるんだけど教えてくれる? パソコンとスマホならどっちがいいの?」
「それはパソコンの方がやれること多いから……じゃなくて……ッ!」
「パソコンか〜。うん、そこだけが困ったなぁ……ってなに?」
「僕、やるって言ってないんだけど?」
「……あ、そうだね。じゃあ、やろう? やらないよりやる後悔だよ?」
「それ、ほぼ強制じゃない?」
「強制してないよ? 私は誘ってるだけだし」
「拒否してるけど?」
「じゃあ勝手に私がやるから力を貸してくれない?」
「なんで巻き込まれるの?」
「この場にいるのが秋山くんしかいないから」
「明日、信用出来る人ーー」
「秋山くんしか信用してないから無理かな」
「おい」
どうあっても僕のために何かしたいらしい。
しかし、僕は未だにやる気は起きていない。
なのに、秋山さんの中ではもう確定に近いところまで来ている。
逃げるしかない。
僕の本能がそう告げた。
ここで承諾とか拒否とかの話をしている場合ではないと悟る。
その本能に従い、僕はポケットに入れていた財布を急いで出し、適当に札束を取ると、机に優しく置く。
「あ、あの……僕、帰るね。お釣りとか気にしないでいいから。じゃあね!」
そう言って鞄とハンガーに掛けていた上着を無理矢理取ると部屋から飛び出る。
「え、ちょっ……秋山くん⁉︎?」
僕の耳には秋山さんの驚きの声が入ったが、止まる気はなく、受付まで駆ける。
受付の人には「お金は連れが!」とだけ言い残し、そこでも止まることはしなかった。
そのせいで脇腹に痛みが走り始めたが、それでもしばらくは止まらず、走り続けた。
そうでもしないと秋山さんに追いつかれるような気がしたからだ。
しばらく走り続けて、そのカラオケ店からかなり離れたところで息を荒らしながら足を止める。
「さすがに限界……」
痛みを脇腹を抑えつつ、おもむろに財布をポケットから取り出す。
さきほどカラオケ店に置いてきたお金の金額を確認するためだ。
「……マジか」
すぐさま絶望することになった。
だいたいカラオケの夜料金は店によるが、二人で札束三枚程度の認識のため、札束を三枚置いてきたのは間違いない。
それが万札二枚と五千円札一枚という最悪の結果だった。
また泣きそうになった。
お年玉の残り、先月のお小遣い残りが一瞬にして無くなってしまったからだ。
ものすごく高い授業料を払ってしまったことにショックを隠せなかったが、秋山さんの提案に乗るよりマシだと思うと、無理矢理納得するしかないのだろう。
「明日返してもらいに……いや、やめた。明日は休もう。いや、しばらく休もう。またこの話をされる」
秋山さんの様子から考えると、それが容易に想像出来た。
だからこそ、僕はしばらく仮病を使うことを決める。
きっとそれしか逃げ道はない。
そう確信出来るものがあったから。