カラオケ 2
泣き止むのにどれくらいの時間が経ったのか、分からない。
けれど、長時間泣いていたわけではないと思う。
しかし、感覚では三十分ほど泣いていたのかもしれないと思うぐらい、ずっと泣いていたような気がした。
その間、秋山さんは僕の頭を撫で続けてくれていた。
自分の制服が僕の涙で汚れることも気にせずに。
それがものすごく嬉しくて、『純粋にずっと甘えていたい』と思ってしまうほどだったが、涙が治ると秋山さんの肩を掴んで、ゆっくり押す。
「もう大丈夫だから」
上手く言えてるか分からないほど、泣き声でそう伝える。
秋山さんもそれに応えるかのように、ゆっくりと僕の頭を抱えていた腕の力を抜いた。
そのタイミングで僕は即座に秋山さんから離れると、ソファーの上に体育座りして、秋山さんを見ないようにした。
現在の状態では、秋山さんに泣き顔を見られたくないし、優しさからしてくれた行動に対しての恥ずかしさから見れるはずがなかったから。
「ごめんね。反射的に身体が動いちゃって……」
自分がしてしまった行動に恥ずかしさと動揺が隠せないらしく、秋山さんの声も少し震えていた。
しかし、不意に僕の背中に軽く何かが触れた。
確認しようにも秋山さんの方を見たくないので、少しだけ不思議に思っているとーー。
「こうやって触れてるだけでも安心しない?」
秋山さんが説明してくれた。
その通り、背中と背中の接触してる部分がほんの少しだけ暖かくて、なんだか僕もそれだけでも安心感に包まれているような気分になった。
「秋山さんには敵わないなぁ……。僕の気持ちを理解してるみたいで怖いよ」
「子供の時とかこういう風にしてくれた人がいたから。だから、それを真似してるだけだよ。感謝するなら、私じゃなくてこういう風に優しくすることを教えてくれた人に、だね」
「そっか。もし会うことがあったらお礼言わなくちゃ」
「そうだね。会うことがあれば……ね」
その言い方がまるで遠かった。
それだけで僕もその人がもうこの世に住んでいない、亡くなった人だと理解するには時間はかからなかった。
墓穴を掘った。
だから、この話題から話を切り替えるべきだと思った僕は、
「そろそろ昨日あったこと話そうかな。時間はさっき言ってくれた通り、大丈夫なんだろうけど、いつまでも待たせちゃ悪いしね」
と自分の話題に切り替えることにした。
「本当だよ。時間かかりすぎ」
不満そうな台詞だが、本心ではそんなことを秋山さんが思っていないのは伝わった。それぐらい、言い方が優しかったから。
「ごめんごめん。誰にも話すつもりなんてなかったからさ。言うまでに時間がかかるんだよ」
そう言いながら、僕は昨日のことを思い出しながら話し出す。
『暇つぶしで配信アプリで好きな配信者がいたこと』、『昨日はその配信者がサブ垢で配信しており、 見に行くことが遅れてしまったこと』、『見に行くと僕の話題が出ており、それが悪い方向であったこと』、『今まで一緒に見ていたリスナーさんもそれに同調するコメントをしていたこと』、『誰にも助けを求めることが出来ず、今日の夕方に至ること』。
時折、感情が高ぶり、何度か泣きそうになった。
きっと上手く言えず、聞き取りにくいところもあったはずだ。
なのに秋山さんは口を挟むことなく、僕が説明している間、ずっと無言だった。
聞き上手。
これに尽きる。
説明が終わると、僕はまた泣いてしまった。
やっぱり悲しくて、悔しくて、理解できなくて……、泣くことでしか僕はこの気持ちを発散出来る術がなかったから。
一回、泣いてしまったからこそ、僕はもう恥ずかしさなんてものはなかった。
「ごめん…ごめん…」
ただ、秋山さんを困らせてしまうことだけは分かっていたから、謝罪の言葉だけは必死に口から出す。
「ううん。大丈夫だよ。大丈夫だから気にしないで」
秋山さんの声も少し震えていた。
今の事情説明に感化され、泣いているらしい。
不意に僕の首に秋山さんの両腕が周りこみ、背中に固い感触と体重が伸し掛かってきた。
また慰められてる。
何度目か分からない申し訳ない気持ちしかなかった。
けれど、何にも出来ずに僕はされるがままになっていた。
しばらくこのままになっていたが、
「もう大丈夫。ありがとう」
泣き止んだタイミングで僕はそう伝える。
しかし、秋山さんは離れなかった。
「ダメ。私がこうしていてたいから、もう少しだけこうしててもいい?」
「……それは恥ずかしいんだけど……」
「我慢して」
「……はい」
拒否権はなかった。
秋山さんの中で、今どういう心境なのか分からないけれど、『僕もまたその優しさに甘えたい』と感じていたからだ。
「ねぇ、吐き出して少しはすっきりした?」
唐突な質問。
僕はさっきまでの自分と現在の自分を比較してみる。
そんなの比較するまでもなかった。
「すっきりしたよ。吐き出すだけで十分、軽くなった気がする」
「そっか。良かった。偶然だったけど、私が見つけて良かったよ」
「その通りだね。感謝しても感謝し尽くせないよ」
「別に気にしなくていいよ。こういうの見逃せない質なだけだから」
「そう……なんだ……」
ちょっとだけがっかり気持ちが僕の中に生まれた。
なぜだろう。
いや、考えるまでもなかった。
こうやって誰かを励ましたりしてるということは、僕に今していることを他人の誰かにもしていること。つまり、『僕も困った時に助けたその一人』ということを自覚させられてしまったのだ。
心の中で『僕だけ特別』という不意に湧き上がっていた感情を打ち砕かれた。
そんな心境。
同時に、僕は秋山さんの腕を掴んで、ゆっくりと広げる。
それは僕からの『離れてほしい』という意思表示。
「あ……ごめんね」
その意思表示に従うかのように、秋山さんは僕から離れる。
なぜか残念そうに聞こえた。
気のせいのはずなのに。
そんなはずないのに。
「ううん。十分癒されたよ。こういうこと誰にもされたことなかったからさ」
「それならいいんだけど……」
「いつまでもその優しさに甘えちゃ勘違いしちゃうからさ、ほどほどにしとかないと」
「え? 勘違い? あ……うん、そうだよね……」
そう言いつつも、僕の背中には秋山さんの視線が向けられているのも気付いていた。
まだ気を使われているのだろう。
それが分かるからこそ、僕は余計に心が苦しくなった。
さっきとはまた違う理由で。
だからこそ、ここで突き放さなければならない。
お互いのためにも。
「気にしてくれてありがとう。本当に大丈夫だよ。慰めてくれてありがとう。制服とか汚してごめん」
これが最後の感謝の言葉として、僕はそう告げる。
「ううん、それは私の勝手な行動だから。私もなんだか違う意味で困らせてごめんね」
その意図が伝わったらしく、秋山さんはそう言ってくれた。
これでこの話題が収束する流れはでき、あとはこのカラオケの部屋から出るだけになった。